長く生きていると、思いもかけないことに巻き込まれる事ってあるものです。
今回のコロナ禍も、あれよ、あれよという間に日本中、世界中が巻き込まれていきました。
26年前の1月17日も、本当に思ってもみなかった阪神・淡路大震災に巻き込まれていました。
リビングの2面の壁に、床から天井まで、子供たちの絵本から児童文学までびっしりと並べていたのですが、すべて床に散乱してしまいました。
家族が集まる場所ですので、少し時間がずれていたら・・・と思うと
背筋が凍る想いでした。
食器棚の観音開きの扉が開き、食器が飛び出し飛び散りました。
情けないと思ったのは、真っ暗な中薄暗い懐中電灯を頼りに動くので、
足を怪我しないように靴を履いて歩かなければいけなかったことです。
でも、この時夫婦ともに40歳代、息子たちが19歳、16歳でしたので、
長男が運転し、兄弟で水の出るところまで車を走らせ、二人で大きな水タンクを何度も6階の我が家まで運んでくれ、家の片付けも主にしてくれたものです。
年月が経ち、子供たちも家から巣立ち、それぞれ大学生、高校生。
中学生、小学生の父親になった今、
驚くほどたくさんの歳月が流れたのだと、今更ながら駆け足で過ぎていった日々を思います。
昨年の1月17日は、三宮で毎年行われている慰霊式に出かけ、
夕闇迫る中、たくさん並べられた竹灯籠の中で揺らめく炎に、夫婦で手を合わせたものですが、今年は規模が大幅に縮小されるようです。
皆さんからいただいた年賀状の続きと冬だよりです。
下が少し切れています。ごめんなさい(__)
そして私からのお便りです。
幼かった下の娘は寝てて気づかなかったと
言ってました。
大阪も北部と中部とでは
被害も全然違ってました。
阪神高速道路の倒壊の映像がショックでしたし神戸そごう辺りのビルが倒れてましたね。
あれもびっくりしました。
生きてるうちに2度も味わいたくない大地震ですね。
昔から(阪神間には地震は来ない)といわれ
続けていて、小さな地震すらなかったですものね。
家の中は暗くて寒いので、車の中に明るくなるまで避難していました。
その時、井伏鱒二の(黒い雨)じゃあないですが、あの時も空から黒いチリのようなものが降ってきて不気味でした。
激震地でなかったので、しばらくして落ち着いてから長田、東灘等にボランティアに3年ほど行きました。
あの朝テレビの画面に移る映像に
何が起きたのか暫くは理解できま
せんでした。
その時地震の怖さを初めて知りました。
それから20年余りたち自分の身に起きるとも全く思いませんでした。
今年は災害の他にコロナウィルスとも付き合う羽目になりましたね。
でも自分で出来ることを
頑張るしかありません。
私達家族は宇治市の借り上げ社宅に住んでいましたが
それでも大きく揺れました。
夫の会社のビルが耐震工事済さぁ明日からというときで間に合わず皮肉なものです。
夫は損害保険会社に勤めていましたので地震後は病気になるほど忙しかったです。
伊丹に家を買う予定でしたので何度か見に行きましたが、悲惨な風景でしたね。
仲良しの友人は背中にタンスが倒れてきて救急車を呼んだけど40分以上来なかったって。彼女はそれ以来車いすです。
我が家も築1年半の家でしたが大きなクラックが入っていました。
怖い体験でしたが 今べつな形で怖い体験をしています。
平穏な普通の日々が早く訪れることを願います。
今朝はこのニュースでいっぱいです
いつもの年だったらもっともっと放送されるのでしょうけど
コロナがやはり多いですね
あの時何げなく入れたテレビにくぎ漬けになったことを覚えています
天災はどうにもできませんが
コロナは適切な環境を作ってやれば収束させることができるのに
どうなっていくのでしょう
じっと待つ以外にないのでしょうか
地震はいつ何処に起こるかもしれないことを知らされましたね。
suzuさんが、地震のすぐ後から、
市民の目で視た(熊本地震)を刻々と知らせてくださいましたね。
新聞やテレビではわからない、細かい事や、人々の心が伝わってきて、
身に沁みながら読ませていただいたことが甦ってきます。
災害は何でも嫌ですが、
地震は独特の不気味さがありますね。
いやおうなく思い出します。
激震地でなかったので、
数か月して少し落ち着いたとき、神戸市の講習を3ヵ月受けて、
激震地へのボランティアに行きました。
途中から、ヨガの指導者の仕事もありで、
3年ほど続けました。
(しあわせ運べるように)を作られた
当時は若き小学教諭が、先日定年を迎えられたと新聞に載ってて、
改めて過ぎ去った年月の長さを感じました。
(私たちは災間を生きている・・・)とあり
何のこと?と思って読み進めますと、
災害国日本においては、
地震、風水害等々、昔から多くの災害の中を生きてきた。
災間とは、災害と災害の間ということだそうで・・・
でも、今回のコロナは、政策の対応で、もう少しどうにかなったのでは???と思います。
今朝はその時間ベッドでラジオ聴いていました。
高速道路が途中で倒れ
彼方此方で火の手が上がる様をテレビで映しているのを遥か離れた東京でまるで絵空事のように唖然と観ていました。
suzuさんが書いてられるように
阪神淡路大震災から東日本大震災、熊本地震~とあちこちで災害が続き災害列島日本に住んでいる現実
いつ何かあるか分からない日々
せめて今を大切に過ごせねば!と心新たに思う日でもあります。
息子さん達がお2人のお父さんになっておられるので月日を感じますねぇ。
忘れられないのがこちらの方で神戸大学の院に行かれていて、いったん外に出られたのですが近眼で眼鏡を忘れたとまた家に入られて亡くなられたのです。
1人子の1人息子さんでご両親はさぞ悔しく無念だったと思います。
天災はほんと怖いですねぇ。
コロナはほんと怖いですが政府の対応次第でもう少しどうにかなったのではと
つい思ってしまいますね。
お地蔵さんに癒されます!
