プロ・アスリート羽生結弦 公式・広報サイト(Yuzuru Hanyu' s Official Site)花を咲かせよう!

フィギュアスケートのプロでプロ・アスリート、
表現者・羽生結弦監修の公式・広報サイト 
teamSirius広報

羽生結弦と味の素の本当の闘い!金メダルの食卓と新商品「アミノバイタルMoment」「アミノピザ」「アミノバイタル」「アミノプロテイン」・「アスリートムース」「アスリート・ギョーザ」

2025-01-14 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!

 味の素の栗原さんと羽生結弦です♪

ご注意:同姓同名詐欺の偽デザイナーが「Echoes of Life」の衣装を作ったことにした捏造記事の掲載された雑誌が出ることが判明しましたが、この人物は羽生結弦に虚偽告訴までしたほど敵対してきた人間で、実際には一切作っていないのに脅迫で作ったことに捏造させたことが判明していますので、世界中のファンはこの嘘情報を決して拡散しないように十分にご注意下さい。(※ 拡散する人たちは本当の羽生ファンではありえませんのでご注意下さい。今まで技術妨害衣装や悪魔イメージ衣装を強要してきたので、本当のファンにはすぐに判別できるはずです。)

※ 当サイトは羽生結弦公式のため、本当のファンの皆様に誠実で真実な情報だけを提供するサイトです。虚偽の情報が載る雑誌を、一切宣伝いたしませんのであらかじめご了承ください。

ジャパンタイムズに、羽生結弦は食事の管理も全部自分でやるみたいに書かれていましたが  それは完全な間違えです。 羽生結弦の食事と健康の管理は、味の素が今もすべて担当しています。
(なぜそのように書かれたのでしょう、記者の思い込みなのか勘違いなのか。
お菓子の制限などは自分でしていますけれども。 
ジャパンタイムズの記事は、捏造の3か月離婚騒動がまるで事実みたいに勝手に書かれてしまったのも完全な虚偽情報ですし、記事に間違えがありますので その点はご注意ください。)
 
食に興味のなかった羽生結弦が、自分ひとりで、健康と食事管理を徹底するのは大変な作業です。
(コーチがいないのは事実ですけれども。)
 
羽生結弦の健康・体調管理改善は、以下のインタビューでご理解いただける通り、味の素スタッフらの長年の尽力と体質改善によるものです。
 
現在も、食事管理は、味の素がすべて担当していますので 間違え情報の流布にご注意下さい
以下のインタビューで 今までの軌跡がご確認いただけると思います。
【全文公開】対談「羽生結弦×栗原秀文」焼肉と寿司が好きだった17歳との出会い/上編 - フィギュア : 日刊スポーツ・プレミアム

 
 
味の素から羽生結弦が絶賛したあんかけオムライスの紹介です!
 
 
10月26日(土)BS朝日で14時(午後2時)から 番組に出演しました! Tver で見逃し配信中です! 登録すればそちらからご覧いただけます! 羽生結弦が北京五輪のエキシビション「春よ、来い」にかけた想いが出てきます。本当は、つぶされたショートプログラム「白鳥」をEXでこそやるつもりで、栗原さんにサポート頼んだのですよ、最初は。 2021年から2022年に全精力傾けて仕上げていた、一生残したいと強く願った五輪用のプログラムで、いまだに披露できていない 羽生結弦にとって宝だった珠玉の作品がお披露目されるのはいつでしょうね!

※羽生結弦公式広報よりお知らせ:羽生結弦は、自分の意思で、母親を、羽生結弦のすべてのマネジメントから外していますし関係をきっていますので公表中。母親が勝手に代理した契約や勝手に許可したもの等はすべて最初から無効です。今後も一切代理権限がありませんのでご注意下さい。(羽生結弦・公式声明)

毎年恒例の「YUZU公認」マーク付きで有名な、羽生結弦ダイアリーです!「YUZU非公認」スタンプをつけて名乗る、ファンだましの虚偽流布アカウントに対する警告として、羽生結弦の意志でこのマークはつけられ、3年間つづいておりますし今年も継続中です! 

味の素はいつも羽生結弦の食事による、怪我防止のための日々全力な尽力と、健康の完全管理、ありがとうございます♪ アスリートにとって虐待レベルの技術妨害衣装強要や人権侵害がどれほど酷いことか、とてもよくご理解の上、いつもご尽力いただきありがとうございます! しかし味の素スタッフの皆様も、脅迫され続けてきました。

心からの笑顔な毎日が送れますように、世界中の「羽生結弦と同じ」キリスト教信仰の皆様は、ぜひ厚くお祈りいただけますと幸いです! いつもお祈り本当にありがとうございます♪

羽生結弦 選手からのメッセージ https://t.co/iv72aWxGql

 アミノバイタルの新商品の アミノバイタルMomentをアピールする羽生結弦 いい笑顔ですね♪ 梅干し味だそう!(笑)「⛸#羽生結弦 選手も愛用 ⛸ 7/26に一般発売 #アミノバイタルMOMENT✨ 飲みやすくさわやかな梅干しフレーバー

下に、栗原さんの熱い挨拶が動画で公開中。 ビクトリープロジェクト 栗原 秀文 ミドルネームは「Victor」🔥 今までも多くの選手のコンディションを見極め、✨ 熱いハートと緻密なニュートリションプランで選手と一緒に戦い切ります💪

羽生結弦が本当に信頼している人たちだけから成る「チーム羽生」の「味の素スタッフの皆様」は、いつも羽生結弦の食事・栄養管理と健康管理の徹底サポートをありがとうございます。味の素社とその周辺関係者には、異常にしつこい「仕事つぶすぞ脅迫」「殺すぞ脅迫」がなされてきたことが判明しておりますので公表中。ご覧の皆様もぜひ、本当に勇気ある行動をとる人・とる企業を、どんどん応援してください♪

羽生結弦選手と歩む味の素(株)「ビクトリープロジェクト®」の軌跡

羽生結弦を支えてきた、ビクトリープロジェクトのチームメンバーの皆様のご紹介です♪こちらをクリック♪VICTORY PROJECTメンバー紹介|

一般的には、息子や娘を監視や監禁する親、させる親がどこかにいたら、そういうのは毒親と呼ばれます。しかし、親や家族を脅迫して、ターゲットを監禁させるように脅迫し続ける人間がいたら、その人間はもちろん、日本では本来許されないような酷い人権侵害をしているのです。

羽生結弦の食事の徹底管理は 味の素が行ってきました。羽生結弦には、「元妻」などという存在は一切おりません! 羽生結弦を利用して 日本で大問題になっている某新興宗教の宣伝に利用してきた「元妻詐欺」に御注意下さい。

安倍派の政治資金問題で橋本聖子元五輪相の告発状を提出 神戸学院大の上脇博之教授

皆さんご存知と思いますが、最近ファンになった方々は知らないと思いますのでお知らせしますが、橋本聖子さんは、前の日本スケート連盟の会長。2019年に、五輪相になるので、会長を辞めて交代されました。 

2019年、紫のオリジン衣装のような、羽生結弦に壮絶な嫌がらせのアスリートにあるまじき「技術妨害衣装」が、露骨に強要され出した年です。その前から技術妨害衣装を作って押し付けようとする人間はいましたし、「Notte Stellata」の白鳥衣装は、最初はジャンプが跳べなくなる重い石が手のところにつけられていた事実は、「フィギュアスケートマガジン202-2021Vol.2」の中で、作った本人の言葉で証明されていて、それゆえに、羽生結弦は自分でむしり取ってはがしたり、修正しない人間の衣装を拒否して 足立奈緒さんの「Notte Stellataの白鳥」衣装に変えてきたわけです。この頃はそれでも、技術妨害衣装が、試合本番で日本のトップアスリートに強要される「日本の恥を世界にさらす」ことは、さすがにありませんでした。橋本聖子さんはスピードスケートの元メダリストでしたから、技術妨害衣装が、「ミリ単位での空気抵抗」や「秒」との闘いのある、スポーツ選手たちへのすさまじい虐待であることが見てわからないはずもありませんし、回転軸を狂わせる酷い衣装が見抜けないはずもありません。 

いつも栗原さんと味の素社スタッフの皆様は 羽生結弦の健康と生命の安全を第一に考えた、怪我防止のための食事への工夫や 羽生結弦の命と未来を守るための様々な取り組みと行動を、どうもありがとうございます!さらなるご活躍を、羽生結弦の神、主イエス=キリストの御名で心よりお祈りいたします!アーメン。

サポート中の 羽生選手の食事シーンをご紹介  鍋キューブ を使ったお鍋

【「仙台観光アンバサダー」の羽生結弦さん】仙台市のLINE公式アカウント)

ビクトリープロジェクト20周年のお祝いに、羽生結弦が元気いっぱい明るい声で、お祝いと感謝、さらに宣伝してくれている動画が、ついに公開されました♪(これは11月30日に本当は公開されたものです) 

羽生結弦からのコメント

「ビクトリープロジェクト、20周年、おめでとうございます! 僕がビクトリープロジェクトの栗原さんと出会ったのは、2013年で、以降、大会やアイスショーを中心に、栄養面をサポートしてもらっています。緻密に栄養計算された食事と、アスリートには欠かせないアミノバイタル、また、ギョーザ好きな僕のために、アスリートギョーザを開発していただいたりと、選手にシッカリ寄り添っていただけているおかげで、いつも万全なコンディションで、本番に臨めています。これからもサポートをよろしくお願いします!羽生結弦でした!」

味の素ajinomoto公式TikTok から、羽生結弦の勝ち飯応援・ご挨拶動画が公開されました!こちらをクリック

#羽生結弦 選手 Happy Birthday 羽生結弦 選手へのお祝いメッセージ!味の素公式ツイッター

羽生結弦は、本当のキリスト教信仰なので、信仰の全く違う相手との結婚など微塵ほども望んだことさえありませんし、「元妻詐欺」で売名してきた日本で大問題になっている某新興宗教の宣伝のための信者に十分にご注意下さい。こんな嘘で売名できる人間とは、羽生結弦と本当の結婚相手が目指している芸術性は、正反対の相いれないものです!

