故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「これからぞ」です。
冬枯れの畑の隅に見つけた苺です。
ほとんどの葉が赤く色づき、根に近い真ん中だけ緑でした。
休んではいません、生きている証拠です。
今日のタイトルは、「下手の考え休むに似たり」です。
いい案や考えが浮かばないのに時間をかけても、
休んでいるのと同じで無駄に時間を浪費しているという意味です。
最近のビジネスは、まずは始めて途中どんどん軌道修正をするらしい。
なにしろ、思いついたら始めることです。スピードこそ命らしい。
かつて勤めていた会社の上司から、展示会(ビッグサイト)に行った感想を求められました。
今開発している機械に役立つ情報を集めました。と私は答えた。
すると、上司は「そんなことのために行かせたんじゃない。新たなビジネスチャンスを探してこなかったのか」
と言われた。
同じ上司から、コンピューターに向かって仕事をしながら鉛筆でメモを取っていたら、鉛筆を投げられた。
ペーパーレスのためにコンピューターを入れたのだから、鉛筆は不要だと言われた。
若かりし私は、まったく理解できず、くそ親父と思いました。
何かの電気器具を買うと、保証書と共に、長々とした説明書が同封されていました。
ほとんどが、読むのに難解(業界用語や法律用語を使った独りよがりの文章)なものでした。
保険の証書も銀行の貸借約款も同様です。
後でなんかあったらと、防御線を張ったのでしょう。
一から十まで教える教育なんて、不要です。
教える側の一からなんて、ずっと古い動機であって、十までの説明は成功話ばかりです。
生きている人は、つまづきながら覚えていきます。
これらの教育は、休むのと同様で、聞く側は関心もなく聞き流すだけです。
エンジニアリングで大事なことは、書類づくりです。
数社から見積もり引き合いをするために、見積仕様書を作成します。
営業職と技術職が、見積もり説明を聞きに来られます。
私は、技術職が来た時は、詳細説明から入りました。
この点が肝なんだが、あんただったらどうする。と質問しました。
技術職の方は、経験と独自の考えで解決案をその場で話してくれました。
さらに微に入り細に入り尋ねました。俄然、技術職は乗ってきました。
営業職は、見積仕様書を自社に持ち帰り技術職に相談し質問事項を作成します。
休みに似たりです。一週間の時間がかかるところ、ほんの数十分で会社の実力が査定できました。
営業職のころは、相手に関心がないと分かると5分であいさつを済ませ退散しました。
新技術に興味を持たれたら、パンフレットを出し説明しました。
私の営業範疇でない相談に乗りました。訪問先の相手は、社長から現場責任者迄色々でした。
社長の無理難題(社員教育、営業方針、新規開発、遊休土地の利用など)に、その場で答えました。
その場で答えられないものは、帰って調査し数日中に回答しました。
営業種目にないものに、大いに挑戦しました。
私が扱っていた品目(機械)の寿命は、20-30年でした。
多くの会社を訪問して、売れるのは平均一年に2台でした。
ある会社の悩みは、他の会社の悩みでもありました。
受注率5%の営業(20の見積もりを提出し、成約は一件)です。
95%は勉強でした。その95%が後に役に立ちました。
社内の評価は、「休むに似たり」でした。
休んでいたわけではありません。営業職をしている時(8年間)の機械受注率は、100%でした。
でも、休みたい。
晴れ間が続き、やっと雨が降りました。
まったりと、物思いに耽りたい。
休むに似たりでなく、何にもしないで休みたい。
他人には、「下手な考え休むに似たり」と見えるかもしれません。
大いに、「下手な考え」を楽しんだらよい。
この時代、「下手な考え」と評価できる人なんていないかもしれない。
