ガイド日誌 - 北海道美瑛町「ガイドの山小屋」

北海道美瑛町美馬牛から、美瑛の四季、自転車、北国の生活
私自身の長距離自転車旅
冬は山岳ガイドの現場をお伝えします。

最終日は鹿児島市から日帰りチャリ。知覧へ

2015年12月24日 | 自転車の旅 国内
鹿児島市は、のんびりした田舎町ではなく、広島や札幌と変わらない都会だった。

桜島と、


西郷どんが見守る町なのだ。


さあ!鹿児島の朝食は、これでどうだ!
明太子食べ放題なので。(笑)


鹿児島、好き♩

さて。きょうの予定。
ホテルは連泊する。

鹿児島から知覧までは片道40キロ弱。
往復80キロ弱。

これは日帰りツーリングだな。

自転車の旅の荷物は全て下ろした。もう必要ない。
走行距離80キロくらいなら、荷物を積まない自転車の日帰りツーリングにちょうどいい。

空荷の自転車を、めちゃくちゃ軽く感じた。
軽すぎて、かえってフラつく。(笑)

鹿児島市内を南に向かう。
路面電車に沿って走る。快適なのだ。

自転車が軽すぎてぽんぽん跳ねる。

それから国道に合流して南へ。
それにしても鹿児島市街地周辺には学校が多い。どれも立派だし、出会う児童・生徒・学生もみなシャキッとしている。

なんだなんだ、この差は。

こういうとき、鹿児島は極めて文化的だと感じる。
北海道で伸び伸びと自由すぎる生活を送っている我が娘達が、ちょっと心配になってきた。(苦)

さて。

軽い自転車は軽やかに走る。
だんだん市街地から離れていく。時々、キラキラした海が見える。歩道の歩行者は割と多い。対して、車道を走ったとしても車から自転車への人為的プレッシャー(嫌がらせ等)は一切ない。

僕はただチャリで走っているだけなのだけど、いろんな意味で鹿児島の民度は極めて高いと感じる。
だいいち空気感がいい。

平川、というところからは県道23号に入る。
「知覧武家屋敷」という大々的な道路標識、看板、やたら目立つので迷いようがない。
国道沿い手前にコンビニがある。この先、県道に入ると知覧の市街地までコンビニはないから、立ち寄っていこう。

ここまでチャリは調子が良かった。
しかし、県道23号知覧線に入った途端、
雰囲気は変わった。

いきなり峠道が始まるのだ。

最初のうちはだらだらと登る。まあ楽勝だ。
やがて、だんだんキツくなる。時々、木々の間から見える海が綺麗だけど、汗も噴き出す。

うーむ。なかなかやるな。

チャリに旅の荷物積んでたら、しんどいだろな。

知覧茶の看板がやたら目につくようになったら、やがて手蓑峠。
標高は350mくらいだったと思う。

手蓑峠。

錦江湾の外輪山だろうか。
鹿児島空港のある湾の北側に雰囲気が似ている。
あちら側も、外輪山的だった。

峠の頂上付近は公園のような雰囲気だ。
ここから知覧の市街地までは概ね下り坂になった。

てことは、
帰りはまた登るのだね。(泣)

