リンディス・パスを下った僕は翌朝、
サザンアルプスの山麓、マッケンジー盆地の町オマラマからプカキ河に沿って、
東海岸に向けて走り始めた。
有名なテカポ湖をはじめ、この流域は南島の電力供給地帯となっていて、川も湖も自然の姿を留めてはいない。
発電用ダムや水門が連続していて、それらの中では巨大なタービンが回り続けて電力を生み出している。
この国には原発がないかわりに、地域によっては河川が原型を留めず徹底的に利用されている。
しかし、
もし南島の人口が日本の本州並みであったなら、単純に計算して今の80倍になったらどうなるだろう?
これだけでは、とても足りないだろ。
そう考えたら空恐ろしい。
そのように考えたら日本は「あの程度」で済んでいるのだから大したものだと思えなくもない。
日本も、もしも人口が今の30分の1以下になればニュージーランド以上に素朴な国になるだろうな。
エネルギー事情のことなど考えながらペダルを漕げば、ニホンもなかなか捨てたもんじゃないぞ、なんて思えてくる。
とはいえ、ここは美しい。
いったん破壊された川は浄化され、変化を受け入れ、大地に根付き、再生している。
力強い。
大地、太陽、水、空、雲、そして風。
森羅万象の祝福を全身に受け止めながら、僕は走り続ける。
初めて通る道だった。
主要な国道は網羅したつもりだったが、まだ残っていたのだ。
古い時代の村の跡があり、
力作があったり、
丸一日走り続けて、ようやく東海岸の国道1号に合流した。
10kmほど南に下り直してオアマルの町外れに宿泊した。
オマラマと、オアマル。
なんだか、ややこしい。
資料によっては、「オマルー」と書いてあることもある。
だけどまあ、発音は、確かに「オアマル」が正しい。
さて、オアマルだ。
たまたま取った宿は若干失敗だったけど、スーパーに近くて便利だった。
そのスーパーで夕食の買い物を済ませて出てきたら、お爺さんに声をかけられた。
なんでも、自分もプッシュバイカー(こちらでは自転車をそう呼ぶことがある)で、若い頃にオーストラリア大陸を横断したことがあるそうだ。
「ああ!僕も横断しましたよ!」
僕たちはその場で大いに盛り上がった。
お爺さんの右目は半分潰れていた。
なんでも、豪大陸横断中、ナラボー平原の半ばで、ハイウェイを爆走するトラックが跳ね上げた石が右目を直撃したそうだ。
「セデューナで3週間!入院したんだよ」
3週間!?
驚いたり同情したりしながら、セデューナという南氷洋に面した、ナラボー平原唯一の小さな町を思い出して懐かしくてたまらなかった。
僕もそういえば、セデューナで傷んだ自転車を修理したっけな。
ここを出れば次の町は1000km以上ずっと先の、西オーストラリア州まで、何もない。
100キロおきにガソリンスタンドがあるだけだ。
「でも私は旅を続けたんだ。結局パースまで行ったよ。」
「いい旅だった。良い人たちに巡り会えた。」
「そして今、君にも逢えたしね。」
ひとしきり話をして、僕たちはガッチリ握手をして別れたが、なんだかもうこの数分間が永遠と思えるほどに愛おしい。
僕の英語はかなりいい加減だけど、相手によってはガッチリと、深いところまで通じ合える。
このときも、そうだった。自分でもびっくりするくらい流暢だった。(ような気がする)
もちろん話せることに越したことはないが、
やっぱり、
コミュニケーションは「心」なんだと。
いい時間だった。
オアマルに来て良かった。
レイク・テカポよりも、ずっといいぞ!
あああ、
そういえば。
今朝、宿泊予約の電話した、とあるアコモデーション。
面倒臭さそうに対応したよな。
心、全然通じなかったけど、
苦手だった英語での電話が、いつのまにか出来るようになってて、自分でも非常に驚いた。
慣れって凄い。
為せば成る、だな。
必死だったし。(笑)
必死も、大事だ。