今日で26年目。
本当に大変な経験をされたんですね。
私の叔父夫婦も六甲アイランド在住で
連絡がつくまで、本当に気をもみました。
それも親子3人でいるとおもってたら
叔父はイタリアに出張中、姪は他県に就職していて
叔母がたった一人で奮闘していたことがわかり
本当に恐かったろうな~と思います(>_<);
住んでいた堺でも、ゴゴゴーっと地鳴りがしたあと揺れに揺れて
尋常じゃないって思いました(>_<);
余震も何度も続いて、怖かったことを思い出しました・・・
コロナも怖いけど、まだなんとか予防できるから
何とか耐えていきましょう・・・(^^)v
と今更ながら多くの月日が流れたんだと思います。
一番先に死亡記事に載ったのは、同じ区の生後5ヵ月の女の赤ちゃんでした。
眠っているうえに、テレビが落ちてきたそうです。
それからは、どんどん驚くような数字が増ええていき・・・
この地震がきっかけのように、
東日本、熊本 と大きな地震が相次ぎましたね。
本当に私たちは(災間を生きている)のですね。
特に神戸大学は、学生アパートが倒壊して若い命が・・・
親にとって、逆縁ほどつらいものはないですね。
今もラジオのアナウンサーの方が、
国民と政府の間に、考え方の差がありすぎ。
自分が責任をもつ!という人がいない。と・・・
イスラエルでは、ワクチンも3月ですべて終える予定で、感染も徐々に少なくなっていると新聞に載っていましたが、
日本はいつになるのでしょう~
あの大揺れになる前、
今までに聞いたことのない音が・・・
ゴゴッ~という地響きのような音が、
遠くから近づいてくるようで、
新幹線が落ちてこちらに飛んでできた!
そう思ったとたんでした。
眠るのが怖くて、数か月は
枕元に、防寒着、靴を置いて眠りました。
話は変わりますが、教えていただいた(焙煎はと麦)、昨日で5袋目購入。
いつも散歩のついでに買います。
冬になると皮膚が乾燥してかゆくなるので予防できるし、
ヨーグルトに入れると香ばしくて美味しいわ~
ありがとうございました。
火災と高速道路の倒れたのが印象に残っています
私のところは小さい揺れはよくありますが東日本の地震のときは5強で今までにない怖さを体験しました
亡くなった方々の冥福を祈ります
コロナも緊急事態宣言がでても一向に収まりません自粛していますが不安がいっぱいです
焙煎はと麦、美味しいですよね♡
もうず~っと食べ続けているので
効果のほどはわからなくなってしまっていましたが
そういえば肌の乾燥は気になっていないかも~です!
