こんばんは、白黒茶々です。
今は運動の秋、行楽の秋、食欲の秋の真っ只中にいるのですけど、当箔日記では久しぶりに人物伝のネタをやってみようと思います。
しかも、箔日記史上初めて外国人に焦点を当てようというのですよ
そのようにして、選ばれた人物は……… オールコックです。
数ヵ月前に、NHKの「歴史秘話ヒストリア」で採り上げられたことがあるので、彼のことをご存じの方もいるかも知れませんね。今回は、そのオールコックの日本での軌跡をたどりながら、彼について述べていきます。もちろん、彼の相棒だったスコッチ・テリア(スコティッシュ・テリア)のトビーのことにも、触れさせていただきますよ。
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10月末の休日に、私はオールコックを探究するために未明からごそごそと旅支度をし始め、浜松発の始発列車に間に合うように、そちらの駅に向かいました。
彼らのコンビに対抗するということから、こちらは相棒のハクーも連れてきましたよ。
※箔君の名前を、無理やりトビーに合わせないでください。それに、ほとんどパロディーになっていませんし。(編集部注)
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列車が動き出したことですし、そろそろオールコックのお話をさせていただきます。
まずは彼の生い立ちから。
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オールコックことラザフォード・オールコックは、1809年にイギリスの医者の家に生まれました。彼はやがて軍医になり、その仕事で海外に多く派遣されたこともあって、さらに外交官に転職しました。
一方、日本はイギリスとの間で1858年(安政5年)に日英修好通商条約を締結し、その翌年には長崎、神奈川、箱館の三港を開港しました。その頃、初代駐日総領事に任命されたオールコックは、そのまた翌年の1859年の6月に初めて日本の土を踏んだのです。さらにその年に、彼は特命全権公使に昇格することに。
早口言葉にも使えそうなその役職は、わかりやすく言うと外交使節団の中で2番目にエラい人のことです。
しかし、当時の日本には攘夷の風が吹き荒れていて、オールコックも含めたイギリス人は、外国人相手に抜刀する恐れのある侍のいるこの国に、野蛮なイメージを持っていました。それに加えて、慣れない国での公使の任務も。そういうこともあって、一緒にやって来た愛犬のトビーが、彼の心の支えとなっていました。
とかなんとか私がオールコックのウンチクを垂れているうちに………
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列車の車窓から、最近冠雪したという富士山が見えてきました。
いや、雪のほうは溶けてしまったみたいですね。それよりも、実は富士山はオールコックとは深い関係があるのですよ
公使として来日した彼は、幕府の要人にとんでもない要求をしだしたのです。「富士山に登りたい」と。たぶん、そのことを英語で言ったものと思われます。
英語に自信のある方、英語を必須科目に抱えているそこの中2のアナタ、オールコックのセリフを英訳してみてくださいませ
日本人がどのくらいの覚悟でイギリスと向き合おうとしているのかを試すために、彼はそうしたのでした。果たして、日本人にとっては心のよりどころとなっている富士山に、外国人を登らせても平気なのか………
「そ、それはさすがに………
」
とはいっても、日本側はイヤとは言えません。このようにして、オールコックの富士登山は実行されることになりました。
しかし、当時は富士山の五号目までマイカーで上ったりできなかったので、麓から自力で登るしかありません。
「ハア、ハア、……… 『登りたい』とは言ったものの、富士登山がこんなにキツいものだとは思わなかった
」と、オールコックは英語で思ったかも知れませんね。もちろん、そのとき同行していた日本人チームにとっても、大変だったに違いありません。当初、彼らは離れて登っていたのですけど、苦労を共にすることによって、やがて双方に一体感みたいなものが生まれました。そして、山頂にたどり着いたときには登山隊一同は、得難い感動を覚えたことでしょう。
これによって、オールコックは初めて富士山に登った西欧人となったのです。
このとき、彼の愛犬のトビーも一緒に登ったとも云われています。
その富士山に向かっているのか帰りなのか、とにかくどちらかの道中で、オールコックはある光景を目にしました。
いかにもお金を持っていなさそうな旅人が、茶屋の外の席で休んでいました。そんな彼に、お店の人は水をふるまっていたのです。そのとき「日本人にも、優しい心を持った人がいるんだな」と、オールコックは英語で思い、彼のなかの日本人に対する悪いイメージも、変わりつつありました。
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と、ここで私たちの乗った列車が熱海駅にたどり着きました。
実は、こちらにもオールコックに関するスポットがあるのですよ。そんなトコで、オールコック伝に戻ります。
さらにオールコックの一行は、当時も温泉地として有名だったこちらの熱海に立ち寄ったのですけど、そこでアクシデントに見舞われてしまいました。彼の相棒のトビーが、突然吹き出した間欠泉の熱湯を浴びて、大やけどを負ってしまったのです。
オールコックも含めたみんなで手当てをして、必死に快方を願っていたのですけど、トビーはほどなくして亡くなってしまいました。
「トビー………」
オールコックは悲しみにくれていたのですけど、熱海の人たちはトビーの亡骸に大好物だった大豆を供え、お坊さんを呼んでお経をあげ、手厚く供養したのでした。そんな彼らの厚意に、オールコックは救われる思いだったことでしょう。以来、彼の中にあった日本への悪いイメージは払拭され、彼は親日家となりました。
