(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)
文政権と尹錫悦(ユン・ソクヨル)検事総長率いる検察との対立は、「検察改革」のために文在寅氏が法務部に送り込んだ秋美愛(チュ・ミエ)長官による尹検事総長からの人事権の取り上げという捜査妨害から始まった。
これに尹検事総長が静かな抵抗を示し、月城原発の経済性評価など政権幹部への捜査が続いたことから、秋長官は尹検事総長への直接の指揮権を行使、検事懲戒委員会による処分へと発展していった。
秋長官による「尹総長懲戒」の動きが鮮明化すると、当初は「観戦者」を決め込んでいた文在寅大統領もこの争いに引き込まれた。
秋長官が辞意表明と共に、大統領に尹検事総長の「停職2カ月」という懲戒請求を行うと、大統領はこれを裁可。
そのことでついに文大統領自身が、尹総長との対立の前面に立たされることになった。
対立劇第一幕の帰結は「文大統領の権威失墜」
尹総長側が「停職2カ月」の処分の執行停止を求めた行政裁判所の尋問で、文政権側は「懲戒処分は大統領の人事権行使であるため、執行停止を容認すれば国論分裂など公共の福祉を害し、公正な検察権行使を脅かす恐れがある」と主張した。
要するに「大統領の権利行使なのだから行政裁判所がガタガタ入っては困る」と脅しをかけたのだ。
ただこのことで、大統領は行政裁判所の判決から逃れられない立場に置かれたことになった。
こうした「脅し」があったにも関わらず、行政裁判所は、政権側の主張を退け、停職の執行停止を判決した。
これは尹検事総長への懲戒処分が、文大統領が一貫して強調してきた「『手続きの正当性』と『公正性』をむしろ損ねる措置」と受け止められたということである。
さらに言うなら今回の裁判所の判断により、文大統領が尹総長に代表される検察権力の制御に失敗したことになる。
そしてその瞬間、大統領の威信は大きく傷つき、秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官は実質的に「植物長官」になったと言えるだろう。
24日、行政裁判所の決定が出ると、青瓦台の姜ミン碩(カン・ミンソク)報道官は「裁判所の判断が遅い時間に出てきた。
本日、大統領府の立場発表はない」とのみコメントした。
青瓦台がコメントを出せないほど、「停職の執行停止」に大きな衝撃を受けたということだろう。
文大統領は、尹検事総長に対する「停職2カ月」の執行が裁判所により停止されたことに対し、
「裁判所の決定を尊重する」とし、「国民にご心配をおかけし、混乱をもたらしたことに対し、人事権者として謝罪申し上げる」と一応は謝罪の言葉を、書面を通じて公表した。
これは大統領としては珍しいことであり、衝撃の大きさを感じさせる。
しかし、大統領の発言のポイントは、むしろ検察に対しても反省を求めたという点にある。大統領のコメントにはこうあった。
「裁判所の判断に留意し、検察も公正で節制された検察権の行使について省察する契機となることを期待する」
「法務部と検察は、安定した協調関係を通じて、検察改革や捜査権改革などの後続措置を支障なく進めていかなければならない」
このように混乱をもたらしたことについては国民に謝罪する一方で、検察改革を全うする意思を改めて強調してみせたのだ。
ちなみに法務部と検察の協調を崩したのは誰かについては一切言及がない。
文在寅大統領による検察改革の「本音」は、政権幹部による不正のもみ消しである。
国民はすでにそのことを見抜いている。
検事総長の懲戒により、「検察権力の抑制」よりも「検察の政治的中立性と独立性、法治主義が深刻に失われた」と世論は察知していた。
その検察改革を、文大統領がこれまで通り強引に進めていこうとするならば、それは支持率の一層の低下、およびレームダックの進展と表裏一体であることを覚悟しなければならないであろう。
対立劇第2幕は公捜処設立を見据えたものに
こうした中で間もなく文在寅大統領vs.尹錫悦検事総長の対立第2幕が始まろうとしている。当面、双方が繰り出す手は次のようなものだろう。
尹総長側は、停職2カ月の執行停止を求める事由として「停職が、『月城原発、蔚山市長選挙介入疑惑など重要な捜査に大きな支障が生じる』という回復しがたい損害がある」と強調してきた。
それだけに、当面はこの捜査を一層強力に進めるだろう。
さらに、ライム・ファンドとオプティマス・ファンド運用など大型金融ファンド詐欺に関与した疑いのある政府・与党関係者に対する捜査にも弾みがつく可能性がある。
尹総長が先月25日から今月1日まで、一時職務停止の処分を受けていた期間、大田地検原発捜査チームは最高検察庁に月原原発事件に関して産業資源部公務員の逮捕状請求意見を出していたのだが、この時は決定はされなかった。
