への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

2泊3日の山形夏旅  紅花

2024年07月23日 | 旅行

麦切りむきそば鶴岡で庄内の郷土料理をいただいたあと、山形道を東に走りました。

 

途中、月山湖PAでひと休み。

奥さん  月山は、どこ?

への次郎 「あの雲の中かな・・・

ここには地図も、目印となる標識もありませんでした。

 

 

おしんの筏くだり

再び山形道を東に走り、寒河江SAから下道に出て、道の駅おおえに入りました。

ここで今回の旅で初めてのスタンプをもらいました。スタンプを押したあと、

 

いい情報を仕入れました。このすぐ裏で、おしんの筏くだりが撮影されたというのです。

 

早速行ってみると、ロケ現場を伝える看板がありました。

への次郎 「ここかぁ、あの感動の場面の撮影現場は

奥さん  「何もないとこだね

 

への次郎 「筏を浮かべたのは、こっちか?

奥さん  「ほらあそこ、急流があるよ

 

への次郎 「じゃ、すぐ上流のこっちか?

奥さん  「そうだね。流れが緩いし、砂浜もあるし、筏を浮かべやすい

への次郎 「おっしーん! Come Back!!」 

つい、大声で叫んでしまいました。

 

 

白鷹の紅花畑

山形の夏といえば、紅花

今回の旅の目的は、実はこれでした。でも今年は紅花の開花が早く、どこも終わったとか。ただ白鷹(しろたか)はまだ見られると聞き、行ってみることにしました。

 

おしんのロケ現場から南下すること30分、道の駅白鷹ヤナ公園に到着。

ありました! 駐車場に沿って細長い観光紅花畑。

 

近づいてよく見ると、

への次郎 「案外小さい花だね。直径2センチくらいかな

奥さん  「いろんな色があるんだね。黄色、オレンジ、エンジ・・・」。

 

咲いていく順番はおそらく    

 

蕾から花びらが伸びてきて、

 

黄色の花が盛り上がり、

 

だんだんオレンジが濃くなって、

 

やがてエンジに、

 

そして最後は、こんな感じに。

しぼんだ花の下の丸いところに、種が詰まっています。

 

奥さん  「どの段階の花を摘むの?

への次郎 「盛り上がった黄色い花だって

 

すでに花の盛りは過ぎていましたが、人生で初めての紅花を鑑賞ができました。

 

このあと、二日目の宿泊地・河北町をめざして北上しました。でも途中から、ものすごい豪雨に見舞われてしまいました。

                                   つづく

                                                                                  


2泊3日の山形夏旅  羽黒山

2024年07月22日 | 旅行

山形夏旅、初日は鶴岡で泊ました。

 

翌朝、テレビをつけたら、

奥さん  「今日も、曇り雨だわ

への次郎 「鶴岡散策は止めて、羽黒山に行き、早めに鶴岡を離れようか

 

梅雨末期。移動途中で何が起こるか分かりません。まずは、しっかり腹ごしらえ。

和食もいただき、最後はカレーで〆めてホテルを後にしました。

 

東に向かって車を走らせていたら、前方に大きな鳥居!

奥さん  「大きいね

への次郎 「美しい。横綱の土俵入りのようだ

 

振り返ったら、広~い庄内平野

への次郎 「今年も『つや姫』は豊作だ!

奥さん  「『雪若丸』かもね

 

 

羽黒山

天気が心配になり、一気に頂上(414m)まで車で行くことになりました。

途中から有料道路に入って、やがて、

山頂駐車場に到着。車を降りて、道なりに進むと、

 

雰囲気のある杉並木に入って行って、

その先に、

 

鳥居がありました。

鳥居をくぐって、まっすぐ進むと、

 

三神合祭殿」が見えてきました。

への次郎 「ここにお参りすれば、出羽三山全部を巡ったことになるんだって

奥さん  「ほんと! じゃ、『生まれ変わり』の旅ができるんだね

 

古来より、羽黒山は現世の幸せを祈る山、月山は死後の安楽と往生を祈る山、湯殿山は生まれ変わりを祈る山とされ、三山に参ることは、過去・現在・未来をめぐる「生まれ変わり」の旅とされました。それがここに参っただけでできるというのです。羽黒山は「生まれ変わり」の聖地なんですね。

 

社に回って、軒下を見上げたら、確かに社額が三つ。

 

我々も、このファミリーのあとに続きました。

奥さん  「よかったわ、無事お参りできて

への次郎 「そうだね、小雨ですんだしね

 

ここに来た目的を果たし、木陰で休んでいたら・・・。

奥さん  「あっ!

