プロ・アスリート羽生結弦 公式・広報サイト(Yuzuru Hanyu' s Official Site)花を咲かせよう!

フィギュアスケートのプロでプロ・アスリート、
表現者・羽生結弦監修の公式・広報サイト 
teamSirius広報

羽生結弦選手の原点を知る!2 ~闘志と気迫の演技派・初代三冠王・「アレクセイ・ヤグディン選手」~

2015-08-05 | フィギュアスケート全般について

 

羽生結弦選手の原点を知る! の「その2」 は、史上初のグランプリ・ファイナル、五輪(オリンピック)、世界選手権の3冠を達成した、初代3冠王の「アレクセイ・ヤグディン」選手です。(羽生選手は、ソチ五輪シーズンに、史上2人目の3冠達成となりました。)

プルシェンコ選手と同じロシア出身で、同じ時代に「2大天才」と呼ばれた伝説の選手であり、ソルトレイクシティ五輪(2002年)の男子シングルの金メダリストです。

プルシェンコ選手の先輩であり、強力なライバルでもあった彼と、その名演技について少しだけご紹介してみたいと思います。

 

ヤグディン選手とプルシェンコ選手は、元々は同じ、ミーシン・コーチについていましたが、ミーシン・コーチが年下のプルシェンコ選手のあまりの才能に惚れ込んでいったことや、互いの性格的な相性もイマイチだったことなどが影響し、

長野五輪(1998年)で金メダリストになったイリヤ・クーリック選手が引退したことから、彼のロシア人コーチであったタラソワさんにコーチを変えて、タラソワコーチが当時拠点としていた、アメリカに渡りました。 (タラソワコーチはロシア人で、今はロシアにいます。)

それ以降、その才能を余すところなく発揮し出し、芸術性も高く評価されて、天才少年と呼ばれて注目されていたプルシェン選手に本気の勝負を挑み続けて、熱い闘いを繰り広げるようになりました。

 

一般的に最も有名なのはもちろん、ソルトレイクシティ五輪での演技対決なのですが、その前から「ヤグディン選手対プルシェンコ選手」で盛り上がっていました。

 

そのお二人を見ながら、心熱く燃やしていた少年だった羽生選手は、どちらが好きかと問われれば、思いっきり「プルシェンコ派」だったようですが、

今までも度々、ヤグディン選手への尊敬も口にしてきました。 

「惹きつけられる演技だった」と、世界選手権2015の後に羽生選手がちょこっとだけ語ってくれました、ヤグディン選手のその演技が、一体どんなものだったのか、ここに少しだけご紹介してみたいと思います。

 

まず最初に紹介するのは、今の羽生選手と同じ、20歳の時の演技、 2000年の世界選手権でのフリーである、「トスカ」です。 

ヤグディン選手、20歳。 

 

この時、試合では初めて、4回転トーループ+3回転トーループのコンビネーション・ジャンプを成功させます。(といっても着氷は難ありですが。)

そして、2度目の単独4回転トーループも成功させ、二つの4回転を成功させたのが、この時が初めてだと解説は言っています。

 

 

次にご紹介するのは、私の印象に最も残っているものの一つ、2001年世界選手権のショートである、「革命のエチュード」です。 

痛み止めを、なんと5本も打ってから出場したと言われる、奇跡の演技です。

(選手ってそんなものなの?などとは思わないで下さい。彼はこの1年半後には、引退をせざるをえない身体状況になってしまいましたので…。)

 

 

ヤグディン選手の演技の特徴は、非常に力強くてパワーのある動き、激しい闘志、非常に高い「演技力」と演技への没頭能力。 

そして、一つ一つの技の正確さというか、一つ一つが美しく豪快なのが持ち味です。 

衣装を着て氷の上に立っただけで、観る者を惹きつけて別の世界を作り出せるほどの雰囲気と気迫があります。 

この演技の衣装は、私は非常に好きです。

この「革命のエチュード」の見どころは、冒頭の、非常に高くて力強い、4回転トーループ+3回転トーループのコンビネーション・ジャンプ。

二つ目のジャンプは3回転アクセルですが、なんといっても3つ目のジャンプ、3回転ルッツが、ものすごくゴージャスです。

また、今の選手では滅多に見られないほどに、パワフルで高くて「ド派手な」 デス・ドロップ。(シット・スピンの前にやっています。)

