故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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今日のタイトルにぴったりの女の子です。
元気印そのものです。
今日のタイトルは、「雪かき」です。
今年は、昨年より厳しい寒さです。
予約したゴルフ場から、これで今年2度目のキャンセルの通知がきました。
出かける用意をしていたこともあり、会津に行くことにしました。
お好み焼きの師匠の店に、牛すじと家で採れた白菜とねぎを届けることにしました。
山越えの道は、一山越すごとに雪が深くなりました。
国道と言えど、通る車は少ないようでした。
後続の車に道を譲りながらのゆっくり走行になりました。
途中の集落では、人が出てまた重機で雪かきをしていました。
雪かきをしている人は、ほとんどが女性で高齢者も多いようでした。
この辺りでは、自分の家の前だけは最低のノルマとして雪かきをされます。
トイレを借りようと郵便局に寄りました。
男の職員が総出で、人力で駐車場の雪かきをしていました。
たぶん午前中いっぱいはかかると思われる雪の量でした。
きっと毎日のことなんでしょう。
国道や県道から生活道路への入り口には、赤いリボンが付いた棒きれが立てられていました。
峠道も辻道も、すべて雪かきがしてありました。
峠道のアスファルト面は雪で覆いつくされ、雪の上を走ります。
師匠の店でも、今年から駐車場の雪かきを業者に依頼(有料)したそうです。
駐車場の1/3は、雪山となっていました。
一日かけて自分たちがするか、業者にお金を払ってお願いするかの選択です。
雪を別の場所へ捨てるとなると、さらにお金(高い)がかかるそうです。
高校生が自転車で走っていました。歩道の雪かきもされていることになります。
この地域でも、地域のボランティアが一列に歩く小学生の最後尾で見守ります。
辻道では車を停めて、雪で狭くなった道を譲る光景を見ます。
西で育って、都会で暮らした私には驚くような光景です。
今朝もすべての水道管が凍り水が出ませんでした。
唯一助かった風呂の水道管から水を汲み沸かしました。
凍った鉄管にタオルを巻き湯をかけます。
トイレには、ファンヒーターを持ち込み温めます。
30分後に、すべての水道管が開通しました。
今晩からは、寝る前に水道管の水を落とさなければならないでしょう。
皆さん雪が降ったからといっても、坦々とされています。
私達もやっと二年目の冬を迎えました。
手を温めながら、作業をするのにも慣れました。
最初の年は、やる気をなくす寒さに困りました。
今は、対策不足だったと自分に腹が立ちます。
これだけを知っただけでも良かったと思います。
郷に入り 花さかすまで しゃないで
2018年1月31日
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しっかりした顔立ちの若者です。
何があっても、頑張れ。
今日のタイトルは、「応援」です。
自分を応援してくれる人が、どれだけいるのか気にかかります。
今日は、応援したい人がどれだけいるかについて考察します。
応援したからと言って、見返りはありません。
そんな応援のことです。
応援とは、
助け救うこと。加勢。
(競技などで)声援を送って、味方を元気づけること。
(広辞苑より)
止まり木に座って、おかみさんの酌でいっぱいやる。
居心地が良いから、飲みに来ています。
混みあってきたので、帰ります。
しばらく来ないと、どうしているかと気にかかります。
共に、静かな応援者です。
音信不通です。
長いこと、会ってもいないし手紙のやり取りもない。
難しい仕事だった。
自分の本分だけはやり切った。あいつもそうだった。
互いにその実力を認める間柄です。
困った時には、相談してみようかと思わせる存在です。
あいつから相談を受けたら、何はさておいてもかかるだろう。
応援というより、同志です。
気にかかる女性がいる。
健気に生きている。
いつも一生懸命で、周りを明るくする人です。
声をかけることもなく数十年が経ちました。
久し振りにあった。少し疲れて見えました。
よせばよいのに声をかけました。
後に引き返せないことになりました。
懐の深さと思うことにしましょう。
無償の応援の一番は、子を想う親のこころです。
独りで大きくなったような口をきく子供のことです。
頑張れと、どこまでも応援します。
そして、花が咲くのを楽しみにしています。
応援は見えるものです。
温かいまなざしが、涙を誘います。
ありがとう。
きっと言える日がくることでしょう。
言わないといけない人が、何人いますか。
たくさんいるとよいですね。
酔っぱらい 電柱そっと 頭下げ
2018年1月30日
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少し不満顔のようにも見えます。
見る側の気分によって、人の表情はいろいろです。
今日のタイトルは、「一夜明けて」です。
絶望的な夜を過ごす。
考えられることは、ネガティブなことしか思いつかない。
そんな夜があります。
できるかと、夜も追い込み明け方にやっと完成した、
こんなことをした経験は誰にもあります。
今晩が峠と医師から告げられました。
越せなかった。
運よく越せた。
さまざまです。
一夜明けて、眠りから覚めて四肢を伸ばす。
力がみなぎって来る。
これこそ生命力です。
腹が空いている。
嫌なことは忘れることはありません。
