故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵のタイトルは、「宴も半ば」です。
寿命はいつ尽きるかわからない。
それまでは、「宴も半ば」と思いたい。
できるかどうかなんて迷わない。
外資系の会社に勤めている頃、常に年頭に「今年の売り上げ目標と戦略」について、ぶち上げました。
2015年9月20日~10月4日まで、伴侶を選ぶキーワードについて、考察しました。
私ではない誰かが考えた(思いついた)幸せになるキーワードです。
15のキーワードをモチーフにして、いつか人間ドラマを書いてみたいと思いました。
以下がそのキーワードです。
幸せを呼ぶ、なるほどと思われる言葉ばかりです。
親友(9月20日投稿)
尽くす
家族を尊重
励ます
特別扱い
良い影響
笑わせる
最優先
理解
欠点を補う
認める
信頼関係
コミュニケーション
謙虚
頼りになる(10月4日最終投稿)
2015年10月4日(タイトル「頼りになる」)の文末で、
「これらのキーワードを15日間追ってきました。
どんどんと読者は減ってきました。
自分の中から湧き出た言葉ではないから、頭でこねくり回した分面白くなかったのです。
いつかこのキーワードをモチーフにした人間ドラマが書けると良いがなと思っています。
テーマは、良好な人間関係の営みです。」
(記事より抜粋)
人間ドラマ(15のテーマ)に挑戦しようと思います。
1999年「柔らかな頬」で直木賞を受賞された桐野夏生氏は、
68歳(現在73歳)で「とめどなく囁く」を執筆されています。
年齢に関係なく見事な出来栄えです。
一つのテーマを400時前後で書き下ろせればと考えます。
できるでしょうか?
できるとも。
2024年12月30日

絵のタイトルは、「陽は昇る」です。
できるじゃろうかと、細々と続ける営みです。
公平に当たる太陽の恵みを分け合って、私たちは生き続けてきました。
友人が膝を悪くした。
人工関節を入れた片方だけで歩いている。
草を刈ってくれないかと頼まれた。
妻は電気柵の下を刈り、私は畑全体の草を刈り電気柵を修理した。
友人が切っていたすももの枝を軽トラに積み、90歳超の老人の畑に持ち込んだ。
枯れた枝を燃やし、暖を取る。
今日のタイトルは、「物が行ったり来たり(Part2)」です。
終わったよと友人に電話をする。
さっそく点検した友人が、伐っておいた枝がないがどうしたのかと聞く。
これこれだと答える。
後で寄れと言われ、猟師もする友人に猪肉をごちそうになり、正月用の1パックをいただいた。
後日、知り合いの猟師からたくさんの鰯(猪肉の返礼品)をもらったから取りに来いと電話があった。
バケツ一杯の鰯を持ち帰り近所に配った。
まだまだ余りがあるので、目刺し、刺身(計量用スプーンで身を削ぎ落す)、頭を取って天ぷら用にした。
秋田から糯米(10Kg)、茸(大きななめこ)、りんごが届いた。
春には、山菜をいただいた。
何を送ろうかと、妻と相談する。
鰯の加工品と正月用の猪肉(1パック)を冷凍パックにした。
福島産のりんご(B級品)で作ったアップルパイとパンに、管理依頼されてる畑で採れたレモンを足した。
妻の実家でとれた広島蜜柑(熟した早生)も足した。
現役時代に自ら図面を引き、建設した製粉工場で加工した小麦粉(強力粉)をネットで安く買った。
南の物を、美味しいうちに北に送る。
北から届いた物を、新鮮なうちに南の者で分ける。
元はと正せば、草刈の勤労奉仕だけです。
互いの贈り物は、そこでは容易に手に入り、いずれは余る(されど貴重な)ものです。
瀬戸内の小エビは頭ごと食べられる、持山で採れた茸はこうすれば美味しいと妻同志が情報交換をする。
お中元、お歳暮と現役時代のようにはいかない。
無用のよう(他人の畑の草刈り)に使う体力と、有り余る時間が解決してくれる。
