The greater good vs the individual right to a pursuit happiness
大儀 対 幸福を追求する個人の権利
法廷専門弁護士歴60年、富や名声のためだけに代理人をする弁護士が多い中、Sol氏は、『正義(ジャスティス)』のためだけに法廷専門弁護士を続けている
ガーダシル被害者の代理人である
ワクチン被害で製薬会社を訴えるためには、製薬会社の不正行為を証明しなくてはならず、お金と時間がかかり、被害者にとっては大変な負担となる
この裁判はワクチン補償プログラムが始まって以来、製薬会社を直接告訴したおそらく2番目の裁判ではないかということ
この裁判では、医療専門家と法律専門家が一体となって、個人の健康に関する問題において、何が真実であるか、そして何が正義であるかを模索している
何が問題なのか
ガーダシルは安全なのか
ガーダシル接種と自己免疫疾患について多くを聴いてきた
これは、自己免疫疾患なのか
単一な自己免疫疾患ではなく、様々な原因が身体の様々な器官を攻撃している新しい疾患であり、様々な症状が現れている
法廷では、ポッツと小径線維ニューロパチーという診断にまとめさせようとしているが
診断とは正しく治療するためのものである
診断は、病気のプロセスの外的原因を決定するものではない
法廷は、ポッツだと認めさせようとしている
なぜなら、専門家による7センチの厚さの書類を出してきて、被害者はポッツではないことが証明できるからである
次に、多発性硬化症だと認めさせようとし、その原因はビタミンD不足だと主張した
次に、原告が幼児期に罹患した膀胱感染だとし、数センチに及ぶ専門家の書類を提出してきた
この感染症はすでに治療していて関係ないのにもかかわらず
そうやって、一つの診断に落とし込み、それを否定しようとしている
本当の診断は、Shoenfeld 教授のASIAだと考えている
たくさんの疾患が含まれている
ビタミンD不足がある疾患を起こしているかもしれない
膀胱感染もある症状を起こしているかもしれない
問題は、何が「第一の原因」であるかであるである
ビタミンD不足かもしれないが、では、異物を注射すること、安全性を試験していないものを注射すること、L1DNAが身体の中でどう反応するのかもわかっていないものを注射することはどうなのか
これから、決定プロセスについて話したい
1989年、他のワクチンの訴訟に関わった
小児ワクチン健康被害補償プログラムの導入3年後であった
ここでは「小児」と呼ぶ
なぜなら当時ワクチンは、破傷風以外はすべて小児のためのワクチンであったからだ
DTPから始まり、ポリオ、MMRと導入されていった
最初の天然痘のワクチンは、実際の病気の人の病巣から接種したもので今のワクチンとは異なっている
私が子供の頃は、風疹に罹患した子供がいれば遊びにいって免疫を付けていた
ワクチンは新しい考えに基づくもので、90年以降急激に増えている
現在200種類のワクチンが待っているらしい
もしワクチン被害の根底にある原因を今解明しなければ、100年後に何が起こるかわからない
私たちは何かに正しく対処していない
何かがおかしくなっている
決定プロセスにおいて起こるべきことが、基準に見合っていない
法律の立場から、ワクチンではなく、決定プロセスにおいてなされるべきことがなされていないことに問題があることを見極めなくてはならない
病気を予防できるということは素晴らしいことであるが、異物を、腸からではなく、直接体内に入れるなら、何をしているのかを本当に知っていなくてはならない
人生の自由と幸福の追求について考えてみる
「合理的な疑い以上でない限り、人の命や自由を奪う事はできない」という基準がある
合理的な疑い以上とは、かなり高い確実性である
健康に関しては、おそらく、合理的な疑い以上でなくても、例えば瀕死の人がいる場合は、素早い介入が必要となる
つまり患者の状態が、何をすべきで何をすべきでないかを決定する
ヒポクラテスの誓いの中に、「do no harm」があり、これは、判断することを要求する
医師の考えと判断において、もし介入の結果が「害する」のなら、その介入はしないということである
決定する際に、高い確実性が必要となる
問題は、他の観点から起こってくる
ここで、大儀について考えてみる
大儀の中の一つの問題点は、集団免疫であるが
シン・ハン・リー博士の言うように、集団免疫はこのワクチンは問題ではない
では大儀はどうやって決定するのか
ワクチンの製造会社ならそれは簡単である
ワクチンを与えることと与えないことの利益を比較し、与える方が利益があるなら、ワクチンを与える
ワクチンの世界的権威のある医師は
「もしワクチンと傷害の関連があることを決定できず、かつワクチンと傷害の関連がないことを決定できないなら、ワクチンを与えろ」と言った
15歳の少女、9歳の少女、25歳の女性が単なる統計である
ガーダシルワクチンの結果、圧倒的な障害に向き合う少女はどうなるのか
