こんばんは、白黒茶々です。
日本最大の規模を誇る江戸城を散策し、その疲れと空腹を癒すためにさぼうる2さんを訪れた私。 ところが、そのお店には臨時休業という(私にとっては)あまりにも残酷な告知が張り出されていたのでした。
胃袋はすっかり受け入れ態勢になっているというのに………
どうする、どうなる白黒茶々さん
「さぼうる2さんがダメだったら、せめてさぼうるさんのほうでドリンク類を飲んで、一息入れていくようにしよう 」
………と、瞬時に気持ちを切り替えたのに、姉妹店どうしということもあって一蓮托生でした。 この日は私は午後からも東京見物で巡るところがあるので、いつまでもここで打ちひしがれている場合ではありません。
そういえば、この東京神田神保町は「カレーの街」とも云われていましたよね。
そこで急遽、カレーのお店を調べたら………
さぼうるさんから近いといえなくもないところに、スマトラカレー共栄堂さんというお店を見つけました もう迷いません
今回はこちらでお昼を食べていくことにしましょう。
共栄堂さんは大正13年(1924年)に創業した老舗で、現在はビルの地下1階にあります。
カレーの専門店ということもあって種類は少なく、カレーで勝負しているのが伝わってきました。 それらのメニューの中で、私はポークカレー(1100円)を選びました。
コーンがベースの野菜ポタージュスープも付いてきて、メインのカレーはカレー皿に入ってくるスタイルですね。
秘伝の20種類のスパイスと野菜のブイヨンを合わせたソースは濃褐色をしていて、一緒に煮込んだ豚肉は柔らかくて独特の風味がありました。
それらを平らげ、コップの水もガブ飲みしてから、再び地下鉄に乗って新宿区の落合南長崎駅まで行きました。
次の目的地は、そこから歩いていけるところにある………
豊島区のトキワ荘跡地でした トキワ荘といえば、マンガ家にとっては聖地と言ってもいいところですよね。
豊島区椎名町5丁目(現在の南長崎3丁目)のこの地に、昭和27年(1952年)に木造2階建てのアパートの上棟式がおこなわれました。
同じ年に上京した手塚治虫先生は、当初は新宿区の八百屋の2階に下宿していたのですけど、昼夜を問わない編集者の出入りの激しさに、お店の主人から苦情を言われるようになりました。
そのような中、学童社の紹介で新築したばかりのトキワ荘に移り住むことに。
これを皮切りにして、学童社は自社の雑誌に連載を持つ漫画家を次々とそのアパートに入居させました。
トキワ荘は新人が切磋琢磨したり、原稿を落としかけた仲間を助けたりする場となり、漫画家の間でコミュニティーが生まれました。 しかし老朽化のために、上棟から30年後の昭和57年(1982年)に解体。
現在はその跡地に、トキワ荘の建物を模したモニュメントが建てられています。
その界隈には、藤子不二雄(分裂前)などのトキワ荘の住人がよく利用していた松葉さんという中華料理店が、今でも営業していて………
戦後マーケットの味楽百貨店の建物を利用した、トキワ荘通り昭和レトロ館も気になるのですけど、今回は素通りしていき………
南長崎花咲公園(トキワ荘公園)にやって来ました こちらにもトキワ荘のモニュメントがあるのですけど、そのアパートの住人となった漫画家たちの名前も刻まれています。
手塚治虫先生を筆頭にして、寺田ヒロオ先生、藤子・F・不二雄先生、藤子不二雄Ⓐ先生、鈴木伸一先生、森安なおや先生、石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生、水野英子先生、よこたとくお先生、……… と、漫画界のレジェンドが揃っています。
さらにこの公園の一角には………
トキワ荘を再現する形で、豊島区立トキワ荘マンガミュージアムが建てられているのですよ 3年前に開館したばかりなのに、物凄くレトロ感が漂っています。
その手前には、昭和チックな電話ボックスも立っていますし。
そうしたら、味のある「トキワ荘」の看板を仰ぎ見ながら入っていきますよ 順路は2階からとなるので、きしむ音が出るところまで再現された木の階段を上っていったら………
いきなり私の視界に便所が飛び込んできましたよ 便器のシミまでリアルで、かつては強烈なアンモニア臭がしたそうですけど、令和のトキワ荘のものはあくまでも複製なので、臭いません。
また、その隣には………
こちらも共有スペースの、炊事場となっていました。 汁が残ったどんぶりや、置きっぱなしの徳利などから、生活臭が漂ってきました。
先生方の個室も再現されていて、一部は撮影可能となっていました。 こちらは18号室で、山内ジョージ先生のお部屋です。
石ノ森章太郎先生がアシスタント用にしていた仕事部屋とのことです。
それにしても、四畳半の和室はなんとなく落ち着きますね。
こちらの19号室は、水野英子先生のものです。 柳行季のスーツケース1つで入居してきたということもあって、家具は少ないです。
一方のこちらの20号室は、タンスやテレビ、オーディオなどが所狭しと置かれています。 こちらは鈴木伸一先生、森安なおや先生、よこたとくお先生の部屋を時期的に入れ替えているそうですけど、この時はどの先生の仕様となるのでしょうか?
