故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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御年、80オーバーの豪傑ばあさんです。
タイトルは、「ますます元気」です。
似顔絵を渡したら、しわが多いと叱られました。
二三本は削って、サービスしたのにな。
やっと、日常を取り戻しました。
会津から「お好み焼き」の師匠(40歳)が来た。ゴルフをやる為です。
地域の友人と妻と一緒に1.5ラウンドした。そのあと、反省会と言って飲んだ。
客人を迎えるわけですから、破れた障子を張り替え、寝具を干して、
土産にしていただこうと野菜を取り入れた。
昨日は、木枯らしの前兆の風が吹いた。気にかかっていたおばあちゃんの草だらけの畑を鋤いた。
毎日、スケジュールをこさえ、追っかける。
今日のタイトルは、「今、何やってるの」です。
常々思います。人々は、過去の栄光について語りがります。
こんなことをした。かつては、スタイルが良くて「なんとか小町」だったと話される。
一枚ずつ、良いことをしたと綴ります。一分ごとのきざみのような羅列です。
私にとっては、「そうですか」で終わりです。
じゃ、「今、何やってるの」と聞き返したい。
毎日が、博打と酒に浸っています。恋に破れ、リストカットを繰り返しています。
そんなに大げさなものでなくても、日々駄々洩れの贅沢三昧と怠惰な暮らしです。
体重が増え、膝関節がきしむ。通販でコラーゲンを買い摂取するも、一向に改善しない。
世間や薬のせいにする。あんたが悪い、私やちっとも悪くない。
そうですか。
歳を重ねるごとに、「若かった頃」が懐かしい。
それは、誰も浸りたい。ところが、経験者であっても毎日が初舞台の現実が待っている。
こんなはずじゃなかった。政府が言うように、2000万円用意した。
これで、老後は安泰と思っていた。
ところがどっこい、お金は湯水のごとく流れていく。
借金こそないが、貯金が半分になった。
増やそうと思うなよ。助けようと思うなよ。経験値が語りかける。
孫の声に泣きすがれて、甘い話に耳を傾ける。気づいてみれば、無一文。
過去の栄光は、誰も信じてくれないし、厳しい現実ばかりがのしかかる。
そうですね。
稼ぎなはれ。月4万円でよいから働きましょう。
主婦業は、月給にして17万円と聞いた。
四国のばあちゃんは、葉っぱを集めて農協に出す。
100万円は軽く稼がれる。月収か年収か知りません。
どこのばあちゃんも、Faxを入れ、機械の前で待っている。
情報入手と同時に、担当者に電話を入れる。
常日頃、どこの山にその葉っぱがあるか熟知している。
ぱっぱっぱと葉を集め、ちゃっちゃっちゃと昼前に手を叩く。
ここでも、産直で年収300万円の豪傑ばばあがいると聞く。
孫に、「このグローブ7万円」と鼻を膨らませる。
孫は、グローブに油をくれながら、ばあちゃんのいうことは何でも聞く。
ばあちゃんの肌つやの良いこと。
どうですか。
若者で、「過去の栄光、実績」を語るものは相手にしない。
語る暇があったら、リスクをとって働けと言いたい。
リスクは親で、恩恵ばかりを欲しがる。こんな子に育てのは私です。
いいや、待ちなさい。あなたの背中を子供は見ています。
歳を重ねて、あんな背中を我が子に見せられるか不安です。
どうするかは、子どもにまかせましょう。
これで、よいのかな。
今が、大切です。
病気で明日をも分からない命です。
消え入る前にパッと弾ける。
和ろうそくのように生きたい。
川に鮭 朽ちて苔むし 子の餌に
2020年10月30日
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絵のタイトルは、「新横浜夕暮れ」です。
夕日は、どこで見ても美しい。
どこがよいとか、ありません。
住んでるところが、一番です。
今日のタイトルは、「茸」です。
広島育ちの私は、「茸」と言えば、松茸しか知りませんでした。
巣と言って、毎年決まって生える場所を、数か所知っていました。
誰もが知っている場所もあり、雨が降った翌日は朝早くから山に入りました。
櫨に弱く、必ずかぶれていました。
ここでも松茸が採れますが、白くて広島のものほど香りはありません。
ここに来て、豊富な茸に驚いています。
我が家でも、舞茸(菌床を入れた榾木を地中に埋めた)と畑シメジ(自生)が採れます。
春先に、平茸と栗茸の種菌を桑の木に入れたのが、少し採れました。