Yuzuru has never divorced, please be careful  with fake news rrom intimidators and threateners.  They have forced Yuzuru's sister to post fake  announcement from fake account @YUZURUofficial‗

ajinomoto×sports公式ツイッターから、新商品「アミノピザ」が公開されました♪ 羽生結弦の毎日の健康と栄養管理を徹底して担当してきた味の素に、応援の意味も込めて、クリックどうぞ♪ 「#羽生結弦 選手も食べて下さった「Amino Pizza」 どっちが食べたいですか? 低脂質・高たんぱく・ビタミン豊富な 「Amino Pizza」は2種類 

羽生結弦のオリジナル動画が公開中です♪こちらをどうぞクリック♪

羽生結弦が、ビクトリープロジェクト20周年のお祝いにコメントしました!

「20周年おめでとうございます」「僕がビクトリープロジェクトの栗原さんと出会ったのは2013年で、以後、大会やアイスショーを中心に栄養面をサポートしてもらっています」「緻密に栄養計算された食事と、アスリートには欠かせないアミノバイタル、またギョーザ好きな僕のために、アスリートギョーザを開発していただいたりと、選手にしっかりよりそって頂けているおかげで、いつも万全なコンディションで本番に臨んでいます。これからもサポートをよろしくお願いします。羽生結弦でした」

新商品アミノピザは、羽生結弦の思いが反映されています♪

アミノバイタル公式から、羽生結弦の宣伝動画が公開中です! ちらをクリックで見られます♪ アミノバイタルとアミノプロテインをぜひご活用ください

羽生結弦は、本当のファンならだれでも知っているように、バイオリン曲は徹底して拒否して、ピアノ曲にアレンジしてまで、自分の演技する作品、代表的な作品には、ピアノ曲を使うことに非常にこだわってきました。北京五輪シーズンの曲を決める際も、羽生結弦が最後までこだわったのは、ピアノ曲でしたので、最後は、ピアノ曲でないものを、ピアノ・アレンジにすることを提案し、実際にその通りに「ピアノアレンジを依頼して」「ピアノ曲にされたもの」でわざわざ演技してきたのです。)

 ← こちらは、北京五輪用・本当のショートだった「白鳥」用の衣装で、カナダのキャロンさんのデザイン&製作です♪ 味の素は、心身ダメージが酷かった羽生結弦のために、必死のサポートをありがとうございます!

アミノバイタル公式から、アミノプロテインの宣伝が、羽生結弦の動画で公開!こちらからどうぞ!(クリック!)

本当に羽生結弦のことを考えて支え、応援してくださってきた「味の素」をぜひ応援してください♪ 公式TikTok から、羽生結弦の「香味ペースト」の宣伝動画が配信されています♪ぜひご覧ください♪

羽生結弦選手から香味ペーストの誕生日お祝いメッセージを貰いました! #羽生結弦 #yuzuruhanyu #香味ペースト #チャー活 | 羽生結弦 スケート | TikTok

並外れて激しい運動量の羽生結弦を、日々、陰で支えている 味の素の開発の「パワーボール」!(笑)をどうぞ♪

羽生結弦からの応援メッセージ動画はこちら

プリンが話題になっていますが、実際には 羽生結弦も安心して喜んで食べている「アスリートプリン」はこちらをどうぞクリック♪注文できます!

 

「Conquest of Paradise」(天国の勝利)は曲もよく、ふさわしく、二人のコラボも素晴らしかったと思います!いい角度の映像で見ることができます!

羽生結弦が今回着た、「星降る夜に」の白鳥衣装は、足立奈緒さんの衣装で、色なども以前とは変更させてあるものですので、羽生結弦の希望を受けて、公表いたします。

羽生結弦のパワーボール製作の裏側動画はこちらからどうぞご覧ください

 
2011年から12年目となります。
深い悲しみを乗り越えて、少しでも希望を、少しでも前に向かえる力となりますよう、そのような日となりますよう、羽生結弦を守り、支えてきた 主イエス=キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。
 

「Notte Stellata」(ノッテ・ステラータ)」は、イタリア語で、満天の星空の意味です。「星降る夜に」と題された楽曲(サン=サーンスの「白鳥」を原曲に、イル・ヴォーロの皆様が歌詞をつけて歌っている曲)は、羽生結弦にとっての2つ目の「白鳥」の演技でした!

羽生結弦にとっての大事なプログラムを虚偽や侮辱で汚されないためにも、衣裳はとても腕のいい方(足立奈緒さん)に、明るく希望を感じられるものへと修正していただいたものを着ていますので、どうぞご了承下さい。

インタビュー第3回目です!内村航平さん 羽生結弦さんと重なる「なんか、美しいな」 「notte stellata」直前インタビュー3 (msn.com)

内村航平さん「僕も羽生結弦くんも知っている」五輪とは 「notte stellata」直前インタビュー2 (msn.com)  一言でいうと、羽生結弦選手は平昌五輪のあの時、自分に与えられていた使命を心から信じて、神(イエス=キリスト)に信頼していたのです。それに尽きますね。だからこそ、その後の4年間があり、今があるのです。

イエス=キリストの言葉 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイによる福音書11章28-30節)

※ 新情報公開: ちなみに、大勢の羽生ファンが2023年初頭から大騒ぎしていた、羽生結弦の悪口三昧だった、謎のイラストレーターも、技術妨害衣装を作った人間と下の名前が同じでしたが、実際にその正体は同一人物だったことが、警察捜査で判明いたしましたので、これ以上、騙されるファンが続出し続ける「被害拡大阻止」のために、その事実を公表いたします。どうぞご注意下さい、

内村航平さん「羽生結弦くんとは似たもの同士」 「notte stellata」直前インタビュー1 : スポーツ報知 (hochi.news)

羽生結弦は、長年の衣裳の強要についても勝訴しました。脅迫と強要に屈しない、明るい社会・希望ある未来へ!!

羽生結弦からご挨拶コメントです♪クリックどうぞ!お楽しみに!

味の素から、羽生結弦と栗原さんの対談のインタビュー動画(既出)はこちらです!どうぞクリック

脅迫と強要に屈しない、脅迫者たちに絶対に利益をまわさない、明るい社会・希望ある未来へ!!

羽生結弦・栄光の全日本ヒストリーはフジFOD動画で配信中!こちらをクリック

羽生結弦本人より、今回の事態を受けての告知です。白黒の偽ロゴを使われた、偽ツイッターアカウント (@YUZURUofficial_) は脅迫者に脅迫されている 羽生結弦のご家族様・ご親族様の一人が、やらされているものですので、法的措置を講じておりますので、ご了承ください。

アミノバイタル公式ツイッターから、羽生結弦のメッセージ動画が公開されています!こちらをどうぞクリック

「本気の練習のために、アミノバイタル!」 アミノバイタル【公式】から【#取材こぼれ話】3つ目

「どんどん飲みやすく改良されて、美味しいですよ」とおっしゃってくださいました。 羽生選手にとってアミノバイタルは「常に側にある存在」なのだとか。 光栄です

味の素から、羽生結弦がおにぎりを作る動画を、公開中!

羽生結弦も大好きなパワーボールは簡単です!ぜひ一緒に作ってみましょう!

あなたもあなたの花を咲かせよう!あなたの周りに「笑顔の花」を咲かせよう!羽生結弦プロジェクト♪ 羽生結弦の笑顔の動画をどうぞご覧ください!