知覧の市街地は、標高120mくらいだった。
武家屋敷と戦国中世の要塞山城跡と、知覧茶で盛りあがってる町なのだ。

町外れに、きょうのラウンドの目的地がある。
旧陸軍知覧飛行場跡に、それはある。

知覧特攻平和記念館へのアプローチ。

石灯籠と、桜並木。

その先にある。


ちょっと哀しげだ。


ここは、僕ごときが熱く語るべきではない。

知覧特攻平和記念館は、先の大戦の戦闘機や兵器を並べた戦争博物館ではない。
いわば、
「遺書の図書館」
というべきところだと思う。

じっくり読みたい。
せめて丸2日ほしい。

膨大な数の慟哭が、収蔵されている。

兵器類の展示は少ないけれど、
軍事マニアに、ぜひおススメしたい。

さてさて。
同じ道を引き返した。

知覧の市街地を走り、峠を登り直して、さらに海に向かって下る。
国道を桜島目指して走る。
路面電車に沿って街に入っていく。

帰りはあっという間に着いてしまった。

ホテルに着いたら自転車を分解した。
梱包してヤマト便で発送手続きした。
送料は、北海道まで4千円くらいだった。

旅の最後の夜だったので、食べ歩いた。
鹿児島ラーメンやら


地魚おまかせやら



さて。
翌朝もよく晴れた。
もう、チャリダーではないので、朝食は野菜中心に。

こうして旅は終わったのだ。

鹿児島空港のラウンジ。
なかなかやる。(笑)

もちろん無料。ツマミ(勿論さつま揚げ)まであるぞ!(笑)

びっくりぽんや!

やるな!鹿児島!

さらば九州。


さらば旅の日々。
また必ず来ます。











南九州 宮崎市から鹿児島市へ

2015年12月15日 | 自転車の旅 国内
●宮崎市から都城市へ

宮崎の市街地も九州の他の県庁所在地と同じく、
自転車にとって走りやすく快適だ。
広めの歩道は
歩行者、
自転車、
ゆるく区分されていて、もちろん自転車エリアを歩行者が歩いてもよく、その逆もいいんだけど、
こうしてゆるやかに区分されていたらお互いが尊重し合える雰囲気が自然と生まれるように思う。
我の強い国民性、県民性ではうまくいかない仕組みかもしれないけれど、互いを気遣い合える九州ならばうまくいくだろう。

さて。
宮崎市で泊まった宿の朝食はもちろんバイキングで食べ放題だった。
またしても食べ過ぎた僕は腹をさすりながらペダルを踏むのだ。

国道10号は「大淀川」を遡る。

宮崎市から都城市までは60kmほど。区間の半分以上は峠道なのである。

走り始め一時間ほどは平野。
平野が終わる頃に道の駅があり、そこから先は徐々に山道になっていく。
自転車は車道の左隅を走行するが、交通量は並程度で、さほど不快ではない。

峠を越える。標高は200mくらいだったと思う。終始ゆるやかな峠だった。

4~5時間で都城市に着く。
都城市は、宮崎市の中心を悠々と流れる大淀川の上流なのだという。

都城は宮崎県だが、不思議なことに言葉は薩摩弁に聴こえるし、雰囲気も薩摩っぽい。
かつてここを治めていたのは島津氏だったと言うので、気質は薩摩なのだろうと俺が勝手に決めた。

明るくて広い。
町は、思った以上に大きい。
結構な都市だ。

上流に大きな都市があり人口を抱えているのに、大淀川は綺麗な川だった。
宮崎県。なんということだろう。
民度高すぎ。

都城の郊外に大きな道の駅があり、猪肉を売っていた。
あちこちで猪肉を売っていたが、たぶん最後になるだろうと思った。
狩猟で得た獣肉。今風に言えばジビエだな。

四国で生まれ育った僕にとって猪肉は身近な食材だけど、北海道生まれの我が娘たちは、エゾ鹿は食べる機会があるけど猪を食べたことがない。

北海道にはイノシシがいないのだ。

イノシシは、
黒胡椒を効かせて焼肉によし。
生姜、牛蒡、大根と一緒に味噌仕立てで煮てよし。

北海道の自宅で父の帰りを待つ娘たちに食わせてやろう。

猪肉を1キロほど北海道に送った。
割と安かった。


●都城市から鹿児島へ

都城には定宿がある。
そこは朝食がめちゃめちゃウマイ。
今回は、なんと1泊朝食付5000円税込。
激安すぎる。

さすがに、おかしい。

変態やろ。

絶対、訳ありに違いない。

違和感を覚えつつも変態は嫌いでないからチェックインしたけど、やはりアレだ。

訳ありだった。(笑)

まあ、いい。
許す。(笑)