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熱海駅から15分ほど歩いたところに、小沢の湯というのがあります。
私と箔は以前にも訪れたことがあるのですけど、こちらには常に温泉の蒸気が沸いていて、そいつを利用してゆで玉子を作ることができるのです。
しかし、今回の目的地はその先にあるのですよ。小沢の湯からさらに西に歩いていくと………
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大湯間欠泉なるところに行き着きます。ただし、こちらの間欠泉は湯の勢いがなくなってしまい、今では人工的に噴射させているそうです。それでも、湯気は立ちのぼっていました。
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よく見てみると、その間欠泉の箔の後方に、何やら石碑みたいなものがありますね。
カメラさん、もうちょっとズームしてもらってもよろしいでしょうか? 
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そうしたら、オールコックが富士登山を記念して建てた碑と並んで、トビーのお墓がありました。オールコックはイギリスに帰ったのちにこの墓標を送り、熱海の人たちに建ててもらったそうです。そこには「かわいそうなトビー」と、英語で刻まれていました。
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私もこちらに大豆をお供えしたかったのですけど、出掛けるときに台所を探しても見つからなかったので、手ぶらのお参りでお赦しくださいませ。
そういえば、トビーの時代から見て未来(今現在)のワンコのおやつというのでもよかったような。そのような類いも持ち合わせていなかったので、重ね重ねお謝り申し上げます。
このあたりで、オールコックの話に戻ります。
愛犬トビーとの別れ以降にも、オールコックのまわりには血の気の多い侍はまだいて、1861年(文久元年)5月には攘夷派浪人14人がイギリス公使館を襲撃するという事件も起こりました。オールコックはそのときその場にいたのですけど、うまく隠れていて無事に生還。
しかし、その後も生麦事件や薩英戦争などが起こり、イギリスと日本の間に緊迫した空気が流れていました。
その間に、オールコックは祖国に帰国していました。イギリスの同士たちは「(日本人も含めた)東洋人は脅せばいい」と強固な対応をしようとしていたのですけど、オールコックは「彼らは革命期の混乱に巻き込まれているのだから、仕方がない」と言って、同士たちをなだめました。政界から退いたあとも、彼は著書などで日本の良いところを紹介したりして、日英友好の架け橋となりました。
そして、1897年にイギリスで死去。享年88歳。イギリス公使館の襲撃事件では命の危機にさらされ、まわりのイギリス人が悪く言っても、決して日本のことを嫌いにならなかったオールコック。私のほうこそ、彼にお礼を言いたいです。日本のことを好きでいてくれて、ありがとう。
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………なんて感慨に浸っているうちに、私たちは横浜に到着していました。
こちらに列車で来た理由は、皆さんにはもうお分かりでしょう。
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そうです
この日横浜そごうで開催されていた、スピッツクラブ展覧会に来たのです。この日は晴天に恵まれ、1年半ぶりに屋上で開催することができましたね。
その会場の様子については、次回レポートさせていただきます。
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「『そこの中2のアナタ』とは、もしやたつぴ君のことでは」と鋭く察した方は、こちらに投票してやってください。
今は運動の秋、行楽の秋、食欲の秋の真っ只中にいるのですけど、当箔日記では久しぶりに人物伝のネタをやってみようと思います。
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10月末の休日に、私はオールコックを探究するために未明からごそごそと旅支度をし始め、浜松発の始発列車に間に合うように、そちらの駅に向かいました。
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※箔君の名前を、無理やりトビーに合わせないでください。それに、ほとんどパロディーになっていませんし。(編集部注)
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列車が動き出したことですし、そろそろオールコックのお話をさせていただきます。
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オールコックことラザフォード・オールコックは、1809年にイギリスの医者の家に生まれました。彼はやがて軍医になり、その仕事で海外に多く派遣されたこともあって、さらに外交官に転職しました。
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一方、日本はイギリスとの間で1858年(安政5年)に日英修好通商条約を締結し、その翌年には長崎、神奈川、箱館の三港を開港しました。その頃、初代駐日総領事に任命されたオールコックは、そのまた翌年の1859年の6月に初めて日本の土を踏んだのです。さらにその年に、彼は特命全権公使に昇格することに。