味の素の アミノバイタル【公式】から【#取材こぼれ話】2つ目が公開されました!(クリック)

Q:. 将来、競技者から指導者という選択肢は想像していますか? 「追々考えようとは思うけど、自分の積み重ねてきたことが全員に当てはまるとは思えない」

同じことを同じようにできるとは思えないけれども、多くの人の参考になることはたくさんあると思います!羽生選手(羽生結弦)は今まで、ふつうの人なら決して耐えられないと思えるほどの 尋常でない人権侵害とあまりにも異常すぎる闘いを、数えきれないほど乗り越えてきていますので。(管理人)

AJINOMOTO×SPORTSから、羽生結弦からの激励メッセージ動画が公開です!こちらをクリックどうぞ♪

味の素には、いつも羽生結弦の健康を守るサポートと闘いを、どうもありがとうございます!

アミノバイタル【公式】から、羽生結弦への【#取材こぼれ話】が公開!

Q. #羽生結弦 選手、本は読まれますか? 「本を読むって、いわゆる小説とかのイメージですが、僕は解剖学の本とかを何冊か読みました。 カラダの使い方みたいなものを多く読んだわけではないですが、プロとして常に良いパフォーマンスを出すために、役立っているとは思います。」 https://t.co/7nTXN054JQ」 / Twitter

羽生結弦と内村航平さんの被災地のアイスショーでの共演が発表されましたが、技術妨害衣装を強要されてきたことが、どれほど羽生結弦にとって酷い人権侵害だったかを、世界中のファンとマスコミ関係者と日本国民の皆様に、羽生結弦の想いが伝わると幸いです。

被災地では実際にレイプ犯罪は多々起こるものであり、声を上げられない被害者が今も苦しんでおられるのです。だからなおさら、無実の羽生結弦に対し、そのようなイメージをしかけることほど恐ろしく罪深い罪はありません。

ファンとマスコミ関係者の皆様のご理解・ご協力をお願申し上げます。

羽生結弦が理想としてきた、本当のきれいな「4回転アクセル」の成功と公開の記念に、ぜひどうぞ♪味の素から、あまりにもきれいで完璧な 4回転アクセル成功映像公開後に、最高の笑顔で、白いセーターでガッツポーズをとっている羽生結弦の写真が公開されています。

12月25日クリスマスは #スケートの日だとのことで、羽生結弦へのサポートと勝ち飯が公開されています!!

4回転アクセル成功、本当におめでとう!! 羽生結弦の怪我回復や予防のために、いつも全力で頑張ってサポートしてきてくださった味の素スタッフの皆様には、本当に心から感謝です!! めちゃめちゃ幸せなクリスマスになりました…♪  羽生結弦の4回転アクセルの完璧な成功映像は、この動画の演技「サザンカ」のラストのところです(その後、3回転に修正しろとの脅迫で修正させられていることを公表中!)

それまでの軌跡と合わせて、聖夜に贈られた奇跡の高難度だらけの演技動画を、羽生結弦公式 YouTube 「HANYU YUZURU」で、ぜひご覧ください…♪

羽生結弦のインタビュー 全部 が公開されました!! クリックどうぞ♪

挑戦のそばに│「アミノバイタル」│味の素株式会社 (ajinomoto.co.jp)

彼が描く、「新しい羽生結弦」とは、どんな姿なのでしょうか。
「とにかく、自分のスケートをちゃんと楽しんでもらえる。そんな活動を、これからも続けたいです。僕の人生は、フィギュアスケートがほぼ9割。だから、表現することが好きですし、楽しい。
アスリートであるからこそ出来る表現、技術的な難しさや体力的な挑戦も含めて、常に表現者でありたい。それを自分のスケートで見せていくのが、これからの僕の理想像です」

選手からプロアスリートに転向し、自由になった分、自分でやるべきことの決断も求められます

「それこそ、自分の中でも葛藤はありますね。スケートのレベルを向上させるのが一番大事なので、『僕がここまでやる必要あるのかな』って思う部分もある。でも、それをやらないと自分の世界が表現しきれない。だから妥協せずに頑張っていきたい。今は基盤を作っている段階で、一番大変な時だと思うのですが、しっかりやっていきます」

(脅迫者たちを調子に乗らせることや、脅迫者や妨害者の言いなりになったり、それらの技術妨害や プログラム破壊の酷い衣装を絶賛することは、被害を拡大させていることに他なりませんので、ご注意ください。) 

なお 羽生結弦が 28歳の自分の誕生日の日(12月7日)に「クラシックTV」の収録をしていたという事実はなく、収録は別の日ですので お知らせいたします。 羽生結弦は、仙台にいましたので。

羽生結弦への長年の脅迫者の重大な一人で、今日までの捏造や技術妨害衣装を強要させ、甚大な被害を拡散させてきたのは、靖国神社を推奨し、ナチスドイツを絶賛し、フリーメイソンを宣伝し、安倍元総理が殺された後、3日も経たないうちに笑顔でゴルフをしていて、五芒星に執着している、脅迫の常習者です。

いつも味の素には、羽生結弦の本音や心に寄り添ってくださって、栄養管理も含めて、健康と心身を守る絶大なるサポートを感謝です!!

 

プロローグ八戸公演での羽生結弦と 味の素の栗原さん ↑

羽生結弦も大好き!!で、ほぼ毎日食べるというほどの、羽生結弦の一言から、味の素のビクトリープロジェクト・栗原チーフが開発して下さった、脂肪の少ないアスリート・ギョーザ!!

recommendFor ATHLETE エナジーギョーザⓇ | 味の素冷凍食品 公式オンラインストア (ajinomoto.com)

recommendFor ATHLETE コンディショニングギョーザ | 味の素冷凍食品 公式オンラインストア (ajinomoto.com)

「For ATHLETE」ムース | 味の素冷凍食品 公式オンラインストア (ajinomoto.com)

(※ アスリートムースには、アミノバイタルと同じアミノ酸が入っています!)

プロローグの八戸公演の会場となった、「フラット八戸」 (管理人撮影)

 

 

 

 

 


「春よ、来い」「SEIMEI」と「Origin」の証言ーー爆心地付近の奇跡の生存者、その孤独な生涯から羽生結弦に託された「幸せのかけら」と『世界で一番尊い使命』

2025-01-14 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!

ページトップ写真:フォトグラファー矢口亨さん(当時スポーツ報知)写真 報道写真展より 矢口亨さん公式X Yuzuru’s costume of "Haruyo Koi" has been designed by NAO ADACHI and YUZURU HANYU, created by NAO ADACHI since the first performance in 2018  羽生結弦は「春よ、来い」ピアノアレンジの曲を使用!自分で衣装の羽衣の案も出したイメージ通りのお花はこちら♪「春よ、来い」の衣装は、羽生結弦と足立奈緒さんが本当のデザイナーで、製作者は最初からずっと「足立奈緒さん」のみ。真実は永久に不変です!

  羽生結弦は大谷選手を尊敬していますし、仲良いことに変わりありません。元妻詐欺で売名や名誉毀損を繰り返す人物や媒体に充分ご注意下さい。また、ジャパンタイムズで、ねつ造3ヶ月離婚が真実みたいに書かれたり、羽生結弦が自分で食事管理したみたいに書かれましたが、どちらも真実ではない虚偽情報となりますのでご注意下さい。

羽生結弦は自らの意志で、母親をすべてのマネジメントから外していますので公表中。代理権限は一切ありませんし今後もありませんので、関係各社は御注意・ご了承ください

「ラスト・アンビエント」の衣装は、折原志津子さんのデザイン&製作の衣装ですので公式広報から羽生結弦の責任で公表・告知中!本当のファンの皆様は偽情報に十分に御注意下さい。

日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞 100歳の被爆者涙

羽生結弦アイスストーリー第三弾Echoes of Life は、念願の広島公演が開催されます!Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd -Echoes of Life- TOUR | 2024-2025

被爆や核兵器の実態が伝わりますようにと、私たちの共通の神であり主であるイエス=キリストの御名でお祈りいたします!アーメン

羽生結弦が、国際スポーツプレス協会(AIPS)の過去100年間のベストアスリート・トップ6位に選出(日本人でも冬季競技でも唯一)www.aipsmedia.com 世界137か国・913人のスポーツジャーナリストが選出!羽生結弦「過去100年ベストアスリート」堂々6位! アリ、ジョーダンらに次ぐ快挙

戦後79年目、二度とこのようなことが起こらなくてすむよう、すべての犠牲者への追悼と共に、世界の平和の実現のために祈ります!

嘘だらけ情報の異様な世界で、脅迫に屈するつもりも、ファン騙しに加担するつもりも一切ないという信念を主張してきたのは私ですので世界中のファンはご了承ください。そんな私を真のパートナーで結婚相手・妻に選んでいるのは羽生結弦ですから、脅迫に加担する者・してきた者たちは、ファンや世間を騙す行為に加担したことになります。

※「元妻詐欺」の売名人間は、日本で大問題になってきた反キリストの新興宗教の関係者で、裏切りの弁護士と結託して、偽デザイナーたちが仕掛けた羽生結弦への虚偽告訴の数々への反撃となる私の証言文書を、自分の名前とサインに変造・偽造しただけでなく、羽生結弦が知らないところで勝手に婚姻届けと離婚届けの偽造までして提出していたことが発覚し、それらは当然最初から完全無効ですので記録からも完全抹消されています。私たちとは信仰も信念も正反対ですのでご注意下さい

原爆の父・オッペンハイマーが被爆者に涙を流し謝罪 なぜ今、証言映像が明らかに…関係者が語る  「原爆の父」オッペンハイマー氏が被爆者に謝罪 「涙流し」と通訳が証言

このぺージの後半に掲載されている、「奇跡の生存被爆者Bさんの証言の初公開」は、「2019年の12月4日」でした。当時からの、「羽生結弦の使命と真実」が証明されている本ページを、再UPします!  

