やっと読み終わった・・・何年越しで読んでたんだか・・・
いや~、読み終わる日が来るとは思えないくらい苦戦しましたが、ついに読み終わりましたねえ・・・
まだ同時収録の「『ファウストゥス博士』の成立」が残ってまして、これ読んでから感想書いた方が良さそうなんですが、これがまた結構長い・・・これまた同時収録の短編「マーリオと魔術師」よりずっと長い(汗)
というわけで、、「『ファウストゥス博士』の成立」を読んでからだと感想も忘れそうなので(汗)今、読む前の状態で本編の「ファウストゥス博士」の感想を書いてみようと思います。
これ、何年越しかというと・・・そもそも最初に読み始めたのは大学生の時でした。(何年前かは追及しないでください・・・(笑))
高校生の時に「魔の山」でトーマス・マンにハマった私は、大学時代に入手できるトーマス・マンの邦訳作品は全て買ったのですが、当時すでに一般には入手できない作品がありまして。
大学の図書館に、これもすでに絶版の「トーマス・マン全集」というのがあって、空き時間にちまちまと手に入らない作品を読んでました。(借りて帰っても、とても貸し出し期間に読み終えるようなものではなかったので・・・)
まず「詐欺師フェリクス・クルルの告白」を読み始め、それは読み終わったのですが、その次の「ファウストゥス博士」を読んでる途中で卒業しちゃったんですね~(汗)
これでもう読めないのかなあ・・・と思っていたら、数年後(何年後で今から何年前かは秘密(笑))、書店の店頭で「新潮世界文学」の中に「ファウストゥス博士」が入っているのを発見! 即購入したのでした。(この本も今は売ってないですね・・・やっぱ見かけたらすぐ買っとかないと)
で、読み始めたんですが・・・読みにくいんですわこの作品・・・(汗)
トーマス・マンは、「魔の山」や「ブッデンブローク家の人びと」だってすらすらとは読めないんですが、それにしても・・・なんですよね。
「ファウストゥス博士」はトーマス・マンとしては渾身の一作だったようで、実際技術的にはかなり高度な作品だというのもわかるんですが、それでも「魔の山」のように日本であまりメジャーにならなかったのは、この読みにくさにあるのかなあと。
トーマス・マンがすらすらと読めないのは、長編になると、余計なお喋り・・・と言ったらなんですが(汗)話が脇道に逸れて延々と議論が続いたり、地の文で長々と一つの思想について述べられたり、という部分がちょくちょく出てくるから、だと思います(汗)
しかし、他の作品の「脇道」は、そこそこ内容が理解できたりして、まあ読めるんですが、この作品についてはどうも話の内容が頭に入らないんですよね・・・
音楽理論についての部分がわかりにくい、という人もいるようですが、私はそのあたりはそんなに気になりませんでした。(いや音楽理論が理解できた訳ではなく、なんとなく雰囲気で読めてしまっただけなのですが)
それよりも、「ドイツ人によるドイツ論」が読みづらかったですね~。なんか、さっぱり話が頭に入らなくて・・・
あと、25章の悪魔との対話ですね・・・(汗)
大学の図書館では20章くらいまでは読んでいたようなんですが(全体の3分の1くらい)、買ってから最初から読み直したのかどうかの記憶はあまりないんですが・・・多分最初から読み直したのかな。
かなりゆっくり読み進んで、それでも25章くらいまでは行ったのですが、この25章の悪魔との対話のところでついに挫折、そのまま何年も寝かされてました・・・
が、昨年末に思い立って、とにかく頑張って一日2ページずつ読もう、ということでこつこつ読み進んでいったら、終盤話が進んだこともあり、ついに読み終わったのでした・・・!