いつもラストのほうで魅せてくれる、ものすごいスピードで疾走する、「とても情熱的な」と称されるステップ。

ヤグディン選手の最大の魅力は、このステップだという人も多いのですが、スケーティングも非常にキレイです。

 

「氷の芸術家」を目指していて、実際にそのように高く評価されていましたが、時に、まるで戦場の戦士のようだったヤグディン選手。

彼との比較のせいで、プルシェンコ選手は当時、「女性的過ぎる」などと言われて批判されてしまうほどでした。(今ではちょっと考えられませんが。(笑))

選ぶテーマ、曲、衣装も、激情、闘い、悲劇、等をイメージさせるものが比較的多く、そういうものが高く評された印象です。 

プルシェンコ選手が明るさ・楽しさを含めた、くるくると変わるような七変化の多彩さをも沢山見せるのとは対照的に、

ヤグディン選手は、何かの運命を感じさせるような重い、緊張感のあるテーマ曲を多く使い、気迫と闘志が半端でなく、息を呑むような演技をします。

確執の生まれたミーシン・コーチの元を離れて、芸術性の高い演技指導で有名なタラソワ・コーチ (浅田真央選手の、ソチ・フリー演技の振付師であり、バンクーバー五輪当時のコーチ兼振付師)についたのは大正解だったようで、その影響は大きく、観るものをその世界観へ惹きこんで、あっという間に演技が終わってしまうところはさすがです。

この時代は、今とは全然違う採点制度の、6点満点時代の中でも、本当に最後の時代です。

(6点満点時代とひとくちに言ってもその歴史は長く、採点制度は途中で何度も変更されてきています。 その中でも、新採点制度に激変する直前の、最後の時代。)

 

 次のものは、プルシェンコ選手との対決・名演技で有名な、2001年グランプリ・ファイナルでのフリー「グラディエーター」。

転倒は大きなミスだった時代にあっても、これほどの表現力と気迫を見せながら演技を最後まで全うすると、拍手喝采・絶賛の嵐となる、典型のような感動的な演技。

旧採点法である、6点満点時代を、「転倒すると絶対にダメだった」などと勘違いする人もいますが、技術点は確かにマイナスされますが、総合的に見ればそんなことは決してなく、細かいミスがあっても、それを上回る表現力というか、魂の気迫がある演技は、表現面で非常に高く評価されていました。

むしろ、表現力のない選手がトップに来ることはできなかった、と言っても良いかと思います。 

 

 衣装に注目です。 こんなの似合うの、ヤグディン選手だからでしょうね…。(笑)

ここでヤグディン選手は、冒頭で、4回転トーループ+3回転トーループ+2回転ループという、プルシェンコ選手の得意の大技をやりますが、

最後の2回転ループで転倒してしまいます。 

その他にも、もう一度4回転トーループを単独で跳びますが、わずかに片手を氷についてしまいます。

ただ、そこから後が凄かった! 

転倒等のジャンプミスを忘れさせるほどの、ものすごい気迫で演技を全うし、今の羽生選手の、超・得点源である、「3回転アクセル+3回転トーループ」の大技も、

同じく今だと非常に高得点となる、「3回転フリップ+ハーフループ(今の1回転ループ)+3回転サルコウ」という3連続の大技も成功させ、得意の猛烈ステップで、ラストまで人々を惹きつけたまま、ド迫力のうちに終了。

転倒を忘れさせるほどの演技で、会場を熱狂させています。  これぞヤグディン! という感じですね。

私はこのヤグディンを見て、すごく感動したのを覚えています。

 

 

次は、ヤグディン選手の、最も有名な演技とも言える、2002年ソルトレイクシティ五輪 (金メダル) の時の、ショートの演技、「Winter」 です。

私はこれがかなり好きでした。 フリーの「仮面の男」より、そしてプルシェンコ選手のSPよりも。

見事にノーミスで決め、金メダルに王手をかけます。

 

 

同じく、最も有名な演技の一つ、2002年ソルトレイクシティ五輪金メダル獲得時の、フリー「仮面の男」です。

冒頭の4回転トーループ+3回転トーループ+2回転ループを、見事に決めたヤグディン。 

それまでは、4回転のコンビネーションは、後続ジャンプで着氷がイマイチになることも多かったのですが、五輪本番では文句なしの出来。

次の単独4回転トーループも決まり、金メダルを確実なものにしていきます。 

プルシェンコ選手のショートでの失敗により、全ジャンプを終えたあたりから、勝利を確信している様子で、ちょっと気が抜けたのか、持ち味の気迫が明らかにダウンしたように見えたのが私には非常に残念でしたが、ほぼノーミスで、文句のつけられない金メダルとなります。 

