嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

苦しい時は息を吐いたらいい。言葉になるかもしれないから。

2006年01月30日 23時45分20秒 | 駄文(詩とは呼べない)
責任ってものについて考える
人と関わる責任とか、書くことの責任とか、無責任とか、
とか、とか、とか。

泥棒についても考える
人から幸福を盗むこととか、金を盗むこととか、時間を盗むこととか、
とか、とか、とか。

別にエネルギー保存の法則を盲目的に信じ込んでいるわけじゃないけど…

だけど、やっぱり僕には。

自分の意志が無いような気がしてならない
自分の身体が自分の意志でちゃんと動いているのか
まったく自信が持てない。
責任って言葉は、集団や社会の中でこそ意味を発揮する言葉で
というかそもそも「言葉」自体が集団がないと生まれなかったんじゃないか?
そういうネットワーク的な感覚のチャンネルと違うのか?
と何度も考えはするのだけれど。

言葉が喋れない自閉症患者の世界で
言葉が存在していないのかどうかを考える。
そして言葉を喋れる自閉症患者の言葉の意味を考える。

僕はそこに、オリジナリティを少しだけ感じる
100%のオリジナルなんて、幻想に過ぎなかったとしても
全く言葉が喋れない人でも肉体は機能しているのだろうから
そこには、細胞達の連絡のサインがあるだろうと思うから
やっぱりそこには、言葉と呼んでも差し支えない何かがあるのじゃないかな?

はにゃ語はそんなに駄目ですかね?
紙幣偽造と同じくらいの重罪ですかね?
やっぱり、言葉は通じる記号じゃないと駄目ですか?

僕はそうじゃない、と思う。
あるいは思いたいだけなのか。

ユニークって言葉には「ひょうきんさ」のような意味も
多少は含まれていると思うし、
誰か一人でも、僕の言葉で笑ってくれるなら
勝手にイミフな言葉、作ったっていいじゃないか、と
少し、ときどき、勝手に、ときおり、ちょっと、わずかに、
かけらほど、ほんのちょっぴり、あるいはいっぱい、、、。。。
…思うのだけど?

よーするに、僕は言葉って
ちょころびっと意味不明な味がしてもいいと思うのだ。

そして断言した言葉が、全く確定されなくても
そこに振動があるなら、それはそれでいいんじゃないかと、
やっぱり独りだけで思うのだ。

僕はそんなにワガママなんだろうか。
だけどいいや。
ワガママさの意味も、僕が今から創るモノだし。


少しだけ泣いて

すこしだけ、涙の味を知る。