来年は、もう少し増やそうと考えています。平茸は、厚肉で20cmくらいまで大きくなりました。
昨日、平茸が入ったけんちん汁をいただきました。平茸は柔らくて、よい出汁になっていました。
酒を飲みながら、3杯もお代わりをしました。獅子茸入りの炊き込みごはんも美味しかった。
栃木県では、土に生えた茸は食べないと聞きました。
日光の名所を訪ねた時、散策をやめて庭一面に生えた「なんとかシメジ」を、皆で採りました。
翌朝、一番熱心に採られた友人からよく洗ったシメジをいただき汁に入れ食べました。
シメジ類は、どれも美味しい。茸の60%が、シメジ類と聞いた。
茸は、秋に入り布団が一枚増える頃、出てきます。舞茸が収穫できるのは、わずか10日間です。
山に入れば、順繰りに取れるようです。私は、茸が生えてもすぐには食べることができません。
何の茸か、食べられるのか、どう料理するのか、友人に見てもらい、許可が出たものだけ食べます。
フキノトウに始まり、山菜、筍と春は忙しい。
茸の季節も忙しい。
天ぷらにしたり、畑で採れた自家製野菜と合わせ汁にします。
旬のものだけ食べていれば、健康でいられると、ここで知りました。
残留放射能のこともあり、山菜や茸を、若い家族には分けることができません。
近所の年寄りに分けることになります。
昔はよく行った山に入ることもできない人たちが、喜んでくれます。
補助金を使いせっかく造った林道も、草だけでなく雑木も生えて歩きにくいのです。
11月15日(2月15日まで)になると、猟が解禁となります。
隣りの猟友会の方から、毎年10羽(鴨と雉)と猪の肉をいただきます。
羽根をむしる穴を掘り始めなければならないでしょう。
雉は、歳をとった鶏と一緒で、出汁には向いていますが肉は固くてそんなに美味しいものではありません。
金切り鋏で、身をはずしていきます。4年もやってれば、一羽、30分で捌けるようになりました。
美味しく食べられるよう、料理方法を研究しなければならないでしょう。
茸の季節が終われば、夏野菜の収穫、後始末と冬野菜の作付けで忙しくなります。
私の仕事は、蔓物を細かく切断し、マルチに使った草類と一緒に土に混ぜます。
来年の作付けのために、カフェで出た食物残渣に米糠を入れたコンポストを畑中の土に入れていきます。
合間にさつまいもと里芋を掘ります。好天が続く日を選んで干さなければならない。
天気予報は、よく見ます。傘が必要かより、農作業の手順のためです。
西の山から黒い雲が流れてくると、急に雨になったり雪になります。
破れ障子も張り替えました。
ゴルフのためだけ、天気予報を見るのではありません。
季節の変化を、目で確認するだけでなく、身体中の筋肉が覚えるまでになりました。
農薬と化学肥料を使わない農業です。地力だけが頼りです。
カンリキ(耕運機)で何度も土と空気を混ぜ合わせます。
カフェにお客さんが来ない。コロナの影響ばかりではありません。
そんな日も嬉しい。ブログを書いたり、農作業をしたりして、忙しくしています。
今年は、山芋を掘る予定です。
プロフェッショナルに、山芋のありかに目印を付けていただきました。
冬には、林の下草を刈り、密生している雑木と竹も伐らなければならないでしょう。
雑木は茸の榾木に、竹は蔓物のやぐら、椅子や机にしたいと考えています。
ここで、時間を過ごそうにもベンチがない。竹製椅子が、ベンチになればよいと考えています。
どれもこれも、趣味と実用を兼ねた楽しい計画です。
カフェ裏の耕作放棄地も4年かかってやっと篠竹の勢いが収まった。
花の球根とハーブ類を植えようと妻と話しています。
たくさん採れるはやと瓜や豆類も植え、カフェのお客さんに自由に収穫していただこうと考えています。
私達が収穫して配るより、自分で採っていただこう。観光農園のはしりです。
それでも余る耕作放棄地です。菜の花かライ麦を植えることもよい。収穫は二の次です。
もしかしたら、ライ麦全粒粉がとれるかもしれない。カフェで焼くパンに入れられます。
飾ってよし、食べてよしが最高の贅沢です。
故郷再生の練習をこの地でやらせていただいています。
感謝しかありません。
アスファルト 土と遊ぶも 捨てがたし
2020年10月26日
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絵のタイトルは、「後押しばあちゃん」です。
神奈川県で、自然酵母を使ったパン屋さんをされています。
この地の林に寮を作られ、数組の家族連れで田植えの手伝いに来られます。
ピザ窯を作られ、一度に何百枚と焼かれて持ち帰られます。