全部読み終わってみると、終盤一気に進む悲劇に心を動かされるので、それまでとかなり印象が変わりました。
なんだかもう一度最初から読んでみたくなりましたが、なかなか難しいかな・・・(汗)いつか挑戦してみたいですけど。
前置きが長くなりましたが(汗)そんなわけで最後まで読んでみての感想です。
最後まで読まなくても、この話の主題が、「トニオ・クレーゲル」以来の、芸術家としての苦悩、芸術とは罪なのか、実生活との両立はできないのか、という二極論にあるということ、そして、ドイツ人として第二次大戦でのドイツの罪をどう考えるか・・・ということにあるのはわかります。
それに、トーマス・マン自身造詣の深い音楽を、ついに前面に出して来たなーと。
(実際には音楽理論についてはかなり取材したり教示を受けたりしていたようですが、それでももともとの音楽に対する理解がなければ書けなかったでしょう)
とまあそういう話だなと、読みながら思っていて、実際最後まで読んでいても、まあそういう話だったなーとは思いました。
ただ、終盤、そのあたりが一気に収束してきて、心を動かすまで持って来たのは、さすがだなあと思いましたね。
芸術に没頭することを悪魔との契約だと思っていたレーヴァーキューンが、それでも最後に、誰かに見守ってもらいたいと願って、皆をプファイフェリングに呼び集める件にはほろっと来ましたね。ああ、トーマス・マンらしいヒューマニズムだなあと。
ピアノの前で倒れ伏すレーヴァーキューンの姿には、ミュージカルで何ですが「モーツァルト!」のラストもちょっと重なって、悲しかったです。
それでも、晩年になって、芸術に奉仕することが悪魔と契約することだ、愛する者を全て奪い去らなければないほどのものなのだというような、ネガティブな作風になったことは、ちょっとショックかなあ・・・。晩年に向けて明るい作風になる人も多いのに。(不遇な晩年を送った人はまた別ですが)
ただ、音楽に例えれば、交響曲の終楽章が華やかに歓喜に満ちて終わるものは多いけれど、むしろ第一楽章の苦悩と絶望の方が好きな私としては、こういう終楽章の方が好きかもしれません。
(もっともトーマス・マン自身は特に絶望した晩年ではなく、恵まれて栄誉にも包まれた生活を送っていたようですし、この作品も別に遺作ではないですが)
音楽については、レーヴァーキューンが世代的に私が好きなバルトークとかプロコフィエフとかと同時代の作曲家ということで、彼の作る音楽についての描写を読みながら、どんな音楽なんだろう、聴いてみたいなあ・・・と単純にワクワクしました。
トーマス・マンの音楽への造詣は、もう「ブッデンブローク家の人びと」でも出てきますが、「ブッデンブローク-」にしても「魔の山」にしても、時代が時代なので、せいぜいワーグナーとかまでしか出てこなくて(「魔の山」にはドビュッシーも出てきたけど)、やや物足りない感じはしたのですが、今度は二十世紀の音楽が題材ですから、いよいよ本領発揮、といったところでしょうか。
まあ、この時代の音楽、聴いてみたら訳分かりませんでした、ということもありがちですが・・・(汗)特にシェーンベルクの十二音技法をレーヴァーキューンのものとして拝借した、と本文末尾にも注釈がありますが、シェーンベルクみたいな音楽なら多分私はよくわからない・・・(汗)
それでも、文章による描写で「聴いてみたい」と思わせる、トーマス・マンの描写力と音楽への造詣の深さはさすがだな、と思いました。特に「黙示録オラトリオ」はすごく聴いてみたいですね。
あと、はからずもこの作品は、今まで読んだ中で一番、トーマス・マンのホモ・セクシュアリティーを感じたかなーとも思いました。いや、「ヴェニスに死す」を読めばわかるでしょ、と言われそうですが・・・(汗)「魔の山」でも「トニオ・クレーゲル」でもそういうのありますし。
でも、この作品の中で、語り手のツァイトブロームが、奥さんも子供もいるのに、多分レーヴァーキューンのことを一番大切に思っていただろうと思われる言動に、なんか今までで一番そういうのを感じてしまいました。ゲイとまでは言わないけれど、奥さんよりも男の友情(というにはこの場合は一方的ですが)の方が大切、みたいな・・・