 

指さした方向を見たら、人が二人、登ってきたのです、2500段の石段を! 

先頭の人は修験者の正しい装束に身を固めて。実はこの二人、外国人だったのです!

 

二人の修験者を見送ったあと、駐車場に戻っていたら、いましたよ、あの人。

調べたら、芭蕉が羽黒山に到着したのは六月三日(陽暦7月19日)、我々が行った二日後。あの長い石段を登りながら読んだのが、「涼しさや ほの三日月の 羽黒山」。

 

駐車場に戻ってきました。茶店でお団子をいただき、ひと休み。

着いたときは鳴いていなかったヒグラシ、頭上で盛んに鳴いていました。

 

 

庄内観光物産館

羽黒山を後にし、雨の中、もう一度鶴岡に戻り、庄内観光物産館に入りました。

 

「芋煮だけじゃない、玉こん」。確かに。

くどき上手、羽黒山のふもとにある酒蔵のお酒です。

 

お土産を買ったあと、館内にある味処庄内庵にやって来ました。

 

への次郎は麦切り(980円)を注文。

麦切りとは、庄内地方独特のやや細いうどんで、冷やして食べます。右手前はとろろ。

 

奥さんが注文したのは、庄内彩り御膳(2500円)。注目は、かごの中の大きなお椀。

庄内地方の郷土料理むきそば。ソバの実をむいて茹で、だし汁をかけて食べる文化庁認定の「 100年フード」です。もとは関西方面の寺院で食されていたものが、江戸時代に北前船で酒田に伝えられ、家庭の食べ物となったようです。

 

「むきそば」は、シャキシャキした食感がありました。麦切りも「むきそば」も、暑い山形の夏に食欲をそそる食べ物でした。

                                    つづく

                                               


2泊3日の山形夏旅  鶴岡

2024年07月21日 | 旅行

港町酒田から、高速道に乗って鶴岡に戻って来ました。

一度通り越した鶴岡に引き返す形になります。

 

江戸時代、酒田・鶴岡を中心に庄内藩14万石がありました。

酒田は北前船で栄えた商業都市。「西の堺、東の酒田」と謳われました。これに対し、鶴岡は政治都市。鶴ケ岡城が築かれ、役所が多数置かれました。

 

やって来たのは、かつてお城があった鶴岡公園付近です。

 

 

庄内藩校致道館

への次郎 「まだ見学できますか?

受付の人 「はい。どうぞ

 

ここは東北唯一の現存藩校、致道館(ちどうかん)です。

への次郎 「藤沢周平さんは、ここで生まれたんだよ

奥さん  「ここ庄内が藤沢作品の舞台なんだね

 

堀に架かった橋の向こうは、表御門です。

堀のハスがもうすぐ咲きそうでした。向こうに見える茶色い建物は、鶴岡市役所本庁舎。

 

藩校敷地に足を踏み入れると、真ん中に講堂、右に御入間があって、

写っていませんが、左には聖廟がありました。

 

ここから講堂に入ります。

中には多数の教材が展示されていました。しばし立ち止まって見入ったのが、

 

江戸期の世界地図。日本は右斜め上45度のところに、ちょっと大きく描かれていました。

 

奥さん 「ここは朱子学じゃないんだね

への次郎 「荻生徂徠とは、異色だね。探求ということに重きを置いたかな

 

建物内部を見学し、外に出てきました。

 

講堂の裏は、礎石のみ配置されていたり、銀屋根の文化施設が建てられていました。

建物が残っているのは、表側の3分の1だけでした。

 

 

大寶館

致道館を出ると左手に、白壁に赤ドームの洋館が見えてきました。

大正4年(1915)、大正天皇の即位を記念して建てられた大寶館(たいほうかん)です。

 

への次郎 「まだ見学できますか?

受付の人 「4時半までなんです。ゆっくりできませんが、どうぞ

 

館内には、鶴岡ゆかりの人物の展示がありました。

左側に、昭和天皇から「満州事件の張本人」と指弾された石原莞爾(いしわらかんじ)も。

 

 

鶴岡公園

大寶館から鶴岡公園に入ってすぐのところです。

庄内藩の政治の中枢・本丸御殿は、この辺りにあったようですね。

 

やはりありました、藤沢周平記念館

 

その向かいの荘内神社。珍しい木を見ましたよ、ヒイラギの老木なんですがね。

珍しいのは葉っぱ。ギザギザしてなくて、針もありませんでした。仏壇に供えるサカキの葉に似ていました。あるとき、突然、こうなったようですね。不思議。

 

