12月20日(日)
今日は、高松空港に懐かしのモヒカン塗装の飛行機を見に行きます。20年ほど前までは全日空機といえば、天井に明るい青のラインが入った姿がモヒカンのように見えました。尾翼に描かれたレオナルド・ダ・ビンチによるヘリコプターのデッサンを模したマークと共に強烈な印象を私たちに残しています。その姿が、期間限定で復活したのです。現在は、羽田-鹿児島・宮崎便限定ですが、19・20日に限り高松空港開港20周年記念イベントの目玉として、その姿を四国に現します。せっかくのチャンスです。高速にのり高松へ向かいます。飛行機の到着まで少し時間があるので高松貨物ターミナル駅に立ち寄ります。たいした期待もせずにやってきたのですが、出発線にEF65-57号機の茶色い姿を発見。
13:22に伊予三島行きコンテナがあります。これに充当されるのかも知れません。昨日、須磨駅付近で撮り損ねた思い入れ(因縁)のある機関車です。できることなら今日、ここで押さえて置きたい。とは言えモヒカンジェットの到着は13:30です。貨物列車の出発ともろ重なります。ここで大きな葛藤が・・・。今日を逃すとモヒカンジェット撮影は難しい。東京か南九州まで行かねばならない。とは言え一方の57号機茶釜は、近日中の引退が確実視されている・・・。どちらを取るべきか、ハムレットの心境です。ここは割り切ることに。まず貨物列車の出発を撮影してから、大急ぎで高松空港に向かい、モヒカンジェットの14:10離陸を抑えることにします。着陸時の光景をあきらめることになりますが、仕方ありません。
やがて13時が過ぎ、出発時間10分前が来ても、茶釜には変化がありません。望遠ズームを最大にして茶釜を観察してみて愕然とします。パンタグラフがあがっていない。少なくとも動かすつもりがあるなら前もってパンタグラフを上げておくはずです。ということは本日は伊予三島行きコンテナはウヤ(運休)ということなのでしょう。日曜にはよくあることです。もしかしたら年末年始の荷主の製紙工場の操業に関係しているのかも・・・?どちらにしても茶釜が動かない事には代わりがありません。今にも動き出しそうな、眼前の茶釜に別れを告げて、本来の目的地である高松空港に急ぐことにします。光線の状態を考慮して高松空港の裏手(南側)に位置する<さぬきこどもの国>公園に車を入れます。決して狭くは無い駐車場は県内外ナンバーの車でほぼ満杯でしたが、端っこの小さいスペースを見つけて駐車します。駆け足で広い公園を移動します。いました。絵の具の明るい空色に近いブルーで彩られたボーイング767が!が、公園から駐機場までは距離があり、最大望遠でもその姿は小さい・・・・。着陸時に来ていたらと、悔やんでみますが今更・・・・。こうなれば離陸の1チャンスに賭けるのみ!気持ちを切り替えます。
とは言え、まだそのときまで少し時間があります。公園内には、これまた懐かしいYS11が、きれいな状態で保存されています。うれしいことに内部も公開されています。子供のとき何度もお世話になったYS11の機内に入るのは何十年ぶりなのでしょうか。中に入って感じたことは、こんなに狭かったんだという事。実際60人ちょっとの定員なんだから、観光バスを少し大きくしかくらいか・・・・。とは言え機内のつくりは、記憶の中のYS11と少しも変わりません(当たり前ですが・・・)
驚いたことにコックピットにも入れます。機長席に座り操縦桿も握れます(スイッチ類はアクリルのカバーで覆われ、操縦桿は固定されていますが)。思わず時間を忘れてなつかしのYS11を楽しんでいましたが、気がつけば、本日のメインイベント、モヒカンジェットの離陸の時間です。すでにボーディング・ブリッジが機体から外され、ゆっくりとターミナルビルから離れていくのが確認できます。誘導路を東端まで移動したところで向きを変えた後、一旦動きを止めます。いよいよ始まるのです。次の瞬間、静から動へ劇的な変化が起こり、767は2つのエンジンを全開にして、滑走路を猛ダッシュするする姿に思わず見とれてしまいます。感動すら覚えます。目の前で前輪が地面を離れたと思った次の瞬間には機体全体が宙に舞い上がっていきます。
来てよかった・・・。
