戦後のまして田舎での日々、父は私に少しでもいろんな文化に触れさせたいと思ったのでしょうか。
休みになりと、どこから探してきたのか、絵画教室、バレー教室・・・
自転車の後ろに私を乗せて連れて行きました。
何一つとして身につくどころか、幼い私にとってはおなかが痛くなるくらいの心の負担でした。
ところが、私が飛びつき熱心に通ったのが(日曜学校)でした。
元華族の奥様が一人で大きなお屋敷に住んでおられました。
広いお庭を抜けて、部屋に上がると、今まで見たことのないような調度品。
おしゃれな色合いのタペストリー。
どちらを見ても、5歳の女の子にとっては、新鮮で驚きでした。
日曜日になると、あちこちから幼い子から、中高生くらいまでの子供らが集まり、お祈りをし、讃美歌を習い、お話を聞きました。
クリスマス前になると、クリスマス会で歌う歌の練習。劇のお稽古。
若者数人がお世話してくださったような気がします。
こんな様子を、奥様は隣のお部屋で、
ロッキングチェアーに座り、ゆらゆら揺れながら、にこやかに微笑みながら見ておられました。
70歳くらいでしょうか~ 色白でふっくらとされていました。
子供心に私が何よりも驚いたのは、奥様のファションでした。
地味な色合いのロングワンピースに、同色のレースが縫い込まれていて、
膝の上には、華やかなひざ掛け~
当時は、まだ母親世代は着物姿も多々あり、洋服も簡単なものでした。
心の中で、この姿が(絵)として残り、
あぁ、ロッキングチェアだったんだ! ロングワンピースだったんだ!
レースが縫い込まれていたんだ!とつながったのは、
このころから、数十年たってからのことでした。
これらのことが、あの当時の私の驚きであり、憧れでした。
もちろん父は、仏教徒で何よりも戦後間もなくのこと。
異なった文化を幼い私に見せてくれたと今更ながら感謝しています。
クリスチャンになったわけでなく、勧められた覚えもなく、
世の中全体が貧しい時代でしたが、5歳くらいから、小2くらいまできらびやかな思い出として心に残っています。
思い出というのは、その時々でしかできず、
のちに、いくら力を尽くしても、高額な金額を払っても作れませんものね。
きっと、奥様が病気になられたか、亡くなられたかでこの会は閉じられてしまいましたが、今にして思うと、子供たちに対しての慈善事業?
今でいうボランティア事業だったのでしょうか~~???
クリスマス近くになると、あれらの日々が鮮やかに甦ってきます。
我が家のお向かいさんが熱心なクリスチャンで
クリスマスになるとその家でお菓子がふるまわれ
夜中に数人の人が家の前に並んで賛美歌を歌っていかれるのです
我が家は熱心な仏教徒でしたから教会まではご一緒しなかったけど
そうそう 思い出話の一つですが
広島に居る時お寺をお借りして合唱団がレッスンしていました
クリスマスにミサ曲歌って 不評を買ってお出入り禁止になったことが有ります。
思い出は本当に宝物なのでたくさん記憶に残るようなことをしてあげたいと
姉の子供達に思いましたが、なかなか私が思うようなことは出来ず、大きくなってしまいました。
そんな中でもそれぞれの記憶の中で思い出があり、楽しい思い出です♪
guuchanさんも素敵な思い出が蘇りましたね♪
パステルもとってもとっても素敵です☆
12月ですね。
今月もどうぞよろしくお願いいたします(^^)
そういえば地元のお寺で日曜学校がありました。
私が低学年のころかなぁ。
お坊さんが講和と言っても子供向きの楽しいお話をしてくださいました。
紙芝居なんかもあったかなぁ。
外に娯楽もない時代1か月に1回かなぁ
それはそれは楽しみに待っていましたね。
今はね、パソコンやスマホをいじって
何だか昔の慎ましい生活が懐かしいですね。
まぁ、クリスマスのパステル画ステキ!
ローソクの炎が揺らめいてお洒落ねぇ!
まるで朝ドラの一コマみたいですね。
旧朝来町でも選鉱所のある神子畑だけは
別世界だったそうです。
日曜学校は私の通っていた小学校のそばに聖マリア病院があって
その横の教会に何度か通った事がありました。
が、guuchanさんのように昔の事を
私は全然覚えてないです
ロウソクのパステル、とっても素敵です!!
当時だったら抵抗があったのでしょうね。
私たちの永代供養を申し込んでいるお寺では、コロナ禍の前まで、
年に2度の落語会、コンサート、
何より、ご住職がバンドを持ってらして、
ご自身がドラマーなんです。
ラジオでも番組を持ってらしてお話がお上手でしすよ~
私は今になって思うには、
祖母と父がたくさん思い出を作ってくれたなぁ~って。
もちろん、母もいましたが^^
心に残る言葉や、今にしてありがたかったと思うのは、なぜか父と祖母ばかりです。
自分が息子たちに何ができたかと思うと???ばかり。
ましてや、孫たちは休みごとにあずかりはしたものの、食事を作り、ゲームをしたことくらいしかありません><
今収まりましたが・・・
和歌山辺りが震源地かな?
この辺りは、震度3だったようですが、
何もできず、家具を置いていない部屋に行くのだけ。
20数年前、大きな震災に出会っていながら
何もできません><
このバレー教室、
最初 4~5メートル離れた先生のところまでスキップで行くというレッスンがあり、
ここですでに挫折。
これができなかったことに傷つき、
バレー教室の日はおなかが痛い。。。
2ヵ月くらい行ったかな~( ´艸`)
絵画教室は、ほとんどしゃべらないお兄さん先生が怖くて、これもほとんど行けていません^^
この日曜学校は、歳を経るごとに
素敵な思い出だったと思います。
これに並行して、山寺の境内が遊び場で、走り回ったり、蝉取りをしたり、
ここにも、常に笑顔で見守ってくださっている尼僧さんの笑顔が思い出となっています。
素敵な思い出ですね
なんだか、映画の中のシーンのようです。
お父さまが素晴らしいです
そう言う環境の中でスクスクと成長された今のguuさんがあるのね~
ド田舎で育った私、本当に羨ましいです
私の場合は、父親が病身で入院していたことが記憶にあり、仕事から帰って来ると和装の寝巻に着替えて静かに横になる姿しか、思いだせない....。
その後回復して定年まで勤めましたが、大好きな父でした。
今朝、地震がありましたが、ビックリ~(*_*)もう起きないでほしいです