 

人口12万人の鶴岡。歴史的建造物が多数残っている鶴岡公園の周辺は、よく整備がされていて、美しい景観を保っていました。とても10万都市とは思えませんでした。

                                  つづく

                                         


2泊3日の山形夏旅  酒田

2024年07月20日 | 旅行

小雨のなか、先日見学した県営名古屋空港にやって来ました。この日は、搭乗です。

 

チェックインを済ませ、待合室に入ったら、目の前でFDA機が出発準備をしていました。

奥さん  「金色だね、あの機体

への次郎 「あれに乗るのかも

 

やはりあの飛行機でした。1時間5分のフライト、着いたのは薄日のさす山形空港です。

 

空港カウンターでレンタカーの手続きをし、

ホンダフィットを借り受けて、高速道をひたすら西に向かって走りました。

 

着いたのは、日本海の港町・酒田です。

 

 

割烹 出島

ちょうどお昼時、まずは腹ごしらえ。

 

こちらは割烹出島。観光客が来るところではなく、地元人が通うお店ですね。

への次郎 「年季の入ったメニュー板だね

奥さん  「そうだね。ランチは昼膳だけかな

 

出てきました、昼膳(1000円)。右手前は山形名物玉コンニャク

左手前は、大きさ1㎝ちょっとのニシガイという巻貝。夏場に地元で食べるようです。

 

刺身はマグロ、ブリ、ヒラメ。豆はだだちゃ豆ではありませんよ、まだ採れませんから。

お汁は塩鯨汁。これも地元で食べられているようですね。

 

郷土色豊かなランチをいただきました。

食事をしていて、ちょっと気になった店名。聞いてみたら、店主の出身地ではなく、お名前でした。ここに店を開いて50年になるという店主夫妻、酒田の町についていろいろ教えてくれました。

 

お腹も満たされ、さぁ、散策に出発です。

 

 

山居倉庫

割烹出島から移動してきたのは、山居倉庫(さんきょそうこ)。酒田に来たら、外せませんよね、ここ。

 

奥さん  「有名なケヤキ並木は、この裏じゃない?

への次郎 「じゃ、そこから見学だ

 

裏手に回ると、

 

奥さん  「わっ!

への次郎 「持ってきた『るるぶ』の写真と同じだ!

ケヤキに沿って進み、

 

真ん中あたりで、ローアングルでパチリ。

樹齢150年のこのケヤキ、風雪や高温から倉庫を守っています。

 

反対側に行くと、きれいに並んだ鋸状の屋根がよく分かりました。

白壁に土蔵造りのこの12棟は、明治26年(1893)に建てられた米穀倉庫です。

 

倉庫の内部は公開されていませんが、端の2棟が観光物産館になっていると聞いて向かっていたら、

 

趣のある橋がありました。下の川は新井田川

この川を利用して、小舟で米を倉庫に運び込んでいました。その小舟が、

 

これ。

じ~っと見ていたら、長良川の鵜飼船に見えてきました。

 

物産館は、小舟が展示されていた近くの倉庫にありました。入ると、

酒田のお土産が多数置いてあって、近くに人形ギャラリーがありました。入ってみると、

 

日本人ばかりか多くのアジア人を感動させた、あのおしんの人形が展示されていました。

いくつも。

 

への次郎 「ここが舞台だったんだね

奥さん  「6歳前かなぁ、筏で最上川を下り、奉公に出たのよねぇ~

 

奥さんの一言に、筏に乗ったおしんが泣きながら家族に別れを告げる、あの感動の場面がよみがえってきました。

                                 つづく

                                            


ミニトマト入りナポリタンでした

2024年07月16日 | 食卓

菜園にやって来ました。

 

雨だろうが晴れだろうが、ミニトマトだけは、毎日採れます。

 

この日の収穫は、これだけ。

ただ、これが毎日だから。二人では消費が大変です。

 

生食に飽きた二人、この日はパスタに投入することにしました。

 

ミニトマトも他の野菜も小さく切って、フライパンに入れて炒めました。

そこに、

 

市販のナポリタンパスタソース

パスタを入れて、さらに炒めて完成!

 

への次郎 「できたねぇ~。いい色だ

日田市で買った小鹿田焼(おんたやき)の大皿に盛りつけました。

 

奥さん  「どう、お味?

への次郎 「うまいっ! ちょうどいい味だ

ミニトマトをたくさん入れたのに、酸っぱみは感じませんでした。

 

でも消費できたのは、この日採れたミニトマトの三分一だけ。この日も、冷蔵庫のミニトマトが増えることになりました。