しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

さらに浪速で鉄道三昧 (3)私のさよなら交通科学館 鉄道車両に暫しのお別れ

2014-04-20 23:18:13 | のりもの博物館

2014年3月30日(日)

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 今回、屋外(屋根付きですが)実物の見学を後回しにしました。実物を取り巻くようにしているギャラリーが少しでも退館して撮影し易くなると思ったからです。が閉館まで20分を切っても車両の周りは人だかりです。とはいえ、早い時間帯はもっと混雑していたと思います。

 


 本日、一番見たかったのはキハ81-3特急型気動車です。タブレット授受の為、運転台の高さが低く抑えられたため電車特急のボンネット車と比べると鼻が短く平たい顔に見えます。<ブルドッグ>というあだ名はうなずけます。1960年生の50年選手ですが、日本初のディーゼル特急として東北線特急<はつかり>として活躍した後、最後は流れ流され紀勢線特急<くろしお>として余生を過ごしました。私は小学生の頃一度だけ和歌山駅で走り去る姿を目撃しました。今でもその時のことを鮮明に覚えています。その特異なスタイルはインパクトがありました。うれしい事に、今日は室内に入れます。

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81 現在の水準からみると野暮ったく、またリクライニングもせず、座席間もせまい窮屈なシートで、この座席で上野-青森間を10時間以上過ごすのは、現在の私から見れば<勘弁してよー…。>という感じですが、デビュー当時は<超デラックス!>という感じだったのでしょう。特筆すべき事に、この車両の客室と入口の間に売店が設置されています。当時の特急列車に対する考え方が、現在とはまるで違っていたからでしょう。この野暮ったくも、愛すべき車両は、おそらく京都の新博物館に移っていくでしょうが、いつまでも美しい状態を保って欲しいものです   。

 

Img_1621 反対側には湘南電車80系が顔を出しています。旧型国電として最後まで活躍していましたが、先頭車はモデルチェンジじた2枚窓の方がポピュラーで、初期グループの3枚窓は地味な存在でした。皮肉なことに現在保存されているのはこの3枚窓車のみです。とはいえ電車での長距離運転という世界の常識に挑戦したエポックメイキング的車両であることに間違いなく、この電車の成功が後のこだま型特急や新幹線に繋がるのだと思うと、感慨深いものがあります。

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 他にも観たいものはたくさんありますが、これだけは外せない車両があります。DD54ディーゼル機関車が保存してあるはずです。不運の機関車と呼ばれたり、国鉄の技術開発における黒歴史の一つと扱われたりして本来は、関係者にとっては忘れてしまいたい車両なのですが、数奇な運命でここに保存される事になりました。今回こそ対面したいと思っています。ところが本館横の屋外展示スペースには、朱色の機関車の姿はありません。残り時間は10分を切っています。すぐ傍にいた職員さんに「DD54はどこに置いてありますか?」と尋ねたところ、若い職員さんは「何のことですか?」と要領をえません。おそらく閉館フィーバー対策で他部署から応援に来た方なのでしょう。若い方なら、DD54なぞ知る由もないのでしょう…。若い職員さんは長い沈黙の後、「あのー、ディーゼルの事ですか?それなら第二展示場にあります。ここから専用通路を上がって道路を跨いだ向う側にあります。もう閉館まで時間がないので急いでください。」

 忠告に従い、本館わきの階段を駆け上り、専用の陸橋で公道を横断し離れ小島の様な第二展示場に到着します。そこは国鉄ディーゼル機関車のパラダイスと言っていいエリアです。DD13とDF50が仲良く並び、奥にDD54が静かに休んでいます。

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 小さな屋根の下で窮屈そうです。がドイツ風の洒落た[く]の字のマスクは精悍で惚れ惚れします。この洗練されたデザインは、現在でも少しも陳腐化していません。ここに居る33号機はブルトレ牽引機で、ヘッドマーク取り付け金具と20系客車連結用エアホースが付いています。もし<出雲>のヘッドマークを付けていただけたら、狂喜乱舞するところです。現役時代はあまりのトラブルの多さに<ずっこけ機関車>と揶揄されたDD54です。戦後、様々な分野で日本の技術が発展していきましたが鉄道用ディーゼル機関については、必ずしも世界水準に達してはいませんでした。そんな中、西ドイツの技術と日本の技術とを合わせた亜幹線用機関車として華々しく登場したのですが、製造から平均7年で全車リタイアしてしまいました。明らかな失敗作とされてはいますが、技術面以外の当時の労使問題等の事情も引退を早める要因であったようです。そういう意味では悲運の機関車なのでしょう…。

