への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

2泊3日の山形夏旅  鶴岡

2024年07月21日 | 旅行

港町酒田から、高速道に乗って鶴岡に戻って来ました。

一度通り越した鶴岡に引き返す形になります。

 

江戸時代、酒田・鶴岡を中心に庄内藩14万石がありました。

酒田は北前船で栄えた商業都市。「西の堺、東の酒田」と謳われました。これに対し、鶴岡は政治都市。鶴ケ岡城が築かれ、役所が多数置かれました。

 

やって来たのは、かつてお城があった鶴岡公園付近です。

 

 

庄内藩校致道館

への次郎 「まだ見学できますか?

受付の人 「はい。どうぞ

 

ここは東北唯一の現存藩校、致道館(ちどうかん)です。

への次郎 「藤沢周平さんは、ここで生まれたんだよ

奥さん  「ここ庄内が藤沢作品の舞台なんだね

 

堀に架かった橋の向こうは、表御門です。

堀のハスがもうすぐ咲きそうでした。向こうに見える茶色い建物は、鶴岡市役所本庁舎。

 

藩校敷地に足を踏み入れると、真ん中に講堂、右に御入間があって、

写っていませんが、左には聖廟がありました。

 

ここから講堂に入ります。

中には多数の教材が展示されていました。しばし立ち止まって見入ったのが、

 

江戸期の世界地図。日本は右斜め上45度のところに、ちょっと大きく描かれていました。

 

奥さん 「ここは朱子学じゃないんだね

への次郎 「荻生徂徠とは、異色だね。探求ということに重きを置いたかな

 

建物内部を見学し、外に出てきました。

 

講堂の裏は、礎石のみ配置されていたり、銀屋根の文化施設が建てられていました。

建物が残っているのは、表側の3分の1だけでした。

 

 

大寶館

致道館を出ると左手に、白壁に赤ドームの洋館が見えてきました。

大正4年(1915)、大正天皇の即位を記念して建てられた大寶館(たいほうかん)です。

 

への次郎 「まだ見学できますか?

受付の人 「4時半までなんです。ゆっくりできませんが、どうぞ

 

館内には、鶴岡ゆかりの人物の展示がありました。

左側に、昭和天皇から「満州事件の張本人」と指弾された石原莞爾(いしわらかんじ)も。

 

 

鶴岡公園

大寶館から鶴岡公園に入ってすぐのところです。

庄内藩の政治の中枢・本丸御殿は、この辺りにあったようですね。

 

やはりありました、藤沢周平記念館

 

その向かいの荘内神社。珍しい木を見ましたよ、ヒイラギの老木なんですがね。

珍しいのは葉っぱ。ギザギザしてなくて、針もありませんでした。仏壇に供えるサカキの葉に似ていました。あるとき、突然、こうなったようですね。不思議。

 

 

人口12万人の鶴岡。歴史的建造物が多数残っている鶴岡公園の周辺は、よく整備がされていて、美しい景観を保っていました。とても10万都市とは思えませんでした。

                                  つづく