故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

積み重ね

2016-12-31 07:32:31 | プロジェクトエンジニアー

この方といっしょに酒を飲むことがあれば、本音で話してみたい。
大事な一生で、一番大切にしてこられたことは何か、
この方が許してくれれば聞きたいものである。


私達は、一つのことをやっているけども、常に他のことも同時に考えている。
問題は、そのことである。
やっていることを疑問視しながらやっているとしたら、面白くないことになってしまう。
やらされていることになり、気持ちを抑えながらの仕事になります。
良い仕事にはなりませんね。

今日のテーマは、「積み重ね」です。
同じことを、ただひたすらやり続ける。
興味を持つために、色々な角度から仕事を分析しようとする。
分析しながら、より目指すものをやり遂げようとする。

能力のないものは、失敗や挫折を味わうことになる。
価値観が、一つの方向だけしかない場合、手詰まり感となる。
その時、方向転換できる余裕があれば良いのだけど。
自分を責める必要はないのだけど、それをしてしまう。

私達、大人は想像だけで、子どもたちの将来を決めようとしていないだろうか。
自分が苦労したから、子どもには同じ道をたどらせたくない。
大人は想像だけで、人の人生を決められるだけ偉くもなんともない。
想像とは、根拠のない安全・安心のようなもので、まったく役に立たない。

能力がないことと、不幸はつながらない。

「積み重ね」を否定するものではありません。
むしろ、しがみつくように毎日「積み重ね」をしています。
「積み重ね」をしようとするなら、それなりの根拠が必要です。
想像が、根拠となるようでは、闇の中を行進するようなもので不安が伴います。
どの人にとっても、一度の人生であり、大切なものです。
ただし、「積み重ね」の毎日です。
誰も幸福を運んできてくれるものではありません。

「積み重ね」をするなら、確信のような想いが必要でしょう。
苦労の意味が、はっきりとわかる「積み重ね」こそ、成長があるように考えます。
挫折して、道を変えることはリセットで白紙の状態になるものではありません。
道を変えても、ちょっとスタートが遅れるだけで、長い人生の中では大した差ではないのです。
何も気づかず、想像だけで無理な無駄な「積み重ね」は早くやめたいし、やめさせたい。

眼をよく開いて、自分の保身は捨てて、子どもたちに向き合いたい。
一緒に暮らしている人や、仕事をしている人のことを考えたい。
一年を、過ごしました。この地に来て、中味の濃い一年になりました。
挫折もせずに過ごせたのは、周りの支えがあって、
自分なりの「積み重ね」が出来たからだと思います。

来年も、同じ路線を行くことになるでしょう。
皆さま、一年お付き合いくださりありがとうございました。

筆者より。

水回し そば粉がいつか 塊に

2016年12月31日


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休みも忙しい

2016-12-30 06:50:16 | よもやま話

機敏そうだなとタイトルを付けました。
なんでもやってみる。そして面白がる。
きっと、豊かな人生を送られることでしょう。


今日のタイトルは、「休みも忙しい」です。
普段は、仕事で自分のやってみたいことができません。
そうは言うものの、仕事もほとんどやってみたいことばかりです。
仕事は、給料をもらっているのでその範囲を守るようにしています。
範疇も時間も。
休みにできることは無限です。
遊びがほとんどです。

今は、カレンダーづくりに一生懸命です。
友人に、特別仕様のオリジナルカレンダーを創ると宣言して二週間が経ちました。
何が特別仕様なのか。まずは、図柄です。図柄に家族の似顔絵を入れる。
友人の気分に応じて、TPOで選べる図柄が選択できること。
家族全員が、楽しめる図柄が入っていること。
すべて絵手紙です。
カレンダーの絵柄のシリーズは11種類。絵柄の組み合わせは無限に近いのです。

一月当たりの絵柄は、4枚です。
4枚の図柄は、自然、人、面白いこと、行ってみたいところ等々。
今日、モデルを持って行き、選択をしてもらいます。

どんなものができるのか楽しみです。

思いつき 面白ければ 金になる

2016年12月30日

<<地域おこし>>
果汁を絞っている工場に行きました。
桃の種が山のようになり、廃棄物として捨てられています。
これは、暗渠に最適です。
果実の皮が同じく廃棄物として捨てられています。
果実と皮の境に、抗酸化物の栄養物がいっぱいあります。
これを抽出したい。抽出後は、バイオエネルギーの原料にしたい。
果物、野菜のB級品は山になって、すべて肥やしになっています。
近くには、海底が隆起してできた無限の地層がある。
この土は、かつては海底に蓄積した有機物の塊です。
多孔質の土で、焼結すれば土壌汚染の改質剤になる。
動物に食べさせれば、栄養の吸収に一役買って、出される糞尿は臭くない。
すべて有機物の仕事です。多孔質だからできることです。