Goliath」---「聖書」に基づく演技公式YouTubeから配信中!

このページに掲載した「使命」を、羽生結弦は自ら、生涯共に担い継続することを強く希望して、2019年以来、今日まできた共に闘ってきた真実を世界に公表中。「本当に愛がある」者は脅迫など絶対にしませんし、させませんし、意図的に嘘を流させません。そもそも「使命」とは神が与えたものであって、他人がはく奪できるものでさえありません。神様は人間に拒否権も認めておられますが、羽生結弦は強いやる気と意欲をもって酷い犯罪被害に遭い続け「殺してやる脅迫」をされ続けても、私と共に続ける決意と想いの結晶が今までの演技の数々ですので世界に公表中!

「天と地と」衣装はすべて、「花になれ」衣装をデザイン&製作したキャロンさんが本当のデザイナー。羽生結弦は「花になれ」と似た衣装にと強く希望して、製作依頼!羽生結弦の心を守るため陰でずっと支えて下さっているカナダのキャロンさんには本当に感謝です!

聖書では「竜」「龍」「蛇」は悪魔の象徴として一貫して表現されており、この記述は、日本が何かを拝む歴史より先に書かれていたものです。  脅迫と強要に屈しない、明るい社会、希望ある未来へ!「羽生結弦 伝えたい思い」原発事故で12年間の避難生活“   

北京五輪SPで着た衣装は、本当のSP「白鳥」用で、私のアイデアをもとにカナダのデザイナー・キャロンさんのデザイン&製作衣装でこの真実はすでに裁判で勝利。また、Notte Stellataの白鳥衣装は2016年に修正拒否された後からずっと、足立奈緒さん製作の衣装です!一人一人が脅迫に屈しないことが何よりも大事です!「夢をつかみ取った」ことを表現するには、どうしても、羽生結弦は、「北京五輪の本当のSPだった「白鳥」用の衣装を使いたい」希望で演技しました。「序奏とロンド・カプリチオーソ用の衣装」は存在していないので、本当のプログラム「白鳥」の衣装を使って真実は何かを示したのです。

クリスマス2022特別演技・公開中!HANYU YUZURU - 『サザンカ』羽生結弦が国際大会で優勝した9歳の頃からの軌跡と「実は4回転アクセルは成功していたのに脅迫でつぶされた」証明の演技 指田さんの「花になれ」 ピアノ版

今年は戦後79年目に入ります。戦時中の悲劇と痛み、無数の被爆者および戦争犠牲者への追悼と未来の平和のために、心よりお祈りいたします。羽生結弦は現在、プロとして、被爆者や戦争犠牲者の心を傷つける、悪魔や卑猥妄想・技術妨害にされた衣装である、黒と紫の2つのOrigin衣装の展示や宣伝を一切許可していませんが、人間として、当然のことです

ご注意)羽生結弦も私も、「幸福の科学」や、オカルト儀式を行う者やオカルト行為を行う団体とも、もちろんフリーメイソンとも、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)やそのダミー団体や関係団体とも全く関係ありませんし、まして、ナチスドイツを絶賛する差別的思想とは、私たちの信念は完全に正反対。羽生結弦を勝手に宣伝に利用し監禁までしてきた人たちは、羽生結弦と私の名誉と信用を毀損させ、業務妨害と憲法違反の人権侵害を行い続けたのです。同姓同名の生年月日が違う診断書で、入院だの奇跡の回復などと騒ぐ人や、戦後生まれなのに戦時中生まれと詐称する人間の目的は何でしょうか。十分にご注意下さい。

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羽生選手は、プログラムに込められている意味を、「正しく伝わる衣装、意味を込めた内容になるように」プログラムで何を表現すべきか、何をやってはダメなのか、何をやると誤解を招いて世界に通用しないのか、を教えてきた私のアドバイスをことごとく取り入れ、今日まで私と共に使命を担い、見る者の心を傷つける衣装・けが誘発の技術妨害には断固NOを貫いてきました。羽生選手は、飾りの飛び出た技術妨害衣装で最高難度のジャンプへの挑戦を強要され続けました。羽生結弦が「どん底まで落ちた」と語ったのはコロナ禍1年目の2020年ですが、それは「Yuzu非公認スタンプ」を作ってツイートにつけて自分が誰かをアピールし続けてきたツイッター主の虚偽流布と名誉毀損と侮辱が酷くて精神ダメージが酷かったから。プログラムや衣装についての真実と正反対の虚偽を流布して、名誉毀損・信用毀損・プログラムの意味破壊を羽生結弦と当サイトに繰り返していたからです。

羽生選手の「春よ、来い」の演技に込められた意味は、このページを最後までぜひどうぞ!この「春よ、来い」の衣装を、羽生選手の本当の希望通りに最初から作ってきたのは足立奈緒さんただ一人です!平昌五輪の「SEIMEI」と「バラード第一番」衣装も足立奈緒さんの衣装です!

北京五輪のSPで着た衣装は、本当のSP「白鳥」用の衣装であり、「花になれ」や「マスカレイド」衣装を創ったカナダのデザイナー・キャロンさんの作品だと裁判で証明されて羽生結弦側は完全勝利!キャロンさんの公式サイトHOME - Feeling Mathieu Caron

羽生選手の「羽生結弦としての」プログラムの「天と地と」に出てくる「琴の音色」は、わざわざ「新・平家物語」からとってあって、さらに羽生選手の依頼で音響の矢野さんが音を重ねて作っています。新・平家物語 - 広島市公式ホームページ (hiroshima.lg.jp) 羽生選手のプログラム「天と地と」は、大河ドラマ「天と地と」と「新・平家物語」の二つの楽曲を組み合わせて創られています。

(追記:このページに登場するBさんが日本人に証言しなかったのは、日本人には必要ないと思っていたからではなく、あまりにも傷つき過ぎ、同じ日本人に傷つけられ過ぎて、証言できなくなっていた、が真実だったのです。)

6月28日追記: 2019年3月のさいたま世界選手権とその後、1年目のOrigin衣装(黒)で、衣装でどれほど酷いことを意図的にやられたかを見て、羽生選手の怪我の酷さを考えた私は、羽生選手に「これ以上頑張れとはもう言えない。今後、もっとひどいことをやられる可能性がある。」と本気で告げました。しかし、その後羽生選手が出した結論は、私の想像を超え、まさかの「今までにないほどやる気を出した!」でした。そして羽生選手は2019年4月にOriginを2年目も取り組むことを決意し、「マスカレイド」の演技で、虚偽流布と技術妨害とプログラム破壊を繰り返し強要した自称デザイナーへの猛抗議を表明して手袋を叩きつけて表現!

続く人たちに同じ思いをさせない、同じ目にあわせない、「負の連鎖を断ち切ること」が、羽生選手と私の今日までの強い決意と思いでした!

フリー「天と地と」への羽生選手のコメント:「このプログラムに重ねている、自分の人生みたいなものを、しっかりと闘い抜きたいなと思いました。」「プログラムへの自信、自分の「芯」を取り戻したい」「自分の最終の理想形にたどり着きたい」 『自分が羽生結弦のままでいられるプログラムにしたいと思っていました。』(複数インタビューより)(羽生選手が自分のままでいられるプログラムとして、北京五輪用のショートに選んだのは、「白鳥」だったのです。)

奇跡の生存被爆者のBさんの命を、文字通り「奇跡的に」救った存在とは、一体誰だったでしょうか? 

2021年3月11日:本日は東日本大震災からちょうど10年目の日です。本日、日本全国でトップを切って、広島で「桜の開花宣言」!(こちらのニュース記事より) 全てをご存知の天地創造主の神様に、心から感謝します!

