「天神博多まち歩きマップ」にある「天神と博多の歴史」年表の最初は弥生時代の日本最古の稲作跡「板付遺跡」ですが、毎年古代米の田植えの神事が行われています。
秋の収穫時になったら取材に行ってみましょう。
2番目は志賀島で発見され国宝となっている「金印」ですが、西暦57年に漢の光武帝より送られたと言われています。現在福岡博物館に展示してありますので、これも後日取材に行ってみましょう。
3番目が飛鳥時代688年に歴史に登場する筑紫館(後の鴻臚館)です。
鴻臚館は7世紀後半から11世紀前半までの400年間、外交使節の迎賓館として歴史に刻まれています。
1987年に平和台野球場外野席の発掘調査で遺構が発見されましたので、私は学校で習っていませんでした。(笑)
かつて古代日本に3箇所(京都と難波)在ったと考えられていますが、遺構が確認されたのはここだけです。
歴史的に非常に価値があるもので、現在も発掘調査が続けられています。
鴻臚館の全体模型です。
南館遺構の一部分上に展示館が建てられています。
門の一部分が復元されています。
遣唐使の説明です。
15回派遣され8回も遭難した決死の船旅でしたね。
遣唐使船の復元模型です。
地図を見ると南路は東シナ海を渡り、揚子江を遡り現在の中国江蘇省楊州を目指して行ったようですね。
古代の国際港湾都市であった博多のロマンを感じるお勧めの場所です。
秋の収穫時になったら取材に行ってみましょう。
2番目は志賀島で発見され国宝となっている「金印」ですが、西暦57年に漢の光武帝より送られたと言われています。現在福岡博物館に展示してありますので、これも後日取材に行ってみましょう。
3番目が飛鳥時代688年に歴史に登場する筑紫館(後の鴻臚館)です。
鴻臚館は7世紀後半から11世紀前半までの400年間、外交使節の迎賓館として歴史に刻まれています。
1987年に平和台野球場外野席の発掘調査で遺構が発見されましたので、私は学校で習っていませんでした。(笑)
かつて古代日本に3箇所(京都と難波)在ったと考えられていますが、遺構が確認されたのはここだけです。
歴史的に非常に価値があるもので、現在も発掘調査が続けられています。
鴻臚館の全体模型です。
南館遺構の一部分上に展示館が建てられています。
門の一部分が復元されています。
遣唐使の説明です。
15回派遣され8回も遭難した決死の船旅でしたね。
遣唐使船の復元模型です。
地図を見ると南路は東シナ海を渡り、揚子江を遡り現在の中国江蘇省楊州を目指して行ったようですね。
古代の国際港湾都市であった博多のロマンを感じるお勧めの場所です。