またまた
遊びほうけているうちに色々と問題が出てきました。
今回の旅は大阪在住の大学の後輩K君の言葉に甘え、車で紀伊半島の名所と、文楽(人形浄瑠璃)ファンであるK君と義太夫節ゆかりの地を訪ねる旅でした。(私もかつて、義太夫節をうなっていました)
東海道の宿場街桑名で待ち合わせ、七里の渡しから東海道沿いに、庄野、亀山、関と『仮名手本忠臣蔵、八段目の道行』に出てくる地名を辿って、鈴鹿から南下、尾鷲、新宮、伊勢勝浦で1泊、翌日は熊野神宮から小栗判官蘇生の地、湯の峯温泉、日高川を渡って、御坊に泊まりました。
次の日は吉野の方を通って奈良県に入り、妹背山にも行く予定でしたが、偶然泊まった御坊の古い町並みが気に入って、この街を探索、道成寺に寄って最後は天王寺に出て、竹本義太夫の墓に参るという、浮世離れしたオジサン2人の道行き(?)でした。
僕は小学生の頃、絵本か図鑑で『那智の滝』の絵(多分写真ではなかった)を見て、「あー、こんなところがあるんだ!」と思ったのを覚えています。
そんなこんなで、有意義な旅だったのですが、帰ってくると『年金定期便』というのが来ていて、何と父親が払っていてくれたはずの、学生時代とその後のフーテン時代(?)通算7年間が未納となっていたのです。
父親は4年前に他界したし、領収書など無いし・・・、さてどうなるのでしょう?、仕事が溜まっているのに、また余計な手間が増えてしまいました。
遊びほうけているうちに色々と問題が出てきました。
今回の旅は大阪在住の大学の後輩K君の言葉に甘え、車で紀伊半島の名所と、文楽(人形浄瑠璃)ファンであるK君と義太夫節ゆかりの地を訪ねる旅でした。(私もかつて、義太夫節をうなっていました)
東海道の宿場街桑名で待ち合わせ、七里の渡しから東海道沿いに、庄野、亀山、関と『仮名手本忠臣蔵、八段目の道行』に出てくる地名を辿って、鈴鹿から南下、尾鷲、新宮、伊勢勝浦で1泊、翌日は熊野神宮から小栗判官蘇生の地、湯の峯温泉、日高川を渡って、御坊に泊まりました。
次の日は吉野の方を通って奈良県に入り、妹背山にも行く予定でしたが、偶然泊まった御坊の古い町並みが気に入って、この街を探索、道成寺に寄って最後は天王寺に出て、竹本義太夫の墓に参るという、浮世離れしたオジサン2人の道行き(?)でした。
僕は小学生の頃、絵本か図鑑で『那智の滝』の絵(多分写真ではなかった)を見て、「あー、こんなところがあるんだ!」と思ったのを覚えています。
そんなこんなで、有意義な旅だったのですが、帰ってくると『年金定期便』というのが来ていて、何と父親が払っていてくれたはずの、学生時代とその後のフーテン時代(?)通算7年間が未納となっていたのです。
父親は4年前に他界したし、領収書など無いし・・・、さてどうなるのでしょう?、仕事が溜まっているのに、また余計な手間が増えてしまいました。