故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
さざなみというタイトルの絵です。
波と風に魅せられて、何枚も水面(みなも)の絵を描きました。
描き疲れたころ、この絵ができました。
笑わせる人になろう。と仕事を始めた。
何をやっても、笑ってくれない。
疑心暗鬼で仕事の限界を感じた。
落ち込むこと数カ月。
いつものように、臥薪嘗胆。
ならば、笑う人になろうと趣旨替えを試みた。
これは、気分がよい。
おもしろいと思ったことを笑えばよい。
おもしろくないことは、すっ飛ばす。
笑うといっても、慇懃無礼のウソ笑い。
笑っているうちに、笑うようになる。
なぜか、私の笑顔を見て他人が笑う。
他人の笑顔を、あれっと思いながら自分が笑う。
でも心底笑えるのは、必然性が産み出すユーモアと無邪気な行為です。
そして、琴線に触れる一言。
今日のテーマは、「琴線」です。
毎日、とりとめもないことを書いています。
若きプロジェクトエンジニアーに大事なことを何か伝えたい。
本当にそう思うのかと自らに問いながら続けています。
琴線とは、
琴の糸。
感じやすい心情。心の奥に秘められた、感動し共鳴する微妙な心情。
(広辞苑より)
いいよ。と何気なくOKサインを出す。とは大いに異なります。
その一言で、涙が出てくる。心を揺さぶるキーワードです。
誰もが、心の奥底に秘めているものは違います。
教育によって、習慣によってその範囲は狭められるといっても、千差万別のはずです。
だが、一言に感動する。
毎日生きているから。
同じような気持ちを共感するから。
常に、わが身に置き換えて瞬時に反応してしまう。
理屈じゃない。伏せておきたかった心に灯がともる。
あるいは長年疑問に思っていた、いや忘れていた難問解決のヒントになった。
笑わせようとして、琴線に触れることは簡単ではない。
笑うようになってから、琴線がより敏感になってしまった。
琴の糸によって、微妙な感動が増幅される。
増幅させるのは、他人ではない。
自分です。
琴の糸は、張りすぎてもいけない。緩めてもいけない。
触るなんてもってのほかです。
笑うぐらいの余裕があって、初めて共鳴するのかもしれない。
風景があっても、関心がなければ写真と同じで動かない。
よく見たら、あれあれ。歴史と生きざまが刻まれている。
どうして気づかなかったの。
無駄に五感を使っていたのかな。
そんな気がします。
琴線の手入れは入念に。
過去に縛られてもいけない。
未来を心配しても始まらない。
ご飯をしっかり食べて、肩をゆすって深呼吸すれば、感度はよくなるかもしれない。
どうにも掴めない「琴線」でした。
水面が 風の波紋に 落ち葉揺る
2018年10月31日
苺の花です。
朝、畑を回ると野菜や草花が挨拶をしてくれるようです。
おはよ、遅いじゃないか、待ってたよ。
沖縄の人は、最低気温が15℃以下になると寒いと感じ風邪ひきが多くなります。
一週間前からストーブを出しました。
霜が降りる前に、さつま芋は掘り切りました。
里芋は、一回くらいの霜が降りても大丈夫と半分ほど掘りました。
何度も書いている保存方法のこと。
里芋は、皮をむいて冷凍にする。
筍は、砂糖で煮て冷凍にする。
梅は、らっきょ酢でつけて1-2か月後に取り出して干して、冷凍にする。
キュウリは干して塩漬けにする。食べる前に塩抜きをする。
ブルーベリーも果実のまま冷凍にする。
何でも一時期に取れすぎるので、種まき適期の範囲で時期をずらして種を撒く。
純粋のかぼちゃを作りたいなら、
純粋かぼちゃの花が咲くころ、
交配させたくないかぼちゃの花が終わるのを待つように、時期を遅らせて苗を植える。
何でも冷凍する。
冷凍するのに、冷凍庫は要らぬ。
春まで、土は凍り屋内でさえ零下になるから。
カフェの洗い物と我が家のものと、一日に洗濯は二度する。
二人きりの着替えに、野良着が加わるからです。
寒くなり、屋外では乾ききらなくなった。
絶対湿度は低いものの、寒くなった分相対湿度が高いからと思われる。
仕上げの乾燥は、ストーブを焚く室内となる。
干し柿だって、霜が降りる頃にならないと乾かない。
干す時期が早いと、柿の表面にカビが生えてきて、最初の年は全干し柿をダメにした。
やっと、今日のタイトル「寒いが、どうした」を紹介できます。
路上生活者は、寒いのは耐えられる。着るものを増やせばよい。
暑いのは耐えられない。脱ぐものがない。
