先週の「ノーベル物理学賞日本人3人受賞」という大変うれしい大ニュースがありましたが、それに引き続き「村上春樹さんノーベル文学賞逃す」というニュースが話題となっていました。
「ハルキスト」という氏のマニアたちが、集まって落選で大騒ぎしている姿は、はっきり言ってまこと滑稽というほかありません。
これって、ちょっと騒ぎ過ぎと違いますか?
小生に言わせれば、日本語で書かれた文章を外国語に訳して、良いとか悪いか審議されたって、それが如何ほどの有難味があるのかトンと解りません。
英語論文で書かれた客観性が担保される「物理学賞」ならいざ知らず(物理学賞は、だからホントにめでたい!!)、 一方のこの文学賞選考委員に日本語の専門家がいるって聞いたこともありません。
そもそも、日本語が外国語に変換された時点で、その日本語の芸術的な〝文学性〟はどれほど残っているのでしょうか?
試しに「松尾芭蕉」の有名俳句の例ですが・・・・・
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・古池や 蛙飛び込む 水の音
正岡子規の訳
The old mere! A frog jumping in The sound of water.
新渡戸稲造の訳
An old pond A frog jumps in A splash of water.
・しずけさや 岩に滲み入る 蝉の音
ドナルド・キーンの訳
How still it is here Stinging into the stones, The locust's trill.
ヘレン・クレイグ・マックロウの訳
Ah, tranquility! penetrating the very rock, a cikada's voice.
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日本人なら直感的に解るこの〝わび〟〝さび〟の感覚を、英語圏の方々たちは、こういう英訳を通して理解していることを留意しなければいけません。
別にダメな英訳という意味じゃないですよ(特にキーンさんの英訳は文学的で美しい)。
しかし日本の田舎に残っている〝わび〟〝さび〟の日本的なるものを理解できたとしても、俳句の肝である五七五の日本語のリズムサウンドはどうしても表現できないのです。
これは、逆のことも言えます。
S・ホームズ 英訳
すなわち、我々が外国文学を鑑賞する時にもあてはまるのではないでしょうか?
大のシャーロック・ホームズマニアとして有名な、ミュージシャンの大槻ケンヂさんは何かのインタビューで以下のように語っています。
「私に言わせれば、原語(英語)でコナン・ドイルの物語を味わえる人が〝シャーロキアン〟。なので、自分の場合日本語訳しか読めないので〝シャーロック・ホームズ ファン〟と言っています。」
小生これを聞いた時、なんと謙虚な人かと驚くとともに、小生自身〝シャーロキアン〟を自認してきたことを恥じ入ったものです。
小生程度の英語力では、〝シャーロキアン〟などというのはおこがましい限りであることを、大槻さんから教わりました。
ましてや・・・・ましてやです。
日本語を原語で読めぬノーベル財団の選考委員どもが、文学賞だの落選だのと日本文学を批評すること自体、チャンチャラ可笑しい。
そして、当の日本人たちが、それに一喜一憂する間抜けな姿はもっと可笑しい。
コメディーというか、ブラックユーモアです。
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別な角度からもう一例。
日本の武芸者の象徴というか神様みたいな「宮本武蔵」が記した武芸書「五輪の書」が英訳され全米大ヒットしました。・・・というか、今もロングセラー記録しています。
NYウォール街では、トップビジネスマン必読の書とさえいわれています。
「目の玉動かずして、両脇を見ること肝要也」(本文より)なんて技、ウォール街のニューヨーカーが、何に使うか解りませんが(スリからの護身術?)、何れにせよ彼らから高い評価を得てることは事実です。
それは、ハーバード大学の経営学の教科書として採用されていると言いますから本当のことでしょう。
しかし、しかしです。敢えて言わせてもらえれば、だからと言って「宮本武蔵」の評価が上がったなんて考える日本人がいるでしょうか?
はっきり言って、せいぜい200年の歴史しか持たぬ赤毛人どもに褒められようが、貶されようが、我々にとって「宮本武蔵」に対する日本人の尊敬というか畏敬の念は揺るがないでしょうし、米国人ごときの評価なんぞ高かろうが低かろうがそれは全く関係ないと言えます。
なので、小生毎度、米国映画アカデミー賞の時思うのですが、宮崎駿のアニメーション映画が受賞するかしないかで大騒ぎするメディアはバカで無かろうかと思うワケ。
そんな、米国人の評価なんて、どーだって良いじゃありませんか?
それと同じで、今回のノーベル文学賞の騒ぎだって、海外のハルキストたちならまだしも、日本の氏のファンが騒ぐのはみっともない限りと言えましょう。
あなた方、日本語解からぬ外国人が褒めたからハルキストになったワケじゃないでしょう?
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最後に・・・・・
かなり前(7年前)ですが、フランスグルメ本の権威「ミシェラン」から「ミシェラン東京」が出版された時のこと。
この時、フランス料理店だけじゃなく、「寿司店」はじめ、多くの和食店も星を獲得しました。
その時の石原都知事のコメントです。星たくさん獲得したことに感謝しつつ本音がポロリ。
「別に外国人から褒めてもらわなくても、私あちこち歩いてて、焼鳥屋を含めて東京のメシはおいしいと思いましたがね。」
まさに、その通り。
「焼き鳥屋」の選考位委員が、吉田類閣下だったら、なーんにも文句はないのですがね。
いくら欧州の権威と言ったって、外国人から和食を褒めらたからって、必要以上に騒ぐには変だし、静かに「ありがとう」位のスタンスで充分です。
和食だって文学、映画に至るまで、自国文化は海外の評価よりも、自分自身の審美眼を磨くべきでしょうし、それでむしろ充分。
仮に、海外の賞とったら、「棚からぼたもち」位の、ラッキーって程度のもんです。
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最後の最後。
前に「日本国憲法」の成り立ちにも触れ、我々の「日本国憲法」を米軍のドシロートが作った経緯を紹介しましたが・・・・↓↓↓
「共同通信のバカげた「自衛隊 靖国へ集団参拝」」 (2014年8月14日ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/gwnhy613/d/20140814
今年度「ノーベル賞」では、文学賞だけじゃなく、日本の「憲法条文」まで、平和賞の推薦候補に差し出す愚かな輩まで登場しました。
自称〝主婦〟という名のプロ市民と韓国の牧師が結託した企みとのことですが、愚かさも極まれりとはこのことです。
憲法は我々日本人自身を縛る「最高法規」。
それを、外国人どものまな板に上げて、日本人の行動を制約させてもらおうとは・・・「お馬鹿大賞」があったら彼らに挙げたいものです。
※欧米なら、「お馬鹿大賞」じゃなくて反逆罪で裁かれるはず。(中国や北朝鮮なら銃殺刑でしょうがね。)
「朝日新聞」
方棒を担ぐのはまたしても「朝日新聞」。
まぁ、今や捏造記事専門誌として内外での評価の高い(?)、「朝日新聞」の記事ですから、胡散臭さ200%位のドーでも良いというか、しょうもない便所の落書き程度の話なんですがね(笑)。
しかし、この自称主婦のプロ市民のPC打ってるふりのオバさんのカメラ目線、笑えませんか(大笑い)。
間抜けなことしでかしてるのに、朝日のカメラマンに唆され、さも自分が高尚なことしてるが如き陶酔に酔ってる馬鹿面を世界に晒してる見本と言えましょう。