嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

古い友達の夢を見た

2006年01月29日 10時39分45秒 | 駄文(詩とは呼べない)
学校のような建物をさまよっていたら、6歳の頃に知り合った友達がいた。学校は次々
と戸締まりされてゆき、それが下校の時間であることをあらわしていた。遠くから電
車で来ていた僕は、友達が普段利用しているバスに一緒に乗った。
無駄話をするように後ろを向いて彼に話しかける
「このバス、どこに行くの?」

「三十一」

それは(さんじょういん)と言ったのだろうか
いずれにせよ、聞いたこともない地名だった。
「すいません降ります!」
僕は即座に大声で告げた。
教師のような中年の女性が偶然乗っていて、乗務員のような男性に僕が次のバス停で
降りるむねを小声で伝えてくれた。

僕は夢から目覚めて、ぼんやりとその出来事を考えていた。

そこで突然気付いた。
とても大事なことに。
僕は夢のなかにおいてさえ、踏み出すその一歩に怯えているんだ。
30をこえているものは音の音色自体が大人の世界の響きを持つ。
だから僕は即座に断わったのだ
20代の数はまだ夢をおいかける世界で。
僕はそこに違いを見いだしているから、その音がうまく聞き取れなかった。
あるいは聞き取れていたら、その夢は終わっていたのだと思う。

小さい頃から、大人がキライだった。
何も考えてない大人が大嫌いだった。
忙しい素振りで、キャッチボールに付き合ってくれない大人が嫌だった。
遊んでくれる人はいいひとだと思っていた。
その余裕こそが、張りつめた現代の大人に足りないもののような気もするし。

じつはずいぶんと昔から、

(大人にならないようにしよう)

と、うすうす感じるままに抱え込んでいたのかもしれない。

そして僕が読書をすると吐き気がする理由にも繋がった。
「死は知の糸を切断する」
死神のカマで、あらゆるすべてを断ち切る

知ろうとする積極性は世界を取り込もうとする飢えであり、
多くの人がそのことに欲をもっているようにおもう。
だけどそうではない人がいる。
食べ過ぎの人だ。
そしてよく噛んで食べない人だ。
吐き気がするのは考えることが出来ない強制力をあらわし、
それが洗脳されるような疑いの気持ちにつながる。
鬱うつとした気持ちの時に、知ろうとするのは逆効果だと思う。

排泄する必要がある
あるいは遮断する必要がある
表現することは、次の考える力につながっているように思う。
みんながみんな、光の糸でくるくるとあやとりをしている

いつか僕は、光の糸をたちきり、
このせかいを去らねばならない
糸が編める今のうちに、色々と考えておこう。

子供のままに死んでいくのが、僕の夢でもあるのだし…