二年前の春、5月になっても山から吹いてくる風が冷たくて驚いた。
農作業では、軍手をする手が寒さでかじかんだ。
今年の二月は、室内の配管が凍った。困ったのは、排水管が凍ったこと。
一時間も、タップにタオルを巻き付け湯をかけ続けて、氷を溶かして元に戻した。
慌てて、ヒーター線を買いに行ったがどこも売り切れ続出。
このあたりでも、異例の寒さだったと言える。
それでも、「寒さが、どうした」。
瀬戸内で育ち、横浜で暮らしたものにとって、ここの寒さは応えた。
三回目の冬を迎える。覚悟さえしておけばどうーってことはない。
阿蘇の外輪山でも、冬にはこたつの上の飲み残しのお茶が凍った。
風呂だって、厚い氷を石炭を焚いて溶かして水にして湯を沸かした。
郷に入れば郷に従え。
冬には、畑ではなーんもできない。指をくわえているだけです。
知らずに植えた玉ねぎが枯れた。根が霜柱で浮いたからです。
マルチをする理由が分かった。
妻は、今年こそマルチと騒いでいる。また、仕事が増える。
野菜づくりはレンジが長く、今年の失敗は来年取り返す。
冬は温泉に行きたい。だが、冬素人の私たちは行けずにいる。
私は、冬には畑の山際に穴を掘る。1.5m深さの幅2mx長さ10mの穴を掘る。
山からくる篠だけと草の根を断ち切る塹壕です。
まず剪定した枝を底(赤ぽこ)に入れ踏み込み、土をかける。
次に、枯れた野菜くずを入れて土(黒ぼこ)をかける。
表面近くにコンポストと米ぬかとを一緒に撒き、表面には石灰を撒き耕運機でかき混ぜる。
二年目か三年目に塹壕は沈み込む。
次の年は、新たな塹壕を隣に掘る。沈んだ土の上に土を盛る。
ああ、やることはいっぱいある。太らずに済みそうです。
枯れ枝は暗渠になり、野菜くずとコンポストは土づくりに一役買ってくれる。
捨てるものは何もない。紙屑だって燃やしたい。
今年も冬を楽しもう。
寒いほど 足をからめて 長き夜
2018年10月30日
昭和記念公園の水場で見た鳥です。
話しかけられたような、にらみつけられたような。
森で仏法僧が鳴いている。
テッペンカケタカ。トウキョウトッキョキョカキョク。
すべてのフレーズを鳴いてくれるわけでもない。
鳥の声に耳を澄ますなんてこともなかった。
今日のタイトルは、「さてさて」です。
「さて」は話を変えるときなどに使う接頭語です。
私の場合は、気分を変えるときによく使います。
毎日のことだけど、時間がない。
時間がないけど、書かなきゃと続けています。
ある日、妻がカラスにピーナッツの種をほじくられたと嘆いていました。
畑の向こうの屋根の上で、私がピーナッツの種を植えるのを見ていたのよ。
種を植えたことも知らずに、私は耕運機で畑を耕した。
ピーナッツの種は、あらぬところで芽を出した。
10粒植えて、5株のピーナッツが採れた。
大粒のピーナッツは茹でていただきました。
いつまでも止まらぬ美味しさでした。
とっかえひっかえ過去描いた作品を冒頭の絵として使っています。
妻の絵を載せたら、市役所の課長がすぐさま反応されました。
今日の絵は素晴らしかった。
毎日載せてる私の絵を誉めたこともないのに、
ただ一度だけの妻の絵に「OK」を出すなんて。
忸怩たるものがあります。
「さてさて」と気分を変えましょう。
毎日の気分カーブは、緩やかにカーブを描きます。
上向いたり、沈んだり。若い時のように急な曲線とはいかない。
なにげない一言であったり、月が真ん丸だったりと、
自然がくれるちょっとしたご褒美です。
「さてさて」と今日も頑張るかと一日が始まります。
おまえまで てっぺん欠けたか ほっといて
2018年10月29日
絵のタイトルは、「宴も半ば」です。
美味しいぶどうを食べ続け、思うところあって食べきらず残しました。
タイトルは、自分の生きざまもこうあれとつけました。
今日のタイトルは、「優しくなるとき」です。
落語の本題に入る前の枕詞のような話。
人ごみのなかに、恋人を見つけた。
帰るんなら送ろうかと声をかけた。
友達のところに行くことにした。との返事。
友達とは?と恐る恐る聞いた。
男の人のところ。と恋人は応えた。
男は、引き留めることができなかった。
三人の女と付き合い、今しがた心の中でこの人と決めたばかりであった。
目の前にいる女は、決めた人ではなかった。
そう。では送る必要はないか。
と女を見送った。
女は、引き留めて欲しかったかもしれない。
女は、うそをついたかもしれない。
確かめることはやめた。
