ICUROK!!

/^o^\/^o^\/^o^\/^o^\

ふわふわ時間

2010年07月11日 23時01分40秒 | 戯言
政治信条は自由だ。

その人が、何を考えていようが、何を信じていようが、当人の自由だ。私が逸れに介入しつべこべ言う権利は無い。また、私に対してその人が何か大切なモノを伝えようとして下さるのも自由だし、逆に私(その人にとってのその人)がそうした伝達行為をするのも自由だ。

しかし、意思の伝達及び共有を超えて、それらの享受を強要するのはいささか問題ではなかろうか。

いきなり具体的な話で恐縮だが、“その人”によって期日前投票にまで執拗に介入しようとされたり、近所付き合いを遥かに越えた意思や思想への立ち入りを強制された場合どうすれば良いのだろう。

私は、“その人”に対しては、正直に先述した“互いの政治信条は自由”という観点から一貫した解答をすることにしている。相手の意思を思いやったつもりで曖昧な返事をしては、いつまでも自分の意思は伝わらなし、ずるずると引き延ばすだけその人に対して失礼になると気づいたからだ。私は私の思うところに一票を投じるのみだと伝えればいい。それだけだ。

無論、逆もしかりと言うことを知るべきである。自分は常に「正」の立場だろうか。その人にとってはその人自身が「正」だ。二つの「正」が拮抗するのである。馬鹿馬鹿しい。

もう一つ。見えない恐怖や臭いものに蓋をしてきっちり閉じ込めるのは、まだ良しとして(人間だもの(笑))、得体の知れないバケモノがいるかのようにその閉じ込めた容器を袋叩きにするのは良くない。得体が知れないのだから。

先日、面白い光景を見た。某ファンクラブ会員が別の某ファンクラブ会員をディスるという珍事である。簡単に言えば「あいつ、あんな奴のファンクラブ入ってるのかよ、気持ち悪い」ということだ。

さてはて、困った。

繰り返すようだが、政治信条は自由だ。そして、考え方の違いから“その人自身”を否定することはあってはならない。

この二点を抑えているだけで双方にとってより良い解法が導き出されるはずではないか。少ない脳味噌を使って私もようやく、この考えに辿りついた。しかしこれは終着点ではないはずだ。

当初この文章のタイトルは「正論タイム」にしようかと思った。しかし「正論」の反対にはもう一つの「正論」が存在するはずだ(野原ひろし的に)。そもそもこれが「正論」かも分からない。私は私側にいる人間だ。じゃあ、「正論」はなんだ。残念ながらそいつを導き出せるほど私のオツムは良く出来ていないようだ。こうしてそれなりに中立的な見解を出した翌日には、“得体の知れないバケモノ”を袋叩きしている可能性だってある、それくらいノータリンで小さい人間なのだ。
というわけで、やり場の無いこの気持ちから、どこかで聞いたことのあるこのタイトルに落ち着けた次第である。

最後に、下手糞な文章で恐縮です。でも、自分の現在のスタンスを文章として形にすることで明確にしておきたかったというものがあります。敢えてWebにUPせんでもとはおっしゃらないで。今の私の意思というものを提示してみただけで他意はありませんから、本当に。