酔っぱらって帰る道すがら、普段は通り過ぎるケーキ屋の前で止まる。
子どもたちの喜ぶ顔が見たいと、つい買いすぎてしまったことがありました。
自分だけ良い想いをした後ろめたさなのか、
単に酔っぱらって大きな気持ちになったのか、
両方です。
今日のテーマは、「土産がない」です。
私は、営業をやっているとき、土産物を持って会社を訪問することがありませんでした。
営業は、役にたつ話を持って行くのが務めだと思っていました。
仕事に関係なく、個人的に訪ねる時は、土産を常に持って行きました。
自分が感心した酒であったり、お菓子であったりしました。
営業は外資系の会社(土産はもたない)での仕事の一環でした。
個人の時は、単に喜んでもらいたいと思ったのでしょう。
広辞苑を調べると、土産は「見上げの転」と出ていました。
見上げとは、よく見、調べて、人に差し上げるもの。(広辞苑より)
古代、日本人が中国を訪ねる時、多くの献上品を持参した。
下のものが、上の人に捧げるものが、見上げだったのかと連想します。
相手が忙しい時や、聞く気がないと感じたら、5分で帰って来ました。
ここでは、「今ちょうど休みたかったから、いい頃に来てくれた」と言われます。
パンを焼いてきました。と渡す。
すると、これもらったけど(あるいは、たくさん採れたから)持って帰れと、
倍の産物をいただくことも多々あります。
会社での土産は、一方的な流れでした。お返しが仕事の注文だったのでしょう。
それでは、面白くない。
私は、いつ売れるか分からない機械(寿命20年)の販売をしていました。
動いている機械(自社、他社問わず中古の機械)の具合を見ました。
悩んでいる相手の困難の相談にのりました。
営業品目ではない設備や経営のことでした。
これが自分の土産と勝手に思い込んでいました。
偉い社長さんに、「あんたは馬鹿か鈍いのか」と言われました。
買う気はないから、もう来なくて良いよ。が本音でした。
社長は、無下に断ることもできず、私に無理難題を申し付けました。
人それぞれの「土産」があります。
地域を活性化することが、仕事であり雇ってもらった感謝の気持ちです。
ここに住めることが、感動であり喜びです。自分も一員にしてもらった。
学生の頃、しわくちゃの一万円札を母から送られた荷物の中に見つけた。
親に返すことも、先輩にお礼を言うこともできません。
親がいう 土産はいらぬ 顔見たい
2014年12月1日投稿記事「あんたは、馬鹿か鈍いのか」を参照ください。
人の気持ちのあやと言いますか、私は最高の褒め言葉を社長からいただきました。
2016年11月30日