千葉県佐倉市ユーカリが丘1~7丁目・南ユーカリが丘・西ユーカリが丘1~7丁目・宮ノ台1~6丁目等に広がる約245ヘクタールを、不動産会社の山万が事業主体となって開発したニュータウン。入居開始は1980(昭和55)年。
2018(平成30)年3月末時点では住宅7600戸に18,000人が暮らすが、最終的には8400戸、人口30,000人を計画している。
山万では、エリア内人口が一気に高齢化することを避けるため、バブル経済期でも分譲戸数を年200~300に抑えていた。
ユーカリが丘という名称は、「殺菌作用や空気の清浄作用があり、環境にやさしい」というユーカリを自然環境と調和する都市の象徴として名付けたもの。これにちなみ、駅前ロータリーをはじめとする各地にはユーカリの植栽も見られる。
2018(平成30)年3月末時点では住宅7600戸に18,000人が暮らすが、最終的には8400戸、人口30,000人を計画している。
山万では、エリア内人口が一気に高齢化することを避けるため、バブル経済期でも分譲戸数を年200~300に抑えていた。
ユーカリが丘という名称は、「殺菌作用や空気の清浄作用があり、環境にやさしい」というユーカリを自然環境と調和する都市の象徴として名付けたもの。これにちなみ、駅前ロータリーをはじめとする各地にはユーカリの植栽も見られる。
タウン内には、日本車輌製造と三井物産によって開発された、中央案内軌条式の新交通システム(自動案内軌条式旅客輸送システム、AGT)による山万ユーカリが丘線が運用されている。ユーカリが丘の開発会社である山万が運営する新交通システムである。路線総延長は4.1km。全線が直流750Vで電化されており、全列車が反時計回りの一方通行でラケット型に運転される。全行程の所要時間は14分。
ユーカリが丘線の各駅(6駅)は、タウン内の各住戸から10分以内の位置に設置されている。
それでは、この度乗り潰しをしましたので、一周しながら全駅を見てみましょう。
◎ユーカリが丘
京成電鉄側の駅は、将来の特急電車停車を見込んで、2面4線の規模で建設されたものの、現行ダイヤでは快速特急・特急は停車していません。駅番号はKS33。
駅周辺には、ショッピングセンター(スカイプラザ)やホテル(ウィシュトンホテルユーカリ)等も立地する他、高層マンションも立ち並んでいます。
◎地区センター
◎公園
◎女子大
◎中学校
◎井野
◎公園
ユーカリが丘駅から4.1km。
◎地区センター
ユーカリが丘駅から4.6km。
◎ユーカリが丘
ユーカリが丘駅から5.2km。
ユーカリが丘まで行くのがちょっと大変でしたが(^^; 手頃なショートトリップでした^^
【2024年6月 千葉県佐倉市】
いつもご来場くださり、ありがとうございますm(_ _)m
仕事の取引先の方がユーカリが丘にマンションを
購入されました。途中の画像に出て来たような
マンションなんでしょうか。当時東京からの
距離のわりには、恐ろしく高いお値段だったよう
に記憶しています。
こういう場所だったのですね。
ここにかつて住んでおられたことがあるのですか?
山万は開発業者さんですね。私の頭の中では
ユーカリが丘=山万 です。
そうですね。ユーカリの家は比較的高めだったように思います。レストランも小洒落た店が多く、タイを始めとするエスニック系も結構あったりしました。
私は住んだことはありませんでした(15分ほどの所に持ち家がありましたので)が、友人がいたこともあり何度か出掛けたことはあります。
横須賀のニュータウンも造成したようですが、私にとっても山万=ユーカリですね^^
あ。今思い出しました。
横須賀市のニュータウンも私はご縁がなくはない
です。それもたしか1990年だったかな、横須賀市内
で運転中、交差点が青信号だから直進したところ、
対向車線の方がその交差点を右折して衝突。
私にとって初めての交通事故でしたが、相手が
山万開発のニュータウン、湘南ハイランドに
お住まいの方でした。
山万という企業とはすごく細い遠い、間接的な
つながりを感じます(笑)。
湘南ハイランドは、地名が「横須賀市ハイランド」だそうで、カタカナ町名の草分けなんだそうですよ。
初めての交通事故の場所というのも、なんデスねぇ(^^;
私にとっての山万は、デベロッパーというよりは、ユーカリが丘線の運行者ですね(笑)
埼玉県杉戸町(さえ先生の拠点)から成田空港(当時工事中)を避けながら銚子へ出向いたの思い出しました。確か16号線で佐倉経由でした。当時はニュータウンは無かったと思いますが如何でしょう。当時1973年です。
成田空港は昭和53年の開港です。まだまだ学校に通っていた私にとっては、自分がこんなに頻繁にナリタを使うようになるとは思ってもいませんでした(^^;
ユーカリが丘の入居開始が昭和55年です。東京に暮らしていましたから、存在も何も知りませんでした(^^;
ルートとしては、国道16号の八千代市で国道296号に入ったのでしょう。16号も296号も、現在の姿とは違ったでしょうね。