こういうの、ちょっとトールキンにもあるよな・・・というのも思いましたが(汗)まあ、例えば明らかに女好きなガルシア=マルケスとかとは違うんですよね、何かが(笑)
そうそう、後は「ドイツ人にとっての第二次大戦のドイツ」ということですが・・・レーヴァーキューンが正気を失ってしまうのがナチスが政権を取るより前のことなので、レーヴァーキューンの存在自体はドイツ論とはあまり関係ない・・・のかな。
このあたりちょっと拍子抜けだったんですが。まあ、実際にはトーマス・マンは早い段階で亡命しているので、渦中のドイツにはいなかったわけですが・・・。年譜を見たらちょうどレーヴァーキューンの昏倒の年に亡命してることになるんですね。
その後のドイツについては、ドイツに留まりつつナチスに反対していたらしい語り手のツァイトブロームが現在進行形で少しずつ語っているのですが、最後の方で、自分が反対したがために、同胞たちと同じ苦しみを味わうことから逃げてしまった、というようなことを書いているのを読んで、ああ、トーマス・マンも早くに亡命したことで、そういう負い目を持っていたのかな・・・とはっとするものがありました。
もっとそのあたりの心境を読みたかった気がしましたが・・・そこまで生々しい話を書くつもりはなかったということなのかな。
というわけで、読んでいるうちにはあまりピンと来ませんでしたが、最後まで読んでいたら色々と思うところも出てきました。そして、こういういくつかの素材を一つの作品に埋め込むテクニックはやはり老練の、という言葉がふさわしいと思いました。やっぱりすごい作品だな・・・と思いましたね。
でも、一般受けはしないな・・・というのも実感しましたけどね(汗)
いつかまた読み返してみたいとは思いますが・・・難しいなあ・・・(汗)文庫でもあれば・・・(昔は岩波文庫から出てたらしいですが・・・amazonでもユーズドが出てますけど、うーむ)
また「『ファウストゥス博士』の成立」を読んだら色々と違う感想も出てくると思うので、また感想書きたいと思います。
いや~、読み終わる日が来るとは思えないくらい苦戦しましたが、ついに読み終わりましたねえ・・・
まだ同時収録の「『ファウストゥス博士』の成立」が残ってまして、これ読んでから感想書いた方が良さそうなんですが、これがまた結構長い・・・これまた同時収録の短編「マーリオと魔術師」よりずっと長い(汗)
というわけで、、「『ファウストゥス博士』の成立」を読んでからだと感想も忘れそうなので(汗)今、読む前の状態で本編の「ファウストゥス博士」の感想を書いてみようと思います。
これ、何年越しかというと・・・そもそも最初に読み始めたのは大学生の時でした。(何年前かは追及しないでください・・・(笑))
高校生の時に「魔の山」でトーマス・マンにハマった私は、大学時代に入手できるトーマス・マンの邦訳作品は全て買ったのですが、当時すでに一般には入手できない作品がありまして。
大学の図書館に、これもすでに絶版の「トーマス・マン全集」というのがあって、空き時間にちまちまと手に入らない作品を読んでました。(借りて帰っても、とても貸し出し期間に読み終えるようなものではなかったので・・・)
まず「詐欺師フェリクス・クルルの告白」を読み始め、それは読み終わったのですが、その次の「ファウストゥス博士」を読んでる途中で卒業しちゃったんですね~(汗)
これでもう読めないのかなあ・・・と思っていたら、数年後(何年後で今から何年前かは秘密(笑))、書店の店頭で「新潮世界文学」の中に「ファウストゥス博士」が入っているのを発見! 即購入したのでした。(この本も今は売ってないですね・・・やっぱ見かけたらすぐ買っとかないと)
で、読み始めたんですが・・・読みにくいんですわこの作品・・・(汗)
トーマス・マンは、「魔の山」や「ブッデンブローク家の人びと」だってすらすらとは読めないんですが、それにしても・・・なんですよね。