1泊朝食付5000円税込。
文句があるはずないではないか。

そして朝食は相変わらず素晴らしい。

ここまで行けばもう、朝食界の変態だね。

果物も、デザート類も、
お肉もお魚も郷土料理も、薩摩揚げ各種も、
フルコース。
全部食べ放題、時間無制限。

次も絶対ここにしようと誓ったねオイラは。

しかし、外は雨であった。
ションボリ…。

都城駅まで自転車を押していき、駅の片隅で自転車を解体した。

街の大きさと比較して駅前は寂しい。
多くの店がシャッターを下ろしていて、活気を失って相当の年月が経っていることを教えてくれる。
雨に濡れて、余計に暗い。

駅のあたりは都城の中心部ではないのかもしれない。
熊本市など、そういう例は割と多いのだ。

駅のタクシー乗り場には閑古鳥が鳴いていて、タクシー運転手のひとりがコチラに遠慮のない視線を向けてくる。

自転車の解体、収納の一部始終をしっかり見物すると満足したのか、どこかへ行ってしまった。

平和な町だ。

分解収納した自転車(輪行)と、パタゴニアのダッフルバッグに詰め込んだ装備一式。
列車に乗せるために、まとめた。

こうすれば、世界中に持っていける。

こうして一緒に列車を待つ。

心優しい時間なのだ。

鹿児島までは、
普通列車でも二時間かからない。
自走できなかったのは残念だけど、雨では仕方ない。

雨の日、チャリダーは、
走ってはいけない。

危険、不快はもちろんだけど、
他の交通に対して非常に迷惑このうえない。

チャリダーは、好きなことをやってる自由人。

だからこそ、
自分の自由のために、
「他人に迷惑をかけてはいけない」と思うのだ。

ちなみに。

都城市から鹿児島までの区間は、次のようになる。
これまで何度か走った、その記憶だけど、だいたいこんな感じだったように思う。

最初の半分は概ね下り傾向。都城市は標高が高いから、錦江湾に向けて道は下っていく。
しばらくは里山風景のなか、たいして下りを感じないが、鹿児島空港あたりからは結構な下りになりスピード注意なのだ。

やがて海が見えてくる。
桜島も見えてくる。

海岸に出たら人口がぐっと増える。交通量も一気に増える。
左手に桜島を眺めながら走るが、鹿児島市の手前は道が狭くて大変なのだ。
市街地手前の、最後のトンネルは、
非常に難易度高い。

とまあ、こんなかんじだろうか。


旅はそろそろ終わる。



南九州 宮崎県延岡市から宮崎市へ

2015年12月12日 | 自転車の旅 国内
チャリ旅の間、僕は昼飯を食べない。
余裕があれば、ティーくらいはするけれど、
チャリ旅行は結構バテバテになるので、
なんだかその、
つまり、
食欲が落ちてしまうのだ。

だからこそ。

朝食が大事になる。
朝食で、1日分の栄養を摂取する。

晩メシを抜くこともある。
そうなれば1日1食だ。
そこまでストイックになる必要は全くないけど、実際にやってみたら翌朝たくさん食べられるので、
割と気分がいい。
ただ、晩メシを抜くと確実に翌日のパフォーマンスは低下するので注意が必要だ。

延岡市の宿泊では晩メシを抜いてみた。

延岡は、魚が安くてうまい。

延岡には、北浦という魚の美味い漁港がある。
スーパーにいけば、北浦に水あげされた、日向灘のうまい地魚がピチピチ跳ねているのだった。

これまで定宿にしていた宿屋からはスーパーが近かった。
夕食は部屋で新鮮な魚のお刺身大会だったな。

そんなことを思いながら、五ヶ瀬川の流れを眺めつつ、お茶をすするのだった。

宮崎市までは90kmくらいはあるけど、
ずーっと平野なのだ。
そして天気も良さそうだ。

でも、
寝る前には、死ぬほど腹が減った。
地魚を買いに行かなかったことを激しく後悔した。

ホントにね、死ぬかと思ったよ。(苦)

さて。
延岡で宿泊したビジネスホテルは、
朝食が素晴らしかった。

我慢した甲斐があった。

もちろんバイキング朝食、
チキン南蛮はもちろん、
とろろ汁、冷や汁まであった。

野菜、果物なんでも豊富だった。
いくらでも食べられる。
もちろん食べ放題。

いやあ、食べた、食べた。

飢えてたからね。(笑)

やはり、
宿選びは朝食重視に限る!どん!(机どん!)

