4月29日(火) 昭和の日
濃厚!うどんツアー第2弾
昨年9月に実施したうどんツアーからはや半年が経ちました。前回参加者達から2回目の実施を望む声が高まり、GW前半のイベントとして行われる運びとなりました。
ツアー第1弾の模様→http://blog.goo.ne.jp/hally583/d/20071007
本日は、ほぼ全回と同じ職場の面々で、再訪の希望が極めて高い谷川米穀店を手始めに前回のツアーで漏れたうどん店を巡る予定です。もちろんガイドは<自称料理研究家>「N田女史」で、前回以上にさぬきうどんのDEEPな世界に我々を案内してくれるはずです。
海陽町を早朝出発し、途中で合流する参加者を加えつつ、徳島自動車道に入り、西へ向かいます。高速道路上では後ろから黄色のサインを点滅させた公団のパトロール車がぴったりついて、事故現場に急行するので道を譲るようスピーカーで呼びかけられました。が、間が悪い事に、ちょうど山岳区間を走行中でトンネルと高架の繰り返しの片側1車線対面区間でした。車を避ける路側スペースもない。ハンドルを握るN田女子は「どーすればいいのー!」とハンドルを握りしめパニック状態に。ここでよけるわけにいけません。「前の車!この先の橋梁で寄って下さい!」と後ろの車が呼びかけます。がN田女子は何故か橋梁を通り越しひたすらアクセルを踏み込みます。しばらくの間、公団車とのチェイスが続きます。ようやく追い越し区間となり、公団パトロール車は、今までの遅れを取り戻すべくフルスピードで駆け抜けていきました。N田女子に聞くと!橋梁とは聞こえずに、この先の峠と聞こえたそうです。「何時まで行っても峠が無いので焦った・・・」と言っていました。でも後ろの公団パトロール車も、いつまで経っても前の車が譲ってくれないので焦ったと思うのですが・・・
こんな事もありましたが、前回同様、美馬ICを降りて進路を北に取り長いトンネルを抜けると、もう香川県!そして県境から程近い所に、なつかしい谷川米穀店がありました。
第1店目 谷川米穀店
10時前に到着。前回同様のどかな自然の中に川沿いにその店はありました。が、前回来たときと様子が違う!違いすぎる・・・・!すでにものすごい人の列が出来ている!数えたとろ、我々で先頭から60番目くらい。何時になったら食べられるのか、不安を覚えます。結局およそ50分待って入店でき、私は<かまたま小>を注文します。これから他の店も廻るので、ここは小にしておきます。直属上司のOさんは豪快?に<かまたま大>を注文。 N田女史は<かまたま小>を注文した後、同じモノをおかわりします。私が「どうして最初から大を注文しないの?」と聞くと、彼女は「<かまたま大>では玉子と麺の量のバランスが悪くなるので小をおかわりする方がベターな選択ですよ!」と料理研究家らしいアドバイスを寄せてくれます。どうせなら注文前に聞きたアドバイスですが・・・・。とにかく白い柔らか麺に醤油(だし入り)を掛け辛子みそをひとさじ入れた後、玉子と一緒にかき混ぜて準備完了。静かに麺をすすります。その瞬間、ここに来るまでの全ての苦労が報われたことを知ります。通勤電車並みに混雑する小さな店内は非常にざわついていますが、このうどんを食べている一瞬に関しては、雑音は聞こえてきません。ただただ舌と喉ごしでうどんを味わいます。
小麦粉高騰の影響を受け、値段は前回来た時より上がっていますが、この味なら1000円出しても惜しくは無い!