「ファウストゥス博士」はトーマス・マンとしては渾身の一作だったようで、実際技術的にはかなり高度な作品だというのもわかるんですが、それでも「魔の山」のように日本であまりメジャーにならなかったのは、この読みにくさにあるのかなあと。
トーマス・マンがすらすらと読めないのは、長編になると、余計なお喋り・・・と言ったらなんですが(汗)話が脇道に逸れて延々と議論が続いたり、地の文で長々と一つの思想について述べられたり、という部分がちょくちょく出てくるから、だと思います(汗)
しかし、他の作品の「脇道」は、そこそこ内容が理解できたりして、まあ読めるんですが、この作品についてはどうも話の内容が頭に入らないんですよね・・・
音楽理論についての部分がわかりにくい、という人もいるようですが、私はそのあたりはそんなに気になりませんでした。(いや音楽理論が理解できた訳ではなく、なんとなく雰囲気で読めてしまっただけなのですが)
それよりも、「ドイツ人によるドイツ論」が読みづらかったですね~。なんか、さっぱり話が頭に入らなくて・・・
あと、25章の悪魔との対話ですね・・・(汗)
大学の図書館では20章くらいまでは読んでいたようなんですが(全体の3分の1くらい)、買ってから最初から読み直したのかどうかの記憶はあまりないんですが・・・多分最初から読み直したのかな。
かなりゆっくり読み進んで、それでも25章くらいまでは行ったのですが、この25章の悪魔との対話のところでついに挫折、そのまま何年も寝かされてました・・・
が、昨年末に思い立って、とにかく頑張って一日2ページずつ読もう、ということでこつこつ読み進んでいったら、終盤話が進んだこともあり、ついに読み終わったのでした・・・!
全部読み終わってみると、終盤一気に進む悲劇に心を動かされるので、それまでとかなり印象が変わりました。
なんだかもう一度最初から読んでみたくなりましたが、なかなか難しいかな・・・(汗)いつか挑戦してみたいですけど。
前置きが長くなりましたが(汗)そんなわけで最後まで読んでみての感想です。
最後まで読まなくても、この話の主題が、「トニオ・クレーゲル」以来の、芸術家としての苦悩、芸術とは罪なのか、実生活との両立はできないのか、という二極論にあるということ、そして、ドイツ人として第二次大戦でのドイツの罪をどう考えるか・・・ということにあるのはわかります。
それに、トーマス・マン自身造詣の深い音楽を、ついに前面に出して来たなーと。
(実際には音楽理論についてはかなり取材したり教示を受けたりしていたようですが、それでももともとの音楽に対する理解がなければ書けなかったでしょう)
とまあそういう話だなと、読みながら思っていて、実際最後まで読んでいても、まあそういう話だったなーとは思いました。
ただ、終盤、そのあたりが一気に収束してきて、心を動かすまで持って来たのは、さすがだなあと思いましたね。
芸術に没頭することを悪魔との契約だと思っていたレーヴァーキューンが、それでも最後に、誰かに見守ってもらいたいと願って、皆をプファイフェリングに呼び集める件にはほろっと来ましたね。ああ、トーマス・マンらしいヒューマニズムだなあと。
ピアノの前で倒れ伏すレーヴァーキューンの姿には、ミュージカルで何ですが「モーツァルト!」のラストもちょっと重なって、悲しかったです。
それでも、晩年になって、芸術に奉仕することが悪魔と契約することだ、愛する者を全て奪い去らなければないほどのものなのだというような、ネガティブな作風になったことは、ちょっとショックかなあ・・・。晩年に向けて明るい作風になる人も多いのに。(不遇な晩年を送った人はまた別ですが)
ただ、音楽に例えれば、交響曲の終楽章が華やかに歓喜に満ちて終わるものは多いけれど、むしろ第一楽章の苦悩と絶望の方が好きな私としては、こういう終楽章の方が好きかもしれません。
(もっともトーマス・マン自身は特に絶望した晩年ではなく、恵まれて栄誉にも包まれた生活を送っていたようですし、この作品も別に遺作ではないですが)
