嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

さむいだけの、僕は要らない。

2006年01月23日 20時45分09秒 | 駄文(詩とは呼べない)
寒いよ

背中がさむいよ

首のうしろがさむいよ

なにも知りたくない

誰か、暖かい手で僕の首を絞めて

動けない

動きたくない

こんなとこにいたくない
甘さだと言われてもいい
弱さだと責められてもいい

怠けごころだと怒られてもいい

そのあとで、ぼくを静かにあやめるなら。

続く世界なんかいらない
続かない新しさを、僕に下さい。

神様には祈れない

だから僕を包んでいる世界に祈る

罪を背負うために作られる胎児はイラナイ

絶望の後にやってくる祝福にしとやかに満たされよう

僕はイラナイ

ぼくは要らない

出来るだけ内容の薄い日記を書こう

2006年01月23日 03時42分16秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ここでは量だけが圧倒的に支配しており
内容が限りなく薄っぺらくなっていく

およそ世界の密室で語られる事は
次のように分割される

私と世界
僕と言葉
世界と他者
物語と私
血液と保留
生きた世界と死にゆく私
爆発縮と永遠

僕が宇宙について語る時、僕は物理学的な宇宙を空想し
現実における宇宙を観測したりはしない。
僕は望遠鏡でさえも、身近な道具として持ってはいないのだ。

僕が主観的であろうとする時
多くの人にとってここは観念の空語でしかないが
それを主観性の中から客観的に取り出す時
僕の言語は意味不明という「具体性」を持つ

僕にとって非常に問題な癖の一つは、
対極にある概念の関係性を破壊することである
例えば日本の国旗は白と赤で出来ている。
それが決して闇と光を示す例としての黒と白に束縛されないように
僕は白と赤から空間と太陽を見ようとするのだけど
太陽の背景には宇宙が、空間の側には時間が存在してしまうのである。
この時僕は、自分の想像力の前提が、とても科学的な束縛の中にあることに絶望する。
それを言葉の法則を使って切り離そうと何度も試みるが、
たいていの場合は失敗に終わる。
だからいつもぼぉっとしている。

満員電車のダイアグラムが、何本も何本も直線的に走りながら
人間どもを切り裂いていく景色を創造する。
チープな赤い水滴が垂れる。決して鉄の臭いはしない。

それくらい、僕のイマジネーションはこのくそったれな現実に拘束されている。

はやく死なないといけない。
なるべくはやく。
すこしでも、はやく。

自由が語られる時、責任という言葉が連想されるようになってから
いったいどれくらいの時が経つのだろう
宇由という造語を勝手に使い始めても
僕のイメージは自己宇宙からなかなか出られない
死のイメージは見るたびに違う
見つめるたびに、うさんくさくぼやけていく。
もっとしっかり、手を伸ばして掴もうとしなくては。

自分が生まれるよりも前を、必死で思い出そうとする
そういう作業に没頭していると、いつのまにか三日四日経っていて
頭痛がして目が覚めることがある。

どうしようもない。
本当に、どうしようもない。

そういえば、呼吸が苦しい。

部屋から出ないヒキコモリなんてまだいいよ。
俺なんか布団からでねーぜ。
と、自虐的なギャグを言ったところで笑ってくれる観客すら居ない。

ずいぶんと思考がぶつ切りになっている
俺はいったいはじめに何を書こうとしたんだ?
と、既に思い出せないほど痴呆が始まっている。

キモイ?
うん、自分がキモイね。
死にたい?
うん、死にたいね。
死ねば?
あぁ…、けど、葬式代も高いしなぁ…。

blogに書いてるものって遺書としての有効性はどうなんだろうね?
葬式はしないで下さいって書き残しても、
やっぱり駄目なんでしょーか?
俺、黒服の馬鹿どもが死体の僕を拝んでる姿を想像するだけで、
既に吐きそうなんだけど?
「おまいら、葬式はしないで下さい。」

ホントは宇宙空間を放浪しながら死にたいんだけどね。
まぁ、そういうワガママを許されるほど大金持ちでもないしな…。

ふと思ったけど、
この日記、キチガイの記録としてはそこそこ面白いんじゃねーの?
こんだけキモイと、僕の真似するヤツはやっぱり減るでしょ。
…と、思うんだけど。

今日は駄目。
明日も駄目。
明後日も駄目。
ずっと駄目。

もうすっかり、駄目人間としての自覚が出来てしまった。

もうそろそろ、俺の番だろ。
次こそは俺の番だろ、とニュースを見ながら思う。
や。別に加害者でも被害者でもどっちでもいーんだけど。
なるべくなら、被害者がいーです。
ヘタレなので。

もうなんか、書き続けるのも気持ち悪くなってきた。
そろそろ終わらせよう、ポチっと。