バイオリンを弾く若い人に、パン屋の二階でコンサートを開かれます。
同じく若い画家さんの展示会もされます。
若い人の後を押す。
いつも、若い人に囲まれています。
今日のタイトルは、「後押し」です。
ドイツで、有機野菜ばかりを売っている店に入りました。
こんなのも売れるの?ちっちゃい人参に、水気のない葉物野菜でした。
店には、大勢のお客さんが買って行かれていました。
風車発電が盛んな国でした。ドイツ国内全発電量の20%に相当していました。
太陽光発電、水力発電、火力発電と基本料金が違いました。
国民は、考えに応じて高い電力も買っていました。
風車発電は、アグリーと言いながら、やることはやる。
イギリスの税金総率は、所得の50%でした。
今まで聞いた中で、一番高かった。日本では、消費税(3-5%の頃)も含め25-30%でした。
揺りかごから墓場まで。教育も医療も無料と教えていただきました。
ヨーロッパへ輸出する有機野菜のうち、日本の輸出額は、ヨーロッパ総輸入量の1.5%だとか。
鹿児島県の茶農家が米糠を使ったり、水や風(風速40m)で、茶に付く虫を駆除しているそうです。
そんなコストをかけても、国際価格と同じと聞きました。
品質が良いものや未来志向のものは、それなりに高く売れると思いきや、違いました。
日本茶の美味さや認知度が低かったり、世界中には、もっと安くて品質のよいものがあるのでしょう。
モノの価値は、考え方ひとつで変わるはずです。
昨日書いた「超臨界炭酸ガス抽出」(無害で香水抽出に使われる技法)で、玄米から農薬除去と脱脂をする。
作った減農薬米(農薬を90%除去)は、国際価格の1.3倍(有機レベル)と考えました。
FS(フィージビリティースタディー)試算し、プラントを泡盛協会に提案しました。
残留農薬の基準は、国際的に違います。先進国ほど厳しい。
泡盛を国際的な酒の市場に出して欲しかったのです。泡盛協会も夢をみていました。
泡盛は、タイ米と黒麹で醸造発酵され、蒸留されます。
原料(タイ米)が国際基準よりはるかに安全になる。
実現はしませんでした。泡盛は売れると言っても、まだまだこれからでした。
わずか2-3KWの発電量の小型水車を売る会社があります。小さな小川で発電可能です。
メリットは、地産地消です。東北から東京まで送電すると、発電量の50%しか届かない。
農業は、3K職場であり自活するのは大変な産業です。
AIが農業を変える。ドローンで空撮し、雑草に虫にピンポイントで農薬散布する。
無人のトラクターやコンバインが走る。こんな放送をよく目にします。
一方、北海道でジャガイモや人参を作る農家が、機械化をやめて人手中心に切り替えました。
毎年返済する機械代金より、人手に切り替えた人件費が安く、良質なものができました。
地元の雇用を増やしても、まだ余ることになったそうです。
リコーは、人件費が安い中国に工場を造り、コンベア方式の製造ラインを作った。
品質チェックに費用が掛かり、日本に製造拠点を戻したそうです。
日本では、一人が完成まですべての組み立て作業する方式にしたそうです。
中国の生産台数は2台/分で、日本では3台/分だった。クレームも減った。
「後押し」をするのは、人です。
人こそ宝です。経営者も労働者も人です。
スーパーマシーンを導入しても、マシーンの前後で溜まりができます。
原材料であり、仕掛り品です。
トヨタ看板方式で、ジャストインタイムと言って下請けからのトラックが効率よく配送する。
周りの道路では、待ちトラックで溢れました。工事現場の周囲も同じでした。
セブンイレブンも3便配送を止めて、2便にしています。
都市部の交通渋滞となったからです。工場では、ロスが増え経営を圧迫しました。
ジャストインタイムの考え方は、「見える化」なのです。
どこに問題が発生しそうか、わずか10分の責任者(営業、サービス、経理、社長)の朝会議で未然に防ぐ。
どこかがよければ、どこかが悪い。そうして、私達は繰り返し技術を磨き、経営努力しました。
「後押し」は、いつも知恵でした。努力している限り、誰も悪くない。
「後押し」は、常に辛い体験から産まれてきました。人は失敗を繰り返す。
だから、優しいのです。
どこよりも 安全なのは ママのなか
2020年10月23日
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甘く煮た果物が、透き通るゼリーを通して、冷えて美味しく見えます。
タイトルは、「挑戦は美しい」です。やったれや。
いきなり、テレビが映らなくなりました。
