故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

カラオケ

2016-01-31 09:26:34 | よもやま話
  
瀬戸内海の小島にあったオーテです。
年に数回は、フェリーが運航休止になるくらい強い風が吹くそうです。



いよいよ、2月になりました。
優先事項をやっているうちに、時間切れとなりました。
ブログがかけないという言い訳です。

中野で飲みました。
その後、カラオケに行きました。
私以外は、皆80点以上です。
負けず嫌いの私のこと、面白くないはずでした。
ところが、そうでもない。
大きな声で、歌うのは結構爽快です。

妻と付き合い始めの頃、
カラオケに行きますか。と誘いました。
いいわよ。あれ、断らない。
私が歌うとき、時々首をかしげていました。
私には分からない脱輪だったのでした。
上手いので、何故と聞いたら、
毎日、歌っていると答えました。

私は、カラオケが大嫌いでした。
カラオケがある店には、飲みに行きませんでした。
営業職になった時から、そういう訳にはいかなくなりました。
つまり、10年前からのこと。
カラオケに行くと、なにしろ一番目に歌います。
これが処世術でした。
哀しいけど、もう一度出番は回ってきませんでした。
しかし、ただの一曲といっても歌わなければなりません。
練習しました。
ヘタなんだけど、それなりに聞こえる選曲があるのです。
今では、それなりに聞こえる歌と歌いたい歌の組み合わせで、2曲歌えるようになりました。

ヘタでもカラオケが楽しめるようになりました。
今でも、一番目に歌う癖は抜けていません。

鶯も 歌い始めは 森の中

2016年1月31日

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邪心

2016-01-30 11:04:42 | プロジェクトエンジニアー

散歩の途中で美味しそうな夏蜜柑を見つけました。
炭酸を付けて食べた昔が懐かしい。
遠い昔なので味さえ忘れました。



褒められたい。
受入れて欲しい。

毎日、寒い日が続きます。
寝床から出る時間がだんだん遅くなってきました。

今日のテーマは邪心です。
また、政治家が辞任されました。
よく仕事をするような人に見えました。

賄賂の額も年々小さくなっていくようです。
フィリピンパブで接待を受けた秘書の責任で片が付くようです。
何のために政治家を目指したのか、問われます。
つい横道にそれたのでしょう。

邪心とは、「よこしまなこころ」と広辞苑に出ていました。

色眼鏡で見ると、その人はとても悪い人に見えます。
怖いのは、自分に嫉妬心とか腹が立つことなどがあり、人を傷つけることです。
自分が辛いことを、人に押し付けることです。
自分がこんなに辛い思いをしているのだから、お前だってもっと苦労をしろ。
そんな時、思わず悪態をつくことがあります。
わざと、自分を卑下することがあります。

一旦休んだり、寝てしまえばそんな気持ちなんて吹っ飛んでしまうのです。
ちょっと待った、その言葉。と一呼吸おけなかったのです。

私は、かみさんや子どもをたたいたことがありません。
怖かったのです。壊してしまいそうで怖かったのです。
腹が立つことは、ほとんどの場合自分に原因があります。
自分が、よこしまな心で悪だくみをしなければ、なんでもなかったのです。
それを繕うために、腹を立てるのです。

天とか神とか見ているのです。
そのように母から教えられました。
ごまかせないのです。
そのうち、自分が天になり、冷静にあの時のお前は、「いかんな」となるのです。
気付いたあとは、「あれはいかんな」と人の姿を見て思うようになるのです。
けっして、「ばれなかったら」とは思わないのです。
心の中に、澱となって残るのです。

邪心を救うのは、なんでしょう。
神様でしょうか。

私は、一つの言葉であり、感動が自分を振り返らせてくれるのだと思います。
「おまえは、生きていてもいいんだよ」とどこからともなく聞こえてくるようになるのです。
そして、また悪さをするのです。
どうしようもありません。
ひどくならないように、一呼吸置くことだけを覚えておきたいものです。
きっと、笑顔になりますね。

一皮が 剥けたら甘い 夏みかん

2016年1月30日

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十年後の私へ

2016-01-29 11:30:45 | よもやま話
  
十年後の私を描きました。



幼い頃、将来の夢を書きました。
その通りになったような、大きく違う人になったような。

私の顔の特徴は、唇にあります。
薄くて、狡猾な意志の強そうな唇です。
致し方ありません。
そうして生きて来たのですから。

私の年代の顔つきは、自分の責任です。
顔の造作は、親譲りです。
しかし、表情は自分の責任です。

柔和な方は、いつもにこにこされていて、口角はあがり優しい目をされています。
気をつけているからではありません。その人がそうだからです。

今日のテーマは、「十年後の私へ」というタイトルです。
誰にも将来のことは、わかりません。
無責任でも良いでしょう。
今の延長線の上を歩いているような気もします。


70歳は、人生の延長戦ではありません。
新たに何かをやり遂げていて欲しい。
芥川賞を70歳でとっているとよいですね。

一つの街を元気にしています。
次の街でも人気者です。
貴方の周りには、若い人がいっぱい働いています。
貴方の背中を見て、貴方のようになりたいと思っています。
そしてまた十年後の夢を語っています。
びわや柿などの果樹を植え続けているでしょう。
元気いっぱいで、ゴルフを続けているでしょう。
100はとっくに切って、90代で回っていることでしょう。