私は、この地域に眠っているものを掘り起こして産業を作りたい。
それが出来れば、若者が喜んで移住してきます。
都会にないものがいっぱいあります。
それは自然だけではありません。
地盤であったり、高地であったりします。
これは、一つのモデルであり、画一的な考えに縛られなければなんでも見つけられます。
地方に人口が分散することで、仕事の効率は飛躍的に上がります。
情報は集中し、働く場所は分散させる。職住接近で交通費も安くなります。
私達日本人は、仕事の効率を上げて生活をエンジョイしなければならない。
エンジョイできれば、さらにたくさんの思考や試行が生まれてくる。
都会から田舎でなくてもよいのです。便利が欲しければ地方都市で十分です。
地方都市には、頑張っていろんな文化施設が整っています。
有休の地は、悠久の無限の可能性があります。
単に、考え方を変えるだけです。

都会にも ないものはない 田舎にも

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山芋掘り

2016-12-29 10:01:48 | よもやま話

絵にできなくて残念です。
山芋です。


過日、近所の方から山芋掘りに誘われた。
断る理由もないので、ついていくことにした。
道具は、3種類。植木用のはさみ、鍬(厚手の土を寄せる)、ストレートの鍬(柄が150cm)




掘り鍬(ストレート)は、やすりで研いであった。
はさみは、ダイヤモンド粉付き包丁用やすりで研いであった。
どの道具も抜群の切れ具合なので、尋ねたところ、ちゃんと手入れがしてあった。
理由はすぐに判った。

良い山芋は、しの竹のなかにある。しの竹が山芋のつるを風から保護するのだ。
隣人は、事前に山芋のつるを探していたらしい。
山芋のつるの両側に、竹を刺して目印にしていた。
2つは、まがい物。
やっと三つ目にして、本物の山芋らしい。
隣人の掘り方を手本に掘り方を始めた。
出来るだけ小さい穴(直径30cm以下)を山芋のつるに添うように掘り進む。
後に判ったことだが、山芋のひげのような毛根を目印に掘ることで小さい穴掘りで済む。
周りのしの竹をはさみで切る。切れるはさみで、あっという間に動ける広場が出来た。
掘り鍬で、しの竹の根や木の根を切りながら掘っていく。
30cmも掘ったころから土だけになった。
掘り鍬に付いた土を引き上げる。
できるだけ穴の近くに土を捨てる。穴を埋め戻す時の時間短縮のため。
山芋は直径10mm程度。ひたすら土をついては、掘り鍬についた土を引き上げる。
寒風のなか、掘る手は凍えてきた。手を温めながらの作業である。
軍手をはめているのに、どうして凍えるのか。土を軍手をはめた手で掘ったからである。
軍手に付いた土の水分が体温を奪っていく。手で土を引き上げてはいけないことが判る。
50cmも掘った頃、山芋を切ってしまった。採れたものは、15cm程度の山芋が3片。

隣人は、笑っている。切ってしまったら、もう追えない。
山芋が土に隠れてしまった。ジ・エンド。
そうなのか。いろいろなことが判る。

隣人が、さらに山芋のつるを探すこと15分。
今どきの山芋は、完全に枯れており追いかけるのが容易ではないのである。
しの竹にからんだ枯れた山芋のつるを追いかける。
山芋のつるは、20~30cmごとに節があり、切れている。
周囲を探し、土の上を追いかけ、やっと一本の山芋らしきつるが
土の上に出ているのを見つける。そしてその枯れたつるを抜く。
抜けた。これが山芋のつる。
抜けないのはまがいもの。

比較的太いつるであった。

掘り方始め。
今度は、大きな穴を掘ることにした。穴の周囲の広場を3mにする。
私が掘る穴の直径は、プロ(15-20cmの穴を掘る)の4倍はある60cm。
60cmの深さを彫った頃、隣人が来てまた笑う。
山芋を掘るのにそんな大きな穴を掘ったことがないという。
構わず掘り進む。手で土をあげることはもうない。汗が出てくるほどになった。
山芋ではないかもしれないと、
つるの周りの土を掘った穴に落としながら山芋の姿を拝むことができた。
地中30cmまでは、直径15mm。それから下が太くなっているではないか。
山芋の肌は、まだ茶色い。白くなると先端と隣人が言う。

とうことはと、穴に身体ごと入り、2段目の穴を鍬を突きながら掘り進む。
山芋が25mmの径になった。隣人は、5年物だなと嬉しいことをいう。
1m20cm掘った頃、山芋が白くなってきた。
すでに掘り始めて2時間は経過していた。

隣人は、もう一つ道具を出した。懐中電灯である。
穴の中の山芋の色と毛根を見るためである。
山芋掘りは、午前中にやる。午後は、穴の中が暗くなり覗けなくなるから。

慎重に山芋の周りの土を払う。
全長1mの山芋であった。
山芋を丁寧に取り出して、掘った大きな穴を埋め戻す。

これは自慢しなければと、軽トラに一本の山芋を積んで、友人宅に運んだ。
腰を痛めて2か月の友人に惜しげもなくあげた。
原発の影響で掘らなくなった友人は喜んでくれた。

