波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

ついでのつもりの大坂城が………

2016-04-02 00:56:15 | Weblog
こんばんは、波ですワン。
みんな、聞いてなの~ ウチのお父さんったらねえ、朝早くからごそごそと支度をし始めて、なみとはく兄さんにさんざん期待をさせておきながらも、一人で行ってしまったのなの。



なみたちはテンションを上げていたのに……… なんか、手にせいしゅんなんとかいう切符を持っていたみたいですけど、どこに向かっていったのなの?


こんばんは、白黒茶々です。
ここからは、私がお伝えします。先に断っておきますけど、私は決して箔と波のことを見捨てたというワケではありません。 今回のお出掛けは、ちょっと過密スケジュールなうえにワンコ禁止のところもあるので、もともと彼らを連れていく予定はなかったのですけど、私の朝の動きを見て、勝手に盛り上がっていたのです。 それから私が手にしていたのは、JRの在来線に一日乗り放題することができる、青春18きっぷにございます。そいつを頼りにして、向かった先は………



前の日記でも触れた通り、大阪にございます。 今回は「あさが来た」で、より注目されるようになった五代友厚の銅像や、「真田丸」の終盤に出てくると思われる真田丸の跡を廻るために、この地を訪れたのでした。 それでもせっかくこの方面に来たのだから、それらの目的地に行く前にちょっと大坂城に寄っていくことにしましょう。 大阪駅から環状線に乗り換え、大阪城公園駅で下車して、歩くこと10分ほどで………



大坂城にたどり着きました。 ちなみに、私の目の前にある建物は、青屋門にございます。かつてはお城の搦手(裏口)だったところなのですけど、大阪城公園駅方面から行くと、こちらの入口がもっとも近いのですよ。青屋門は大阪大空襲で大破し、のちに部材の一部を使って復元したということもあって、文化財の指定から外れています。 そこを潜っていくと………



視界に、内堀と本丸の高石垣が大迫力で迫ってきます。 さらにそのお堀に沿って歩いていくと………



極楽橋の向こうに、復興天守が見えてきます。 こちらは、私からオススメのビューポイントでもあります。かつてこの地には石山本願寺があって、織田信長との攻防戦が繰り広げられていました。その後、信長はお寺の跡に新たな城を築き、安土から移ることを目論んでいたのですけど、天正10年(1582年)の本能寺の変で命を落とし、叶いませんでした。



彼の意志を受け継いだ羽柴(豊臣)秀吉は、天下統一だけではなく、大坂での築城も進めました。工事は翌年から始められ、総石垣造りの堅固な構えに、外観5層内部8階の豪華絢爛な天守がそびえ立ちました。 しかし秀吉が築いた大坂城は、現在は地上にはまったく残っていないのですよ。



大坂城は、2度目の大坂の陣で落城し、その際にほとんどの建物は灰塵に帰しました。 その後、徳川幕府はその権力を示すために豊臣時代の大坂城を完全に覆いつくすほど盛り土をして、高い石垣を築き上げました。



さらに、今の復興天守が聳え立っている天守台の上に、外観5層内部6階の白壁の天守を築き、屋根には金のシャチホコを乗せました。この天守の行く末については、後ほど説明させていただきます。



私は京橋口からいったんお城の外に出て、西の方に歩いていきました。その西の丸の石垣の上に見えるのは、乾櫓(いぬいやぐら)にございます。 ちなみに、乾は西北の方向のことを意味しています。この櫓は元和6年(1620年)に建てられ、L字に折れたような形をしています。



さらにお堀に沿って大手口をやり過ごし、南側にまで足を伸ばすと、今度は2層の六番櫓が見えてきて………



玉造口の手前には、六番櫓よりやや小さめの一番櫓が聳え立っています。 かつては二の丸の南側の塁上には、一番から七番までの櫓が連なっていたのですけど、明治の動乱や大阪大空襲で焼失し、現在は一番と六番の2棟だけが残っています。これらを含めて大坂城には現在、10つの重要文化財の建物があるのですけど、そのうちの3棟の内部を特別に公開しているというのですよ これはぜひ見ておかなければ。

ちなみにその対象となっているのは、焔硝蔵(えんしょうぐら)、千貫櫓(せんがんやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)であります。さらにそのうちの焔硝蔵と千貫櫓は、有料ゾーンとなっているこちらの西の丸庭園の敷地内にあります。 そういえば、これまでに私は大坂城には10回以上は行ったことがあるのですけど、この領域に入るのは今回が始めてとなります。西の丸庭園の入場料は、通常は200円なのですけど、今回は「大坂城の櫓(重要文化財)内部特別公開」の700円の中に含まれていました。

その西の丸に造られた大阪迎賓館には、あるもののレプリカが展示されているそうです。 せっかくなので、そちらのほうも見ておきましょう。気になるそのあるものとは………



豊臣秀吉が造らせたという、黄金の茶室であります その脇には、おもティなっしーなるキャラクターも座っておりますよ。



その迎賓館のすぐ近くには、今回の内部特別公開の対象の1つとなっている、焔硝蔵があります。いわゆる火薬庫で、試行錯誤の末に元禄4年(1691年)にこのような姿で完成しました。