それが、尹総長が職務復帰した翌日の2日には、逮捕状を裁判所に請求した。
この経緯を見れば、尹総長の停職の執行停止後の最初の動きとして、同原発関連の捜査を直接指揮すると見られている。
蔚山市長選挙介入事件のほうは、青瓦台による露骨な選挙介入疑惑があるだけに、捜査が進めば青瓦台は大きな打撃を受けるだろう。
来年に予定されるソウル市長選挙、釜山市長選挙への影響も無視できまい。
さらには明後年の大統領選挙にまで影響を及ぼしかねない。こちらも捜査を進展させれば、政権は大きなダメージを受けることになるだろう。
反面、文在寅大統領は高位公職者犯罪捜査処(公捜処)の設置を急ぐと共に、辞意を表明している秋美愛法務部長官の後任人事を進めることになるだろう。
検察が捜査権を握っている限り、政権への捜査を防ぐことはできない。
そのために文政権としては、公捜処を速やかに設置し、捜査権を検察から公捜処に移管したい。
その前提となる公捜処の処長人事では、すでに野党の拒否権をはく奪することができた。
検察の動きが急なことを受け、文大統領としては、公捜処を来年の初めには設置して、まず月城原発関連の捜査を公捜処に移すなど、政権幹部への検察の捜査を防ぐことに注力せざるを得なくなっている。
ただ、これまで与党からは、「公捜処の最初の捜査対象は尹錫悦」という主張が大きかったが、その実現性には疑問が芽生えている。
秋長官は後任が決まるまで、長官職にとどまるが、検察組織と決定的な対立を起こしてしまった後であり、尹検事総長を飛び越えて、検察を掌握することはできないであろう。
また、懲戒委の定足数補充のため慌てて選ばれた李容九(イ・ヨング)法務部次官は、その後、タクシー運転手に対する暴行容疑が発覚、次官としての適格性に疑問が持たれている。新しい法務部長官を任命することは焦眉の急となっている。
検察vs.公捜処の権限争いを左右する政権支持率
文大統領vs.尹総長の対立は、まずは公捜処vs.検察の対決として進んでいくだろう。
つまり、公捜処の出奔までに検察がどこまで捜査を進められるかが第一の関門であり、その後は汚職捜査において、どちらが主導権を握るのかの争いとなろう。
そして、この争いはおそらく尹総長が7カ月後に任期を終えるまでは激しく行われることが予想される。
公捜処vs.検察の権限争いが文在寅大統領の思い通りに進むかは分からない。
公捜処がスタートすれば、政権幹部への捜査は第一義的には公捜処が持つのであろう。
しかし、これまで検察が行ってきた捜査情報を公捜処が全面的に取り上げることは現実的にできるのであろうか。
あまりに強引に政権の不正もみ消しを図る場合には国民世論が反発する可能性が高まっている。
世論調査会社リアルメーターによれば、直近の文在寅政権支持は37.4%なのに対し不支持は59.1%とその差は21.7%に拡大した。
しかも政権の欺瞞体質が明らかになり、従来は政権の意向に従ってきた韓国社会、特に文政権の支持基盤では、「いつまでも文政権と運命を共にしよう」という意識が薄れてきた。
現在新型コロナの感染が拡大している中でも、政権絡みのスキャンダルが後を絶たない。
例えば、メディアアート作家である文大統領の息子は、新型コロナ被害緊急芸術支援金1400万ウォン(約131万円)を受け取っていたが、困窮する多くの芸術家をよそに大統領の息子が国の補助金を真っ先に受け取ったことの是非も問題になっている。
こうした中で、現時点において文政権の支持率を好転させるような材料は、何も見当たらないのだ。
「これまで一度も自分の過ちについて率直に認めて反省した事実がない」
「検察改革」をなおも進めようという文大統領だが、これから、国民の文政権を見る目が急速に変わってきていることを痛切に感じるようになるだろう。
私文書偽造や偽造私文書行使罪などに問われた曺国・前法務部長官の妻チョン・ギョンシム氏に対する判決の中で、
裁判官は、チョン氏について
「これまで一度も自分の過ちについて率直に認めて反省した事実がない」、「真実を話した証人に苦痛を与えた」と非難したが、「朝鮮日報」は、それはそのまま文在寅政権の体質を物語っているとして次の点を上げている。
「現政権が発足して3年半もの間、大統領とその周辺の勢力者たちは自分たちの過ちを認めて謝罪したことがない。
その反対に、政権の過ちを暴いたり、真実を言った人々に腹を立てて攻撃したり、そうした人々を罪人に仕立てたりした。
蔚山市長選挙工作、柳在洙(ユ・ジェス)元釜山市経済副市長監察打ち切り、ライム・ファンドやオプティマス・ファンド捜査など、政権の不正が発覚する危機を迎えると、反省どころか検察捜査チームごと空中分解させた。