予算とか、立地とか、
人によって基準はさまざまだけど、

僕は朝食を重視するぞ。どん!

誰が、何と言おうと。(言わないけど)

文句は、言わさん。(言わないけど)

外れることもあるけど、当たると大きい。
そのときはザマミロなのだ。(誰に?)

胃袋を掴まれると、
オトコは弱いのだね。

さてさて。
延岡の朝は優しい(気がする)。
五ヶ瀬川はキラキラして美しい。


鳥はさえずり、すれ違う人びとはそっと微笑みかけてくれる(気がする)。

おいしい朝食は人を優しくしてくれる。

冷や汁&とろろ御飯でお腹さわやか。

俺も「手のひらを太陽に」を鼻歌しながら、
南に向けてペダルを踏むのだ。

海が、美しい。
九州は、
山も美しい、
川も美しい、
だから海もまた、美しい。

途中、かつてのリニア実験線があった。

国鉄時代のもので、いまはもうリニアは走っていないそうだ。

ちょうど真ん中あたりの都農町の道の駅には、
手押しポンプが設置されていた。

ちゃんと使える。

ぽこぽこ部。

僕が子供の頃はまだ割と普通に見られていたけれど、いつの間にか姿を消してしまった。

スカッ、スカッとポンプを押していたら、
ゴボゴボゴボッと新鮮な地下水が上がってきた。
きたきたきた、このかんじ。
懐かしさも込み上げてくるね。

呼び水不要の、優秀なポンプじゃないか。

さてさて。
南に向かう国道は交通量は割と多めだけど、
不快ということはない。
僕は「手のひら…」の続きをスイングしながら、ペダルを踏み続けるのだ。

爆音が響く。
稲妻のごとく、空が切り裂かれる。

なんだなんだ!

見上げると、一本の矢がスッ飛んでいった。
しばらくすると、もう一本、矢が飛んできた。

F15?
空軍機だ。
新富町に空軍基地がある。

2機単位で、定期的に着陸したり離陸したりする。

いや本当に、
矢に、見えるね。

宮崎市が近づくと街路樹にはヤシが多く見られるようになる。
やがてバイパス道路になり、自転車での走行が難しくなってくる。
こちらの車線には歩道はない。
仕方なく反対車線側に渡り、歩道にあがる。
逆走してるみたいで気持ちが悪い。
また、
出入り口のたびに、本線から降りたり、また上がったりする。

正直しんどい。

車のことしか考えてない道路だな。

宮崎市。
大きな街。都会だね。
都会なのに空が大きい。
いいところだ。

さあ、また朝食重視でホテルを予約した。
九州のホテルは朝食のレベルがとても高い。
初めてのホテルだけど、
期待、期待、期待。

欲望渦巻く俺なのだった。








東九州 大分市から宮崎県延岡市へ

2015年12月10日 | 自転車の旅 国内
●大分市から佐伯市へ

通勤通学が落ち着いた頃を見計らって大分市の市街地を走り抜ける。

さらに郊外へ向けて国道10号をひたすら走る。歩道が広くて段差も少ないので走行車線に降りる必要はない。チャリダーにとっても有難いし、ドライバーにとってもそのほうがいいに決まってる。

ところで。
九州のドライバーのほとんどは自転車に寛容で優しい。
地方によっては、自転車で車道の左端を怖々と走ると車からの、あからさまな威嚇や嫌がらせを繰り返し受けることがある。

〇〇県、〇〇県、〇〇県は特に酷い。(笑)

しかしどうだろう。九州では、ほぼ皆無なのだ。
それは南に下るほどに顕著で、南九州ではむしろ手厚く保護されているような錯覚すらある。
それを「民度が高い」と軽々しく語るのは控えたいが、いずれにせよ「優しさ」を感じることは嬉しいものだ。

