当の本人すら忘れてしまいそうなものがある。それらは大抵どうでもいい思い出の絞りかすや七色の小鳥がさえずる丘の上でサキュバスとピクニックしたお伽の国のお話など。
それでもしっかりと痰壺の奥底にこびりついているのは歴史の暗部たち。あの娘の陰部はいざ知らず、カビキラーとサンポールとパイプユニッシュと愛しさと切なさと心強さと、嗚呼、混ぜるな危険。歴史の暗部は余りにもしつこく私の肢体に絡みついてスポンジ脳味噌にカビのように染み付いた黒ずみが夜な夜な私に奇声を発しなさいと微弱電流の刺激で脅迫するのだ。
さて、気が付けば半年以上も当ブログをほったらかしにしていた。特別書きたいことが無かったわけではないが140文字のもたらす恩恵に甘んじていたのだろう。最近では140文字すら長く感じる。
それはともかく、最後の更新から今日まで色々なことがあった。
なんといっても3.11。この数字の羅列から広がるもの、大地震、津波、人類の叡智と語り継がれた思い上がり、恐怖の二次感染、山積の宿題と模範解答の紛失。どこぞの生白い青年が思いついたキャッチコピーの羅列みたいになってしまったが、いずれにしても我々の生活や考え方、そう遠くない未来にまで、与えたインパクトは余りにも大きい。そして、そのインパクトの形状は余りにも不確かだ。一つだけ確かなことは、自分で考えて、行動する、この糞当たり前なはずだけれども、いつの間にやら忘れ去られていたサイクルを再び意識するようになったことだろうか。とにもかくにも、あれから今月を以って半年を迎えるわけで。直接の被害が無かった者にとってはあの時点の出来事でしかないように思えてしまうのだが、今でも押しては返すインパクトの渦中にあることは変わり無い。
だから何だと言われてはアレなのだけれども。アレという言葉を良く使うようになった。アレがアレしてアレだからアレだよね。なんて便利なのでしょう。さっきまで話していた人の名前を忘れてアレになり、買い物に行けばパンと牛乳とアレだよアレ。若年性ぶっ飛び症候群かと些か心配であるもののとりあえず生活に大きな支障を与えるまでもないので良しとするか。分かってはいるのだが、経年劣化には逆らえぬようである。
馬鹿な話はさて置き、その他にも身内がお天道様に昇ったり、失われるものがあれば授かるものもあり、私にとってとても大切な友人にベビーが生まれたり。
歳月を重ねるに連れて、ポケットから取り出したハンカチを見ては「ああ、これはあの人の葬式で貰ったやつだね」という会話が増えてくるのだろう。そして明日にはまた何処かでベビーが天に向かって雄叫びを上げているはずだ。いい加減子供がいてもおかしくない歳と言うやつらしい。親戚付き合いの度に「相方はおらんのか」とか、それを気遣う親の声。嗚呼、嫌だ嫌だ。
思いつきで書き始めると、いつの間にかどうでもいい話になってしまうのは相変わらずで。ちゃんと更新しなくてすみません。とりあえず教科書で習った低姿勢にて。気力を充実させて、中身はともかく、もう少し更新頻度を増やします、たぶん。
フッ、充実したいぜ。