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指輪写真ひとつ残ってたの忘れてました。ユニオン・スクエア近くのForbidden Planetにあったフィギュアです。今回コミックショップはあまり出物がなかったですねえ。
さて、先日見たハリポタ映画、原作と結構変えてるところがあるけど、原作ファンにとってはどうなのかな・・・と思ったら、意外と受け入れられているようですね。まあもちろん、全然ダメ、という原作ファンの方もいらっしゃるようですが、それでも肯定的な人が多いかなあと。
そうだよな、原作と変えてると言っても、LotRに比べたらかわいいもんだもんな・・・と思ったらちょっと悲しくなってしまったのですが。
まあLotRもゲドに比べたらはるかにマシですが・・・(テレビドラマは未見ですが噂を聞く限りでは映画とは違う意味でひどいらしいですし)
そんなことを考えていたら、久々に、LotR映画がもっと原作に近いものになるためには何が必要だったのか、なんてことを考えてしまいました。
ハリポタ映画の成功の大きな要因は、原作者のバックアップがあるということにあるような気がします。
原作者のローリング氏は、映画が原作と違うということに理解があって、その上で原作から乖離しすぎないように助言したりしているとか。
原作の映画化にあたって、最も理想的な形ではないでしょうか。
ジャンルは違いますが、原作者が脚本を担当してスタッフに入っているガルシア=マルケスの「エレンディラ」など素晴らしい名作ですし。
まあ、原作者が脚本に入っているにもかかわらずとんでもない駄作になることもありますが・・・(汗)原作者が原作と違うことに寛容すぎるのも問題ありますねえ・・・
あと、監督の実力も間違いなくありますね。原作に忠実なだけでは面白い映画にはならないし。
そういう意味では、PJは監督としての実力は間違いなくあったんですよね。単なる原作のストーリーのダイジェストにならずに、一つ一つのシーンにドラマがちゃんとあり、キャラクターもきちんと描かれていたのはすごいことだと思っています。たとえ1本につき3時間以上あったとしても(汗)
もし仮に、クリストファー・トールキン氏が映画に協力的で、脚本について意見していたりしたら、かなり原作に近いものができていたのではないかな、と思ったりもします。少なくともあの映画は原作に敬意を払って作られたもののはずですから。
まあ、映画化自体に反対なクリストファー氏、初期の脚本を見たら卒倒しかねないですけど・・・(アルウェンが旅の仲間に加わったりとか、ヘルム峡谷に助けに来たりとか)私もしたかも(汗)
原作ファンが割りと満足した映画としては「ナルニア」も挙げられると思います。これももちろん気に入らないという原作ファンの方はいますが・・・
「ナルニア」の場合は、アダムソン監督自身が原作ファンで、監督自身の思い入れが反映されたものになっていたのではないかと思います。
まあ、「ライオンと魔女」は短いし、映画としてのまとめやすさはLotRやハリポタの比ではないですけど・・・
ここでひっかかるのが「PJは原作ファンではないの?」ということですが・・・(汗)
まあ、マニアでないことは確かですよね・・・
ここでも、「指輪」特有の現象があると思います。
以前、ファンタジー作家として活躍する人々が「指輪物語」について書いたエッセイ?を集めたわれらが祖父トールキン
を読んだ時、読む人によって感じることがこんなに違うのか・・・と思ったものでした。
どんな本でもそうだと思いますが、「指輪」は特に様々な要素を含んでいるので、どこに最も心惹かれるか、というのは人によって違って来るのかもしれません。
まあPJもあの映画を「思ったとおりものにはできなかった」というようなことを言っていましたが・・・思ったとおりものがどういうのかはわかりませんが・・・(汗)
PJが「指輪」を映画化するにあたって、キャラクターが重要だから大事にしたい、というようなことを言っていたのを覚えています。
そのあたりは正解だったと思うんですよね。原作を読んでいてそういうところが面白かったのは確かで。映画では、脇役になって目立たなくなりがちなギムリやメリーもきちんとキャラクターを描いてくれていたのが嬉しかったですね。(まあそのキャラクターが原作と違うことはとりあえず置いておいて・・・)
でも、エルフたちが去っていくことの悲しさや、慈悲の連鎖?が結果として指輪を棄てることにつながった、ということとか、サムの素朴さとか(汗)、そういうことにはあまり思い入れがなかったのでしょうね・・・
そんなことを考えていたら、「ホビット」映画化、別にPJじゃなくてもいいや、という気がしてきました(汗)
ハリポタだって監督変わって思わぬ良い出来になることもあるし、違う人でやったっていいような気が。まあ、視覚効果のことなどを思うとなかなか「違う人でいいや」とは言い切れませんけど・・・
とまあそんなことを考えている今日この頃ですが、「ホビット」映画化問題はどうなるんでしょうねえ。
さて、先日見たハリポタ映画、原作と結構変えてるところがあるけど、原作ファンにとってはどうなのかな・・・と思ったら、意外と受け入れられているようですね。まあもちろん、全然ダメ、という原作ファンの方もいらっしゃるようですが、それでも肯定的な人が多いかなあと。
そうだよな、原作と変えてると言っても、LotRに比べたらかわいいもんだもんな・・・と思ったらちょっと悲しくなってしまったのですが。
まあLotRもゲドに比べたらはるかにマシですが・・・(テレビドラマは未見ですが噂を聞く限りでは映画とは違う意味でひどいらしいですし)
そんなことを考えていたら、久々に、LotR映画がもっと原作に近いものになるためには何が必要だったのか、なんてことを考えてしまいました。