閉じた世間が、余りものの使い方一つで広がり、そして繋がる。
2024年12月28日
(あとがき)
2023年12月11日投稿記事、「物が行ったり来たり」では、
「娘に送った野菜を、義理の両親に分けるねと優しい。
いや、やめたほうがよい。
お前たちには遠慮がないから、B級品を送っている。
食べておいしかったら、あげてねとアドバイスした。
娘は一瞬驚いたようで、気を取り戻し笑った。」
(記事より抜粋)

絵のタイトルは、「夫唱婦随」ならぬ、我が家は「婦唱夫随」です。
切磋琢磨です。
たまーに、鍋窯ならぬえごまの茎を投げっています。
今日のタイトルは、「こき使われました」です。
容赦なく、こき使うのは妻です。
子供たちに正月前に贈り物をする。
私たちが送れる物は、畑で出来た野菜や果物です。
妻は、リンゴジャムを作りながら、餅を搗きました。
私は、そのほかの一切をしました。
洗濯物を干し、布団を廊下に運び、掃除機を回します。
終わったと思いきや、里芋を洗い乾かします。
じゃが芋を袋に詰めます。
合間をぬって、餅を牛乳箱に詰めます。
広島風の丸餅(平たい)を広げます。
黒豆入りは、なまこにして、牛乳箱の角餅と一緒に、翌日切ります。
NHKで将棋を見、高校生駅伝を横目に、京都産業大が圧勝するラグビーを観戦しました。
今日は有馬記念の日でした。
銀座のWINSで見たオグリキャップの引退レースが有馬記念でした。
オグリキャップが行くんじゃないかと、頭をかすめたことを思い出しました。
休ませてほしいと言いながら、落ちた餅粉を掃除機で吸い込みます。
冬の日はつるべ落とし。
布団を敷いて、洗濯物を取り入れ畳みます。
旦那に家事を教えるなら、収納場所から教えましょう。
妻は戦後生まれの平等主義者です。
お酌をするどころか、私が着る服を出してくれたこともありません。
私は良い意味で鍛えられました。
いつ、独居老人になっても暮らせるよう私も必死です。
アップルパイと自家製パンを加えれば、贈り物は完成です。
広島菜の自家製漬物と畑から抜いた大根が加われば完璧です。
よくやったときりたんぽ鍋を作ってくれました。
昨日の草刈りの疲れに、大忙しの一日が加わり夜7時前に寝床に逃げました。
あーら、不思議。
もう、元気を取り戻しています。
ぬるま湯に温めた自家製ハト麦入りウーロン茶を寝床の妻に届けます。
しばらくは、おとなしくして寝ているでしょう。
至福の時間の到来です。
2024年12月23日

絵のタイトルは、「永観堂」です。
人の生き方は、「以上」でも「以下」でもない。
自分基準であれば、幸せをより感じられます。
ただ、仏に会うと揺さぶられます。
頭を撫でられるようです。
びっくり仰天。
ブログの読者数が爆発しています。
異常のタイトルで、書こうかとひらがなを変換したら、「以上」(今日のタイトル)が出てきました。
このタイトルで、挑戦します。
まずは、調べましょう。
以上とは、
・程度・数量などについて、それより多い、または優れていること。
・これまで続けてきたこと。今までに述べたこと。
・手紙・目録・箇条書きなどの末に記して、「これまでで終わる」という意を表す語。
・高度の位置・技量などに達すること。
・御目見以上(おめみえいじょう)の略
・(接続助詞のように)・・・・からには。・・・・の上は。
(広辞苑より)
私のブログ(暮らし)も「以上」(これまでで終わる)とピリオドを打つ時が来る。
その時はいつだろう。
書けなくなったときか、生きられなくなったときか、はたまた書くことがなくなったときか。
御目見以上(一万石以上)が旗本で、御目見以下が御家人と江戸幕府では決められていました。
「以上」と宣言して、「世話になったの」と人生を終えたいものです。
そんな晴れやかな舞台はいつ来るのだろう。
野垂れ死にだって、そんな風に天に呼びかけたい。
母さん、俺は全うしたよ。
