波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

新城・作手の廃校めぐり

2023-09-23 00:58:16 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私はとともに新城市に来ています。 医王寺さんでのミッション(?)をクリアした私たちは再び車に乗り込み、そこから近いといえなくもないところにある………

とある民間企業の工場の前にやって来ました。 「向こうに続いている玉石垣や植え込みに独特の雰囲気がある」と思われたそこのアナタは、なかなか鋭いです すでに今回の日記のタイトルにヒントが出ているのですけど………

こちらはかつて、鳳来町立長篠小学校があったところであります 明治6年(1873年)に長篠村立長篠小学校として開校。 昭和44年(1969年)に近隣の小学校と統廃合して閉校しました。

現在、学校の跡は前述の工場の敷地となっているのですけど、校門などはそのまま残されています。 長篠小学校があった証を見れるようにしておいてくれて、廃校や遺跡が好きな私にとっては、とても有難いです。

その門や玉石垣の内側には、このような怪しい……… いや、何かの創作物があるのですけど、これは小学校の頃からのものでしょうか?
長篠小学校に思いを馳せたあと、私たちは国道301号線を走っていき、峠を越えて旧作手(つくで)村に突入しました。 その地域に行くのは昨年の8月以来なのですけど………

保永カドというところからは脇道に入っていきました。 この道は、県道を冠するワリにはかなり細くて険しいですね。 「この道で合っているのかな?」途中で心配になって、スマホの地図情報を見ようとしても、すでに電波が届いていませんでした。 そうしているうちに………

私たちは見代(けんだい)という地区に行き着きました。 巴川の清流沿いには、静かな集落がありました。

波と狛の後ろには、またしても雰囲気のある茂みが見えますね。 この大木は見代のオハツキイチョウで、その雄株は全国で3つしかない貴重なものであり、新城市の天然記念物に指定されています。

その内側に廻ってきました。 あまり広くはないのですけど、何かの跡のように見えませんか? 実はこの場所には………

作手村立旭小学校があったのですよ 石碑の文字は読みにくいのですけど、「旭学校跡」と刻まれています。 明治25年(1892年)に旭尋常小学校として創立。昭和36年(1961年)に近隣の小学校と統廃合して閉校しました。

せっかくなので、もう1ヶ所この地区にあるスポットに寄らせていただきます。 波狛ちゃの前に聳える深みのある建物は………

見代発電所の跡であります こちらは愛知県で2番目にできた水力発電所で、明治41年(1908年)に送電を開始しました。

その建物の下には、排水口が残っています。 見代発電所は昭和34年(1959年)にその役割りを終え、以降は茶工場として活用されたのですけど、現在は空き家となっています。 私たちはさらに車で東の方に向かっていき………

距離にして2.6km、時間にして7分程で作手農村環境改善センターにたどり着きました。 現在はまわりに民家が1軒もない山間部のこの場所は………

かつて作手村立作手南中学校があったところなのですよ 昭和22年(1947年)作手第二中学校として開校。 さらにその翌年に、作手南中学校と改められました。

センターの敷地内に、中学校の痕跡があるのは嬉しいですね。 作手南中学校は昭和49年(1974年)に作手中学校と統合し、閉校しました。 あともう1ヶ所、廃校に寄っていってもいいでしょうか? 「ダメ」と言われても、私はすでに行く気マンマンなのですけど。 それは話の流れもあって、先ほど素通りしたところにある………

新城市立協和小学校跡でした 立派な校門は昔からのままで………

せっかくなので、校名が見えやすいところまでズームしてみました。 協和小学校は、私たちが先ほど立ち寄った旭小学校が他の2つの小学校と統合して、昭和36年(1961年)に創立しました。

校門を通ってすぐに、体育館が見えてきました。

校歌が刻まれた石碑もありますね。 緑豊な環境の中で、伸びゆく子供たちのことを思い描いた、素晴らしい歌詞です。 そうしたら、今からこの校歌を歌ってみましょう さあ、パソコンやスマホの前の皆さまもご一緒に さん、はいっ
……………… え~と、この校歌の曲をご存知の方はいらっしゃるでしょうか?

それはさておき、多少草が生えてきてはいるものの、広いグラウンドは昔のままでした。

その片隅には、遊具や………

飼育小屋もありますね。 実は私は小学生の頃はいきものがかり、いや、飼育委員会に入っていて、小屋の掃除や動物の世話をしていたのですよ。

しかし、こちらの小学校は今から10年前の平成25年(2013年)に巴小学校と統合して、閉校してしまいました。 それから時が止まったかのように静寂に包まれている協和小学校。

校舎や石碑に掲げられている「伸びよ杉の子元気よく」のスローガンが、寂しく思えてしまいます。
以前は旧作手村には4つの小学校があったのですけど、平成25年に2つにまとめられ、さらにその4年後に村の中心部にこの地域で唯一となる新城市立作手小学校が開校し、今に至ります。

協和小学校跡の裏山には、兒神社が鎮座しています。 私は下調べをしている段階から、廃校と合わせて寄っておきたいと思っていたので、この神社を参拝して今回の日記を締めさせていただきます。 そのためには、鳥居の向こうまで続く幅が狭くて急な階段を上っていかなければならないのですけど、これがけっこう大変でした。

ハアハア……… やっと社殿に行き着きましたよ。 こちらの神社の祭神は大気津姫命(おおげつひめのみこと)です。 さらに上に続く石段があったので、上っていったら………

お地蔵さん……… とは違う石の神様が鎮座していました。 丁寧に、赤い前かけがされておられる。 もしかして、大気津姫命でしょうか? 何にしても神聖であることに間違いはないので、手を合わせておきました。
現在の時刻は12時ちょっと過ぎ。 朝にはTKGMをがっつり食べたのですけど、いい運動をした(?)こともあって、そろそろ小腹が空いてきました。 ということで、次回は作手のとっておきのグルメ情報などもお伝えいたします。


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 実は協和小学校の校歌を歌えていたという、物知りな方は、こちらに投票してやってください。


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