以下、「春よ、来い」の歌詞の一部 Yuzuru Hanyu 羽生結弦 -  YouTube

「淡き光たつ にわか雨  愛し(いとし)面影の 沈丁花(じんちょうげ)溢るる(あふるる)涙の つぼみから 一つ一つ香り始める それは それは 空を超えて やがて やがて 迎えに来る 春よ 遠き春よ まぶた 閉じればそこに  愛をくれし君の なつかしき声がする」 「君に預けし わが心は  今でも返事を待っています どれほど月日が流れても  ずっと ずっと待っています  それは それは 明日を越えて  いつか いつか きっと届く 春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき  夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く」

2年目のOrigin衣装に羽生選手が本当に込めた想いは、こちら!しつこく流布された嘘との違いをご確認下さい!(クリック)

「わたしは世の光である。わたしに従うものは暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(イエス=キリストの言葉 ヨハネによる福音書8章12~20節 新約聖書 新共同訳より)

黙ってさえいれば「誰も傷つかない」というのは妄想に過ぎません。今黙っているなら、もっと大勢の人が、取り返しがつかないほど傷つく日が、未来に必ず来ます。

このページは、皆様の想像よりはるかに書くのが精神的にきつく、公開して出すまでには、本当に沢山の涙を流しました。羽生選手はそれをよくわかっていたので、本当に心を込めて、凄まじい人権侵害と犯罪被害となる数々の大被害をうけて今日まで妨害され続けてもなお、不屈の精神と情熱でここまで頑張ってきたのが真実です。

私はもともと、羽生選手の演技から何かが伝わればそれでいいと思っていたため、この内容を公開して伝えるつもりは全くありませんでした。でも、証言を形にして広めることになったのは、常軌を逸した嫌がらせの連続に対し、羽生結弦がプログラムたちに命を吹き込むべく、衣装デザイナーが仕掛け続けた異常過ぎる妨害と虚偽流布と侮辱の数々にもめげずに本気で闘ってきたからであり、その結果、この「幸せのかけら」「幸せの種」を真剣に受け止めて下さる方々が広がっていることに、心から感謝いたします。

過去の歴史の全て、世界の真実を全てをご存知の、真の天地創造主の神であり救い主である、主・イエス=キリストに心から感謝します!ハレルヤ♪

羽生選手のプログラムと衣装について、捏造・妄想・嘘と侮辱と名誉毀損内容を何度も雑誌やネット上に流してきた人間たちの虚偽流布が極度のしつこさでやられたため、当サイトコメント欄は侮辱、誹謗中傷、見当違いの抗議などが何年もきていました。もし私が証言しなければ、今日でも羽生選手についての嘘が信じられたままであったことは間違えないのです。

※ 2018年の2月17日は、平昌五輪で羽生選手が五輪2連覇を成し遂げた日です!スポーツ報知高木さんの当時の良記事。  

「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。(中略)しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者です。」(ローマ人への手紙8:35、37 新約聖書 新改訳2017)

2014年2月14日は ソチ五輪で羽生選手の金メダル獲得の日。プルシェンコさんは団体戦では金メダル。しかし、個人戦の直前6分間練習中に、30年は折れないと言われた背中のボルトが折れて、まさかの直前棄権。その時、プルシェンコさんが神様から言われた言葉は、「エフゲニー、もう十分だ」だったといいます。そして羽生選手は個人戦で金メダルに。息を呑む展開の約1時間ーーープルシェンコさんと羽生選手、互いへの長年の尊い想いを尊重したかのように、勝敗ではなく、王者交代劇を導いた神様の凄さに、ただただ感動で震えました…!

平昌五輪後に開始したプログラム「Origin」は、ずっと羽生選手の憧れであり続けた非常に熱心なキリスト教徒のプルシェンコさんに心からの敬意と感謝を込め、真の天地創造主たる神様(イエス=キリスト)のご意思に忠実にあろうとしたプログラムでしたが、「Origin」衣装は2シーズン連続、羽生選手が望まなかった形にされ、侮辱の衣装を強要されたので、2年目のシーズン途中で却下したのです。

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初掲載:2019年12月4日

「幸せ」とは、いったい何で、どんなものでしょう。

これから書くことは、私が「ある方」から託されてきた「幸せのかけら」でもあり、私から、羽生選手に託した「幸せのかけら」の一つでもあり、フリーのプログラム「天と地と」「Origin」「SEIMEI」の、まさに「源」の一つとなっている、とても大切な事実です。

羽生選手は、この「幸せのかけら」を とても大切に受け取り、共に、真の神様から与えられている使命として、今までの様々なプログラムにも、もちろん「SEIMEI」にも、そして「Origin」「天と地と」には特に、何よりも本気で込めてきて、一人でも多くの人に伝わるようにと本気で心から願ってきた、そんな「奇跡の証言」でもあります。

それを伝えていくことが、多くの「一人一人の」幸せにも、そして、たまたま羽生選手の演技を見て下さっただけの人たちの幸せにも、もちろん、ライバルの選手たちの幸せにも、そして世界中の人たちの幸せに、必ず、つながっていくと信じているからです。

その、「奇跡」の「軌跡」を、ここに証言いたします。最初は私の話から始まりますが、必ず最後には、「あなたのもとに」届くはずですので、どうかしばらく我慢して、最後まで、お読みいただければと思います…

私は、自分が10代の時、広島や長崎の被爆者の写真などを 授業で見せられていた時、あまりにも悲惨で、あまりにも辛くて、見るに堪えないものばかりなので、本気で切実に、こう祈ったことがあります。

「神様、もう、ヒロシマの原爆のことはいいです。 もう十分です。もう、こんなにも悲惨で残酷な写真を、これ以上見たくはありません。神様、あなたはよくご存じなように、私は、残酷なものが本当に嫌いです。私はできれば、ただひたすら、美しいものや、優しいものだけを、見て生きていきたいのです…」

ーーー本気で切実に祈ったので、とても よく覚えています。すぐに気づいた方もおられると思いますが、今振り返れば、実はこれこそ、「被爆者の方々には」とても「残酷な」祈りだったと言わざるを得ません。 (もちろん、この祈りは声に出していないので、知っているのは神様だけだったのですが。)

ですから、これをここに書くことも、ある意味、私はとても恥じているし、特に、被爆者の方々、被爆地の方々には、大変申し訳ない気持ちでいます。

でも今、これをわざわざ、ここにこうして書くのは、神様はーーーすなわち、私の主であられる、イエス=キリストは、私のこの「切実だった」祈りを確かに聞かれ、しかし、私のこの時の想像をはるかにはるかに、はるかに超えたものすごい形で、正真正銘、本気で、真摯に祈りに応えて下さったのだと、今の私はよくわかるからです。

ーーーその祈りから、何年も経った、ある日のことでした。私のところに、1本の電話がかかってきました。内容は、「ある被爆者が、外国人の方々に証言したいと願っておられるのだけれども、無償で通訳をしてくれる人を探している。 あなたに、引き受けてもらえないか。」というものでした。

私は、とても価値のあることだと思いましたけれども、自分に果たして務まるのか不安に思い、躊躇しました。私よりはるかに英語に堪能で有能で、原爆にも被爆にも詳しくて、その役目にふさわしい人が、もっと他にいるのではないか。 被爆者の証言という重大な証言だから、被爆の話が得意ではない私より、ずっとベテランでプロな方々に頼んだほうが、ずっと良いのではないか、と思ったからです。 それで、そう伝えたら、電話の相手はこう答えました。

「被爆者の方は、報酬など払えないため、今回の条件は、無償で引き受けてくれることなのです。無償で引き受けて下さる人たちの中で、一番英語力が高いのは、現時点であなたなので、お願いできないかと思ったのですが。」

引き受け手が誰もいなくて見つからず、困っているのだと言われたその時、私の主であり、神であられる イエス=キリストが(厳密にはその分身たる『聖霊』の神ですが) 私にこう、明確に命じられたのです。

「あなたがやりなさい。これは、あなたの仕事です。」

私はそれを聴いて(そうなんですか?!)と驚き、直ちに、(かりました、では私がやります。)と神様に答え、電話の相手には、「わかりました。私で良いのでしたら、引き受けます。」と答えました。

神様が「あなたの仕事だ」と、そうお命じになった以上、(それならば、私にできないはずはない)と思い、最後には、迷いはありませんでした。

当日、その被爆者の方にお会いするまでは、私はとてもドキドキしていました。

その被爆者の方をーーー仮に、Bさんとしておきます。 Bさんは、会ったら、見るからに柔和で、小柄で、とても腰の低い女性でした。 彼女は、「自分は今まで、この年になるまで一度も被爆の証言をしたことがないので、今日が人生で初めての証言になります。上手く話せるかわからないけれども…よろしくお願いします。」と私に言い、私たちは互いに頭を下げあいました。Bさんの証言を聴きに来ていたのは、実に様々な国からの、多国籍の外国人の方々でした。

私が聴いた、Bさんの証言内容は、主に以下の通りでしたーーーー

Bさんは、原爆投下当時、爆心地から非常に近い地域に住んでいた、幼児でした。 近所では、Bさんの他に生き残った人は誰もおらず、自分が唯一の生き残りで、自分が死なずに生きていたことは奇跡だと言われてきた、とのことでした。 被爆当時は、幼児で、見た目の推定3,4歳ーーーしかし、本当の年齢はわからない、とのことでした。

4歳だったことにして今日まで生きてきたが、本当は3歳だったかもしれないし、5歳だったかもしれず、自分の誕生日も、本当の年齢も正確にはわかっておらず、1,2年ずれている可能性は十分ある。家族は、誰一人生き残っておらず、自分の本当の家族構成もわからない。