なんせ、数十年後には、今存在しないビジネスが60%を占めると言われているのです。
七変化 虫も蛙も 休まない
2020年8月31日
絵のタイトルは、「はばたき」です。
短編小説「さなさん」で使った挿絵です。
考えようによっては、夢がある生活があるものです。
明日というより、今日はゴルフです。
いわゆるコンペです。腕自慢が和気あいあいと、飛ばしっこです。
今日のタイトルは、「将来の夢(Part2)」です。
小さくならないよう、大ぼらを吹きましょう。
こんなタイトルで書くなんてどうかしていると、自分の書いたブログを紐解きました。
ありました。2つも。
2016年1月29日投稿記事「10年後の私へ」です。
今日のテーマは、「十年後の私へ」というタイトルです。
誰にも将来のことは、わかりません。
無責任でも良いでしょう。
今の延長線の上を歩いているような気もします。
(記事より抜粋)
2020年2月6日投稿記事「将来の夢」です。
「将来の夢」は、紙に画きながら少しずつ実現している。
スローライフの中に夢を見ている。
赤とんぼ 昔からそこに いたような
(記事より抜粋)
結局、無難な夢なんです。
今の延長線上に夢がある。
歳をとったから夢を見てもよいのです。
子供のためや、会社のために働かなくてもよくなりました。
自分と向き合う生活の連続です。
こんなことをしたいと、自家栽培の野菜を使い、カフェでお任せ料理を作っています。
カフェや庭の裏山が、借景としては納得いかないと、伸びた木や害樹と感じる竹を伐っています。
この地を訪れた人が、「ああ、きれいにしているな」と空き家の草刈をしている。
あれもこれも、故郷再生のプログラム(練習)の一環です。
故郷は何?、おらが村の自慢のものは何?と日々感じています。
直径60cmの木を伐ることができる。
2反歩の草刈ができる。
故郷の畑は、山に返った。
上等じゃない。畑と山がつながったに過ぎない。
足立美術館は、金と人手を使って山との調和を計っている。
山羊を放ち草を刈る。花を植えミツバチを飼う。
私は飛んではいけないし、草も刈れない。
大都市東京は、奥多摩の存在で守られている。
猿も熊も猪も、山際の一線で食い止められている。
山の民から、そう聞きました。過疎にあえぐ俺たちは役に立っている。
オオカミの小便で畑が守れるのか試してみたい。
電気柵の山側2mの草をきれいにすることで、害獣は近寄らない。
身を潜めることができないから。本当かしら。
瀬戸内の島々が眺望できる山の頂迄の林道を整備したい。
こんな素晴らしい景色を見てもらいたい。
そんな夢が見られるのです。
わずかな金を稼げばよい。あとは、耕作放棄地で野菜を作る。
海で魚や貝を採る。海水と太陽が作る海藻でコンポストを作る。
運が良ければ、発酵熱を使えるかもしれない。
そんな日々が送れる。
山に中継基地を作り、光通信用ケーブルさえ引けば、若者がくるかもしれない。
これからは、テレワークが主体となるであろうから。
小さな沢に発電機(2-3Kw)をおいて、耕作放棄地に太陽光発電設備を置いて、
畑に生えた木を伐りペレット燃料にし、潮の満ち引きで電気を作る。
50%しか使えない遠くに運ばず、島で自己消費する。
余った電気は、サーバー基地で使う。
ほとんんどの代替えエネルギーの利益が還元するのは、30年後である。
それは後の者に任せる。杉の苗を孫の世代のために植えて来たではないか。
島には、使われなくなった鉄鋼船を解体し、くず鉄にする施設がありました。
なるほど、浮かぶ鉄くずで商売をする。
捨てられた牡蠣殻を釉に使い、茶碗を焼く陶芸家がいると聞いた。
私は、積みあげた地方再生のソフトを売る。
そんな奴がいてもよいでしょう。
一人でできることから始めます。
灯台は 今も昔も 峠越え
