文革時の1966年より閉鎖されていましたが、1994年に再開されました。
線香を買って、大殿前で四方へ拝礼。
先ずは広場左手の財神殿へお参り。
正面は武財神の趙公明、左手は招宝天尊の粛升と、右手に納珍天尊の曹宝へご挨拶。
広場右手は慈航殿の慈航大士(観世音)。右手が天后娘娘(媽祖)、左手が眼母娘娘。
健康と平安を守り、苦しみを救い難を逃れることができます。
城隍殿手前左手にある関帝殿の関羽様。
三国志中の英雄ですが、彼の忠孝仁義な生き方が中国では大人気です。
関帝殿の対面は文昌殿の文昌帝。
学業進歩や文学の神様。
最後の城隍殿の主神は秦裕伯(1295年?-1373年)と夫人。
元代末期の進士で明代の翰林院学士(皇帝の文学侍従官)。
彼の死後、明の太祖も悲しみ上海県城の隍神として祭られ、上海に平安が訪れたそうです。
左手に夫人の儲氏。
死後も夫婦仲良く祭られるのは、羨ましい限りですね。
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線香を買って、大殿前で四方へ拝礼。
先ずは広場左手の財神殿へお参り。
正面は武財神の趙公明、左手は招宝天尊の粛升と、右手に納珍天尊の曹宝へご挨拶。
広場右手は慈航殿の慈航大士(観世音)。右手が天后娘娘(媽祖)、左手が眼母娘娘。
健康と平安を守り、苦しみを救い難を逃れることができます。
城隍殿手前左手にある関帝殿の関羽様。
三国志中の英雄ですが、彼の忠孝仁義な生き方が中国では大人気です。
関帝殿の対面は文昌殿の文昌帝。
学業進歩や文学の神様。
最後の城隍殿の主神は秦裕伯(1295年?-1373年)と夫人。
元代末期の進士で明代の翰林院学士(皇帝の文学侍従官)。
彼の死後、明の太祖も悲しみ上海県城の隍神として祭られ、上海に平安が訪れたそうです。
左手に夫人の儲氏。
死後も夫婦仲良く祭られるのは、羨ましい限りですね。
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