「ある地の出身者が別の地で活動する姿」は、珍しいことではありません。
生まれ育った地で一生を終える人が少なくなりつつあるのは、交通手段が多彩になり、別の地で活動する意義が変わりつつあるからでしょうか。
李明博〔イ・ミョンバク韓国大統領:在任2008-2013〕
李明博は日本の大阪生まれで、韓国に移って政界入り、韓国大統領までつとめました。次の韓国大統領が現在(2016年)の朴槿恵〔パク・クネ在任:2013-2018予定〕です。
しかし日本出身ということで、あさはかにも李明博に期待する日本人が多くいたにもかかわらず、逆に史上最悪の反日大統領になったようです。きっと韓国人からみれば、史上最善の大統領だったのでしょうか(笑)。
このように視点が変われば正反対の印象となります。反論を許さない言論弾圧国家では、この傾向がいっそう強まり、テロリストが英雄に祭り上げられる例など、枚挙にいとまがありません。
マルコ・ルビオ〔米共和党の大統領候補〕
2016年3月に米大統領予備選挙から撤退したルビオは、キューバからの移民を両親に米マイアミで生まれました。
しかしキューバ出身ということで、あさはかにもルビオに期待するキューバ人が多くいたにもかかわらず、共和党のルビオは若い頃の積極的な移民政策から転じて、民主党オバマの進めるキューバやイランとの太陽政策に反対してきたことから、「ルビオが大統領予備選挙から撤退する」という情報にキューバ市民はほっとしているとのこと。
これらは、出身地から別の場所へ移動して活動する人が、様々な理由で保身を試みた上、必ずしも出身地のためにはならなくなっている、いや、むしろ出身地の人たちの利益を害する言動に走りがちである、という例でした。
潘基文(パン・ギムン 1944- )
しかしながら韓国出身の潘基文(パン・ギムン)国連事務総長〔在任:2007-2016〕の場合は、別でした。
国連事務総長に就任してからというもの、周辺を韓国人で占め韓国語で会話をすることが多く、多発する縁故採用などで、あまりにも韓国系を優遇していると指摘され、さっぱり国連事務総長としての働きをしていない、最低の国連事務総長だとこき下ろす人が増えました。
前任の国連事務総長はアナン〔1938- 国連事務総長在任:1997-2006〕でガーナ出身でしたが、アメリカの国連無視が原因か、アナンのアメリカ蔑視が原因か、多分その両方でしょうが、対立していました。
しかし潘基文(パン・ギムン)の場合、対立どころか、それを通り越して「馬鹿にする人がいる」とのこと。つらいことですが、それなりの根拠があるというのですからやむを得ませんか(笑)。
韓国の場合
- 「公平さ・中立性」はどこ吹く風、上り詰めた人は周辺に「お返し」しなければならないという運命をもっているようです。
- これが原因で大統領時代に自らあるいは周辺が蓄財に走り権力を利用するため、本人が大統領退任後、死刑判決を受けたり自殺したり周辺が逮捕されるなど、不幸な人生が待ち受けています。
潘基文が任期終了の2016年一杯で退任後、朴槿恵〔パク・クネ〕のあとの大統領に立候補するのではないかとうわさされていますが、文字通りの風見鶏の行方はまだわかりません。もしも潘基文が韓国大統領になれば、その不幸な事例の「例外になる」ことは、なさそうです。
潘基文が周辺におだてられて名誉職に就こうとして晩年を汚すことになりそう〔すでに汚したか?〕なのは、土屋参議院議長が埼玉県知事へ、土井衆議院議長が社会党・社民党の党首になった例から、自然に思い出されます。
潘基文の最近のニュースでは、人道サミットを計画したものの、主要7カ国(G7)のうち、ドイツのメルケル首相以外の首脳が欠席したとのことで、潘基文に信頼性がまったくないことを証明しているのでしょうか。〔朝日新聞デジタル 2016年5月25日〕
それでも潘基文は、韓国で「偉大な指導者」なんでしょう。ちょうど北朝鮮では金正恩(キム・ジョンウン)が偉大な指導者であり、習近平が中国最後の、いや、中国最高の、指導者であるのと同様に・・・・・・。
〔「高→後の誤記」については当ブログ「中国に関する醜聞 105 香港の書店」〕を御覧下さい。
このように
ある地の出身者が別の地で上り詰めたとしても、必ずしも出身地を利する行動に走るとは限りません。
しかし韓国人の場合は別でした。最初は「公平」を装いながらも、やがて「地元韓国の人たちを優遇する差別意識」に至らない人はいないようです。
これは儒教にその原因を求めることができ、身内優遇の習性は、韓国人として拭(ぬぐ)えども拭えない悲しい性(さが)なのでした。
韓国内では日常茶飯事ではあっても「身内を優遇する」ことが、海外、とくに国連で通用するはずはないのですが、残念なことに、視野狭窄症(しやきょうさくしょう)・視野欠損症(しやけっそんしょう)ゆえに「自分の国で通用することが、世界もそのまま通用する」と勘違いしてしまい、軽蔑されるのもやむなし、というところ。
優遇は、他者から見たら差別なんですね。
♪忘却とは忘れ去ることなり
優遇とは差別にほかならず。
差別なしの優遇があると思う心の貧しさよ♪
あきらかに妙な優遇をしながら「差別はない」と頑張るのは、詭弁を弄する虚しさそのものではござりませぬか(笑)。