誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。
ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。
パクリ国家の限界が、そろそろ見え始めたようです。なんでもかんでも自分の「序列の地位を上げるのに利用」して、自由に歴史を「捏造」できる芸当は余人には真似ができません(笑)。
韓国は、ドイツを許したフランスになったつもり
韓国が、自分をフランスになぞらえているつもりなら、とんでもない勘違いで、利益になることなら何でもマネをする資質は、あっぱれそのものでした。
そう、寛大だったフランスに比べ、「寛大の正反対だった韓国」は、執念深い悪質な「差別大国」だったのです。
決してだまされてはいけません。
同じキリスト教圏のドイツを許したフランス。
中国以外、世界中のどこでも通用しない「儒教」国家である韓国では、序列意識がそのまま差別意識に定着し、フランスとは似ても似つかない民族性となってしまいました。日本が同じような儒教国家だと考えるところが、幼稚そのものでした。
ちょっと物事がわかる人ならば、このようなパクリを、「あぁまたか」と・・・・
ドイツを利用する目的
日本を蹴落とせば相対的に自分(韓国)の立場を上昇させ快楽につながりますから、この「他国をおとしめる」信仰をやめることはできません。スマホ中毒と似ていて、決して満足を得られないのですが・・・・
まぁ「イワシの頭も信心から」と言いますし、私もまた「信仰の自由」を尊重しております(笑)。
ドイツは、「ナチスの残虐な行為に引きずり込まれた」ことを反省しているのであり「ナチス」を謝罪しこそすれ、決して「ドイツ人そのものが反省しているのではない」ことに注目すれば、韓国の勘違いは悪質で例によって歴史の捏造そのものですね。
旧日本軍が、ユダヤ人を皆殺しにしようとしたヒトラーと同じこととをした、というのが韓国の歴史捏造で、旧日本は朝鮮半島を併合したのであり「朝鮮族を皆殺しにした」というのは明かな捏造・偽造で、あまりにもひどすぎます。
こんな愚かな主張をする民族に対して一部の日本人が怒っていてこれが「ヘイトスピーチ」とされます。
これにも重大な問題がありますが、しかしそもそもの発端を知るのが先決でしょう。
韓国のマスメディアが
昔から日本へのヘイトスピーチを繰り返していながら、自らの姿を顧みることなく、自分の極悪さに日本の一部が反発すると、その反発をヘイトスピーチだと大騒ぎします。
これは北朝鮮のちょっかいに、そっくりですね。
つまり自ら、小規模な衝突をむりやりに起こしておき、それに対する反発があると「正当防衛だ」として反撃する、あの姿ですね。いや~似ています。
歴史をありのままに(客観的に)見ることができず
都合のいいように史実をねじまげ「歴史を直視できない」のは、中国・韓国に共通した欠点でした。
そういう「歴史を直視できない」国が他国に対して「歴史を直視しろ」と叫ぶ姿は、まるで落語のようにおもしろいのです。
韓国のマスメディアの豹変
大統領朴槿恵を全面的に後押しするのも、自分の利益のため、金儲けのためでした。
長年、韓国外交の勝利だと大統領にヨイショしてきましたが、2015年頃から、日米の絆が太くなり始めたのをしみじみと実感しはじめたか、なんとあり得ない事ですが、韓国のマスメディアは朴槿恵の外交が失敗したとこき下ろし始めました。
こういうのを自らのことを棚に上げた豹変、といいます。
別の言葉では「言う資格がないことを、なにごともなかったかのように平気で言う」とも言いますが、これは生きるために生み出した朝鮮半島人の生活の知恵です。
かわいそうとは思うものの、身から出た錆(さび)でもあります。
韓国のマスメディアに信頼性がないのはなぜか。
それは、独自の取材と視点が見られないだけでなく、豹変を厭わずにひたすら悪質に庶民を煽動するからです。
そこには、「悪いこと」という意識はなく、生き残るための民族の本質があるだけなんです。いつものことなんです(笑)。
そうです、その場その場で「正直」に行動しているだけです。
昨日とまったく異なることを今日言っても、それは変節ではなく、単なる豹変(ひょうへん)なのですね(笑)。
場面場面で、異なることを言っても、何ら咎められることではない、と考えます。「一貫性」などは、幼稚な「美学」に過ぎないのです。
まあ「変化した」という意味では、変節も豹変も同じようなものでしょうが・・・・(笑)。
配偶者によって
浮気現場へ踏み込まれたとしても「人違いだ」と言えるだけの強靱な精神力が求められます。
だからこそ、あれだけパクることができました。なまじっか「人の良さ」がある常人には、決してマネができません。
朝鮮半島人が信頼性を取り戻すヒントを羅列しましょう。
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- 自分だけの利益だけではなく、少しでも視野を広くしましょう。
- 鏡で自分の姿を映して見る習慣もほしいですね。
- 相手より上の序列を目指すという「差別意識」を捨て去ることです。
- すべての人やすべての国が本来対等なんていうのは、儒教に浸りきっている限り、意味がわからないはず。「儒教を捨てなさい」とは言いませんが、「違った視点を許せる本当の強さ」を、もちませんか。
- 「学問とは何か」を考えたことがありますか。客観性の意味をしっかり理解してもらいたいですね。
- 全てを二元論で片づけないこと。そんなことを続けていると、いつまで経っても韓国から「差別」がなくならないでしょう。敵か味方か、善か悪か、の視点は「幼稚園時代」だけの過去の遺物にしたいものです。
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一言でいえば、「多様性をもちましょう」につきます。
「時すでに遅し」とも言えますが、上のどれでもいいから、一つずつ解決していこうじゃあ~りませんか(笑)。
さてさて、皆様はどう思われますか。