美味しいのはもちろんですけど
はと麦の効果を再確認できました♡
ありがとうございま~す(^^♪
26年になりますね。
あの時のことは、鮮明に覚えています。
出かける時にニュース速報で見て、その時はそれほど大変なこととはほうどうされてなく…
時間が経つにつれ、テレビに映し出される光景に心臓が高鳴りました。
親戚も友人達も殆どが神戸や西宮。
電話は通じないし、安否もわからないし……
長い時間が経過して、安否確認ができた時は、泣きました。
それからがほんとに大変でしたね。
ぐーちゃんさんも、生きた心地なさらなかったとおもいます。
昨日も神戸の友人と話したのですが、まだ若かったからやってこれたって言ってました。
ご年配や、赤ちゃんがいらっしゃった方々の大変さは想像に絶します。
この日が来ると、いろんなことが頭にうかびますね。 ぶりん
guuchanさんも大変だったのですね。
息子さんが運転免許があった時だったので、とても助かりましたね。
頼りになりますね。
今はお孫さんも大きくなり、月日が経つのを感じることでしょうね。
絵手紙から祈る事で救われる感じがして
コロナウィルスの撃退もただただ祈る事しか出来ませんが、自分もかからず誰にもうつすことなく過ごせるように祈ります。
もっとも、検査数が多くなったことにもよる部分があるのでしょうが・・・
他の国はワクチン接種が始まってて、
すでに終えようとしているところもあるようですが、日本は慎重すぎるのでしょうか~
それとも司令官がいない???まさか~~
地震の恐ろしさ、不気味さは体の芯に残っています。
子供が幼いころアトピーで、薬でなく食品で・・・と探し回り(ハト麦)に行きつきました。
ハト麦をお米に混ぜてみたり、
お茶は(ハト麦茶)にしたりで・・・
でも、この(焙煎ハト麦)は美味しいのが何よりです。
これを扱ってるお店は、普通のスーパーでは扱わない変わった食品があるので、見て回るだけでも楽しいです。
テニスのSさんが、こちらのトーク番組に出演のたびに、ご実家が全壊しているのに、
外国での試合がありどうしようもなく・・・
とこの話をよくなさいます。
そうそう、毎年の追悼式に必ず、
川崎市からトランペッターの方がいらして(花の街)(花は咲く)などを奏でてくださるのです。
まだ明けきらぬ神戸の街に、
ヴィィーナスブリッジから物悲しく美しい曲が流れるのです。
今年の新聞によりますと、
20年余り、10分のために神戸にいらして演奏してくださる松平さんは、
78歳になられたとか・・・
この音色を聴くたびに頭が下がる想いと、包まれる幸せ感が心に満ちます。
手洗い、マスク、うがい を守り、
密になるところにはいかず・・・
というより、ここ一年近く
友達とランチさえ行っていません。
はやくワクチンを!と思いますが、
日本の国は、物事が動くのが遅いですね。
1・17 この日は、心を引き締める日でもあります。
あれからもう26年経つのですね
早いですね
TVで震災の報道を見てしみじみ思い出します
私も手を合わせました もうあんな地震が来ません様に
今災害が起こりません様に
あの日のことは私も鮮明に覚えています。
こちらでも酷い揺れを感じてすぐに
TVをつけたのですがまだ薄暗くて
状況がよくわかりませんでした。
日が昇ってからの中継には息をのむほどに酷さびっくりしました。
被災されて凄く怖かったでしょうね。
前触れもなく起きる地震は本当に
怖いです。
その後火災が発生してまたまた
沢山の人が泣くなりましたね
いつまたどこで起きるのかわから
怖いです。
guuchanさんのご家族も無事よかったですね。
送信しようとすると消えてしまいます。
そうですね。
このコロナ禍で災害が起こり、避難・・・
なんてなると大ごとですね。
何も起こらないことを願いますね。
なんだか政策が後手後手で、気がめいります。
ワクチン接種、高齢者は3月からといわれても、5月頃のできるかな~~と思ってしまいます。
やはり1年以上続き、目標が見えてこないと疲れますね。
またまた...出遅れています
_(._.)_
1.17日の朝、ニュースで26年経ったと言っていました。
すぐにguuさんのことを思いました
何度か、blogにも震災のことを書かれていますね
遠くここでも、目にしたあの朝の光景は忘れられません。
年月は風化しやすいですが、この教訓を忘れずにいたいと思います
もしかして、起こるかもしれない災害は、地震だけでないかもしれませんね
準備と言っても、歳を取るとなかなか思うようにならないと感じています
今は、コロナに感染しないように気をつけて行動あるのみですね
なんだか、空気がしっとりして雨もいいものです。
PCのご機嫌が直らず、
立ち上げるだけで気が長くなる話です^^
私のおもちゃですので、修理に出すのも考えてしまいます。
コロナには1年たつと少々疲れてきました。
政治家たちのコロコロ変わる話に、
光が見えません。
時間が空いてコメントが遅すぎ感満載ですが
震災は長女が小学1年生の年
家族4人全員インフルで寝込んでいた朝でした。
テレビから流れる映像が現実のものとは
とても思えず信じられない思いでした。
今も誰も想像すらしなかった世の中になってしまい
なかなか先が見えませんが
体もだけど心も元気でいなきゃなって
つくづく思います。
こんな時でもできるだけ楽しい事をしたいですね。
おかえりなさい((´∀`*))ヶラヶラ
いつのころからか、震災の日になると、
(なおちゃんちが一家全員インフルエンザで寝込んでた日だ)と思うようになりました^^
コロナ禍は今や全世界の災害のようなものだから受け止めますが、
国の代表者たちの、力強い、それでいて希望のあるメッセージが欲しいですね。
外国の長の方の国民に対しての演説には、していることを止めてTVに目を向けますが・・・