ここで、閉館の案内が流れ始めます。朱色の機関車達にお別れを言います。<2年後に京都でまた会いましょう…。>

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 閉館時間となり、さすがに展示車両をを囲む人々は嘘のように消えてしまっています。そして、来週のこの時間にはこの<交通科学館>も嘘のように消えてしまうのでしょう。

さよなら<交通科学館>…。


さらに浪速で鉄道三昧 (2)私のさよなら交通科学館 記憶の奥の展示物たち

2014-04-19 23:47:47 | のりもの博物館

2014年3月30日(日)

Img_1637  模型以外の屋内展示も充実しています。0系が4両連結された状態で展示されています。両端先頭車にグリーン車、ビュッフェ合造車各1の4両編成(1両25m×4両で100m)のロングな展示物です、中間部は柱が何本も立っているため撮影は難しいですが現役時代の様子を伝えています。
 今では懐かしいホームの列車案内版にしばし釘付けになります。パタパタと音を立てて発車時刻や行き先を案内するデジタル?なんだけどアナログなアイテムです。
 

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奥のブースは鉄道以外の船・飛行機・自動車・オートバイ等の展示スペースもあります。こちらの方も個人的にはがんばっていると思います。さすが交通と名乗っているだけの事はあります。でもこれらの展示部品の一部は神田にあった旧交通博物館が大宮に移転する際に譲り受けた品もあるとの事。今回の閉館で再度遠くへ移るものも出るのでしょうか?

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Img_1781国鉄ハイウェイバスもできる事なら京都でも引き続いて展示して欲しいと思うのですが…。

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鉄道連絡船の展示も充実しており、宇高連絡船のモデルや宇野港もジオラマ等に興味をそそられます。現役時代は時間ばかり食う連絡船の旅は疲れるものでしたが、今となっては、後ろのデッキで食べた温かい讃岐うどんの味共々懐かしく感じます。そんな物思いに耽っているうちに、気がつけば閉館時間まで20分を切っています。さらに駆け足で館内を巡ります。

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さらに浪速で鉄道三昧 (1)私のさよなら交通科学館 すばらしき大型模型

2014-04-18 23:53:11 | のりもの博物館

2014年3月30日(日)

 土砂降りの富山駅をでたサンダーバード24号は、湖西線が強風のため米原経由で運転する事になりました。米原から東海道線に入りますが前が閊えているのか、スピードが出ません。草津から複々線に入りやっと特急らしい走りになります。京都駅で下車するドラえもん氏と分かれ、定刻より30分遅れで終着大阪駅に到着です。午前中、富山地鉄の撮影会でずぶ濡れになり体も冷え切っています。ここは一刻も早く自宅へ帰るべきところですが、来週閉館予定の交通科学館へ行ってみたいという気持ちが強く、コインロッカーに荷物を押し込め身軽になって大阪環状線に飛び乗ります。
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 弁天町を降りると、そこには懐かしい交通科学館が待っています。400円を払って入館します。この時点で16時30…。閉館まで1時間!館内を見て回れるか不安でありますが、私がこの場所に来られるチャンスは今回が最後でしょう。ここは気合を入れて、いや手際よく館内を廻りたいと思います。連日のニュースで閉館前の大混雑と聞いていましたが、先ほどまでの雨天に加え閉館前という事で予想していた満員電車状態という程ではありませんでしたが、それでもどの展示物にも人が張り付いている状Img_1567態です。ここへは何度か来たことがありますが、いつ来ても、ひっそりしていた印象が強いのでやはり、さよならフィーバーの効果なのでしょう。さすがにシュミレーション関係の展示物は人が群がっており近づく事さえ諦めました。それにしても展示されている大型モデルの美しいこと。一両一両思わず見入ってしまうのですが、それを続けていると閉館時間になってしまいます。泣く泣く、駆け足で館内を移動します。