地元の人は地元民の運転マナーの低さを自嘲気味に嘆くのだが、僕はそうは思わない。
ドライバー同士はわからないけれど、九州各県のドライバーのほとんどの方は、少なくとも「弱い者いじめ」をしない。

これを九州人気質というのだろうか。
カラリとしている。

さて、
しばらく走っていると反対車線側は大きな川になっているようだ。
国道は、川を遡って南へ伸びる。少しずつ標高をあげていく。

ふと、看板が目に入る。

「戸次川古戦場跡」とある。

4車線で交通量の多い反対側なので向こう側に渡るのはやや困難と見えた。
そのまま通過したのだが、
気になる気になる。

戸次川合戦がわかる人はかなりの戦国歴史マニアだろう。教科書にも1行載るか載らないか、試験には出ないと思う。

秀吉による九州征伐の緒戦の主要合戦で、この戦で上方軍の仙石秀久は島津勢に惨敗を喫したうえ、死兵となって戦い続ける諸将を置きざりにして戦場離脱をはかり、秀吉の怒りを買って改易される。
この戦いで四国の主要な戦国武将であった長宗我部信親(土佐)、十河存保(讃岐)は、仙石秀久が逃亡した戦場で最後まで戦い続け討死する。

威張る仙石秀久に付き合わされた四国の諸将にとって、本来なら敵対するはずのない島津氏であった。なんの意味があろうか。

それから数百年後、
土佐の旧長宗我部氏系の郷士であった坂本龍馬は、島津氏の薩摩と手を結ぶ。
歴史はドラマチックだ。

ともあれ、四国の戦国時代は、ここ九州で終わった。
その地をいま、走っている。

そのうち、もうひとつの碑が、僕の走行車線側に現れた。

おお。なんということだろう。

讃岐と土佐の混血である僕は、
手を合わせずにはいられない。
豊後大分市郊外、戸次川であった。

さて。
国道はずんずん山の中へ進んでいく。歩道はなくなり、車道の左端を走る。
紅葉が美しいと言いたいところだけど、割と地味にしんどい。汗が吹き出る。
並行して高速道路があるせいだろう。交通量は思ったほどには多くはなく、気にならない。

ふと見ると、石橋が目に入った。

アーチ橋ではないか。

美しいではないか。


水路がある。水道橋を兼ねていたようだ。

安政橋とあるから、幕末の橋だろうか。大正年間に崩落して再建されたとある。
昔は荷駄がこの橋を賑やかに往来したのだろうな。

俺も、チャリで走ってみるぞ!

お!なかなかイイぞ!

地味に汗をかき続け、峠を登り、やがて下りていく。地味だ。地味すぎる。
峠を下っていくと、弥生という最初の集落に大きな道の駅があった。
ここから国道10号を外れる。9km off highway。
佐伯の町はもうすぐ。

いまにも雨が降りそうだった。先を急いだ。


●佐伯市から延岡市へ

佐伯は古い港町。豊かな漁場に恵まれ漁港として名高い。四国からのフェリーも発着する。

お城があった。
唯一残る、三の丸門だという。


なんと、なんと。
美しい城下町ではないか。


昨日夕方からの雨はあがり、今朝は青空が戻ってきた。
ずっと走り続けてきた国道10号に戻るために川を遡ること9km。国道10号に復帰。
ここから先も、山村を縫って国道は南へと続く。

これから先は、県境の峠を越えていく。
ダラダラ続く、大きな峠だ。

昨日はこの峠を境に天気が悪かったので手前の佐伯で宿を取った。
今朝も道路はまだ所々濡れていて、昨夜の雨の名残りが見られる。

交通量は少ない。片側1車線。
歩道はないけど、気にならない。

この先、延岡市まではコンビニもない。
チャリ旅をしていると意外とそういうことも多いから、そういうときは道沿いの自動販売機がありがたく感じられる。

清涼飲料水の自動販売機。
これは日本独特のものだ。
初めて海外を自転車で走ったとき、「水」に困った。
あって当たり前の自動販売機は、どこにもなかった。
水筒が必要だった。