夜に、3片の山芋をすり鉢でこするようにおろした。
ついている皮は、自然にめくれて取れるのである。
おろすのに30分を費やした。

妻がつゆを作ってくれた。
今度は山芋と混ざらない。
スプーンで、おろした山芋を切るように混ぜること10分。
やっと一塊の山芋の料理が完成した。二人でお椀二つに分けてすするように飲んだ。
今まで経験したことがない少し土臭い風味と食感を味わった。

隣人と 山芋掘れて 自慢する

2016年12月29日
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得して得する

2016-12-28 06:09:29 | よもやま話

このオーテは、風を防ぐために築きました。
瀬戸内海の離島での風景です。
オーテの外は、風が冷たい。
オーテの中は、ぽかぽかとしています。

東京にある古民家です。
古民家を守るように、木が植えられ、枝は見事に剪定されています。
一枚の屏風のようになっています。高さは10m近くあります。
こちらも防風林です。南側の畑をまた庭を守っています。


今日のテーマは、「得して、得する」です。

金持ちは、ある財産を守り、
金持ちでないものは、より金持ちになりたい。
製造コストを下げることで、利益幅を広げたい。
そのためには、何でもやらなければならない。
中国に進出し、人件費のコストを下げることをもう一度検討する。
永年世話になった下請け企業は、もう育てない。

子供達には苦労をさせたくない。
自分の子供だけが幸せになってほしい。
競争に勝って欲しい。

島のオーテも、古民家の雁木も必要ない。
新しい土地で稼ぐことが優先になった。
そうして、村を地域を出ていく。
やっと手に入れた家は、隣家と軒を接して、庭さえない。
時間が経ち、周りを見渡しこんなはずではなかったと思う。

心の原風景は、オーテであり雁木となる。
「得して、得する」ことなんてなかったと気づく。

石を積み、枝を伸ばし、営々と家を村を守ったものに安堵を覚える。
南向きに家を配置した先祖に感謝する。
そうして、自分が育った田舎に価値を見出す。
でも、もう遅い。

先祖は、長い時間をかけて「得して、得する」オーテを作り雁木を伸ばした。
南向きの家を作った。
これが、大事なことだと、どうして教えてくれなかったの。
私は、勉強ばかりして良い給料を目指した結果、
こんな小さな家を残しただけ。

今思えば、田舎に居ても、
自分がしてきたことは出来たんではないかと思うことがあります。
周りの大人が、広い世界を自分で見て、子供にも見せて、
どうするか話し合う必要があったのでしょう。
子供は宝だけど、その親(先祖)も財産です。
親がハワイにいける、子どもをアフリカの家庭でホームステイさせる。
こんな地域おこしができたらなと思います。

星空の 向こうに同じ 人がいる

2016年12月28日
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壊して、再生

2016-12-27 06:08:20 | プロジェクトエンジニアー

国際交流授業で大活躍の先生でした。
皆さんを代表して、通訳をしてくださいました。
ありがとうございました。


近くに魔法使いがいます。
これは駄目でしょ。
と思われる錆び錆びボコボコのかつての名車の再生が仕事です。
ひたすら錆びを落とす。やっと地金が見えるまでの遠い道。
この線でしょうと盛り上げる。納得いくまでやすりをかける。
再生前の車と再生後の違う車を同時に見ることが出来ます。
魔法使いとしか思えません。
これは、納期期限なしの合間の仕事。通常は板金と車検で忙しい。
経営者の真面目と工夫です。

今日のテーマは、「壊して、再生」です。
世界中のほとんどの地域で、戦争が行われ破壊が繰り返されました。
「馬鹿なことをしたもんだ」と再生されて行きます。
中には、再生されずに放置されているところもあります。
記憶として残すためでしょう。

何故、このこと(壊して、再生)を書きたかったのか。
私は、壊すことを繰り返してきました。
人間関係も仕事も繰り返し変えてきました。
仕事が変わり、それまでの人間関係が壊れていった。
とは違います。

恥ずかしいことの連続のような「人間関係を壊す」ことです。
つまり裏切りのような、負と見える醜い部分のことです。
自分を守るために人を裏切ることです。
その裏切りのためか、今まで生き残ってきました。

あれはよくなかった。といっぱい気づいています。
その気持ちがあればこそ、恩返しがしたいと思うのかもしれません。
裏切ったその人に返すことは、もはやできません。
心の奥底に澱となって、一生消化も昇華もできない後悔です。

再生の機会を与えてくれたのは、他の人物です。
そうでしょうか。
心の澱のそばにいる裏切った恩人たちに、今でも語りかけます。
ごめんなさい。
この気持ちが、正しく私を導いてくれるような気がしています。

板金加工のように形にして見せることはかないません。
夢の夢です。
再生とは、気付いたときから始まるようです。
それには痛みが伴います。戦争の傷跡のようなしこりです。

破壊した。
再生は出来ないけども、返す人は違えども、想いだけでも返したい。

ごめんねと 花束まわり なぜ自分

2016年12月27日
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