ハリポタ映画の成功の大きな要因は、原作者のバックアップがあるということにあるような気がします。
原作者のローリング氏は、映画が原作と違うということに理解があって、その上で原作から乖離しすぎないように助言したりしているとか。
原作の映画化にあたって、最も理想的な形ではないでしょうか。
ジャンルは違いますが、原作者が脚本を担当してスタッフに入っているガルシア=マルケスの「エレンディラ」など素晴らしい名作ですし。
まあ、原作者が脚本に入っているにもかかわらずとんでもない駄作になることもありますが・・・(汗)原作者が原作と違うことに寛容すぎるのも問題ありますねえ・・・
あと、監督の実力も間違いなくありますね。原作に忠実なだけでは面白い映画にはならないし。
そういう意味では、PJは監督としての実力は間違いなくあったんですよね。単なる原作のストーリーのダイジェストにならずに、一つ一つのシーンにドラマがちゃんとあり、キャラクターもきちんと描かれていたのはすごいことだと思っています。たとえ1本につき3時間以上あったとしても(汗)
もし仮に、クリストファー・トールキン氏が映画に協力的で、脚本について意見していたりしたら、かなり原作に近いものができていたのではないかな、と思ったりもします。少なくともあの映画は原作に敬意を払って作られたもののはずですから。
まあ、映画化自体に反対なクリストファー氏、初期の脚本を見たら卒倒しかねないですけど・・・(アルウェンが旅の仲間に加わったりとか、ヘルム峡谷に助けに来たりとか)私もしたかも(汗)
原作ファンが割りと満足した映画としては「ナルニア」も挙げられると思います。これももちろん気に入らないという原作ファンの方はいますが・・・
「ナルニア」の場合は、アダムソン監督自身が原作ファンで、監督自身の思い入れが反映されたものになっていたのではないかと思います。
まあ、「ライオンと魔女」は短いし、映画としてのまとめやすさはLotRやハリポタの比ではないですけど・・・
ここでひっかかるのが「PJは原作ファンではないの?」ということですが・・・(汗)
まあ、マニアでないことは確かですよね・・・
ここでも、「指輪」特有の現象があると思います。
以前、ファンタジー作家として活躍する人々が「指輪物語」について書いたエッセイ?を集めたわれらが祖父トールキン
どんな本でもそうだと思いますが、「指輪」は特に様々な要素を含んでいるので、どこに最も心惹かれるか、というのは人によって違って来るのかもしれません。
まあPJもあの映画を「思ったとおりものにはできなかった」というようなことを言っていましたが・・・思ったとおりものがどういうのかはわかりませんが・・・(汗)
PJが「指輪」を映画化するにあたって、キャラクターが重要だから大事にしたい、というようなことを言っていたのを覚えています。
そのあたりは正解だったと思うんですよね。原作を読んでいてそういうところが面白かったのは確かで。映画では、脇役になって目立たなくなりがちなギムリやメリーもきちんとキャラクターを描いてくれていたのが嬉しかったですね。(まあそのキャラクターが原作と違うことはとりあえず置いておいて・・・)
でも、エルフたちが去っていくことの悲しさや、慈悲の連鎖?が結果として指輪を棄てることにつながった、ということとか、サムの素朴さとか(汗)、そういうことにはあまり思い入れがなかったのでしょうね・・・
そんなことを考えていたら、「ホビット」映画化、別にPJじゃなくてもいいや、という気がしてきました(汗)
ハリポタだって監督変わって思わぬ良い出来になることもあるし、違う人でやったっていいような気が。まあ、視覚効果のことなどを思うとなかなか「違う人でいいや」とは言い切れませんけど・・・
とまあそんなことを考えている今日この頃ですが、「ホビット」映画化問題はどうなるんでしょうねえ。
ホビット映画化で再びあの場所でロケをする為にはPJが監督しないと無理なような気がしますね、NZ人の感情を考えると。
ナルニア映画の場合,C.S.ルイスと結婚したジョイの連れ子だったダグラス・グレシャム氏が,映画の共同製作者として名を連ねているんですよ。実の親子とは一味違いますが,大変良い関係だったそうです。私は映画としてはナルニアが1番羨ましい出来だなあと思ってました。(確かに話短いので,指輪やポタより簡単そうですが(笑))
ハリポタは,原作ファンでも,どの映画が好きかは,人によって全然分れますね。映画自体がダメという人は置いといて(笑)1,2が良いという人も多いし,「親世代」という,いわゆるハリーのお父さんの同級生が好きな人達には,5は評価高いです。
私はロケ地別にNZでなくてもいいくらいなんですけど(汗)
もっとイングランドの香りがするロケ地でもいいような気がします。「ホビット」より「指輪」の方がもっとそうでしたけどね。
やっぱりPJで収まるのでしょうかね。まあ、PJが監督するメリットもいろいろあるので、それはそれでまたいいんですが。
でもビルボのガールフレンドだけは思い直して欲しいなあ・・・(汗)
>えるさん
>ダグラス・グレシャム氏が,映画の共同製作者として名を連ねているんですよ
あ、そうでしたね。えるさんのブログでその話読んでいたのに・・・すっかり忘れてました(汗)
やはり、原作者サイドの協力が一番良い方法なんでしょうか。
そうすると、原作者サイドの協力がほとんど期待できないトールキンの作品は、なかなか厳しいものがあるかもしれませんね・・・
>「親世代」という,いわゆるハリーのお父さんの同級生が好きな人達には,5は評価高いです。
え、そうなんですか。原作じゃなくて映画が?
シリウス以外の親世代の人、そんなに活躍してなかったような・・・?
私も一応スネイプとかルーピンとか好きなつもりですが、その辺がわからないあたり、まだまだですかねえ(?)