’’B-CASカードを正しく装着してください’’とテレビ画面に書いています。
このカードの存在を初めて知りました。
今日のタイトルは、「デジタル音痴」です。
インターネットで、「テレビが映らなくなった」と質問して、
B-CASカード(デジタル受信に必要)は何かを知り、テレビのどこに装着しているかを調べました。
ロックを外し、抜き取りカードを見ました。ほこりもぐれ(もぐれは広島弁)になっていました。
金線で配線されているように見える箇所を、パジャマではなくきれいな布で拭きとりました。
一度目装着した。やはり映らない。ロックをしっかりして、もう一度電源を入れました。
映りました。
銀行カードが使えなくなったと、妻の娘から電話がありました。
同時期、私の銀行カードも使えなくなりました。
財布に入れていて、カードが割れていました。これかなと思いました。
違いました。妻の指導で、ICチップ(金色)を乾いた布できれいに拭きました。
娘も私のカードも使えるようになりました。
B-CASカードと同じ原因でした。
ある日、スマホの充電時間が、いつもよりかかるようになりました。
ポケット入れて、持ち歩いています。画面を保護している薄いシートが汚れて来たので剥がしました。
私が意図せぬ電話をかけたり、極端に電源消費が速くなりました。
知らずに画面を触り、各種アプリや記憶された電話番号を押していたのです。
娘に電話をして、問題の改善方法を教えてもらいました。
暗証番号を入れないと起動しない設定(かかってきた電話は取れる)を電話で教えてもらいました。
妻が、スマホの消費電力のデータを調べてくれました。
ストップウォッチ機能が何十時間も働いていました。
グーグルプレーが起動していました。
妻が、ストップウォッチの設定をオフにしてくれました。
私が、グーグルプレー(アプリ)をオフにしました。
私は、生物や物理は好きでした。化学と電気が苦手でした。
化学も電気も触(さわ)れないし、見ることもできない。
特に、コンピューターは苦手でした。
フロッピーにインデックス(糊のついた紙)を貼りました。
インデックスに付いた糊が、フロッピーボックス内で貼りついて、フロッピーが取り出せなくなりました。
会社の友人にコンピューターごと預け、修理を依頼しました。
いつものように、忙しいのに「どうしました」とかかってくれました。
友人は、私の目の前でコンピューター(その頃PCはねじで止めていた)のキーボードを外し、
コンピューターをバラバラにしました。私は、もう一台買うしかないと覚悟しました。
30分で、フロッピーを取り出し、10分で復元しました。
友人は、あれだけのねじの数々(種類が違う)をよく覚えていたし、的確に締めていきました。
カフェでは、妻が料理をします。「塩梅」と言って、妻は適当に塩をつまんで入れ、調味料の瓶を振ります。
味をみて、繰り返します。
私が料理をするときは、あんちょこ本で、レシピーを見ながら、各種調味料の重量を計り、入れます。
どちらが美味しいかと言うと、妻の方に軍配があがります。調理は、味見(舌)が基本と言われます。
世界中のお袋やママが同じことをしています。恐れ入り屋の鬼子母神です。
世は、どんどん便利になっていきます。
つまりは、知らぬ(理解できない)ことが増える。
私も古いけど現代人です。一生懸命学ぶだけです。
威張っていないで、知っている人に積極的に教えを請うことにしています。
理解ができる知識やモノばかりが増えていきます。
そして、昔話を繰り返し、飽きられます。
「デジタル音痴」を嘆いていないで、挑戦しましょう。
デジタルは、目に見えないだけです。
理屈が分かれば、頭で見る(理解)ことができるのです。
斜面ゆえ 陽(ひ)と風めぐむ そばぶどう
2020年10月22日
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絵のタイトルは、「去る者は追わず来る者は拒まず」です。
去る者は、背中を押してあげましょう。
来るものは、笑顔で迎えましょう。
そして、自分を許してあげましょう。(朝ドラより)
今日のタイトルは、「行ったり来たり」です。
ゴルフで、前の木の間を通してやろうと打ちました。
もちろん、木に当たって打った所より後ろにボールは跳ね返りました。
友人が池を越そうと、思い切りボールを打ちました。
100ヤード先の池に落ちたように見えました。
あろうことか、ボールが石に当たりティーグラウンドに勢いよく返ってきました。
何が起こったのか、一同唖然としました。そのあと、爆笑。
