事件報道と自首の刑罰減軽

2006-08-18 17:27:22 | 時事報道放談
こんな考え方・・・ありかな?

詐欺・窃盗や放火、ひき逃げ、暴行等の場合の犯人逮捕は
・現行犯逮捕
・捜査機関の捜査による逮捕
・自首
このうちのどれかのはずですよね。

自首は罪が軽減される・・・
―刑法第42条(自首等)罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる―
捜査機関に発覚前と後では違うと読めます。軽減は任意的らしいですね。

以上を予備知識に考えましょう。

時代劇で遠山の金さん、「江戸市中引き回しの上、磔・獄門!」なんてね。
ここでいう「市中引き回しの刑」、現代はそういうのはあるのでしょうか。
あります。新聞やテレビです。
今でもどこかの国であるかもしれない刑:トラックの荷台に罪状を示して刑場までさらし者にする刑。トラックの荷台に乗せなくても、毎日写真やビデオで報道・・・あれは!・・・本人にとっては、さらし刑・・・本人のみならず家族や勤め先も。

法律では、罪状に応じて刑罰があり、刑期を過ぎれば社会復帰できる。
しかし、報道のさらし刑は罪状に関係なく行われ、特にこの刑は、刑期を終えて社会復帰しようにも、それを困難にする。報道のされ方によっては、一生涯、社会から隔絶せざるを得ないかも。

これに対して「報道の方」が幼稚に報道の自由などと弁解するならば、報道されない事件の容疑者との公平を如何にするか。報道から受ける印象の違いをどう説明するのか、報道の時間的な長短をどうするか・・・議論の果てに結局、視聴率が取れそうな事件報道は主観的に長くしつこい、しかも報道の責任でなく視聴者のニーズであるとなる。

これじゃ、だめ!
「報道のさらし刑」論議と「自首と刑罰の減軽」と合体させましょう。

―自首した者は、刑罰の軽減と合わせて、全てのメディアが個人が特定できる写真・住所・勤務先などの情報の報道をすることを差止め請求することができる―

自分もマスコミにさらされることを嫌がる親兄弟・友人も、それだったら自首を勧めやすいかも。

あ~っ!どうしよう!悪いことしちゃった!・・(逮捕されたら、親の家にもマスコミが押しかけて、妻は、子供は何て・・・もう・・・何もかもめちゃくちゃだよ!終わりだよ!)・・・・・・自首すればやり直しできるよ、あんた!

もっと複雑な問題なんだろうけど、こういう視点で議論をはじめても・・・。

「怠惰」の議論

2006-08-18 10:15:46 | 怠惰の定義
犯罪の根源は、「怠惰」なのかもしれないと書いてきました。
しかし、実は根源ではないかもしれない。
もう少し私のしつこさにお付き合い願います。

「怠惰」「怠け」は、人の評価なのか、自分自身の評価なのか?・・・さらには、社会の評価なのか?

身近な人に「怠け者」と思われたくない:親兄弟親族友人や特定のあの人には・・
憲法に勤労の義務があるように、社会制度そのものの監視。
これらは、「してはならない」という制約を課すことですよね・・・。

人は、あって当たり前のものとして「怠け」を持っている、という理解の下では、「してはならない」というものはストレスとなる・・よね。また、制約や規制は違反者が出て当たり前ということも。

ここで、結論。
「怠け」は、他人と比較しない自分自身の評価・満足。
怠け者ではない真実の評価は自分自身。
ここで発想を逆にして・・・目標がある人は怠けを意識しない充実の時間を過ごす・・・と思うことにする。

「善なる目標に向かうプロセスは、外観(事の大小、遅い早い、出来の良し悪し等)に個人差があっても誠実・勤勉である」という認識を普及させるのはいかがでしょう。
社会の役割は、善なる目標の選択肢や、成功事例の紹介などとなるのかな。

目的達成や善なるものの普及は、前向き思考で行う・・・・
「犯罪防止は制約と同時に、逆の概念(前向き思考)の強調で行う」

犯罪の根源の議論は、
「怠惰を批判する」という思考から、「善なる目標設定を促す」・・・
ん~・・・どうかな