彼の文字列について眺めていると非常に残念に思うことがある
彼が見つめるまなざしそのもの、
あるいは彼の着眼点によって切り取られたカメラのシーンを
フィルムのように刹那の力によって抜き取れば
そこには美しい光の旋律がちらちらと瞬いて
我々をプンクトゥムの入り口に立たせてくれる可能性だってあるのだ。
それは言霊が降りてくる感覚に誘うということでもあるが
啓蒙ということではない。
彼は彼自身を取り囲む世界について
抽象化によってではなく、積み重ねによって
自分自身の経験と意志の力によって
糸を編んでしまっている
それは既に編まれたテキストであって
まるで毛糸で作った蜘蛛の巣のようになってしまっている
波動にそのままシンクロすれば
「伝わる」と言えるのかどうかはわからないが
押したり引いたりすれば光のたるみは失われ
意志が介在するほどにとぐろを巻く
場を、そのまま受け入れてみてはどうかな?
むずかしいかな?
できなくはないと思うが。
けれどまぁ、そのままでいいのかもしれない。
僕にとって彼は、既に背景のひとかけらなのだから。
きちんと畳んだりせず、そのまま広げておこう。
彼が見つめるまなざしそのもの、
あるいは彼の着眼点によって切り取られたカメラのシーンを
フィルムのように刹那の力によって抜き取れば
そこには美しい光の旋律がちらちらと瞬いて
我々をプンクトゥムの入り口に立たせてくれる可能性だってあるのだ。
それは言霊が降りてくる感覚に誘うということでもあるが
啓蒙ということではない。
彼は彼自身を取り囲む世界について
抽象化によってではなく、積み重ねによって
自分自身の経験と意志の力によって
糸を編んでしまっている
それは既に編まれたテキストであって
まるで毛糸で作った蜘蛛の巣のようになってしまっている
波動にそのままシンクロすれば
「伝わる」と言えるのかどうかはわからないが
押したり引いたりすれば光のたるみは失われ
意志が介在するほどにとぐろを巻く
場を、そのまま受け入れてみてはどうかな?
むずかしいかな?
できなくはないと思うが。
けれどまぁ、そのままでいいのかもしれない。
僕にとって彼は、既に背景のひとかけらなのだから。
きちんと畳んだりせず、そのまま広げておこう。