しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

秘仏探訪in松尾寺

2009-10-10 23:47:26 | 旅行記

9月23日(水) 秋分の日

京都府の松尾寺で秘仏の馬頭観音像が公開されているという話を耳にしました。77年ぶりとの事です。しかも公開終了間近・・・。これは拝んでおかねばという事に。

シルバーウィーク最終日。朝6時にJ南高校映画部時代の先輩<人間ミサイル>氏が車で迎えに来てくれました。明石大橋を渡り舞鶴道に入ります。舞鶴東ICで降りたところで、<人間ミサイル>氏がせっかく鎮守府舞鶴まで来たんだし「軍艦を見ていこう!」と言います。ちょっとの間ならと言う事で、基地の外から眺めることにします。停泊地のそばまで来ると、なぜか、フェンスの内側にギャラリーが多数いて、艦艇をバックにお互いに写真を撮りあっていたりしています。「一般人も入れるんだ!行くかア・・・」ということに。こうして、予定外の艦艇見学会が始まりました。 *海軍記念館・北吸桟橋は毎週土曜、日曜及び祝日(午前9時~午後4時
)公開されています。現地で知りました。インド洋派遣でTVニュースにたびたび登場した大型補給艦<ましゅう>の威容に圧倒されます。

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岸壁には、レールの跡が残されています。これは、相当昔に廃止になった国鉄と連絡していた専用線の跡か、移動式クレーン用レールの跡かよく分かりませんが、本日唯一の鉄分補給となりました。

予定外の行動で時間を食ってしまいましたが、東に進路をとり小さな峠を越え、国道から細い田舎道を上がっていくと、西国三十三所松尾寺に到着します。

馬頭観世音が御本尊なのは珍しいとの事で、農耕の守り仏として、或いは牛馬畜産、車馬交通 、更には競馬に因む信仰をもあつめています。

石段を上がっていくと仁王様が出迎えてくれます。本殿の奥には確かに。秘仏の馬頭観世音菩薩のお姿が!が、いかんせん我々の立ち入れる場所からは距離があり、暗い室内ではその真の姿を拝む事は難しい・・・・。すこし残念でしたが、そう簡単に拝められないのが秘仏たる所以・・・(少々こじつけですが)。観音としては珍しく忿怒の姿をとる事が多く、気の弱い私などはその姿を正視できないかもしれませんが・・・。馬頭観音様を良く眺められなかったもやもやは宝物館での国宝<普賢延命像>(仏画)や重要文化財<阿弥陀如来坐像>等をを拝む事でかなり晴らす事が出来ました。

松尾寺を後にして、ほんの数分で京都府から福井県に入ります。

Img_2412_2Img_2415<人間ミサイル>先輩の希望で、国道から逸れた三方五湖湖畔にあるうなぎ店<淡水>で昼食をとります。私はうな重を頂きましたが、さくさくと香ばしく焼けたうなぎの美味なこと・・・・。ここ数年で最高のうなぎでした。それにしても先輩の美味いものを嗅ぎつける能力の高さには驚かされます。

敦賀からは北陸道にのりさらに東に車を走らせます。せっかく福井に来たのだからということで丸岡城に向かいます。

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丸岡城は、日本国内で天主が現存する12城のひとつでその中でも最古の天守と言われています(犬山城の方が古いという説もある)。柴田勝家の甥、勝豊が築城してから主が何人も変わり、明治に入ると廃藩置県で廃城となります。この時期、天守以外全て解体の憂き目になります。が、幸いなことに天守は、丸岡町により買い戻され城跡は公園となり一安心。けれども、昭和23年(1948年)の福井地震によって倒壊という悲運に見舞われます。その後、修復再建されたものが、現在目にすることが出来る姿です。 現在は国宝

にこそ指定されていませんが、コンパクトながら均整のとれたスタイルを見せてくれています。

天守の中に入り、お約束の狭くて急な階段を上って最上層から城下を眺めます。遠くまで鮮やかな緑が広がっています。そして開け放たれた窓から吹き抜けていく風に当たりながら、歴代の城主達も眺めたであろう景色を見下ろします。

せっかく福井に来たのだからということで(さっきからこればっかりですが)温泉に浸かろうという事になりました。そこで、私が以前から気になっていた佐野温泉に行くことになりました。

観音様のお告げで温泉を掘り、見事にお湧出。最初はドラム缶で出発し、その後家庭用バスタブに進化して、現在は立派な温泉施設へと発展した出世魚の様な温泉です。ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉(弱アルカリ性低張性高温泉)で、効能も確かなのか湯治場としても利用されています。お風呂の数も多くて、結局全部入浴できませんでした。

日帰りの旅でしたが、充実したものとなりました。これも秘仏のお導きなのでしょうか?