波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

遅ればせながらの、伊賀忍者の里訪問記

2013-12-25 00:30:11 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
私が「かなり遅くなる恐れがあるのですけど、今年中には必ずやるので、どうか懲りずにお付き合いしてくださいませ。 と、皆さんにお約束してから約3ヶ月。続きを書くタイミングを外しまくり、あわやボツネタとして葬りさられるところだったのですけど、これを書き上げなければ年は越せん ………と、いうような流れで、この度なんとかまとめることができました。そんな感じで、私が三重県伊賀市にある伊賀鉄道の上野市駅に降り立ったところから、話を始めさせていただきます。 そこから5分ほど歩いていくと………



伊賀上野城に行き着きます。 こちらの城代屋敷の石垣も立派なのですけど、



本丸西側の高石垣は30mあまりもあって、全国で1、2を争うほどの高さを誇っています。 この写真を見ただけではあまり実感できないと思うので………



その石垣の上まで行ってみました。 それでも、「まだまだ」という人のために………
高所恐怖症の人は、ここから先は飛ばしてくださいね。



そこから下を覗いてみました。石垣の反りが、より高さを感じさせてくれますね。 伊賀上野城は、豊臣家の大坂城攻めに備えて、藤堂高虎が慶長13年(1608年)から筒井氏のお城を大改築して、現在見られるような規模にしました。しかし、工事が終わる前に大坂夏の陣で豊臣方が滅んでしまったので、ちょっと中途半端な造りとなっております。



高虎は、五層の天守を築いたのですけど、完成直前に暴風雨で倒壊してしまい、それ以来建てられることはありませんでした。 それから300年以上の時を経た昭和10年(1935年)に、この地方の名士だった川崎克氏が私財を投じて建てたのが、現在ある天守であります。
お城を訪問したからには、やはりそいつをバックにして記念撮影をしておきたいですね いつも通りに、三脚にカメラをセットして……… あれっ?なんかタイマーの調子が悪いような。 なかなか作動しない……… と思っていたら、しっかりと動いていたではありませんか とにかく急げ~



………と、猛ダッシュをしたのですけど、間に合いませんでした。 撮り直せばいいだけのことなのですけど、これもまた面白いので、そのまま載せさせていただきます。このお城訪問時の儀式(?)が済んだら、いよいよ天守の内部に入りますよ



川崎氏は「攻防作戦の城は亡びることはあっても、産業の城は人類生活がある限り不滅である」という信念で、この天守をあえて木造で建てました。また、この建物を「伊賀文化産業城」と名付け、模擬建築ではなく新たな築城と認識していたそうです。かつての五層天守よりは規模が縮小されてはいるものの、柱や梁は太く、内部には広い空間が広がっています。



そして、最上階にやって参りました。 その天井は格天井になっていて、そこを見上げると………



天守の完成を祝って、川崎氏と親交のあった著名人から寄せられた大色紙がはめ込まれています。 ちなみに、中央左の鷹(鳶?)は川崎氏自らが描いたもので、その隣の、月の水墨画はあの有名な横山大観の作品なのですよ。



もちろん、そこからの見晴らしもいいですよ 伊賀市の町並みや、遠方に伊賀盆地を囲む山々を臨むことができます。



そのお城の北側には、この地方出身の俳人・松尾芭蕉を祀った俳聖殿があります。こちらの建物もまた、川崎氏が私財を投じて昭和17年(1942年)に建てたものです。独特の外観は、旅姿の芭蕉をイメージしたそうです。しかし、前回私と箔母さんがこちらを訪れたときに、彼女は「この建物には霊的な何かを感じる」と言っていました。



その俳聖殿の隣には、皆さんお待ちかね(?)の忍者屋敷があります。 こちらの建物と、隣接する忍術体験館忍者伝承館をひっくるめて伊賀流忍者博物館を形成しています。ちょっと高めなのですけど、入場料の700円(ステージでの忍者実演ショーを観るには、さらに300円の追加料金が必要)を払って、中に入ります。



この忍者屋敷は、市内にあった下人の居宅を移築したもので、建物内ではあちこちに仕掛けられたカラクリを、現代の忍者のお兄さん(運がよければ、くの一のお姉さん)が案内してくれます。
どんでん返しは、あまりにも有名ですよね。お兄さんの忍者(略して『お忍さん』)が素早い動きでその向こうに姿を消してくれました。しかし、頻繁に使っていることもあって、手を掛ける位置が磨り減っているのですよ。



こちらの脱出口は特殊な仕掛けがされていて、普通に開けようとしても、ウンともスンとも言いません。しかし、厚紙のようなものをすき間に通すと、あら不思議!ロックが解除されて、見事に脱出できたではありませんか



さらに、一ヵ所だけ床板がめくれるところがあって、そこには刀剣などが隠してあるのですよ。このシステムは、ぜひウチにも造っておきたいですね。 しかし、どんでん返しと同じように、ヒミツの床板の部分だけが磨り減っています。



忍者屋敷から、順路は地下の忍術体験館に続いています。 そこには実際に使われていた手裏剣やまきびし、水くもなどの忍者の道具が展示されているのですよ。これらのような実物の忍者アイテムを見ていると、忍者は実在したんだなぁということを、つくづく実感します。

さらに順路を進んでいくと、今度は忍者伝承館に至ります。こちらの施設は蔵を改造したもので、忍者の生活の様子をメインにして展示されています。 それだけではなく、同じスペース内にあるNinja坊というお店では、ゴム製手裏剣などの忍者グッズが売られています。その中には、「忍者の衣装セット¥12,600ー」というのもありました。 ほ、欲しい………
しかし、あとになって冷静に考えてみたら、そのような衣装を着る場面がなかなか見つかりませんでした。 毎朝の箔の散歩のときに、その格好でいったら……… 道行く人に怪しまれて、通報される恐れが。 ならば、オフ会などのスピ行事に着ていったら……… さすがに、皆さんからドン引きされますよね。いや、むしろ「白黒茶々さんらしい」と言われるかも。しかし、こちらでも通報される恐れが。これはいけません。 あのとき、あの衣装を衝動買いしなくてよかったです。



その後、私はお城の近くにある旧崇廣堂(すうこうどう)に向かいました。 こちらは、江戸時代後期の文政4年(1821年)に、この地方を治めていた藤堂高兌によって創建された藩校です。現在でも、その主要部の建物が残っているので、ご案内いたします。



入母屋造りの大玄関を入ると、その頃(九月)の季節を感じさせる、ススキがいけてありました。 その東側には………



ひときわ大きな講堂があります。 そのたたずまいを皆さんにもお見せしたくて、外にいってしまいましたけど、こちらも中に入りますよ。



72枚の畳が敷かれたその内部はかなり広く、開放的となっております。 こちらの講堂も含めて、旧崇廣堂は昭和58年(1983年)まで、旧上野市の図書館として使われていたそうです。 白黒茶々さん、そこに佇んで何を思う?

………と、なんとか年内に今年最後のお城レポートを書き上げることができて、内心ホッとしています。 しかし、クリスマスや大掃除など、今年中にやらなければならないことはまだたくさんあります。それらはまぁこちらに置いといて(古い )、伊賀市はお城以外にも見どころがたくさんあり、いろんな面で楽しむことができます。 気になる方、興味を持たれた方がいましたら、ぜひ一度その城下町をご訪問くださいませ。それから、忍者服の有効な活用術をご存知の方がいましたら、ぜひご一報くださいませ。


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