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 大量のモデルの物量に圧倒されてしまいますが、一隅に<展示用模型 蔵出し大公開展>と銘打って普段は公開されていない、過去の名作モデルが特別に展示されています。通常公開されているモデルはどちらかというと新幹線を中心とした現役世代中心ですが、蔵出し品は10系客車やEF30等々昭和30年代前後で、若い人はなじみのないものばかりです。そのためか、このコーナーはギャラリーが少ない!。けれど私にとっては、これら精巧なモデルを観察することによって新たに発見した事も多く、無理して来た甲斐がImg_1702ありました。とくに、10系食堂車オシ16のカットモデルはそのユ ニークな室内構造が一瞥しただけで把握することができ、今まで感じていたオシ17の兄弟分という認識が誤っていた事に気づかされました。中央にオープンキッチンとカウンター左右にテーブル席と片側カウンター席という日本では他に例を見ないレイアウトです。この後に続くブルトレの食堂車にこの形式が取り入れられていたなら、楽しい旅ができたんじゃないかな…。そのような勝手な想像をしてしまいます。グラスを傾けながら正面の大窓の走り去る光景を眺めるような旅が出来Img_1709 ていたかな?
 でも、数少ないギャラリーの注目を集めていたのは意外にもカ1500でした!牛を運ぶ黒い2軸貨車です。このコーナーに迷い込んだ小さなお子さんは、他の鉄道車両には目もくれず、貨車の中の牛を指さし<牛!牛!>と指さします。不思議なことに男の子、女の子関係ありません。それにしても1/5の牛さんの表情も素晴らしく、またまた見入ってしまいます。が、こんなことをしていると閉館時間が来てしまいます。先を急ぎます。

 

 

 

 


雨でも富山で鉄道三昧(2)サービス満点!稲荷町174号撮影会

2014-04-14 22:10:29 | 中小私鉄

2014年3月30日(日)

 電鉄富山からひと駅乗車し、車庫・工場のある駅稲荷町駅に降り立ちます。大勢の同じ目的を持つ方々が下車していきます。昨日の「ありがとう174号」運行に引き続き、これから富山地鉄のご厚意で<174号雄姿撮影会>が開催されます。あいにくの雨にも負けず、傘の群れは稲荷町鉄道基地に吸い込まれていきます。薄暗い庫内の受付で参加費500円を払ったのち、小学校の全校朝礼で校長先生のお話を聞くように、責任者の方から説明を受けます。「今日を限りに174号機は車検切れとなり、線路上を走れなくなります。その姿を写真に収めてやってあげてください。」と参加者にやさしい言葉をかけています。一同その言葉を合図に、雨降る屋外に移動し、お目当ての174号電車を中心に撮影していきます。外側の側線に元西武5000系レッドアロー号の現16010形<特急アルプス号>を止めています。水戸岡デザイナーによってオリジナルの面影は薄められましたが、私にとっては今でもレッドアローと呼び方がしっくりします。この横並びは、ちょっと174が地味すぎてかわいそうです。

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 やがて内側の側線に元京阪3000系、現10030形から「ダブルデッカーエキスプレス」が横付けされて、オールスター揃い踏みが実現します。ダブルデッカーの時代絵巻のイラストは実に美しい・・・。本家は塗りつぶしてしま
いましたが、実に惜しい・・・!最後に生き残った地鉄で、美しい姿を末永く見せて欲しいと思います。

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やがて、<特急アルプス号>が通常運用に戻るため側線から去っていきます。あらためて正面側に回ってみると、先ほどと印象が違います。よく見ると174に<特急立山号>のヘッドマークが付いています。さっきまで地味だった今日の主役が、急に華やいで見えます。隣の京阪さんにも負けてはいません(差がかなり縮みました)!ヘッドマークの力、恐るべし!174の手前には様々なヘッドマークが置いてあり、これから時間をおいて順次付け替えしてくれる様です。