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しかし、当時の日本には攘夷の風が吹き荒れていて、オールコックも含めたイギリス人は、外国人相手に抜刀する恐れのある侍のいるこの国に、野蛮なイメージを持っていました。それに加えて、慣れない国での公使の任務も。そういうこともあって、一緒にやって来た愛犬のトビーが、彼の心の支えとなっていました。
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とかなんとか私がオールコックのウンチクを垂れているうちに………
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列車の車窓から、最近冠雪したという富士山が見えてきました。
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日本人がどのくらいの覚悟でイギリスと向き合おうとしているのかを試すために、彼はそうしたのでした。果たして、日本人にとっては心のよりどころとなっている富士山に、外国人を登らせても平気なのか………
「そ、それはさすがに………
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とはいっても、日本側はイヤとは言えません。このようにして、オールコックの富士登山は実行されることになりました。
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しかし、当時は富士山の五号目までマイカーで上ったりできなかったので、麓から自力で登るしかありません。
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「ハア、ハア、……… 『登りたい』とは言ったものの、富士登山がこんなにキツいものだとは思わなかった
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このとき、彼の愛犬のトビーも一緒に登ったとも云われています。
その富士山に向かっているのか帰りなのか、とにかくどちらかの道中で、オールコックはある光景を目にしました。
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と、ここで私たちの乗った列車が熱海駅にたどり着きました。
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さらにオールコックの一行は、当時も温泉地として有名だったこちらの熱海に立ち寄ったのですけど、そこでアクシデントに見舞われてしまいました。彼の相棒のトビーが、突然吹き出した間欠泉の熱湯を浴びて、大やけどを負ってしまったのです。
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「トビー………」
オールコックは悲しみにくれていたのですけど、熱海の人たちはトビーの亡骸に大好物だった大豆を供え、お坊さんを呼んでお経をあげ、手厚く供養したのでした。そんな彼らの厚意に、オールコックは救われる思いだったことでしょう。以来、彼の中にあった日本への悪いイメージは払拭され、彼は親日家となりました。
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熱海駅から15分ほど歩いたところに、小沢の湯というのがあります。
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大湯間欠泉なるところに行き着きます。ただし、こちらの間欠泉は湯の勢いがなくなってしまい、今では人工的に噴射させているそうです。それでも、湯気は立ちのぼっていました。
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よく見てみると、その間欠泉の箔の後方に、何やら石碑みたいなものがありますね。
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そうしたら、オールコックが富士登山を記念して建てた碑と並んで、トビーのお墓がありました。オールコックはイギリスに帰ったのちにこの墓標を送り、熱海の人たちに建ててもらったそうです。そこには「かわいそうなトビー」と、英語で刻まれていました。
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私もこちらに大豆をお供えしたかったのですけど、出掛けるときに台所を探しても見つからなかったので、手ぶらのお参りでお赦しくださいませ。
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このあたりで、オールコックの話に戻ります。
愛犬トビーとの別れ以降にも、オールコックのまわりには血の気の多い侍はまだいて、1861年(文久元年)5月には攘夷派浪人14人がイギリス公使館を襲撃するという事件も起こりました。オールコックはそのときその場にいたのですけど、うまく隠れていて無事に生還。
しかし、その後も生麦事件や薩英戦争などが起こり、イギリスと日本の間に緊迫した空気が流れていました。
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そして、1897年にイギリスで死去。享年88歳。イギリス公使館の襲撃事件では命の危機にさらされ、まわりのイギリス人が悪く言っても、決して日本のことを嫌いにならなかったオールコック。私のほうこそ、彼にお礼を言いたいです。日本のことを好きでいてくれて、ありがとう。
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