検察総長(日本の検事総長に該当)にはぬれぎぬを着せて懲戒処分した。
原発の経済性操作を監査した監査院長も人身攻撃した。
慰安婦被害者をだまして利益を得ていたことが明らかになった尹美香(ユン・ミヒャン)議員は今も金バッジをつけたままワインパーティーを開き、真実を語った慰安婦被害者を認知症だと言った。
不動産価格高騰やワクチン確保の失敗を案じる報道を『フェイクニュース』だとしてメディアのせいにばかりしている」
この記事はまさに国民が感じ始めている韓国政府・与党の実態であろう。
こうした文政権の恣意的な行動は特に今年になってより顕著となっており、政府与党による「検察改革」と称した「検察権力解体の試み」と連動して行われてきた。
それでも当初は、文政権の巧みな世論誘導と言論機関の政権への忖度で、本当の思惑をこれまで覆い隠すことが出来て来た。
それが、今回の裁判所による尹検事総長への懲戒決定の執行停止と、曺国前長官の妻に対する実刑判決によって、現実を覆っていたヴェールが剥ぎ取られた。国民も、ようやく文在寅政権と与党の実態に気が付いたのだ。
尹検事総長は大統領選に名乗りを上げるのか
これまで、大統領vs.検事総長の対立は単に検察の捜査権をどちらが握るかという権限争い、そして政権絡みの不正を守るのか暴くのかという対立であった。
それが今後は「次期大統領選挙」をにらんだ対立に発展していく可能性がある。というのも、本人は何も口にしていないが、世論調査では次期大統領に相応しい人物として、「尹錫悦」が大きくクローズアップされる事態となっているからだ。
もちろん尹錫悦氏は、最後まで検事総長としての職務を全うするであろう。
また、尹総長には政治の経験がなく、野党の全面的バックアップがなくては政界に出ることはできないだろう。
さらに尹総長が次期大統領への意欲を示すようになれば、「これまでの大統領との戦いは大統領選を狙ったものだったのか」ということで、尹総長対する国民の期待は離れていくかもしれない。
それでも、文在寅政権にはびこる広範な不正の取り締まりは次の政権を誰が握るかによって大きく左右されるだろう。
その意味では、今後検察の捜査が妨害され続けるようになれば、尹総長が次期大統領選挙に打って出る決断を下す可能性も否定できない。
ついに国民も文政権の本質に気づき始めた
文在寅大統領は、政府・与党の連携した言動で、政権の不正や無能を国民の目から隠し通してきた。
そのため、今でも30%台後半の支持率を維持している。これは筆者にとってむしろ不思議である。
<iframe id="google_ads_iframe_/6213853/pc_inread_0" title="3rd party ad content" name="google_ads_iframe_/6213853/pc_inread_0" width="1" height="1" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" data-google-container-id="a" data-load-complete="true"></iframe> しかし、前述のとおり、これまで維持してきた文在寅軍団の強固な団結に対し、韓国社会が静かな反発を示すようになってきている。
文大統領は、大法院の院長と法官、憲法裁判所長と裁判官を
「ウリ法・国際人権法研究会」、
「民主社会のための弁護士会」(民弁)などの左翼系判事に入れ換えたことで、完全に抑え込んだと思い込んでいたようだが、
今回の2つの判決で示された司法府の良識的な判決は、文在寅氏の政治的圧力をはねつけるものとなった。
この状況に、与党の申東根(シン・ドングン)最高委員は「『検察改革に集中していて、司法改革ができなかった』ということを身に染みて実感している」などと、三権分立をないがしろにしたような発言をしている。
しかし、今後はこれまでのような恣意的で強引な行動に出れば、政権支持率の一層の低下、政権のレームダックを招くことになるだろう。
マスコミももはや、以前のように「応援団」ではなくなってきている。
新型コロナ対応の失敗、特にワクチン確保の遅れを指摘し、政権批判を強めている。今後は経済界も政権の意向を忖度することはなくなっていくだろう。
このように文在寅政権は韓国国内で四面楚歌になりつつある。これから先は、民主主義のルールに基づき「公正かつ正当」な手法で政治を行っていく以外に、信頼を取り戻す道はないだろう。
<iframe class="teads-resize"></iframe>
<iframe class="teads-resize"></iframe>