自分を知っていた可能性のある近所の人たちもみな、全員が一瞬で黒焦げになって、人間の姿さえとどめずに亡くなった地域だったため、生存者は、近所では自分の他に一人もいないはず… とのことでした。

ではなぜ、そんな場所での被爆にも関わらず、Bさんは生きていたのかというと、Bさん自身は、原爆投下の瞬間の記憶は、全くないのだそうです。

わかっていることは、原爆爆発時、何か巨大な四角いものが爆風で跳んできて、一瞬で、彼女の上に覆いかぶさったと思われ、幼児だったために、全身すっぽりとその中に納まった彼女は、その「巨大な四角いもの」がシェルター代わりとなって守った形で、原爆投下3日後に、その巨大な四角い黒焦げのものの下から、意識はないけれども、命はある状態で発見された、とのことでした。

彼女を保護したと思われる「巨大な四角いもの」は、真っ黒こげだったため、元が一体何だったのか、誰にもわかっていない。棚か、あるいはタンスのようなものだったのでは、と思われるが、全然別の頑丈な何かだったのかもしれず、全く不明。 爆心地に近く、さらには3日間飲食もしていないので、本来なら生きていられるはずもないところ、Bさんはその中で、気を失うような形で、生き残っていたそうです。

おかげで今日までこうして生かされてきたが、役所の記録などもすべて焼失して残っていないため、Bさんは、自分の本当の生年月日も、家族構成もわからない。Bさんのお名前は、彼女が自分で自分を呼んでいた呼び方から周囲が判断して、「本名はきっとこういう名前だったのだろう」と推測された名前だそうですが、「お母さんが私につけてくれた、本当の名前で、きっとあっていると思います」と、希望と期待を込めて、少し嬉しそうに、そう語られました。

しかし、苗字については、しばらく沈黙された後、「本当の苗字はわからないです。だけど、この名前で、ここまで生きてきました。」と、気丈に答えられました。私はこの時まで、自分の本当の年齢も、本当の名前さえわからない被爆者がいらっしゃる、などということは知らなかったので、激しいショックを受け、思わず涙が出てしまいました。  

1945年に、広島で被爆によりお亡くなりになった犠牲者の数は、推定14万人と言われていますが、プラスマイナスで約1万人の誤差がある、と言われています。 よく考えると、プラスマイナスで1万人もの誤差がありうる、ということは、ものすごい人数が、存在したかどうかさえも「不明」になった、ということなのです。

理由は、記録が全て焼失しているため、生きていたか、存在していたかどうかさえ分からない人たちが大勢いるため、そうなってしまったのですが、1万人以上が、いたかいないかさえわからないだなんて、これほどの重い悲劇はありません。

Bさんは、彼女を知る人全員が、原爆により一瞬で亡くなってしまったため、生き残ったとはいえ、原爆投下のあの日あの瞬間から、本当に「天涯孤独」の状態になってしまいました。 さらに、生きていたとはいえ、身体は普通の健康体ではなく、まさに「被爆者」としてしか生きる道が残されていなかった、そんな人生を歩まれてきました。

途中で、外国人の方々から、「なぜ、その状況で生きていられたのだと思いますか?」と質問されました。

Bさんは、「それは自分にも、誰にもわからないです。四角いものが飛んできたおかげで、死ななかったわけですけど…  何か意味があって、奇跡的に生かされたのかなとは思うのですが…」  言葉を慎重に選びながら、そう答えられました。

しかし、奇跡だとはいっても、Bさんには決して嬉しい奇跡ではなかったようで、こう続けました。

「神様はなぜ、自分だけを生かしたのか。なぜ、私を天涯孤独にして、こんなつらい人生を歩ませられたのか。こんなことを本当は言ってはいけないとも思うのですが、あの日あの時に、お母さんや家族と一緒に死なせてくれればよかったのに…と、何度も何度も思ってきました。」

ーーーそう語られたBさんの孤独は、想像を絶するものだったのだと思われ、聴いていて胸が苦しくなりました。

それでも、「あの状況で、たくさんの「本当は生きたかった人たち」が生きられなかった状況の中で、こんな風にでも、生きていたことを感謝しなければならない。」と思い、必死に、自分にそう言い聞かせて、ここまでなんとか生きてきた と語られました。

Bさんは、好きな仕事なんてもちろん出来ない。 それどころか、普通に働くことができず、職にも就けない。

結婚なんて、もちろんできない。 当然、家族も持てない。 だから、一人でずっと暮らし、ただ病院と家とを往復するだけの、何の楽しみも喜びもない、分かち合える友人もいない、そんな人生だったと、Bさんは語られました。病院との往復をするだけの生活は、とてもつらいものだったそうです。

その詳細は、語られませんでしたけれども…。見た目は、一見、普通に見えるBさんでしたが、言葉には出来ないほどのものを、その心と身体の内側には抱えていらしたのです。別の外国人の方から、ある質問が飛びました。

「もし今、何か願いが一つかなうなら、何をお願いしますか。」 Bさんは、少しだけ考えてから、こう答えました。

「自分を産んでくれたはずのお母さんに、一度でいいから、会ってみたいです。 私は、自分があまりにも小さかったから、お母さんの顔さえも、覚えていないので…」そう言って涙を浮かべ、一瞬の間をおいてから、こう続けました。

「死ねば… 自分も死んだら、お母さんに会えるのだろうとは思うのですが、 でも、私は本当は今すぐに、会いたいんです。 お母さん… お母さんに、できるなら今すぐ、会ってみたい。それが私の一番の願いです。」

憧れの「お母さん」を思い浮かべて語っているであろうBさんは、まるで小さい少女のような可愛らしさ、甘えたい盛りの 幼き日に戻ったかのような、そんな表情をしていました。当時の「お母さん」の年齢よりも、既にはるかに上の年齢になっているはずのBさんでしたが、(今までの人生、きっとずっと、お母さんに、甘えたかったんだな…)と、私は強く感じ、その長い、孤独で耐えてきたはずの年月を思うと、気が遠くなるような思いでした。

Bさんは、「兄弟については、もしいたら会いたいし、遊びたかった。一緒に遊んでいた人がいた記憶があるし、それが兄弟かなとも思うけれども、絶対にいたはずのお母さんの顔さえ、私は覚えていないので…」と、寂しそうに語られました。一緒に遊んでた相手がいた記憶はあっても、それが友人だったのか、兄弟だったのか、わからないのだそうです。

別の外国人の方から、「一番つらかったことは何ですか。」との質問が出されて、それに答えようとされたBさんに、ある異変が起きました。

身体が震え始め、呼吸が荒くなり、答えようとするのですが、声は出せても、途中で言葉に詰まり、上手く言葉にならないような状態でした。

「あ… び、病院…  じ、自分の…  か、からだ  じっ… じっ… じっ…」

こんな調子で、何かを、一生懸命説明しようと努力されているのは見ていてよくわかるのですが、全身をわなわなと震わせて、心の中の何かと格闘されて、涙を流され、言葉に出来ずに苦しむ状態が続きました。

私は胸が締め付けられる想いでその様子を見守りつつ、単語か、文章になるのを ひたすら待ち続けました。

Bさんは、手を震わせながら、辛そうに何度も涙を流され、それでも何とか必死に説明しようと、何かの「記憶」と必死に闘っておられるようでした。

悲しそうに辛そうに、何かを説明したいのだという「気持ちだけは」よく伝わってくるのですが、それが何なのか、上手く表現することも、声に出して説明することも出来ませんでした。

外国人の方々が、その様子を見て驚いて、お互いの顔を見合わせたり、首を傾げたりしだしました。何が起きているかわからず、中には待ちくたびれたり、あるいは、見ているのが辛くて、溜息をつかれる方なども何人か出てきて、それがまた、Bさんにはつらい、残酷な現実のようにも思えて、私はその状況に、ますますいたたまれない気持ちで一杯になりました。

およそ5分以上、そんな「証言が出来ない」状態にBさんは陥り、精一杯、何かを話そうと努力されてはいるのですが、涙を流され、嗚咽し、まるで痙攣したように、身体を震わせ続けるだけの、痛々しい状態が続きました。 

私は途中で、何度か止めようとしましたが、そのたびに、Bさんの口から何かの単語が出かかるので、私は思いとどまって、引き続き証言が出るのを待ってみる…しかし、結局言葉にはならない、そんなことを繰り返しているうちに、(ああ、これが被爆者の方々が味わってきた、究極の苦しみなのか…)と、私も見ていて耐え難いほどの気持ちになり、途中から涙が零れてどうしようもありませんでした。

Bさんの口から、出てきかかった単語の一部を、複数つなぎ合わせて推測すると、何を言おうとしていたかの推測が、私にはなんとかできましたが、外国人の方々には、彼女が何を話そうとしているのか、想像さえつかなかっただろうと思います。

単語から察するに、病院で、被爆者として、自分の身体を実験や観察の対象のように見られてたり、扱われたこと、あるいは、それに関わる何かが一番つらかった、と言いたかったのではないかと私は強く感じましたけれども、でも、これは私の推測でしかなく、文章として、彼女の言葉として成立していない以上、通訳することはできませんでした。