女は妻一筋でしょう。
貴方の眼光は鷲の目のように研ぎ澄まされ、まだ獲物を狙っているでしょう。
この爺さんいつまで生きるんだろうな。
その頃になってやっと、俺は未熟だったなんて言っているでしょう。
きっと、酒もたばこも止めているでしょう。
まだ生きたいからなんて、少しは医者のいうことを聞く人になっているでしょう。

貴方は、よく笑う人になっているでしょう。
孫から、「どうしたら良いと思う」なんて聞かれているでしょう。

思いつくまま書いてみました。
どれも小さな幸せばかりです。
現実は、大いに違うものでしょう。

B29が爆撃に来て、対空砲射の指令を出されていた方から
コメントが来ました。
無我夢中だったことでしょう。
日本が負けることがとても悔しかったことでしょう。
それから70年。日本は変わりました。
国民が、多神教で良かったと思います。
文化、文明の終着点だった日本から逆流するようになりました。

時代は変わります。
私は、もう少しその変化を見てみたい。

越し方を 見る人あれば 声かけよ

2016年1月29日

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新婚旅行

2016-01-28 13:08:13 | よもやま話

やっと描けました。
ハワイの夜空はこんなかなと思いを馳せながら描きました。



天が回っていますか。
地球が回っていますか。
遠い昔に、決着がついた話です。
宗教的な決着は、1992年となっています。

科学が万能とは思いませんが、科学が宗教に影響を与え始めた
きっかけとなりました。地動説が出始めの頃からです。
正しく説明できることが、いつの時代でも求められています。
今日でも不可解なことが多い。
人間の欲が、事実を曲げることも多い。
人間は成長しています。正しく判断出来るはずです。
それでも上手くいかないのは何故でしょう。
進化し続けているからとすれば、説明ができます。
私も人間の一人です。できれば進化したい。

さて、今日のテーマは「新婚旅行」です。
やっと二人きりになって旅行に出ます。
その途端けんかして、別れる夫婦もいるとか。
結婚前は、妄想とも思えるくらい想像の産物です。
どうしてあんなに燃えたのでしょう。

新婚旅行からは、もう家に帰らなくてもすみます。
送って行かなくても良くなりました。
なにしろ二人切りです。
ふふふでした。

新婚旅行に留まることは出来ませんでした。
皆さんご存知のように、大変なことの始まりでした。
妄想は、真実に変わり驚きの連続でした。
やれやれでした。

夫婦としていや個人として成長しています。
だからいろんなことに気付き、知恵がつきます。
仕方がないことです。
永遠の恋なんてありません。
成長するごとに、惚れ直すしかありません。
たまには、褒めて褒められてとなります。
褒めるには、相手の一番好きなこと(琴線。金銭ではありません)を
発見しなければなりません。そして正しく褒めなければなりません。

さあ、今日も発見しますぞ。
貴女の良いところを。
いっぱいありますね。
どこから褒めましょうか。

褒めあげて ほっとした後 また褒めて

2016年1月28日


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あれもしたい、これもしたい

2016-01-27 12:54:45 | よもやま話
  
故郷の桟橋の絵です。ここから故郷をあとにしました。そしてここに着くのです。



このころは、波を描きたくなります。
空を描きたくなります。

今日のタイトルは、「あれもしたい、これもしたい」です。
皆さんも、多くの宿題を抱えていらっしゃいますね。

昨晩は、サッカーのU23(オリンピック世代)の試合をテレビ観戦し夜更かししました。
素晴らしいシュートで幕を閉じました。
アディショナルタイムの最後の最後に得点できました。
キャプテン遠藤航さんのインタビューは、印象に残りました。
声掛けをしなければと、思われたのです。
自分のやらなければならないこととして。
ドーハ大会前に体調を崩したのです。
若くても頼もしいと感じました。

したがって朝は遅くなりました。
ブログ用の絵を描き始めました。
長い時間をかけた一枚目は残念ながら、ものにできませんでした。

面接のために、履歴書と職歴を用意しなければなりません。
新たな応募のために、アピール用作文を書かなければなりません。
SPI(心理テストなど)用のテキストの練習問題に目を通したい。
約束して一か月が経った「紅茶エスプレッソ」の報告書を書かなければなりません。
義兄の退院のお迎えに行かなければなりません。
合間を縫って、ゴルフの練習もしたいのです。

やることは、また溜まった感があります。
追われるより、追っかけたいのです。
そんな時は、私はこうします。

全部のことに、手を付けます。
満点は取れなくても、なにしろ取りかかります。
忘れてはいないよ。こうしてかかっていますよ。
と自己弁護するのです。
始めると、どのくらいの負荷なのかわかります。
それから、片付けるためのスケジュルを立てます。
長いスケジュールは立てません。3日分で十分です。

「あれもしたい、これもしたい」は次から次に出てきます。
それで良いのです。これは、希望ですから。
やらなければならないことは、心の負担となります。
取りかかってどうにもならなければ、その時は諦めます。
できないことを告げて謝ります。
相手は、いつまでも期待しているからです。

何にもやることがない。
これは、何にもしたくないことなのです。
こんな時は、つべこべ考えず休みます。
だって、休むことが残っているじゃない。

富士山と 高さ競うと 葱坊主  

2016年1月27日

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