悩みは解消されていませんが、また勇気が出てきます。
寒い寒い朝でしたが、そんな気持ちになりました。
頑張るしかないでしょう。
夜が明けて こずえの鳥に 励まされ
2018年1月29日
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この方も美形になるだろうと予想されます。
幸多かれと願うばかりです。
今日のタイトルは、「平凡ではない日常」です。
3日前の夕方、救急隊から連絡をもらった。
身内が、意識障害になり緊急入院した。脳内出血であった。
それからの数日、自分ができることをした。
命は助かったが、普通の暮らしはできなくなった。
突然起こることへの備えが、足りることはない。
不測の事態が起こるかもしれないと、思いつくことを準備しておいた。
準備を足掛かりに、十分ではないが対処はできるものである。
長年音信不通の家族に連絡を取った。
どうしてこれまでしてくれなかったのと思うほど、素早い反応があった。
これは、予測していなかった。
誰もが、冷静さを取り戻すのには時間がかかる。
人それぞれ事情があって、自分のことで無我夢中である。
気にはかけているが、出来ないことなのである。
私は、起きたことを冷静に受け止めたい。
起きたことは仕方がないと、これからも自分ができることをやるだけである。
私よと 肩をたたかれ 走馬燈
2018年1月27日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/6e/77f3453aae74821ca79e8a64cf7c7b3a.jpg)
ちょっとぎごちないが、笑顔が素敵です。
私も日々笑顔を練習しています。
今日のタイトルは、「独り(Part4)」です。
カフェに来られる奥様で、
江戸前の魚のようにぴちぴちの奥様がおられます。
旦那よ黙れ、煩いと人前でも言われます。
宇宙人のような旦那は旦那で、
この人の行動・言動を修正してあげているんだと言われます。
意見は分かれており、水と油です。どちらも正しい。
ただ、独りになりたい時があると、どちらも思われているのです。
この半年の間に、孤独について4回も書いています。
これまで書いてないのが不思議なくらい、大事なテーマです。
人は、独りでは生活できないから、群れをつくります。
しかし群れでありながら、孤独を感じることがあります。
独りでは解決できない困ったことが起きる。
意を決して、人に相談します。
助けてくれました。心配無用でした。
遠くの親戚より、近くの他人という具合でしょうか。
独りになりたいと思う。
これは、誰もが毎日思うことです。
私と妻は、24時間同じ空間で生きています。
お互いの「独り」を大切にしています。
そうしないと、息が詰まってしまう。
パワハラ、セクハラ、モラハラと人の自由を奪う所業です。
自分勝手な考え方であり、やり方です。
当然、許されることではありません。
個人は、自由であり尊重されなければなりません。
孤独であるが、孤独を感じない生き方がないものか。
独りで生きる力をつけてから、結婚をする。
結婚をすれば、家族が増えていきます。
若い時のことです。
家族を食わせるだけの力がなければならない。
私は、たくさんの恋愛をしました。
独りで生きる力を感じられなくて、多くを断念しました。
子供が独立し、夫婦二人で生きることになった。
役割分担から、共に助け合うに変わってきました。
早く連れ合いを失くすことがあります。
どの夫婦にもある、別離(死別、生別)です。
子供がいれば、母は父親役もしなければならない。
父は、母親役をしなければならない。
歳をとれば、いずれは連れ合いを失くし、
何でもしなければならなくなります。
今は、そんなことの準備期間です。
家事一般、世間との交わりのすべてをやっています。
いや、やろうとしています。
子供と話すのに、かみさんを通じて話していました。
こんなことをやらかしていました。
歳をとったら、主な付き合いとして、
最低3つのグループと付き合った方がよいと教えていただきました。
どこかのグループには、必ずそりが合わない人がいるからとも。
長い間、会社に勤めていましたからよく解ります。
逃げられない孤独を感じたことがありました。
長々と書いてきました。
要は、独りで生きる力をさらにつけなければならない。
筋肉は、歳をとってからでもつきました。
だから、きっとできるでしょう。
群れは、いろんな能力を持った人の集まりです。
単一能力ばかりじゃ群れは成立しませんし、長続きしません
群れの中で、役に立てるとよいですね。
努力をしても、すべての能力をつけるわけにはいかない。
そんな時は、友人、近所や社会を信じることです。
葬式で初めて、その人の付き合いの広さと深さが判ると聞いています。
それは、見なくてもよいでしょう。
歩くのは 我が足だけと 知恵伝い
2018年1月25日
(過去の孤独に関する記事)
時間のある方は、お読みください。
自分の考え方の変遷をメモにしました。
2017年7月29日投稿記事「独り」では、
俺達の番だと、地域の祭りを引き継いでいます。
私は、出来る限りその一員でいたい。(抜粋)
2017年7月31日投稿記事「独り(Part2)」では、
透明人間のような自分を感じる時が、孤独です。
他人には、自分が見えていない。(抜粋)
2017年12月6日投稿記事「独り(Part3)」では、
妻がいないことで、出来ることはいっぱいあります。
妻がいないことで、生活に困るようになると、きっと孤独でしょう。(抜粋)