呼吸の間隔が数十秒になり、やがて数分になり、「思い残すことはない」と賑々しく途切れたい。
あそこの病院(終末医療)に入ったらもう出てこれないよ。
95歳の方が、施設に入ることにしたとあいさつに来られました。
今まで言われたことがない、「さよなら」を告げられました。
暮らしを、「以上」と区切りをつけられました。
数日後に息子さんらしき車が停まっていて、福祉協議会の車とすれ違いました。
箇条書きのような人生でした。
産声を上げ、両親のおかげで人並みに生きてこれました。
親になり、「勝手に作りおって」とかみさんに言われながらも、4人の子供に恵まれました。
子供たちが巣立ち、長い長い老後です。
「以上」が見えない暗闇を生きています。
老人のように、「さよなら」が言えるか不安です。
そんなことはない。
これまでも「以上」と何度も別れをしてきました。
人並み「以上」の幸せも経験しました。
いつの時代を生きたいかと問われたならば、「今」です。
今こそ、本当の自分を生きている。
2024年12月22日

絵のタイトルは、「恋心」です。
地域おこし協力隊の人材は、若者、よそ者、馬鹿者が適任者と言われる。
一方、経験者を採用する自治体もある。
どちらが良いとも言えない。
経験者は、過去の反省からか、橋を壊しても渡らない。
未経験者は、橋なのか認識もできず、無鉄砲でも渡り切ってしまう。
今日のタイトルは、「経験」です。
恋はいつでも初舞台と、歌われます。
真の気持ちを打ち明けることを躊躇います。
伝えなくても後悔し、伝えて砕けるのが恋でした。
今度こそうまくやろうと思うものの、いつも木っ端みじんでした。
学んだことは、「させていただきます」だけでした。
「やっちゃるけん」ではダメでした。
心の傷は、後悔という澱となって沈んでいきました。
それでものうのうと生きている馬鹿者です。
開き直り、また沈む。
恥ずかしい限りですが、生きています。
私は何が起こるかわからぬ現場が好きでした。
シミュレーションを嫌というほどしても、予期せぬことが起きました。
「想定外」という言葉は吐きませんでした。
お前はこんなものかと鼓舞してきました。
潰れずになんとか生き抜いています。
同じ現場にいたとしても、経験は人それぞれ違います。
ある人は辛かったと言い、別の人は楽しかったと言います。
言葉にしても伝わりにくいのが経験です。
聞いたとしても、自らの経験からくる範疇の理解です。
経験が豊富と言っても限られてしまいます。
その人の気持ちになって聞くことほど、至難です。
くしゃくしゃと、十把ひとくくりにしたくなります。
もつれた糸をほどくような、忍耐強い心づもりが求められます。
そうなんだ。
そのまま受け取るしかありません。
それ以上でもないし、それ以下でもない。
辛いことを言葉にする。
それだけでもありがたいことです。
目をつむって、黙って聞くしかありません。
自己は無用です。
人の経験を聞いたり読んだりすることで、自己が豊かになる。
心を静かに無にすることです。
私はできるでしょうか。
幼子が外人の女先生に話しています。
片言の日本語で、「そうなんだ」と女先生は相槌を打っています。
幼子の話は終わりません。
2024年12月20日
経験とは、
・人間が外界との相互作用の過程を意識化し自分のものとすること。
人間のあらゆる個人的・社会的実践を含むが、人間が外界を変革するとともに自己自身を変化させる活動が基本的なもの。
・外的あるいは内的な現実との直接的接触。
・認識として未だ組織化されていない、事実の直接的把握。
・何事かに直接ぶつかる場合、それが何らかの意味で自己を豊かにするという意味を含むこと。
・何事かに直接ぶつかり、そこから技能・知識を得ること。
・(哲)感覚・知覚から始まって、道徳的行為や知的活動までも含む体験の自覚されたもの。
(広辞苑より)