2020年8月29日
絵のタイトルは、「雪道」です。
副題は、「それでも行かなくては」です。
あるプロフェッショナルの想いです。
今日のタイトルは、「愚直」です。
愚直とは、
正直すぎて気のきかないこと。馬鹿正直。
どうやら、悪い意味のようです。
引き戸なのに、一生懸命押している人がいます。
店の人もノブなど付けないで、取っ手にしてあげれば分かりやすかったのに。
トマトは、砂糖をつけて食べる。
いや、塩をつけるだろうと、昔働いた設計事務所でのこと。
もぎたてしか食べたことのない人は、砂糖派でしょう。
糖度の高いモモタロウーなんてなかった時代の話です。
草刈をひたすら続けています。
草刈で一日、刈った草を畑の端に片づけて二日目、三日目にしてやっとカンリキ(耕運機)で鋤きました。
どの日も汗びっしょりでした。
先輩方が食べた弁当の空を片づけるのが、私の役目でした。
なんで俺ばっかりと愚痴っていたら、姉御がやらなければよいだろうとアドバイス。
その通りです。買ってでもやっている役目に文句をいうな。
誰かに褒めてもらいたいんなら、初めからやるなということです。
ボランティアとして、汗を流す人を見ます。
焼き鳥屋の親父が子供の通学路の雪かきをしていました。
夏には、大きなビニール袋に空き缶を拾い集めていました。
私なんぞも、都会にいる頃、散歩の途中に空き缶を拾っていました。
コンビニで捨ててやろうと思っていたら、ゴミ箱は店の中にあり捨てられませんでした。
それきり、空き缶拾いをやめてしまいました。
なんかなあ。
透けてしまう親切心。褒められるのが前提の善意。
親切を仇で返されて、むかつく私。小さい、小さい。
「愚直」なまでに、何故できないのでしょう。
馬鹿も貫き通せば、偉人です。
荒くれどもから村を守った七人の用心棒がいた。西部劇のこと。
村長は、感謝の言葉の後、偉いのは用心棒ではない。
愚直なまでに畑を耕している人こそ、尊いのだと言ってのけた。
愚直な人ほど、畑を見、空を見上げ、また汗をかく。
若者が できるだろうと 待っている
2020年8月28日
絵のタイトルは、「これも私」です。
4歳の女の子のお母さんです。普段は眼鏡を掛けておられます。
旦那しか知らない顔に挑戦させていただきました。
そう、魅力的ですね。
今日のタイトルは、「やらなければならぬこと」です。
一週間の旅行から帰ってきたら、我が家の畑と庭、空き家の庭と耕作放棄地も草に埋もれていました。
旅行に出かける前に、そんなこともあろうと、一通り草を刈りました。
帰ってきてから3週間です。二巡目の草刈をしています。
草刈り機によく切れる高価な刃を装着しました。
摩耗した刃を研げるようダイヤモンドカッターも揃えました。
性なのか、草刈回数を減らしたい横着からなのか、草の根近くまで深く切りたい。
チップソーが、砂利に当たり、草に隠れた金属や石に当たり、研ぐ前に全部取れてしまいました。
鋸刃を試そうか、研ぐのはどうしよう。と考えています。
高価なチップソーは面白いように切れました。しの竹を伐るのも楽でした。
高価なチップソーと再研磨可能な鋸刃の使い分けをするしかないようです。
ハードだけを追うのではなく、友人が言うように1cmだけ高く切るソフトも求められる。
「やらなければならぬこと」でやりたいことが一向に進みません。
やれることが、やりたいことになってしまいます。
一次的に、「やらなければならぬこと」がやりたいことになっています。
炊事洗濯、掃除をする。
上手ではないが、「やらなければならぬこと」だから、仕方なくやっている。
きっと、独りでも生きていけるでしょう。
妻は、太鼓判を押してくれる。
そうだろうか。
妻がやってきたことをできるようになるだけでは、独りでは生きて行けまい。