多くの場合、海外では自販機は屋外にはない。
キャンプ場のオフィスやガソリンスタンドにある。

日本のように、道沿いにぽつんと置いておくと、あっという間に持っていかれるそうだ。

中にあるお金だけを奪っていくわけではない。
自販機丸ごとピックアップトラックに乗せられて、そっくり持ち去られる。
家に持ち帰ったら工具を使ってじっくり分解して、お金やら飲み物を取り出す。
そして自販機の部品も、蚤の市で売るのだ。

…。

日本は安全。
ありがたいね。

さて。
国道10号はJR九州日豊本線に沿って、渓谷を縫うように峠を登っていく。

そのうち標高は200mを超える。
宗太郎峠、というらしい。
宗太郎峠、なんとも良い名前だ。

ここは、裕次郎ではいけない。
イチローでもいけない。
宗太郎。
なんだか薪をいっぱい背負って働く親思いの青年を想像するではないか。

裕次郎ではブランデーくさい中年のオッサンになってしまうから、いけない。

イチローでは、かっこよすぎて、いけない。

さてさて。
宗太郎峠。
標高だけなら大したことはないけれど、ここまでのプロセスが長かったから、随分と秘境感がある。

重岡、という駅があり、どうやらこの辺りが峠の頂上らしい。
もともとは駅前には宿屋もあり商店もあったような名残はあるけれど、いまは人の気配がない。
それでもここだけは、この区間唯一、少し明るい雰囲気があった。

宗太郎峠は美しい渓谷を縫う。


やがて県境が現れた。

前輪が宮崎県。後輪は大分県にある。(暇)

わかりにくいけれど、写真中央左端に苔むした四角い石があり、それが県境の境界柱。

峠の宮崎県側は、割とあっという間だった。
どんどん降りていく。

それでも、どんなに標高が下がっても川は美しく、町が近づいてきても汚れていない。
澄んだ深いグリーンの淵にはいかにも大きな魚が棲んでいそうに思える。

鵜や、鴨がいる。
普通にいる。

驚くほど、ゴミがない。
北海道の川とは違う。

え?

わけを話そう。

北海道の川は綺麗といわれるが、
冷静に見てみよう。
人口に対して見ると、汚い。
ゴミが多すぎる。

かつて川下りの仕事をしていたから、
実は割と北海道の川は汚いというのを実際にこの目で見てきた。田舎に行けば行くほどに、家庭の大型ゴミなどは川に捨てるのが当たり前という習慣があった。し尿は垂れ流していたし、川底は針金やら得体の知れないゴミでいっぱいだ。

泳ぐなど、とんでもない。
怪我をする。

ところが、九州は川が綺麗なのだ。
水が澄んでいて川底が見える。

昔から水と上手に付き合ってきた歴史がある。
田舎だから綺麗なのではない。
北海道など、田舎でもゴミだらけなのだ。
むしろ田舎が汚い。
広いから、わかりにくいだけだ。

九州の人口は、北海道の倍以上。
九州の広さは、北海道の半分くらい。

人口密度は、
北海道64人/km2
九州325人/km2

もしも北海道が九州並みの人口密度ならば、
北海道の自然はたぶん滅茶苦茶だと思う。破滅的だ。

もう止そう。
九州は美しい、という話をしたのだ。

話を戻そう。
まだ午後も早いうちに延岡市に着いてしまった。
ここから先、宮崎市までは概ね平野が続く。
もっと先に進みたかったが、宿の予約を済ませていたからそうもいかない。

市内の五ヶ瀬川の畔にあるビジネスホテルに着いた。
僕は宿を選ぶとき、朝食で選ぶ。
立地や値段で選ぶことはあまりない。
朝食の評判で選ぶ。
当たることもあるし、外れることもある。
九州にはよく来るので、決めている宿もあるし、初めての宿もある。

