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絵のタイトルは、「これも私」です。
4歳の女の子のお母さんです。普段は眼鏡を掛けておられます。
旦那しか知らない顔に挑戦させていただきました。
そう、魅力的ですね。
今日のタイトルは、「やらなければならぬこと」です。
一週間の旅行から帰ってきたら、我が家の畑と庭、空き家の庭と耕作放棄地も草に埋もれていました。
旅行に出かける前に、そんなこともあろうと、一通り草を刈りました。
帰ってきてから3週間です。二巡目の草刈をしています。
草刈り機によく切れる高価な刃を装着しました。
摩耗した刃を研げるようダイヤモンドカッターも揃えました。
性なのか、草刈回数を減らしたい横着からなのか、草の根近くまで深く切りたい。
チップソーが、砂利に当たり、草に隠れた金属や石に当たり、研ぐ前に全部取れてしまいました。
鋸刃を試そうか、研ぐのはどうしよう。と考えています。
高価なチップソーは面白いように切れました。しの竹を伐るのも楽でした。
高価なチップソーと再研磨可能な鋸刃の使い分けをするしかないようです。
ハードだけを追うのではなく、友人が言うように1cmだけ高く切るソフトも求められる。
「やらなければならぬこと」でやりたいことが一向に進みません。
やれることが、やりたいことになってしまいます。
一次的に、「やらなければならぬこと」がやりたいことになっています。
炊事洗濯、掃除をする。
上手ではないが、「やらなければならぬこと」だから、仕方なくやっている。
きっと、独りでも生きていけるでしょう。
妻は、太鼓判を押してくれる。
そうだろうか。
妻がやってきたことをできるようになるだけでは、独りでは生きて行けまい。
たまに、妻が外出をすることがある。そんなときの料理は決まって即席めんであり、卵ごはんである。
野菜を刻み、汁を炊く。そんな日常さえ危ういと言える。
真の「やらなければならぬこと」は、生きることそのものであろう。
草刈の後、畑仕事の後は、身体は悲鳴をあげる。
料理本通りには作れない。千切りって、何ミリのこと。
さくっと混ぜる。何を使って何回混ぜること。頭は混乱の極みである。
出来た料理は、うまくない。
皿に盛る前に、火を止める前に、味を確認しましたか。妻に言われる。
料理の基本ができていない。
「やらなければならぬこと」を続けている。
休めば、身体の疲れは取れる。妻に教えてもらえば、何とかできる。
何度も同じことを繰り返す。
これがソフト(生きること)ではないだろうか。
私は生きたいのである。
何をしたからと言って、過去の数々の悪さが解消されるわけでもない。
今でも、よからぬことを考えている。どうしようもないのである。
「やらなければならぬこと」が私を助けてくれている。
陽が昇り 鈴虫さんも 一休み
2020年8月25日
<<投稿後>>
30代の女性のお客さんが、カフェの常連客である。
私達の子供たちと同年代である。
飲みに行こうと誘われた。
何を話したら。要らぬ心配をしないことにした。