最後に、得点が出る前に感極まって泣いているヤグディン選手や、銀メダルとなって表彰台でショックで放心気味のプルシェンコ選手の姿が映っています。

当時の羽生選手は、どんな気持ちで見ていたのでしょうか。 

 

次は、ソルトレイクシティ五輪で金メダルをとった時の、エキシビションである、「Overcome」です。

音楽といい、演技といい、これがヤグディンという強烈なイメージを確立しました。 よく覚えている方も多いと思います。

ド派手な劇場型衣装も似合うヤグディンですが、一つ一つの技も動きも演技も美しいので、このようなシンプルな衣装も似合うし、逆に印象に残ります。

パントマイム的な動きが非常に得意で、それが多すぎるとの声もあったりしましたが、ズバ抜けた演技力の高さを見せました。

 

 

五輪の翌シーズン、2002年のスケートアメリカでのSPだった、「Racing」。

私はこれがかなり好きです。

非常に速いスピードで独創的で個性的な動きを多用し、ヤグディン選手の高い身体能力、見事なステップ、フットワークの解る、楽しいプログラムです。

当時のコーチ&振付が、ロシアのタラソワコーチ(浅田真央選手のバンクーバー&ソチ五輪の振付師)と、この後有名になるモロゾフ氏(荒川静香さん金メダルの時の立役者的コーチ、安藤美姫さんが世界選手権金メダルの時のコーチ)です。

冒頭の4回転T+3回転Tも成功しているし、素晴らしいプログラムなのですが、最後の3回転ルッツを珍しく失敗して2回転になったことから、Technical score(技術点)が伸びませんでしたが、非常に印象に残る演技。

しかし、この翌日には、ヤグディンは身体が動かなくなってしまい、フリーを棄権し、その後も、試合には出場できなくなってしまいました。

1年後には、引退を表明。 股関節疾患が原因だと言われています。  でも、その後のアイスショーでこのプログラムを何度も披露したようです。

 

 

 

ヤグディン選手は、今でも驚異の現役を続けているプルシェンコ選手とは違って、ソルトレイク五輪で金を取った翌シーズンに事実上の引退をしてしまいます。

人工股関節になってからも、プロとして滑りますが、ただ滑っているだけなのに、スケーティングの上手さが際立っていてものすごいという、凄い演技が、これ。 ↓

最初のほうは、もはやサーカスでしかありませんし、見ていてちょっと怖いです。 ただスケートを見たいとい方は、真ん中まで飛ばして後半から見て下さい。

ニコニコ動画から。(動画主様、拝借します!)

25歳のヤグディンさん。

  

 

さて、最後に、こんなヤグディン選手ありなの?!という衝撃的な、エキシビションを。  こんな時代もあったのか!という。

楽しめるか、ひたすら脱力するかは、人によるかと思います・・・ (笑)

ヤグディン選手に非常に憧れていた方の気持ちが、これを観た後どうなるのかは、個人差があると思われ、私にはわからないので、見るかどうかは各自でご判断下さい。

 

ヤグディン選手、17歳の時のエキシビション。「One Banana (ワン・バナナ)」  (←タイトルからしてもう、笑うしかないような…)

(注意: コーチは、前コーチのミーシンコーチ時代のものです。 プルシェンコ選手の爆弾エキシビションと同じ!)

 

 

真面目にコメントし続ける解説者と、こんな姿を世界に披露できるヤグディン選手を、ある意味では「凄いな!」と私は思います。

ロシアからどんなに優れたトンデモナイ天才が出てきても、どんなに深く感動しても、どうしてもこういう、ロシアの奇抜な演技を見ると、

自分が日本人であることを自覚してしまいますね。(笑)

 

情熱の氷上戦士ヤグディン選手でしたが、 羽生選手にも負けない位のものすごい情熱が備わっていると、強く感じます。

その燃えるような情熱を大切に、是非とも今後も頑張ってください!

 

さらなるヤグディン選手の魅力は、バリバリのヤグディンファンの方々に、是非お聞き下さい!

 

 ※ 一応慎重に書いたつもりではありますが、このページのヤグディン選手の情報等に誤りがあった場合、遠慮なくご指摘下さい。 謹んで訂正させて頂きます。