波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

作手のお寺とカフェと城跡

2023-09-27 01:08:02 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の途中から、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、新城市の旧作手(つくで)村に来ています。 この地域は標高が高く、夏場でも暑さが和らぐハズなのですけど、この日はその原則が通用しないぐらい暑かったです。 そのような中で、廃校めぐりシリーズを終えた私たちは………

その地域の中心部に近いといえなくもないところにある、甘泉寺さんに来ました。 こちらのお寺は、応安3年(1370年)に臨済正宗22世弥天永釈大和尚によって開山されました。 山号は翔龍山で、本尊は釈迦如来。

立派な本堂には、冬の凍結に強い赤瓦が葺かれていました。

さらにその近くには、コウヤマキの巨木が聳えていました 樹齢は600年以上で、樹高は27m。 昭和47年(1972年)に国の天然記念物に指定され、さらに「作手村の木」、「新・日本名木百選」にも選ばれました。 一昨年の台風で被害を受けたのですけど、樹勢は回復しつつあります。 さらにその脇には………

鳥居強右衛門勝商のお墓があるのですよ 彼は天正3年(1575年)5月に、長篠城武田勝頼軍に包囲された際にお城を脱出し、岡崎の徳川家康に援軍を要請したのですよね。 その報告をするために戻ってきて、長篠城を目前にしたところで、武田側に捕えられてしまいました。 勝頼は「『(城兵に)援軍は来ない』と言えば、命を助けて褒美もやろう」と持ちかけたのですけど、強右衛門は「援軍は向かっている、もう少し持ちこたえられよ 」と叫んだのです。 その後、激怒した勝頼によって磔にされ、命を落としてしまうのですけど、織田信長は強右衛門の活躍に感銘を受けて、甘泉寺にこのお墓を建立しました。

長篠城に近い新昌寺にも立派なお墓があり、そちらには私たちは参拝済み。 こちらは今回が初めてとなります。 それよりも、隣は夫人のお墓って、強右衛門は結婚していたのですか しかしよく考えてみたら、強右衛門には信商という倅がいて、その家系は現在も続いているみたいですし。 そんな鳥居強右衛門に思いを馳せてから、私はいよいよ楽しみにしていたカフェに向かいました。

………ということで、やって来ましたよ 恋して!宇宙少年 CAFEさんに。 私たちがこちらを訪れるのは、昨年の8月以来となります。 実は前回の日記の最後で兒神社を参拝した時に、私は空腹を感じていました。 しかし、12時台の混雑を避けるために、間に甘泉寺さんを挟んだのでした。

こちらのカフェは名前だけではなく、店構えもインパクトありありです。 また、私たちが再訪するまでの間に、「CURRY」とか「COFFEE」という看板が増えていますし。 さらに、新たに外のトイレも設けられていました。 外のテラス席ならワンコと一緒に利用できて、その際にはお店の窓口でメニューの注文と支払いをするシステムとなっています。 そこでオーナーが対応してくれたのですけど、なんと彼は私たちのことを覚えていてくださったのですよ 波と狛にも優しくしてくれて、とても嬉しかったです。

料理は席まで運んできてもらえるので、それまでゆったりと待つことにしましょう。

その駐車場に止まっている車をよく見てみたら、スープラ率が高いような。そのことをオーナーに聞いてみたら「ここはスープラの聖地になっている」と仰っていました。 スープラに乗っている方がいましたら、是非恋して!宇宙少年 CAFEさんへ

とかなんとか言っているうちに、お待ちかねのメニューが来ましたよ 見た目からして強烈なこちらのメニューは、丸ごとニンジンカレー(1200円)にございます。 ニンジンは原形を保っているように見えますけど、調理の手が加えられていて、葉っぱは後付けとなっていました。

よく見てみたら、フォークとスプーンも特別仕様で、オリエンタルな顔が付いておられる それらを使って、いよいよ丸ごとニンジンカレーを食べますよ はむっ
स्वादिष्ट(スヴァデシト)!
※もうそれはいいから。 ちなみに茶々さんはインドで使われているヒンディー語で「美味しい」と言っています。

ニンジンはスプーンで簡単にほぐれるほど柔らかく煮込まれていて、その甘さとやや辛めのカレーとの相性もバッチリ これはインパクトだけのメニューではありませんでした。 この他にも大きなナスが乗っかった、つくで高原ナスカレー(1000円)も気になりますし。 また近いうちに波と狛を連れて、恋して!宇宙少年 CAFEさんを訪れたいです。

その後、せっかくなので通り道にある新城市作手歴史民俗資料館に寄っていきました。 こちらは入場無料で………

作手地区の歴史や自然を紹介する資料館であります。 しかし、波と狛を車の中で待たせているので、駆け足で館内を回ってきました。 そのあとも私には時間と余力があったので………

道の駅つくで手作り村の近くにある、亀山城跡も行っておくことにしました。 こちらは道の駅の裏側に登り口があって………

遊歩道もきれいに整備されていました。 この画像に「ハアハア……… 」という私の息切れを載せることを覚悟していたのですけど、それほど険しくありませんでした。

間もなくして、空堀の跡や………

西曲輪の跡が見えてきて、それらを通過したら………

本丸の入口に差し掛かりました。 登り口に「本丸まで90m」と表示されていたのですけど、それよりも短く感じました。

………ということで、本丸跡にたどり着きましたよ 亀山城は応永31年(1424年)に奥平貞俊によって築かれました。 以後も奥平氏はこの地方を治め、武田勝頼軍に包囲された長篠城で奮闘した奥平貞昌(のちの信昌)は、貞俊の子孫になります。 関ヶ原の戦い後は松平忠明が城主になったのですけど、慶長15年(1610年)に忠明が伊勢のほうの亀山城に移封された後は、廃城となりました。

それでも、城跡の保存状態はよく、本丸を取り囲む土塁も良好な状態で残っていました。

さらに、麓からもよく見える「亀」「山」「城」「趾」の看板のあたりからは………

まわりの山々や作手の田園風景、それに前回こちら方面に来た時に訪れた新城市立作手小学校南校舎跡(旧乾小学校)などを臨むことができました。 私たちが旧作手村を散策するのは今回が2回目となるのですけど、新たな発見がたくさんありました。 また、同じところを訪れたとしても、前とは違った見方ができるかも知れません。 さらに、ともに夏場の訪問となったのですけど、違う季節ではその風景が変わっているかも知れませんね。 ということで、またの機会を楽しみにしています。



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