我々が食べ終えて店を出る頃、行列は橋を越えはるか国道まではみ出していました。最後尾の方が食べられるのは2時間後くらいでしょうか・・・!正直、彼らに対して少しの優越感をかんじます・・・・。「がんばれよー!君たち。」 心が少し病んでるのかな・・・。私って・・・
第2店目 三島製麺所
3月16日(土)
こんな私でも、時に日本の将来について考えたくなります。そんなわけで、前々政権下で大臣を務めていた竹中平蔵氏の講演を聴きに行きました。
会場のアスティ徳島は、結構人が入っています。新聞報道では2000名ほど来場したそうです。1時間ほどの講演は手慣れたもので、上手かったです。当たり前でしょうが・・・・。
内容は、後日地元紙に要約が掲載されていましたが、何故か2点が抜け落ちていました。
1つ目は、最近この国の人々は、何か起きると必ず誰かのせいにしようとして思考停止に陥っている事が多いのではという指摘。私も、ここは同感です。
2つ目は、マスコミについて。「何か事件が起きると小泉・竹中の時代から日本がおかしくなったと言って強引に結びつけようとする人がいることで、最近も、比内地鶏偽装事件発覚時に、小泉・竹中政権下で日本人の倫理観が無茶苦茶になってしまった。困ったモノだとコメンテーターがしたり顔で発言しているのを聞いて思わず椅子からずり落ちたそうな・・・。というのも、偽装は遙か昔の村山内閣の時に始まっていたのに・・・。」マスコミに対する恨み節が、最後に出て、お開きとなりました。
さて、昼飯時になりましたので、会場近くのラーメン店、「古家」に入ります。肉入りを注文しました。
昔からある標準的な徳島中華そば。雑味は無くあっさりしています。濃厚系の味が幅を効かせている昨今、この味は貴重だと思います。とは言え、店の人が「濃いめが好きでしたら、<たれ>(カウンターに置いている)を入れてください」と言われた事から、最近のお客の嗜好を店側も認識しているのでしょう。でもすべての中華そばが、こってりになってしまうのは困ります・・・・。
結局、日本の将来の事より、徳島の中華そばの将来を考えてしまう、春の休日でありました。
2月14日(木) 世の中はバレンタインデーでも・・・
2月14日に休暇をいただきました。1月の入院から一ヶ月たち、その後の経過を見るため、大学病院での診察の為です。が、予約した診察時間は、午後3時!と言うことは、午前中は、まるまるFreeTime!平日の貴重なお休みを有効利用しない訳にはいきません。と言う訳で、前夜遅くの高速バスで、神戸に入り、カプセルホテルに宿泊します。狙うは、3月15日のダイヤ改正で消えゆく寝台特急「なは・あかつき」!
この世界では超有名な京都府山崎のサントリーカーブをめざしいざ出発!私の乗った電車は吹田駅まで来たところで、急に動かなくなりました。嫌な予感がします。しばらくして事情を説明するアナウンスが始まりました。「ただいま、踏切に車両が進入し遮断機を破損して行ったとのこと。安全が確認されるまで、運転を見合わせております。」予感は、的中!残っていた眠気は一気に醒めます・・・。このままでは、通過予定時刻に間に合わない。結局、抑止状態は13分間続きました。
山崎駅に着いた時は既に、通過予定時刻10分前を切っていました。歩いて10分程度の撮影地までは、もう間に合いません・・・・。こうなれば駅のホームから狙うしかありません。2つある大阪寄りのホームは既に先客が多数。見渡したところ、下りホームの方が人数が多い。と言うことは、そちらの方が、良いアングルが取れるのだろうと言う推理を立て、下りホームの一隅に入れてもらいます。雲が多く、かつ陽も昇って来ていない為、相当に暗い・・・。撮影するには、あまりにも悪条件が重なっていますが、休暇まで取っての撮影です。「HMを掲げた編成写真を必ずやモノにするぞ!」と気持ばかりが、先走ります。
この場所に居るカメラマン全員が<もう、そろそろ来るゾ・・・>と感じたのでしょう。会話が突然止み、皆さんカメラのファインダー精神を集中し始めます。と、前方からゆっくりと快速電車が走行してきます。その快速電車が何故か通常長く見えます。後ろから高速で追いかけてくる何かが見えます。ものすごく嫌な予感がします。その予感がはずれてくれたらと、心の中で祈ります。快速列車が目の前の視界から去った時、向こう側の線路には、目的の寝台特急「なは・あかつき」!の客車の側面がありました。見事に「なは・あかつき」の前部は、複々線の手前を併走してきた普通電車に被られてしまったのです・・・・・。
「なは・あかつき」が走り去った後、下りホームに居た全員が、何故か笑みを浮かべていました。が、その表情からは少しの力も感じることが出来ません。言葉少なく、一斉にその場を立ち去ります。きっと先ほどの出来事は、各人の人生で、無かったものと思いたいに違いありません。
私も内心、悔しさいっぱいです。「上りホームに陣取るべきであった!そうすれば、普通電車に邪魔されずに、少なくとも正面からのショットが撮れたものを・・・・。」安易な判断をしてしまった自分を責めます。
けれどもです。もし正常なダイヤで運行していれば、併走する快速電車に被られる事も無かっただろうにと思うと、遮断機を壊した車に対して猛烈な怒りが湧いてきますが、今更どうなるものでもありません。
その後、京都駅で回送待ちの「なは・あかつき」を撮影しようと試みましたが、機関車にカメラを向けようとしたとたん、ねぐらのムコ操(歳がばれますネ)に去っていきました。よっぽど私に撮されるのが嫌とでも言う様な出発の仕方でした・・・・。「悔しーい・・・!」(だいぶ被害妄想気味になってきましたが)
その後は、半ばやけくそ気味に京都駅に来る車両の形式写真を手当たり次第に撮りまくります。
昼から高速バスで徳島に帰り、大学病院で診察を受け、長い一日が終わりました。なす事すべてが空回りする一日でありました。
が、「このままでは終わらんよ!」とクワトロ大尉の様に、密かにリベンジを誓った私でありました。