冬の寒い日、雨模様のなか、池越えショットを同じ友人が打ちました。
二人で笑いながら、50ヤード先の池の傍迄飛んだクラブを拾いに行きました。
ドイツ人の先輩が、アメリカ回りで日本に新技術を紹介するために来ました。
日本時間の日曜夜に電話をし、同日早朝のアメリカで受けてくれました。
ヨーロッパへ帰るのをやめて、アジア回りにしてくれました。地球一周です。
週の初めに、大手のビール会社にプレゼンし、同じ週の終わりに再度呼ばれ仮契約に至りました。
彼とは、家族ぐるみの付き合いになりました。
休日を挿む日本出張で来ていただき、横浜近辺の山や海を訪ねました。
英語が得意な私のかみさんも加わり、犬(名前はジン)連れで横浜から鎌倉まで山伝いに歩きました。
初声海岸で、夕暮れ迄まったりと過ごした。
私がドイツに行くと、彼の家に招待されました。
彼の奥さんが、キャベツの漬物に肉を入れ煮たものを食べさせてくれたりしました。
5月にジャンパーを借り、もう開いているビアガーデンで暖まるまでビールを飲みました。
彼が定年近くになった時、私の上司のスイス人が、少しゆとりあるスケジュールを組んだらと提案しました。
午前中にお客さんを訪ね、午後は富士山に行ったり、松島の島めぐりをしました。
沖縄では、残波岬を訪ね行きつけの店で、泡盛を飲みました。
ビール工場は、日本各地に散らばっており、夜は温泉に浸かり満喫しました。
ある日、彼が世話になった鎌倉に家がある商社マンの家を訪ねました。
彼は他界していました。浅草で、彼が和包丁を買った話をしました。
奥様は、10本に余るゾーリンゲンの包丁を出してこられました。
東西冷戦の頃、チェコに滞在し、西側で苦労して手に入れられたそうです。
今でも重宝していると話されました。きしくも、包丁の「行ったり来たり」でした。
「行ったり来たり」するようになると、互いの依頼ごとの優先度があがりました。
年初に約束した売り上げを達成し、翌年も続け、日本市場で8年連続して勝ち続けることができました。
彼は、ドイツで極東の同僚のためにバックアップしてくれました。
ドイツに行くと、ドイツ人の同僚がミスターと呼んでくれ、私の株は上がりました。
ミュンヘンでは、8000人収容できるビール村で、
1リットル飲んで、椅子の上で歌い、もう1リットルで机の上で踊りました。
3リットル飲んで、トイレに行き、小便が流れる樋の末端(足が短いため)で用をたしました。
トイレの帰りがけに、どこかのグループに飛び入りし、4リットル目を飲みました。
いつまでも帰って来ぬ私を心配し、彼が探しに来てくれました。
テーブルに戻り、日本の精米工場で一日半の引き渡し交渉を一緒に粘ったスイス人の友人と会いました。
招待していた中国人のお客さんと大いに盛り上がり、5リットル目を飲んだと思われます。
毎日の気持ちも、「行ったり来たり」です。
やるぞとハイな時もあり、今朝はいいかの日もある。
会社に行くと、山積みの難問を夜遅くまで片づけ、ぼろ布(ぎれ)のように眠る毎日でした。
ここでも、痛む筋肉をなだめながら寝床にもぐり、朝を迎えます。
台湾で、超臨界炭酸ガス抽出技術を応用した精米技術を世界で初めて導入した工場を訪ねました。
同行者は、沖縄泡盛協会のお歴々でした。中国から来るはずのドイツ人の博士は来なかった。
予想される質疑応答を、前夜和訳英訳して準備しました。
ここでの「行ったり来たり」は、質問を受けて立つ中国人の博士と、泡盛蒸留会社経営者の応酬でした。
博士は、そこまで専門的に説明しなくてもとやっと翻訳しました。
そんな深い話を聞くのと、大汗をかきながら翻訳しました。
夜の飲み会で、協会の面々は「行ったり来たり」の「お通り」(エンドレスの飲みまわし)を始めました。
飲んで口上をたれ、次のものも受けて立つ。ウイスキーの空瓶が2本になるころお開きになりました。
協会の会長に、部屋に呼ばれ、新技術を導入したいからお前の見積もりの半額で請け負えと言われました
この「行ったり来たり」は、受け入れることはできないと断りました。
もういい、帰れと機嫌を損ねてしまいました。この会長は、公私ともに飲み仲間にしてくれました。
女癖が悪かった。
「行ったり来たり」でよいのです。
気持ちのぶつかり合いが、旧知の仲となります。
忖度など、微塵もありません。言葉の壁もない。
どこまでできるか、日々自分に問いかけています。
後家の家に行ったり来たりして、「お父さん、今度いつ帰ってくるの」と言われ、やめる。
そんな日まで、頑張りましょう。
やじろべえ 行ったり来たり 吊るし柿
2020年10月21日