男の狡さである。
人は、時としてひどいことをする。
その後ろめたさのバランスをとるために、「優しくなるとき」がある。
抑えきれない欲望に走ってしまった。
その結果は拭い去れないものである。
自分が一番知っているのに、生きる忙しさで忘れてしまう。
ふとした時に、残酷なことをしたと甦る。
目の前の人に、賠償のような優しさを示す。
返す時がきたときに、恩人はいない。
育ててくれた故郷は遠くになっている。
謝るには遅すぎる。
60歳に届きそうな女性が言った。
息子と娘がいるが結婚はしていない。
手元に置きたい気持ちもあるが、自分の道をみつけて歩いてほしいと心底思う。
そうですよ。私は、ここに来てよかった。
故郷ではないが、いただいた恩はどこでも返せますね。
と私が言う。
持っている金は使うほうがよい。
回りまわって戻ってくる。
とその女性は納得顔。
優しさもそうかもしれない。
あんなにひどいことをして生きてきたのに、仏のような人がいる。
人は、なんらかの十字架を背負って生きている。
孫様の わがままおかし ひなたぼこ
2018年10月28日
片意地はらずに、やわらかく生きたいものです。
たまには、いっぱいいかが。
今日のタイトルは、「里芋はどんどん食べよう」です。
里芋は、12℃の横穴に保存する。
モグラに食べられないように、杉っ葉で覆う。
蔵カフェは、冬季でも冷蔵庫回りで7℃が限界。
こりゃ、保存はだめだが結論です。
では、来年植える親芋の保存はどうするのかと質問をしました。
掘ったら、子芋を折らずに植わっていたままの姿で乾かして適切な温度(12℃)で保存する。
子芋をとるために折ったら、そこから腐っていく。
やれやれ、これではどうしようもない。
心配するな、親芋はもらってやる。
このあたりの産直で里芋を買いました。
やっぱり腐っているものがありました。
傷がついたところから赤くなって腐っていきます。
腐った部分をどこまで取ったらよいのか迷います。
結局、食べられそうなのは半分でした。
なんだか損をしたような気分でした。
今日は雨、芋ほりをしなくて済みます。
時間ができたからと言ってブログの筆は進まない。
昨日掘った里芋は、子芋がついたまんまで軽トラックの荷台で干しました。
昨日の夕方には取り込んだから、よかった。
さて里芋のこと。
まんまで干して、まんまで都会の友人に送ることにした。
それでも残る。カフェのおまかせコースで出してもまだ残る。
ええいままよと、毎日食べることにした。
朝からせっせと里芋を20個ほどむいた。
里芋の皮をむく前に十分洗いなさいと妻から指導を受けていた。
剥いても、芋肌に黒い土跡を残さないためである。
土跡は、芋肌に食い込んで洗っても落ちない。
根っこがついた親芋の周りに子芋がくっついている。
子芋は初々しくて、いかにも美味しそう。
栄養を吸って与え続けた親芋は固くてまずそう。
少し親芋が愛おしくなる。頑張ったんだね。
この頃、物忘れがひどい。
特に具体的な事柄に弱い。
抽象的なことは、冴えわたるばかりである。
これも親芋と同じと重ねてしまう。
里芋(さつま芋も)をどんどん食べることにした。
腐らす前に食べる。
どうしようもない時は、半ゆでにして冷凍庫の許容範囲まで冷凍する。
旬のものを食べていれば、病気をしないとこのあたりの方が言われた。
それは、そうかもしれない。食べるものが他になかったからかもしれない。
毎日やることと言ったら、洗うことばかり。
料理を作る妻の助手のような役割です。
合間に、料理の指導を受ける。
昔こんな話を若いプロジェクトエンジニアーにしたことがある。
コックの見習いは、洗い物ばかりでいつまでも料理を教えてもらえない。
先輩調理人が、汚した鍋を洗ってばかりいた。
何を思ったか、見習いは鍋をぴかぴかに磨き上げるようになった。
すると、先輩調理人は鍋の底に少しだけ料理を残してくれるようになった。
見習いは、そのあまりものをなめて味を覚えた。
後輩の一人に、まだ鍋の洗い方が足りませんねと伝えた。
皆が笑ってくれた。
月に一回、残業の時間を使って若いプロジェクトエンジニアーを育てる講義をやっていた。
ブログの読者数は減るばかりである。
気になっていた。
思うようにならない日々で、愚痴のような記事になっていたんだと思う。
コスモスが 空に泳ぎし 風まかせ
2018年10月27日
<<投降後>>
今日から日本シリーズが始まります。
短期決戦です。
カープ、集中力で逆転勝ちだ。