たまに、妻が外出をすることがある。そんなときの料理は決まって即席めんであり、卵ごはんである。
野菜を刻み、汁を炊く。そんな日常さえ危ういと言える。
真の「やらなければならぬこと」は、生きることそのものであろう。
草刈の後、畑仕事の後は、身体は悲鳴をあげる。
料理本通りには作れない。千切りって、何ミリのこと。
さくっと混ぜる。何を使って何回混ぜること。頭は混乱の極みである。
出来た料理は、うまくない。
皿に盛る前に、火を止める前に、味を確認しましたか。妻に言われる。
料理の基本ができていない。
「やらなければならぬこと」を続けている。
休めば、身体の疲れは取れる。妻に教えてもらえば、何とかできる。
何度も同じことを繰り返す。
これがソフト(生きること)ではないだろうか。
私は生きたいのである。
何をしたからと言って、過去の数々の悪さが解消されるわけでもない。
今でも、よからぬことを考えている。どうしようもないのである。
「やらなければならぬこと」が私を助けてくれている。
陽が昇り 鈴虫さんも 一休み
2020年8月25日
<<投稿後>>
30代の女性のお客さんが、カフェの常連客である。
私達の子供たちと同年代である。
飲みに行こうと誘われた。
何を話したら。要らぬ心配をしないことにした。
絵のタイトルは、「ママです」です。
ママほど非効率な職業はない。
一生懸命やって当たり前。
一瞬だけ、光を放つ清々しさをとらえたいと、似顔絵にしました。
素敵ですよ。
今日のタイトルは、「得にもならぬこと」です。
Slow lifeとはなんでしょう。
デジタル大辞泉によると、
「効率やスピードを重視するのではなく、のんびりと過ごしながら、人生を楽しみ、生活の質を高めようとすること。スローフードから派生した和製語。」とのこと。
仕事があり、達成する時間で除した解が、効率と言う満足度となって得られるものと考える。
食料を得るために畑を耕したり、行き交う人の喜びのために周りの草を刈ることは非効率である。
安い食材を輸入し、時短で料理をする。分業化を進め、競争の中で清潔と安全神話を享受する。
そんな風に生きてきました。それこそが、日本の進む道と教えられてきました。
辛いことは、いつも誰かがするものと考えていました。
効率と言う神話のような言葉に踊らされて生きてきた。
旬の食材(例えば山菜、キノコ。具体的には、シソの葉や茗荷のようなもの)を採ってきて料理をする。
めぐる季節の一瞬だけ収穫でき、ほんの少しだけいただきます。
あれが食べたいと料理本をめくり、スーパーに行き食材を調達する。
季節に関係なく、ハウスものや海外もので間に合ってしまう。
草をかき分け採ってくるものとは、誰も思わない。
いつもの場所に来年も出てくるものであり、長い時間をかけて大事に育ててきた。
放射能に限らず汚染された地物の魚が食べられない、悲しみを忘れることはできない。
夏草を刈ったところで、雨が降り日照りが続き、2週間もすると元通りである。
秋口になり、草の勢いが衰えてやっと安堵する。
そんなの待たずに、除草剤をかけてしまえ。
食品を生産する工場の周りに枯れた草がある。
とんでもないと近所からクレームをもらう。
一度草刈をやめて除草剤に頼ると、もう草刈なんてできない。
そして、草に埋もれてしまう。草の林に、ごみが捨てられ、害獣が棲む。
そうじゃない。毎日追われるように草刈をする。
春には、融けかけた雪の間から福寿草が花を開く。
待ち望んだ想いも、夏には草との格闘で思い出すこともない。
Slow lifeは暮らしであり、営みである。
上手くは言えないが、効率とは異なる文化がある。
現在の満足度を計るファクターにも誤りがある。
そうでないと、何千年という時間の中で、日本人が大切にした季節感を説明できない。
うだる夏 大葉の香り 食進む
2020年8月23日