嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

冷たい感情を落ち着いてるとは言いたくない。

2006年01月11日 19時04分49秒 | 駄文(詩とは呼べない)
生命活動の基本は代謝にあって。
水を飲んでいる間は、まだ生きられそうな気がする。

最近、自分の力だけでは体温が上昇しないと思うことが増えた。
風呂に入ったり、暖房をつけたり、コタツに入ったりして
なんとか体温を維持している。
食事を取ると体温が少しだけ上昇する事があって
そういう時は少し嬉しいような、喜ばしいような、当たり前のような
奇妙で複雑な気持ちになる。
ただ、多くの場合、僕は寒さに震えていることが多いように思う。
そんな気がしているだけなのかもしれないけど、
僕は小さい頃から肌寒い気候の中で
自分の人間としての冷たさについてよく考えていた。

火曜日。
火のつく日にち。
火のつくような曜日。
あまり気持ちが高ぶる事もなく、
ある程度冷静にみんなを見ていた。
世界を見ていた。
LEDのような光が闇の中で四角く光る街で
移動ばかりしていたような一日。
背景としての世界は、速くなったり、遅くなったり。
僕は握り拳に力を入れるような事もなく、
あんのんとした一日をだらだらと過ごしていたようでもあり、
めまぐるしい刺激の中で答えを出せない事について延々と考えていたようでもあった。

ただ、ネットワークの広い人に何人か会ったけれども、
その中心で色々考えている人もやっぱり普通の人間で。
多くの人と関わっているから人間としての器がでかいとか、
そんな事には繋がらないのだなぁ、とか考えた。
分相応、分不相応という物差しで測るならば、
分相応に広い人はやっぱり周りをしっかり見ながら考えていたし、
分不相応に広い人は自分のネットワークについて悩んでいたようだ。
周りから見た自分を気にしすぎている癖に、周りが見れないとか。
まぁそんな人達がいっぱいいたけど
そういう特質はネットワークの小さい人にだってあるのだし
結局は一人の弱い人間だった。

引力の強い人や目の光りが強い人は居たけれど、
幸いにして僕の自殺を止められそうな人は居なかった。
少しだけ安心しながら、臆病な自分について考えた。
次に僕が、自分の事について語れるチャンスはいつなんだろう?
そんな事を考えながら。
嘘吐きのままの自分を思って薄寒く思う

やましさは信用を失墜させる
やまいは個体を蝕む
光の糸が繋がっている間は、僕は世界のことを時々考える。
ただ、それだけの事を、人は生きていると表現するんだろうか。

死ぬこともできず、
生きることもできないまま、
臆病な毎日が続く。
ネガティブやポジティブという言葉は段々と僕の中で意味を失っていく。

ガラス細工を壊したからと言って
強い鉄の液体が流れるわけじゃない。
赤さはしょせん赤いだけ。
僕は透明になろう。