小さくなっていく飛行機を見送りながら、そう思いました。
12月19日(土)
私の子供時代(書籍を通じて)の憧れであり、大学時代の四年間は数え切れないほど乗車してきた阪急6300系特急車が特急の任を解かれようとしています。8両編成の特急運用編成はとうとう1編成になってしまいました。いままで当たり前すぎて、積極的な撮影対象ではありませんでしたが、今から思うともっとまじめに写真を撮っておくべきだったと悔やんだりしています。今日は、私鉄王国関西を代表する6300系をじっくり撮影したいと思い立ち、早朝の明石海峡大橋を渡ります。
いつものように、神戸総合運動公園駐車場に車を停め、まずはJR須磨駅に向かいます。行きがけの駄賃とばかりに貨物列車を撮影します。ぎりぎり72列車に間に合いそうです。運がよければ茶釜(EF65-57)に出会うかも・・・。
最近、お立ち台通信で出ていた須磨駅東側の踏切をダッシュで目指します。目的地と思われるポイントに到着すると同時に警報機が鳴り出し、あわててバックからカメラを取り出します。ファインダーをのぞいたときには、機関車 の姿は大きくなっていました。あわててシャッターを切りますが、実に中途半端なショットになってしまいました。慌てたので画面は水平になっていません。それに、もう少しISO感度を上げとけばよかった・・・。残念・・・。今日のカマは茶釜こと57号機だったのに・・・・。
その後、気の抜けたサイダーのようなモチベーションのもと、和田岬線の103系回送や181系<はまかぜ>などを黙々と撮影します。が、こんな気持ちではよい写真は撮れる筈がありません。おまけに、今朝は12月にしては寒すぎの気候です。 引き上げることにします。須磨駅に歩いて帰る途中に重大な事に気がつきました。私がさっきまで撮影していたポイントは、お立ち台通信に載っていた場所よりひとつ大阪寄りの踏み切りだった事を。収まりの悪いアングルで、寒さに震えながら1時間も立ち続けた自分が情けない。大いに凹みます。
午後からは、当初の目的。阪急電車で勝負します。十三の駅で網を張っていると、運良く京都方向から見慣れた四角い顔が姿を現します。次は、梅田方向から折り返してくる姿を、反対側のホームの端から狙います。やがて淀川をゆっくり渡ってくる6300系の姿を確認。このままいけば、良いショットが撮れるかなと皮算用・・・。が遥か後 方から手前を走る宝塚線の9000系急行がぐいぐいと迫ってきます。新型車と旧型車の性能の差を見せつけるように、あれよと言う間に6300系を抜き去り、悠然と、そして私のカメラの視界を遮りながら十三のホームになだれ込んできます。またもや凹みます。
こうも失敗が続くと、冒険はできません。確実に6300系が捉えるポイントで待ち受ける事にします。南茨木駅の京都寄りホームに腰をすえ、先ほど逃した6300系が帰ってくるのをひたすら待ちます。とにかく1本しかありませんので、忍の一字で寒さに耐えます。
待つこと1時間。ようやく6300系が姿を現しました。とは言え、もう少し上手く撮影できたのではと、後から反省したりします。
次回、もう少し躍動感ある写真が撮れたら良いのにと思います。が、3月の特急運用撤退まであとわずか。次があるといいのですが。
この後、夕食に入ったレストランで、寒いので暖かいものをと思いハンバーグドリアを注文。なぜか当然のような流れで熱いハンバーグで口の中を火傷・・・。どうもちぐはぐなのは写真だけではないようです。これからの年越しが思いやられる・・・・。
しばらく更新出来ていません。このままでは来年まで記事作成を持ち越してしまいます。どうにかしなければ・・・・。原因として(言い訳として)
(1)機械の不調
・カメラの写真が取り込めない・・・・。
・パソコンのHDDがそろそろ危なそう。
(2)なぜか多忙(特に休日)。予期せぬ用事が・・・。
本当は、天気のいい休日は、引退間近な岡山区のEF65初期車と500系のぞみ新幹線を撮影しに行きたいんですが・・・・
(3)体調!というより気力ですが・・・・。これが大きいかな。
(1)のハード障害に対しては手を打ちました(予期せぬ散在となりましたが)
それ以外の障壁については、気力で乗り切るしかありません。