1.多倫路210号、花園住宅。
2.1920年代建築のフランス新古典主義様式。
3.南面の2階まで通る4本の飾り柱や、外壁曲面が優美です。
4.虹口区の文物保護単位にも指定されていますが、現在は診療所として使用されているようです
5.玄関上のサンルームは日当たりが良く、気持ちよさそうですね。
6.日中戦争当時の軍人「白崇禧」が住居としており、白公館と呼ばれていました。
7.白公館の正面、多倫路215号は優秀歴史建築の表示はありませんが「上海紡績老幹部活動室」です。
8.上海事変の当時、海軍陸戦隊司令官宿舎として使用されていました。
すぐ近くに陸戦隊司令部だった建物も残っています。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
2.1920年代建築のフランス新古典主義様式。
3.南面の2階まで通る4本の飾り柱や、外壁曲面が優美です。
4.虹口区の文物保護単位にも指定されていますが、現在は診療所として使用されているようです
5.玄関上のサンルームは日当たりが良く、気持ちよさそうですね。
6.日中戦争当時の軍人「白崇禧」が住居としており、白公館と呼ばれていました。
7.白公館の正面、多倫路215号は優秀歴史建築の表示はありませんが「上海紡績老幹部活動室」です。
8.上海事変の当時、海軍陸戦隊司令官宿舎として使用されていました。
すぐ近くに陸戦隊司令部だった建物も残っています。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
古きよ良き上海。
このようなお屋敷に住んでみたいです!
しかし、この美しい上海で、
日本軍が事変を起こすのは、
信じられません。
世界中から非難されて当たり前です。
当時、親族の経営店舗は
難を逃れたとのことですが、
その後、国×党が逃げてしまったので、
共×党に財産没収されてしまったとか・・・・。
今の平和な時代に、
上海を訪れることができて、
本当に幸せを感じます!
確かに今は平和な世の中ですが、
ご親戚は共産党から財産を没収されるほどお金持ちだったのですね。
大日本帝国は軍隊の独走を止めるだけの法律的な根拠を創らなかったのが失敗でした。
今は民主的な世の中で、一国だけで独善的な政策もできない時代です。