責任ってものについて考える
人と関わる責任とか、書くことの責任とか、無責任とか、
とか、とか、とか。
泥棒についても考える
人から幸福を盗むこととか、金を盗むこととか、時間を盗むこととか、
とか、とか、とか。
別にエネルギー保存の法則を盲目的に信じ込んでいるわけじゃないけど…
だけど、やっぱり僕には。
自分の意志が無いような気がしてならない
自分の身体が自分の意志でちゃんと動いているのか
まったく自信が持てない。
責任って言葉は、集団や社会の中でこそ意味を発揮する言葉で
というかそもそも「言葉」自体が集団がないと生まれなかったんじゃないか?
そういうネットワーク的な感覚のチャンネルと違うのか?
と何度も考えはするのだけれど。
言葉が喋れない自閉症患者の世界で
言葉が存在していないのかどうかを考える。
そして言葉を喋れる自閉症患者の言葉の意味を考える。
僕はそこに、オリジナリティを少しだけ感じる
100%のオリジナルなんて、幻想に過ぎなかったとしても
全く言葉が喋れない人でも肉体は機能しているのだろうから
そこには、細胞達の連絡のサインがあるだろうと思うから
やっぱりそこには、言葉と呼んでも差し支えない何かがあるのじゃないかな?
はにゃ語はそんなに駄目ですかね?
紙幣偽造と同じくらいの重罪ですかね?
やっぱり、言葉は通じる記号じゃないと駄目ですか?
僕はそうじゃない、と思う。
あるいは思いたいだけなのか。
ユニークって言葉には「ひょうきんさ」のような意味も
多少は含まれていると思うし、
誰か一人でも、僕の言葉で笑ってくれるなら
勝手にイミフな言葉、作ったっていいじゃないか、と
少し、ときどき、勝手に、ときおり、ちょっと、わずかに、
かけらほど、ほんのちょっぴり、あるいはいっぱい、、、。。。
…思うのだけど?
よーするに、僕は言葉って
ちょころびっと意味不明な味がしてもいいと思うのだ。
そして断言した言葉が、全く確定されなくても
そこに振動があるなら、それはそれでいいんじゃないかと、
やっぱり独りだけで思うのだ。
僕はそんなにワガママなんだろうか。
だけどいいや。
ワガママさの意味も、僕が今から創るモノだし。
少しだけ泣いて
すこしだけ、涙の味を知る。
人と関わる責任とか、書くことの責任とか、無責任とか、
とか、とか、とか。
泥棒についても考える
人から幸福を盗むこととか、金を盗むこととか、時間を盗むこととか、
とか、とか、とか。
別にエネルギー保存の法則を盲目的に信じ込んでいるわけじゃないけど…
だけど、やっぱり僕には。
自分の意志が無いような気がしてならない
自分の身体が自分の意志でちゃんと動いているのか
まったく自信が持てない。
責任って言葉は、集団や社会の中でこそ意味を発揮する言葉で
というかそもそも「言葉」自体が集団がないと生まれなかったんじゃないか?
そういうネットワーク的な感覚のチャンネルと違うのか?
と何度も考えはするのだけれど。
言葉が喋れない自閉症患者の世界で
言葉が存在していないのかどうかを考える。
そして言葉を喋れる自閉症患者の言葉の意味を考える。
僕はそこに、オリジナリティを少しだけ感じる
100%のオリジナルなんて、幻想に過ぎなかったとしても
全く言葉が喋れない人でも肉体は機能しているのだろうから
そこには、細胞達の連絡のサインがあるだろうと思うから
やっぱりそこには、言葉と呼んでも差し支えない何かがあるのじゃないかな?
はにゃ語はそんなに駄目ですかね?
紙幣偽造と同じくらいの重罪ですかね?
やっぱり、言葉は通じる記号じゃないと駄目ですか?
僕はそうじゃない、と思う。
あるいは思いたいだけなのか。
ユニークって言葉には「ひょうきんさ」のような意味も
多少は含まれていると思うし、
誰か一人でも、僕の言葉で笑ってくれるなら
勝手にイミフな言葉、作ったっていいじゃないか、と
少し、ときどき、勝手に、ときおり、ちょっと、わずかに、
かけらほど、ほんのちょっぴり、あるいはいっぱい、、、。。。
…思うのだけど?
よーするに、僕は言葉って
ちょころびっと意味不明な味がしてもいいと思うのだ。
そして断言した言葉が、全く確定されなくても
そこに振動があるなら、それはそれでいいんじゃないかと、
やっぱり独りだけで思うのだ。
僕はそんなにワガママなんだろうか。
だけどいいや。
ワガママさの意味も、僕が今から創るモノだし。
少しだけ泣いて
すこしだけ、涙の味を知る。