音楽については、レーヴァーキューンが世代的に私が好きなバルトークとかプロコフィエフとかと同時代の作曲家ということで、彼の作る音楽についての描写を読みながら、どんな音楽なんだろう、聴いてみたいなあ・・・と単純にワクワクしました。
トーマス・マンの音楽への造詣は、もう「ブッデンブローク家の人びと」でも出てきますが、「ブッデンブローク-」にしても「魔の山」にしても、時代が時代なので、せいぜいワーグナーとかまでしか出てこなくて(「魔の山」にはドビュッシーも出てきたけど)、やや物足りない感じはしたのですが、今度は二十世紀の音楽が題材ですから、いよいよ本領発揮、といったところでしょうか。
まあ、この時代の音楽、聴いてみたら訳分かりませんでした、ということもありがちですが・・・(汗)特にシェーンベルクの十二音技法をレーヴァーキューンのものとして拝借した、と本文末尾にも注釈がありますが、シェーンベルクみたいな音楽なら多分私はよくわからない・・・(汗)
それでも、文章による描写で「聴いてみたい」と思わせる、トーマス・マンの描写力と音楽への造詣の深さはさすがだな、と思いました。特に「黙示録オラトリオ」はすごく聴いてみたいですね。
あと、はからずもこの作品は、今まで読んだ中で一番、トーマス・マンのホモ・セクシュアリティーを感じたかなーとも思いました。いや、「ヴェニスに死す」を読めばわかるでしょ、と言われそうですが・・・(汗)「魔の山」でも「トニオ・クレーゲル」でもそういうのありますし。
でも、この作品の中で、語り手のツァイトブロームが、奥さんも子供もいるのに、多分レーヴァーキューンのことを一番大切に思っていただろうと思われる言動に、なんか今までで一番そういうのを感じてしまいました。ゲイとまでは言わないけれど、奥さんよりも男の友情(というにはこの場合は一方的ですが)の方が大切、みたいな・・・
こういうの、ちょっとトールキンにもあるよな・・・というのも思いましたが(汗)まあ、例えば明らかに女好きなガルシア=マルケスとかとは違うんですよね、何かが(笑)
そうそう、後は「ドイツ人にとっての第二次大戦のドイツ」ということですが・・・レーヴァーキューンが正気を失ってしまうのがナチスが政権を取るより前のことなので、レーヴァーキューンの存在自体はドイツ論とはあまり関係ない・・・のかな。
このあたりちょっと拍子抜けだったんですが。まあ、実際にはトーマス・マンは早い段階で亡命しているので、渦中のドイツにはいなかったわけですが・・・。年譜を見たらちょうどレーヴァーキューンの昏倒の年に亡命してることになるんですね。
その後のドイツについては、ドイツに留まりつつナチスに反対していたらしい語り手のツァイトブロームが現在進行形で少しずつ語っているのですが、最後の方で、自分が反対したがために、同胞たちと同じ苦しみを味わうことから逃げてしまった、というようなことを書いているのを読んで、ああ、トーマス・マンも早くに亡命したことで、そういう負い目を持っていたのかな・・・とはっとするものがありました。
もっとそのあたりの心境を読みたかった気がしましたが・・・そこまで生々しい話を書くつもりはなかったということなのかな。
というわけで、読んでいるうちにはあまりピンと来ませんでしたが、最後まで読んでいたら色々と思うところも出てきました。そして、こういういくつかの素材を一つの作品に埋め込むテクニックはやはり老練の、という言葉がふさわしいと思いました。やっぱりすごい作品だな・・・と思いましたね。
でも、一般受けはしないな・・・というのも実感しましたけどね(汗)
いつかまた読み返してみたいとは思いますが・・・難しいなあ・・・(汗)文庫でもあれば・・・(昔は岩波文庫から出てたらしいですが・・・amazonでもユーズドが出てますけど、うーむ)
また「『ファウストゥス博士』の成立」を読んだら色々と違う感想も出てくると思うので、また感想書きたいと思います。