それでも、Bさんがして下さった証言の中で、私の胸の中に、最も強烈な印象に残っているのは、言葉ではなく、実は「この時のBさんの様子」なのです。「証言」の枠の中に収まりきらないほどの あまりにも深すぎる苦しみ、底知れないほどの悲しみが、そばにいただけの私にも、圧倒されるほどに、確かに伝わったのです。 

5分以上が経過し、あまりにも辛そうなその様子を見かねて、私は精一杯の気持ちで、耳元でBさんに、小声でできるだけ優しく、こう助言しました。 「あまりにもお辛いようでしたら、無理に証言なさらなくていいと思います。時間もなくなってしまいますし… 話せることに切り替えて、お話しされてみたら どうでしょう…」

Bさんは涙を流しながら、私の言葉に、こくこくと2度うなずき、涙をハンカチで拭いて、深呼吸を何度もし、心を落ち着けてから、別の話に切り替えて話を再開しました。でも、そのあとに出てきた言葉は、本当に無難な、既に聞いたような話に戻ってしまったため、(私のしたアドバイスは、本当にあれで良かったのだろうか… 余計なことをしてしまったのではないのか…)と、その後、何とも言えない後悔と葛藤で、私は悩まされました。

最後に、皆さんに一番伝えたいこととして、Bさんはこう言われました。

戦争も、原爆も、本当に恐ろしいものです。  どうか皆さんで… 平和な世界にしてください。

どうか、戦争や、被爆で、『私のような、こんなにも辛い人生を送る羽目になる人間を、2度と出さないで下さい。』 

聴いていた外国人の方々は、神妙な顔で、頷かれました。もちろん、そこにいたみんな、誰一人、そんなことが「自分一人だけで」可能になるなどとは、思っていないに違いないのですがーーーそれでも、これこそが第一歩なのだと、私も思いながら聴いていました。

制限時間が来て、証言のための時間が終わりました。私は、(もっと上手に時間をつかって、もっと証言させてあげることはできなかったのか…)と、真剣に悩まずにはいられませんでしたが、でも、証言を終えたBさんは、聴いて下さったお礼を皆さんに向けて言った後、それまでには見せなかったような、とても晴れやかな顔に変わられたのです。

私は、いったんトイレに行って、誰にも見られないように隠れて、一人で泣かずにはいられませんでした。 被爆者の方々が味わってきた「地獄の苦しみ」の、その地獄の正体を、少しだけ理解できた気がしました。

人々の無理解や、想像を超えた反応や拒絶などからくる、2重3重に傷つけられてきたであろう実態や、計り知れないほどの孤独・痛みを、Bさんの全身の様子から、このわずかな時間であっても、感じ取ることが出来たからです。

特に、言葉にならなかった5分以上の、「記憶との格闘」で、涙を流され、震えながらも、Bさんが私に見せてくれた「一生懸命な様子」「それでも証言できないほどの深い傷」は、私の今までの「被爆」に対する、甘い認識さえをも、完全に吹き飛ばしました。

私は一人でしばらく泣いて、なんとか気持ちを落ち着けてから、再び会場に戻ったら、私を見つけたBさんが、「一緒に写真を撮ってほしい」と頼んできました。私は、泣いた後だったため、見るからに情けない酷い顔をしていると思ったので、写真を撮るのが嫌で、最初は断ったのですが、「あなたが一緒に写って下さらないと始まらない」と笑顔でBさんに言われ、仕方なく一緒に写真を撮りました。

(あれ、なんでこんなにBさんは元気になったんだろう…?) 私とは完全に逆に、証言前よりも明るい顔になったBさんを見て、私は、そんなことを思いました。 この時はまだ、私はBさんの本当の気持ちをわかっていなかったのです。

その後、証言を聴いていた外国人の一人が、私に話しかけて、質問をしてきました。 「先ほど、非常に長い時間、何も語れなくなったBさんは、なぜ、あんな風になり、本当は何を語ろうとしていたのだと思いますか。」

私は、自分の推測であることを断りつつ、出てきかかった単語から推測できる自分の見解を伝えました。その外国人の方は、やっと納得したような顔で、深くうなずき、「良くわかりました。」と答え、深く何かを思われたようでしたが、引き続きいくつかの質問を私にしてきたので、私たちはそれについての意見をやりとりしました。その中で、やはり、彼にもBさんの「見せた様子」から、確かに伝わったものがあるということがわかり、私は少しだけ安心しました。

私たちが共に過ごした時間は、おそらく、全部合わせても、わずか2時間程度だったかと思うのですが、最後、別れの挨拶をするときに、私はBさんに、こう言ってしまいました。

「被爆の実態も詳しくなかった私のようなものが、通訳を引き受けたばかりに、貴重な証言時間が短くなり、また、泣いてしまった時間ももったいなくて、本当に申し訳ありませんでした。やはり、通訳は、私ではないほうが良かったかと…。もし、私でなければ、もっと多くの証言内容を、効率よく的確に、時間内に伝えることが出来たかもしれないので、本当に実力不足ですみません。」

するとBさんは驚いた顔で、「いいえ、泣いてくださって、私は逆に、嬉しかったんです。」と答えられました。

そして、私の手をご自分の両手で丁寧に優しく包み込むと、真剣な表情に変わられ、まるで土下座でもするかのように、そのまま床に両膝をついて、腰を落として身を低くして、「どうか、どうか聴いて下さい。」と私に真剣に懇願してきたのです。何事かと驚いて、一緒に腰をかがめた私に、Bさんはこう語られました。

「私は、被爆者としてここまで生かされてきたけれども、自分の命はもう、長くないと思っています。いつまで生きられるかわからないんです。来年まで生きていられるか、正直言って全くわからないし、生きていない可能性さえ高いと思っています。本当は明日にだって、いついきなり死んでもおかしくない、そんな身なのです。今まで一度も証言したことはなかったし、そんな気持ちも勇気さえもなかったけれども、このままでは… このまま死んではいけないと思い、ついにこの歳になって初めて、やっと証言することを決めました。

だけど、いざ決めたら、無償で通訳してくれる人が見つからない、と言われ、落ち込んでいました。

私は、平和のためには、外国の人たちにこそ、原爆と被爆の恐ろしさ、悲しさを、知ってほしかったんです。 日本だけで戦争を止めるのは無理だからです。日本だけで平和は作れないからです。

だから、あなたが見つかった、と聞いたときは、本当に嬉しかったし、有難く思いました。

今日、私がここにこうして来ることが出来たのは、あなたが引き受けて下さったからで、他にそんな人は見つからなかったのです。あなたがいなければ、私は今日、ここで証言することはできませんでした。 だからどうか、『私でなければ良かった』だなんて、それだけは、絶対に言わないでください。」

ーー確かに、無償でやってくれる人がいないからこそ、私に話が回ってきたのだし、神様に『私の仕事だ』と言われたことを思い出した私は、頭を下げて、涙を流しながら、Bさんの言葉を有難く胸に収めました。すると、Bさんは続けて、こう語ったのです。

「先ほども話しましたけど、私は仕事もできず、結婚もできず、ただ、病院と自宅を往復するだけの、何の楽しみも希望もない、そんな人生でした…  天涯孤独の人生、何で自分は生かされたのか、わからなくて 辛くて寂しくて、本当に苦しみ、何度も恨んだりもしました。

だけど、今日、証言し終えた時、本当に わかったんです。

『私には、世界で一番、尊い使命が与えられていたのだ』ということが…!」

 最後のこの言葉を、Bさんは喜びをもって確信している様子で、涙を交えながら、とても大きな声で力強く言ったあと、さらにこう続けました。 

だから、今日は、私の人生で一番うれしい日。私の人生で『一番幸せな日』になりました。

私は、本当に驚いてしまいました。 今日初めて会い、Bさんよりもはるかに年下の若輩者で、わずか2時間程度しか、一緒に過ごした時間はなかったけれども、彼女にとっては、人生で一番うれしくて、幸せな日になったというのです。あれほど、辛そうに、苦しみぬいて証言したにも関わらず、です。

あのBさんの様子を見て、私はむしろ逆に、自分の人生で「最もショックを受けた日」になっていたのですが、Bさんにとってはその日こそが、「人生で一番うれしくて幸せな日になった」だなんて…その言葉、その人生のあまりの重さ、壮絶さに、私は震えてしまいました。

しかし、この証言が出来た日を、「人生で一番うれしい、幸せな日」と呼び、「自分には、『世界で一番尊い使命が与えられていた』とわかった」力強く語ったBさんの顔は、確かに喜びで輝いていました。

私はボロボロと泣きながら頷いて、「どうかこれからも、証言していってください。」とBさんに声を振り絞ってお願いしたら、Bさんは驚いたような顔で私を見つめ、「私はもう…」と言って、静かに首を横に振りました。 (え?)と思った私に、Bさんはこう告げました。