その両親はどうなるのか
その家族に与えられた欺き、失望、落ち込みはどうなるのか
家族は、我々社会の基本的なユニットである
ユニットは大会社ではない
そのユニットでは、両親が全生涯を子供たちに捧げている
それを奪うとどうなるのか
その影響が、他の人との関係性でどうなるのか
これが大儀なのか
教会などでそんな子供たちを見ていて胸が潰れる思いがする
これは、自然界の秩序の結果ではない、偶然でもない
これは、人為的な行為により負わされたものである
この違いをよく考えなくてはいけない
大儀と集団免疫について考える
9歳の少女がワクチンで重篤な障害を負って、彼女の生涯にわたって影響をもたらすかもしれない
もしワクチンを打たないで、HPVに感染したら、それは、おそらくどちらかが浮気をしたことになるが、そして持続してがんになるとしても20年から30年後である
科学は急激に発展している
誰が危険なのかがわかってきている
良い治療法がみつかってきている
20年30年後は今とは違う
そして、彼女ががんになる可能性は小さい
何かおかしいとは思わないのか
何が起きているのか
では、眠れる巨人の概念について
個人と、大会社とは違う
大会社は利益のために作られている
個人は子供を育て、人生の基本的な構造を維持している
大会社は、名声、利益、勝つことと負けることに関わる
彼らは、基本的な家族の構造でこれらの意図や行為で動いているのか
この概念では何かがおかしい
もうひとつの概念がある
それは、名声、大金、勝つこと、負けることとは関係がない
それは、正しいか、正しくないかとうことである
どうやって、正しいことと正しくないことを決めるのか
おそらく、技術、知識、教育、訓練などと、多分少しのソロモンの智恵とで、決めるのであろう
私は、父親、母親、15歳の少女と話していた
彼らに説明した
ワクチン補償プログラムの裁判をすることと民事裁判をすることの違い
補償の違い
ストレスの違い
民事裁判では、自分に起こったことを何度も何度も繰り返して体験することになる
そして、費用がかかり、負けたら何も得られない
他の詳細も説明した
15歳の少女は言った
「私は、自分が障害を負ったような方法で、他の少女が障害を負わないようにするのに必要なことは何でもする」
一体これはどこからきたのか
智恵か、教育か、
私たちは、必ずしも特定できないけれど、何が正しく何が正しくないのかを生まれつき知っている
この訴訟を起こしてから、当時は、誰も訴訟できないと思っていて、誰もやり方を知らなかったけれど、たくさんの人が助けたいと申し出てきた
それは、正しいことと正しくないことの概念に突き動かされた人たちで
単に看護師のグループであるとか、被害を受けた個人であるとかではなく
例えば癌研究所に長年勤務してきた人たちだったり、
どこからともなく現れて手伝いたいと申し出てきた
1人の証人となるであろう人は、何の代償も求めずに、証言したいと申し出ている
動機は、正しくないことが行われていることに、正しいことで立ち向かいたいという事である
ロバートケネディJrは、代償を求めていると思うか
彼は、正しくないことを是正したいという気持ちで参加している
ノーマもそうだ、この2人だけでない
すべてのスピーカーがそうだ
一度、この概念「正しいことと正しくないこと」に縛られたら、逃れることはできない
この状況を、逆行させなくてはならない
私はコクランの人たちとも話したが
安全性が証明されていないのにどうしてFDAが承認したのかわからない
必要性はどうか
必要でないことは何度も示されている
有効性も、販売前と販売後に示さなくてはならない
FDAは自分たちで治験することはできない
製造会社が言うことを受け入れなくてはならない
FDAは反対することができない
FDAはすべてを知ることができない
製造会社は実にうまくやっている
製造会社が結果を解釈している
もし製造会社が利益を追求するためにあるなら
99.9%のケースで安全性を確立するために結果を使用する
ワクチンはNCI(国立がん研究所)で開発され
NIHに委託された
NIHはワクチンから莫大な利益を得ている
この事実は、NIHの行為に影響を与えると思うか
決定機能に影響を与えるであろう
最後に、
成文法でも判例法でも
「ワクチンが安全ではないことを避けることはできない」
となっている
つまり、リスクは50:50より悪い
ジェット推進研究所(JPL)で働く人と話した
彼女に聞いた
宇宙から戻ってくる確率がどの程度だったら人を宇宙に送れるのか
答えは、99.99%であった
この数字が健康にも適応されるべきである
ワクチンは治療ではないからである
ここで提案がある
ヒポクラテスの誓いがある
医療者がこの問題に関わり解決しなくてはならない
(終)
Sol Ajalatさんは、他の講演でも意見を述べており、その中で
ガーダシルの裁判に、ニューヨークの大きな法律事務所が参加することになったと述べていました