また、この頃は永井豪先生の企画展がおこなわれていたこともあって………
一室に記念撮影用の顔出しパネルがあったので、溶け込んでみました 永井豪先生といえば、代表作に「デビルマン」や「マジンガーZ」がありますね。
そのうちの………
「デビルマン」の原画や資料が、1階の企画展示室に並べられていました。 2階とはうって変わって、こちらは近代的な内装となっているのですけど、撮影禁止。
企画展の入口だけが、撮影スポットとなっていました。
私は小さい頃にリアルタイムで「デビルマン」のアニメを観ていた世代なのですけど、それは異色のヒーローで、ハッピーエンドにはならない作品でした。
しかも、地獄耳でしたし。絵のタッチも怖くて、どんなコワモテの方が描いているのかと思っていたら……… 温厚そうなお顔をしていました。
しかも永井先生は、77歳の現在も連載を持っているというではありませんか
一方の企画展の後半は「マジンガーZ」となるので、気になる方はトキワ荘マンガミュージアムにお越しくださいませ。
私がトキワ荘関連のスポットを見終えたら15時半近くになっていたのですけど、あと1ヶ所どうしても寄っておきたいところがあったので、強行することにしました。
ということで、地下鉄や西武鉄道を乗り継いでいき………
大泉学園駅で降りていきました。 そうしたら、いきなり「銀河鉄道999」の車掌さんが出迎えてくれましたよ
そういえば、この駅を出る列車の発車メロディーも、そのアニメのものだったような………
駅を出たところには、「銀河鉄道999」のメインキャラのメーテルと星野鉄郎少年の銅像がありましたよ
さらに、「あしたのジョー」の矢吹丈や………
「うる星やつら」のラムちゃんも、いたっちゃ あとになって知ったのですけど、昭和33年(1958年)にこの町で日本で初めてのアニメとなる「白蛇伝」が製作されたことから、大泉学園は「日本アニメ発祥の地」と呼ばれるようになったそうです。
さらに「銀河鉄道999」が作られたり、その作者の松本零士先生が住んでいたりしたみたいで。
あと、アニメの作画監督を生業としている私の年上の義理の弟も、駆け出しの頃はこの町に住んでいた、と。
何の予備知識も持たずに来てしまったので、私が大泉学園に来た目的はアニメ関連ではなかったと、お察しくださいませ。
ということでGoogle Earthを頼りにしつつ、入り組んだ道や住宅地を12分程歩いていったら………
今回の最終目的地となる、練馬区立牧野記念庭園にたどり着きました 緑が豊かなこの場所は………
植物学者の牧野富太郎博士の邸宅と庭があったところです。 彼は大正15年(1926年)から昭和32年(1957年)に亡くなるまでの30年あまりの間、この地で過ごしました。
牧野博士といえば………
現在放送されているNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公・槙野万太郎(神木隆之介)のモデルとなった人物であります。
牧野博士は文久2年(1862年)に土佐(高知県)の佐川村で造り酒屋の長男として生まれました。 幼い頃に両親を亡くし、その後小学校を中退。
明治17年(1884年)に植物の研究をするために、上京しました。
若い頃は、神木君の配役がピッタリなぐらい男前ですね。
記念庭園の一角の、かつて邸宅があったところには記念館が建てられていて、牧野博士の経歴を記したパネルや、直筆の植物画、植物の採集で使った胴乱、博覧会で購入したドイツ製の顕微鏡などが展示されています。 それらのアイテムは、朝ドラにも出てきましたね。
それに、植物にかける情熱と陽気な性格は、ドラマとまったく一緒ですし。
さらに園内には、牧野博士の書斎と書庫の一部が、鞘堂に囲まれて大事に保存されています。 ドラマの放送開始に合わせて、当時の書斎の様子を再現したそうですけど、足の踏み場もないぐらいの、おびただしい量の書籍の数です。
牧野博士は、採取したり知人から取り寄せたりした植物を庭に植えて、「わが植物園 」と言って大切に育てました。
その研究は晩年まで続き、現在でも季節の花を見ることができます。 牧野博士のことをより知ることができて、これほど充実した施設が入場無料とは、なんてありがたいことでしょうか
しかし、私が訪れたのは閉館時間の30分ちょっと前だったので、大急ぎで廻らなければなりませんでした。
そんな牧野記念庭園の片隅には………
笹に囲まれた、牧野博士の胸像がありました。 実はこの笹は………
牧野博士が発見した新種で、ドラマのネタバレになったらいけないので多くは言えないのですけど、彼にとって大切な人物でもある寿衛子さんにちなんで「スエコザサ」と名付けました。 万太郎と、浜辺美波さん演じる寿恵子との恋の行方も、気になりますね。
帰りはこだま号に乗ったこともあって、牧野記念庭園を出てから4時間半ほどかけて帰宅。 今回の東京見物は欲張り過ぎただけあって、歩いた歩数は3万歩。距離にしたら、23kmにもなりました。
おかげでしばらく筋肉痛が続き、久しぶりに足の裏に豆を作ってしまいました。
そのぶん充実していたのですけど、牧野博士も大好きな植物を求めて野山を歩き回ったので、94歳まで長生きできたのでは?と、思いました。
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