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けれども、雨は止むことなく降り続け、傘をさしていても既に体はずぶ濡れ状態です。悲しいことに拭いても拭いてもレンズに水滴が付着し、多くのカットが悲惨な状況になっています。こんな天候の中、撮影会はまだまだ続く様子でしたが、帰りの電車の時間が迫ってきました。後ろ髪引かれる気持ちですが、これ以上の長居は諦め会場を後にします。

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 稲荷町駅の本線側ホームから車庫裏が見渡せます。そこにはよれよれになったレッドアローの中間車と凸型機関車が忘れ去られたように雨に打たれています。このデキ12020が主役に立つ日を見てみたいと思います。とはいえ、その日がお別れ撮影会になるかもしれませんが・・・。

 

 


雨でも富山で鉄道三昧(1)路面電車新線乗車と時刻表2万キロの種

2014-04-13 17:24:21 | 中小私鉄

2014年3月30日(日)

Img_1226 ホテルで朝食を済ませ、富山の街に出ます。昨日と打って変って気分が滅入りそうな 本格的な雨模様です。長い地下道を通り、JR富山駅北口に出ます。これから岩瀬浜まで富山ライトレールに乗車します。JRが運行していた旧富山港線を引き継ぎ、日本初のLRTとして2006年開業しました。私たちが乗車するのは、おしゃれな赤いラインの入った低床連接車です。
 富山駅北駅を出ると奥田中学校前駅の直前までの短い間は自動車と並走しながら単線で路面を走ります。専用軌道からは旧富山港線を改修した区間です。枕木や架線柱は新しくなっています。車庫のある城川原でオレImg_1243 ンジラインの電車と交換します。結局、終点まで両側の車窓は住宅や工場ばかりが続き、旅情を誘う景色はほとんどありませんでした。が、このことは、安定した利用者がいるということで経営的にはプラスに働くはずです。旅情に乏しい富山ライトレールですが岩瀬浜の周辺は北前舟で繁栄した港町の風情が残っているようで、街歩きを案内するパネルが旅人を誘っています。が、止み間なく降るこの雨の中、街歩きするのは勇気が要ります。結局、乗ってきた電車で折り返します。
 車中でドラえもん氏がこんなことを言います。「宮脇俊三の<時刻表2万キロ>の最初の方でタクシーまで使ったのに東岩瀬浜と岩瀬浜の1.1キロを乗車するのを失敗したんだったよな・・・。今、突然思い出した。」それを聞いて、私は遠い記憶を手繰り寄せます。そのようなシーンがありました。この短い区間を乗車するため、わざわざ出直しています。思えば我々世代の鉄道愛好家で宮脇俊三の影響を受けていないものはほとんどいないでしょう。彼が<鉄道に乗るという行為>を広く世に知らしめ、その影響を受けて今の自分達がいるのです。それを認識した瞬間、殺風景な車窓が別の風景に変わりました。天国におられる先生は嫌がるでしょうが東岩瀬浜の地に<宮脇俊三、受難の区間>の文学碑を建ててあげたくなりました。


Img_1261  JR富山駅前に戻り、引き続き市内電車に乗車します。駅の南側の富山地鉄が運行する区間も2009年開業した新線区間があります。2人とも未乗車ですので、この機会に乗っておきます。電車は富山市中心部を時計と反対回りに循環していきます。新線部分は、富山城の傍を単線で走り、オフィス街や大型店横をくねくねと走っていきます。多かった乗客もループが終わるまでに降車していき、一周して富山駅に戻ってきたのは我々だけでした。未乗区間を乗車し終えた時の高揚感の高まりで、自分が骨の髄まで鉄道好きなのだと自覚します。天気はうっとおしい雨でも、心はハッピーなのですから。
 宮脇先生の撒かれた種は、時間も空間も離れた私の心の中でも芽を出して大きく育っています。問題は、少々大きく、いびつに育ってしまった傾向アリという事でしょうか?とはいえ、日本の鉄道完全乗車まで、また一歩近づきました!本日の乗車 富山ライトレール7.6㎞、富山地鉄富山都心線0.9㎞ ほんとに一歩ですが・・・。