「今日が、最初で最後の証言だと、そう決めて、私はここに来たんです。 そう決めたからこそ、来られたんです。」

Bさんの目は、「そうでなければ、証言はできなかった。辛すぎて、2度と同じことを証言はできない。」と強く訴えておられるようでした。私は、その日、自分が目の前で見たことを思い出し、無理もないと思い、胸が締め付けられるようでした。

「…頼みましたよ。」   Bさんは、泣いている私の手を両手でぐっと握りしめ、ご自分も涙を浮かべながらも、穏やかな、嬉しそうな表情で私に微笑み、笑顔で私にそう託したのです。 私はあまりのことに、涙が溢れて声にならず、頭を深々と下げて、別れました。

もし、Bさんがその後、2度と証言しないというのなら、私は彼女の証言を聴いた、「唯一の日本人」になってしまうのです。 託されたものの、あまりの大きさに押しつぶされそうになりながら、私はその足で、そのまま広島平和記念公園へ向かいました。

 1945年の8月6日に、大勢の命が亡くなったその場所で、私は神様に向かって、心の中で叫びながら祈っていきました。

ーーー神様! あなたの人選ミスです! なんで私なんですか? 私は有名人でも芸能人でもない、政治家になる気も全然ない、もっと他の有名な人だったら、あるいは違う人だったら、大勢に伝えられるかもしれないけれども、なぜ寄りにもよって、被爆の話が苦手だったような私なんですか…!! 彼女は今日を最初で最後の証言と決めていた人です、それをなぜ、私なんかに託されたのですか…?!

ーー自分でも、神様に、祈っているのか、怒っているのか、抗議しているのか、懇願しているのか、泣いているのか、もうめちゃくちゃでわからないような感情でした。

その時、自分がかつて、「美しいものや優しいものをひたすら見ていたいから、被爆の話は聴きたくないです」などと祈ってしまった自分の祈りを、鮮やかに思い出しました。  そして、これは、神様からの、それへの答えの一つだとわかったのです。

神様は、今日お会いしたBさんが、最後に私に見せてくれた姿勢ーーーそれこそが、神様の目には、世界で一番「美しく」「優しい」「尊い」ものとして映っていることーーーが、私にはわかったのです。 私は、激しく泣いて、かつての自分がした祈りを、悔い改めました。

しかし、その結果、「世界で一番尊い使命」を託された一人になってしまった私は、では、いったい誰に、それをまた託せば良いのかーーーいったい誰に伝えれば、Bさんの想いや、その壮絶すぎる、悲しすぎる人生に報いることになるのかーーーそれを思うと、やはり私には荷が重すぎ、人選ミスに思えて仕方がなく、どうしようもない想いで、その後も泣き続けました。

Bさんが生かされた奇跡、その後の孤独な生涯を思い、また、その背後に数えきれないほどの同様の悲劇があることを思うと、涙が止まらず、この日はただひたすら、自分でもわけがわからないほど号泣しながら、約14万人と言われる人たちが命を落とした、その爆心地に近い地域である「広島平和記念公園」の中を、前が見えないくらい泣きながら、祈りながら、神様に質問を沢山ぶつけながら、ひたすらひたすら、歩き回りました。

この日は、今までの私の人生の中で、誰か他人のために、一番泣いた日となりました。この、Bさんとの出会いは、私の人生を、確かに大きく大きく変えてしまいましたけれどもーーーこれこそが、神様のご計画だったのだと、今はわかります。

ーーーこの出来事があった年の、ちょうど同じ頃、私には、神様(主イエス=キリスト)から、ある「使命」が与えられました。それは、ある、「『とんでもない条件に該当する人物』を見つけなさい」 というものでした。その条件はあまりにもとんでもなく、あり得なそうな条件だったので、私は思わず笑ってしまい、(いえ、神様、そんな人はいません!少なくとも私の周りにはいません!)と即座に答えました。 世界中探しても、そんな人は見つからないのでは、と、その時の私は思ったのです。

しかし、神様はそんな私に、ヒントをいくつかくださいました。半信半疑の私は、(あの…その人を見つけて、いったいどうするのでしょうか…?)と聴きました。

「見つけたら、その時に教える」というのが、神様からの答えでした。わかりました、と答えたものの、この使命はとても謎めいていて、しかも、困難を極めることが明らかで、見つかる気が全くしませんでした。

しかし、ヒントに従って行動していった長い年月、何年にもわたる、私の通らされた軌跡・試練・困難・奇跡は、確かにすべて、今日につながったのです。

長い年月を経て、(やっぱりそんな人いないよね…)と思い、その使命をあきらめかけたある日のこと、神様(主イエス=キリスト)から私に、今度は全然別の「新たな使命」が下りました。

それは、「プルシェンコの後継者を見つけなさい」というものでした。ーー今度のこれは逆に、笑っちゃうほど簡単だろう、と私は思いました。あのプルシェンコ選手を初めて見た時の、ものすごい衝撃と感動を思い出せば、それと同じか、それを上回る衝撃があるに決まっている、と私は思ったので、その人が現れたら、すぐにわかるはずで、こんなわかりやすいものはないだろう、と予想したのです。

そしてそれは、実際にそうなりました。

しかし、私が全く予想もしておらず、私が想像だに出来なかったのはーーーこの「プルシェンコの後継者」となる人と、はるか前から与えられていた私の使命であり、私が見つけなければならないと言われていた、「とんでもない条件に該当する人物」というのが、どちらも、実は同じ人だったということです。

そんなことは全く知らされていなかったし予想もできなかったので、「プルシェンコの後継者」を見つけた後も、途中まで、まさか両者が同じ人だとは全く気づきもせず、想像もせず、考えてもいませんでした。

私がかつてBさんから託された、「世界で一番尊い使命」なるものを、私がさらに託すべき相手として、神様がご計画されていた人が、この「とんでもない条件に該当する人物」になるのだということさえも、知りませんでした。

神様が選んだ「プルシェンコの後継者」であり、 この「とんでもない条件に該当した人」---つまり、フィギュアスケーターの「羽生結弦選手」は、私にはあまりに荷が重すぎるとさえ思われた、「世界で最も尊い使命」でもある、Bさんの証言、Bさんの願い・想いという、「幸せのかけら」「宝」を、ひるむことなく、喜んで引き受けて下さる人で、情熱をもってその使命を果たそうと、この上なく頑張って下さる方でもあり、あらゆる妨害や困難にもめげずに、今、ここを読んで下さっている皆様に、そう、あなたに、その「幸せのかけら」を届けたい、伝わるようにと、強く願って、今日まで頑張ってきてくれました。

Bさんが、「世界で一番尊い使命」と呼んだ、この「幸せのかけら」を、世界中の一人でも多くの人が「本当に正しい形で」受け取って下されば、それが必ず、多くの人の本当の「幸せ」につながっていくと信じているからです。

「本当に美しいもの、優しいもの」こそを見続けて生きていきたい、などと祈った、私のかつての、切実な祈りは、私の想像を超えた、驚きの形で、実現してきました。

ここまでの軌跡の全てを導き、奇跡の全てを起こしてくださった、全知全能の神であられる、主イエス=キリストに感謝いたします…! 驚異の精神で粘り続けた 羽生結弦選手に、心からの感謝を込めてーーー

平和を求める祈り

神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。 憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。 慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。

人々の身代わりとなって罪を背負い、愛によって赦しを与える、唯一の神であり 真の救世主、主イエス=キリストの御名によって。アーメン。

※ 御注意!!: ここでいう「ゆるし」とは、決して、酷いことをした相手の悪行を肯定したり、残虐行為を受け入れたりしなければならない、などという意味ではありません。 自分がその怒りや悲しみや恨みに囚われ続け、苦しめられ続けることを拒否し、それらとは自分の人生や心をもう切り離して、そのことの裁定は天の神様に全て委ねて、恨みや怒りの中に生き続けることを拒否すること、その選択をする「決断の心」を意味します。苦しんでおられる一人でも多くの方に、天からの祝福と癒しがありますように…歴史上の犠牲者たちの上に、神様からの深い慰めと癒し、長年の苦しみからの解放と名誉の回復、真の救いがありますように…! 主イエス=キリストの御名で祈ります。アーメン。

 「人の子(=イエス=キリストのこと)は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊(ひつじ)と山羊(やぎ)を分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く。

そこで、王(イエス=キリストのこと、いわゆる『最後の審判』を下す権威者)は右側にいる人たちに言う。 『さあ、わたしの父(=天地創造主の神のこと)に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

それから、王は左側にいる人たちにも言う。 『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火(=地獄のこと)に入れ。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 

すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』

こうして、この者どもは永遠の罰を受け(=地獄に行くことを指す)、正しい人たちは永遠の命にあずかる(=天国に行くこと)のである。」(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書25章31~46節  新約聖書 新共同訳より)

 注)羊(ひつじ)=イエス=キリストに従う人たちの象徴・表現  山羊(やぎ)=イエス=キリストに反逆する人たちの象徴・