その内部は、貯蔵するものが危険物ということもあって、壁、床、天井のすべてが石造りで、頑丈な構造となっております。ただし、トンネルのようになっていることもあって、ついスルリと通り抜けてしまいました。
その西の丸は、芝生が敷き詰められた広大な空間となっています。その向こうに、いい感じで大々的に復興天守が見えていたので………



それらの風景の中で、私は今流行りの「琴バウアー」のポーズで記念撮影をしてみました。 いや、この場合は「茶々バウアー」か それよりも、我ながら体が固くて、いまいちバウアーになっていないような………



それはさておき、今度はこちらの千貫櫓の内部を見学することにしましょう。石山本願寺の頃からこのあたりには戦略的にも重要な櫓があって、織田信長は「あの櫓を落とせるのなら、千貫あげても惜しくない」と言ったことから、この名前があります。 気になるその内部は………



数コに仕切られた部屋を、武者走りと呼ばれる廊下で囲っていて、さらにそこには鉄砲狭間や石落としといった防御の設備も備えられていました。 安全上の都合から二階は非公開でしたけど、櫓にしてはかなり大規模であります。



その千貫櫓と並んで現存しているのは、大坂城の正門となる大手門と………



そこを潜ったところに構えられている、多聞櫓の建物。そのうちの多聞櫓は落雷で焼失し、かなり長い間土台だけの状態となっていたのですけど、江戸時代後期に募金を募り、嘉永元年(1848年)にようやく再建することができました。 もちろん、その内部もしっかりと見ておきますよ



入ってすぐのところから多聞となっていて、向こうが見えないくらい長い廊下が続いていました。 さらにその廊下に沿って、武器庫や兵士の詰め所となる部屋が並んでいました。その突き当たりには、大手門と一体となって桝形を形成している渡り櫓の大空間が………



………って、なんか心霊現象でいうところの、オーブが飛んでいるのですけど。 ただし、続けて撮ったもう一枚のほうには写っていませんでした。
※それなら、怖くないほうを載せておいてくださいよ。(編集部注)



諸々の櫓の内部巡回が済んだら、いよいよお城の中心となる本丸に突入しますよ いや、その前にその手前の豊國神社にある、豊臣秀吉像を仰ぎ見ておきましょう。こちらのほうで彼は「太閤さん」という名で慕われているのですけど、大阪にはこれ以外に彼の像はあるのでしょうか?



それはまぁ置いておいて、明治時代の復元ながらも重要文化財に指定されている桜門を潜ると………



城内最大となる蛸石があります。ちなみにその大きさは、36畳敷きで重さは約100トン 抱き締めにいった私の大きさとも比べてみてください。それにしても、このあたりは人の往来が多かったので、うまく途切れるまで何枚撮ったことでしょうか。



その本丸跡には、金蔵の建物がひっそりと現存していて、それを見下ろすようにして………



復興天守が聳え立っています。 徳川幕府が建てた5層白壁の天守は、完成から36年後に落雷によって焼失してしまいました。 それから江戸、明治、大正にわたって天守のない状態が続いたのですけど、昭和6年(1931年)になって、大坂の陣の様子を描いた黒田家屏風などを参考にして、徳川時代の天守台の上に豊臣時代のものを模して鉄筋コンクリート製のエレベーター付きで建てられたのが、この天守にございます。しかもこちらの建物は、登録有形文化財に指定されているのですよ



今回は復興天守に入るつもりはないのですけど、そこへと入場待ちの長蛇の列ができていました。 もともと大坂城は人気のあるお城だったのですけど、昨今のお城ブームでさらにカサが増したみたいです。それに加えて、外国人観光客も大勢来ていましたし。そうしたら、いい思い出を作って母国に帰り、さらにそちらでは日本のお城の素晴らしさを伝えてくださいませ。
そうしたら、今度は私が本丸で羽生くん………



いや、人が大勢いるので、やめておきます。 ということで、復興天守を本丸の北側の山里丸側から眺めてみました。こちらからは、けっこう迫力がありますね。



豊臣時代から、この位置にあったという山里丸。大坂夏の陣で追い詰められた淀殿と豊臣秀頼は、このあたりで自害したそうです。 そういうこともあって、現在ではその一角に「秀頼・淀殿ら自刃の地」の石碑が建てられています。



悲劇の地にもなった大坂城は、現在は市民や観光客の憩いの場となっています。さらに、桜の名所にも。3月21日のこの日には、少し開花が始まっていました。
といったトコで、私は今度は真田丸があったという場所に行ったのですけど、その様子については次回伝えさせていただきます。

※「大坂(おおざか)」は明治になってから、縁起などの理由から「大阪(おおさか)」と改められました。そういうこともあって、それ以前からあったお城は敢えて旧来の表記の「大坂城」としてみたのですけど、その一帯に整備された現在の公園は「大阪城公園」と呼ばせていただきました。(編集部注)


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