1月12日(土)
昨日までと違い、起きあがる事が出来ます。朝の検診で、主治医より現在使用している点滴が無くなれば、点滴を外しても良いとのこと。ほっとします。
昼前になると、職場の同僚K村氏が、突然見舞いに来てくれました。包みを渡され、開けて見ると・・・・・絶句!
氏、曰く「食事に制限がありそうだったので食べ物は駄目だし、花もうれしくないでしょ!というわけで、これを買ってきた訳です。」それは、ご配慮ありがたかったのですが、たとえば本とかあるんだけどね。でもうれしい!
でも、なぜガンダムEz8なのだろう?
K氏が帰った後、プラモの箱を開けて、さらにサプライズ!中に、プラモデル専用工具セット(ニッパーやカッターナイフやピンセット等入った)が入っているではないですか。何という心遣いでしょうか・・・。日頃のK村氏からは想像出来ない気配りに(失礼)、大いに感動しました。ほんとにありがとう・・・・!しかも、工具セットの方が、本体より高そうな気配・・・。
その直後、直属の上司の0氏もきてくれますが、その時点では点滴をまだ刺していたので、予想以上に重傷だと思ったのでしょう。ものすごく驚いた表情をされたので「大丈夫ですから!あと1、2時間で外れますから。」と私の方は、重傷説を否定するのに一苦労でした。
そうして、午後になりようやく点滴が外れました。いよいよ、夕方より食事が取れます。思えば人間ドックの前日の8日夜から絶食状態です。まる5日ぶりの事です。
←久しぶりに胃腸を使うため、お粥を中心としたメニューです。病院食なので、薄味でありますが、おいしく頂きました。とにかく口から食べる事の幸せを実感します。それにしても、しばらく胃を使っていなかったせいでしょうか?少量の食事にも関わらず、満腹感を憶えます。胃がすっかり小さくなってしまった様に感じます。
1月13日(日)
朝の検診で主治医に、「そろそろ、退院してもよろしいですか」と尋ねると、あっさりと「じゃー、明日昼ご飯食べてから、帰ってよ。」との返事がありました。とにかく、これで社会復帰です。
1月14日(月)成人の日
昼ご飯を食べ、退院の手続きを済ませ、6日ぶりに街に出ます。普段見慣れた風景が、全く別のものに感じられます。何を見ても新鮮に感じるのです。
入院中は、職場の皆さんや、その他多くの方々に迷惑を掛けてしまいました。それにもかかわらず、励ましのメッセージを寄せて頂き感謝しています。それにもまして、自宅で苦しんでいた私を、病院まで担ぎ込み、ずっと看病してくれた両親には、感謝しています。
ともかく、激動の一週間でした。
1月7日(月)
今日から本格的に仕事が始まります。が、何故か体も心も重く仕事はしばし中断。夕方、よほどつらそうな表情をしていたのでしょうか?見かねたN田女史が「どうしたん?」と尋ねてきました。「実は、先月から胸焼けが激しいんよ・・・。胃腸がどないかなっとんかな・・・?胃潰瘍かな?ひょっとしたらものすごい病気なんかな?」とわざと明るい口調で返答します。が、彼女曰く「今すぐ、胃カメラで見てもらい。」と大きな声で私を、諭します。私も、胃の検査をしてもらわねばと思っていましたが、もしとんでもなく思い病気だったらどうしようとの思いから後回しにしてきました。その会話を聞いて、他のメンバーも「はよう、見てもらい!」と口々にアドバイスしてくれます。ボスも「おまえ、今月(遅くに)人間ドックに行く予定やろ。それを前倒しして、明日休んで、ように見てもらえ。今すぐ徳島の実家に帰れよ。」と暖かい言葉を掛けてくれました。私は、直属の上司に簡単な業務の引き継ぎをして、「あさって、出てきますのでよろしくお願いします。」と言い残し、職場を後にしました。
1月8日(火)
昨日、急遽予約を入れた徳島市中心部の某クリニックに向かいます。前日夜から、検査のため絶飲食しています。血液検査等を終え、いよいよ本日の第一目的の胃カメラを飲み込みますが、想像以上に苦しみます。胃カメラのケーブルが、ものすごく大きなホースに見えました。管が食道を通る強烈な異物感で、大の大人が悲鳴を上げます・・・・。カメラが胃の中に降りてきて、先生が画像をのぞき込みます。私は、先生の表情に変化がないか、食い入る様に見つめます。「もし先生の顔に当惑の表情が出たら、どうしよう・・・」不安ばかりが、わき上がってきます。やがて先生が画像の解説を始めます。「胆汁が食道まで上がってきていますね。これが強烈な胸焼けの原因ですね。でも胃の内部は、綺麗な状態なので安心してください。」とのこと。その言葉を聞いて安心したのか、体から力が抜けていきます。胸焼けは、市販のものより強力なH2ブロッカーで収まるとのこと。それを聞いて、一件落着・・・。と行きたいところでしたが、どうしたことか体がふらふらします。見かねた先生が、点滴の処置を施してくれます。このような状態でしたので、人間ドックは中断。残りの検査は後日に回すことにして、本日は自宅に帰されました。
自宅に帰ると、そのまま寝てしまいます。その後、検査結果を心配していた上司や同僚から何度も電話やメールが来ていた様ですが、ひたすら眠り続け、それに応答する事が出来ませんでした。そして意識を取り戻した深夜に、おう吐が始まりました。何度も何度も、もう吐くものが無くても、ひたすら吐き出そうとします。
1月9日(水)
そして、朝がきました、その時点で、職場に行くことはあきらめました。というのも立って歩けない状態になっていましたから。
やがて父が呼んでくれた、タクシーに乗せられた事は憶えています。以後は、フラッシュバックの様に断片しか憶えていません。病院の処置室で、看護師さんの「点滴の針が刺さらない」という声は憶えています。
脱水症状が相当進んでいたようです。
気が付けば、点滴に右手がつながれ、病室のベッドに寝かされていました。
そうして、新年早々の入院生活が始まりました・・・・。