延岡。きょうは、初めての宿。
「うーん、明日の朝ごはんは、どんなだろ?」
チェックインする時の僕の期待はもう、
それはそれは、
半端ないのだった。

欲望に、ギラギラしているよ。














北九州 小倉から大分県大分市へ

2015年12月07日 | 自転車の旅 国内
●小倉(福岡県北九州市)から大分県中津市へ

小雨の降るなか出発した。
九州の東海岸は天気は回復との予報を信じるのだ。
九州とはいえ、12月の小雨は冷える。

午前中はひたすら人口の多い地域を走る。
車が多いので歩道を走らなければならないけど、これが段差が多くて参る。

歩道の段差のたびに歯を食いしばり、

「ガツーン!」

に耐えなければならない。
いや耐えるのは人だけじゃない。
フレームやタイヤホイール、キャリヤにじわじわダメージを与えているだろうな。

行橋市を越えて空軍基地を過ぎたあたりから車道を走れるようになって、段差ストレスからは幾分解放されたが、かわりに雨が強くなってきた。

国道沿いの集合住宅の駐輪場を借りてサササッと雨具を着た。

使い込んだパタゴニアのレインウェア。
僕はこのパタゴニアを信頼している。

見た目も割とカッコイイ。
しっかり雨を遮断するのは勿論だけど、何よりも圧巻なのは、

洗濯機で洗える。
乾燥機をかけると、防水性撥水性が回復する

これなのだ!

ちなみに、汚れたままで放置したら防水性が落ちるだけでなく、内側の防水フィルムが劣化してボロボロになりやすいと言う。

冬のバックカントリーのお客さんのなかにパタゴニアの社員さんがいて、細かなメンテナンス方法をいろいろ教えていただいたのだ。

どんどん洗って、
どんどん乾燥機なのだ。

乾燥機の高温でブン回すことで表面の撥水生地の目が立ち上がり、性能が回復するという。

最初の投資は他メーカーよりも高くなるけど、
圧倒的に長持ちする。

なんだかんだ言っても最終的には安上がりになる。
そしてエコだ。

そこがいい。

それに、
どんどん洗濯機OKとは、
遠征の多いヘビーユーザーにとって、嬉しい限りじゃないか。

真にプロ仕様だと思う。

さて、中津市が近づくとすっかり晴れた。
パタゴニアは着たまま、とりあえず着て乾かす。笑

市街地に近い橋を渡ると、お城が見えてきた。

黒田官兵衛が築城した中津城だけど、
現在の天守閣は1960年代に観光振興のために作られたもので、かつての中津城とは関係ないそうだ。
知らなきゃ良かった。

●大分県中津市から大分市へ

中津市からは、1時間強で宇佐神宮。
ここは全国の八幡様の総本社。

その昔、山小屋家のご先祖様はとうとう仏教に改宗せず八幡様を祀ってきた。つまり千年前から神道のままだ。
つまり山小屋家にとって宇佐神宮は、一番偉い神様ということらしい。

仏教的にいうと、総本山。
なにしろ偉いのだ。

しかし通過。

すみませんご先祖様。
先を急ぐので…。(笑)

この先、まずまずの峠が二つ連続する。
二つ目の峠の頂上には「ハーモニーランド」という名のバブルの廃墟?ではない、驚いたことにちゃんと営業してる!的な、頑張ってる遊園地がある。
そこから一気にダウンヒルすれば、
いま話題の温泉県の元締め「別府」の町が見えてくるのだ。

別府から大分市は近い。
なんとシーサイドなサイクリングロードで繋がっている。

海が、キラキラしているのだ。


大分市で宿泊したホテルでは、
なんと自転車を部屋に入れさせてくれた。

自転車を部屋に。は、外国では割と一般的。
つまり部屋は土足だし、だったら靴もタイヤも同じじゃん!ということらしい。

が、日本文化は違う。
靴を脱ぐ文化だから、自然と
「自転車を室内など汚い!」となる。
なんでも風水的にも、お金が逃げるそうだ。

出た~!いかさま風水。

なわけないだろ。(笑)

俺は自転車を部屋の壁に掛けてるリッチメーンを、
何人も知っているぞ。

むしろ逆だろ!と
思うのだ。