故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「また来てください」です。
和菓子屋のおかみさんです。
似顔絵を持っていったら、「描きなおし」を命じられました。
50代は手ごわいのです。
今日のタイトルは、「50過ぎれば婿取り」です。
50代になろうもなら、嫁に来ても婿取りの顔です。
喧嘩したって、多勢に無勢。
子供は、皆味方です。
兵糧と金庫蔵を押さえています。
10代の娘っこは、箸が転んでもおかしい。
お姉さんのJDよりJKのほうが勢いがあるように見えます。
20代でわたし結婚できるかしらもなんのその、叶った30代では自信の塊です。
40代になったら算数も曲げる。
9捨0入です。
49歳もアラフォーとなります。
きちゃったわ60代。
お歳かなも、70代になったら俄然つよくなります。
旦那のおとろいに反し、元気いっぱいです。
都合が悪い話は聞こえなくなる。
悪口は、不思議に聞こえるようです。
80,90代はこれからです。
観察しましょうね。
明日、お客様が来られます。
大歓迎です。
これを機会に大掃除です。
定期的に来てくれないかな。
私が開けたスペースは、台所から来たもので埋まります。
自分の実家と勘違いしているんじゃない。
時々来られるおっちゃんを娘はそう評します。
いいんです。
そのたびにきれいになるから。
2024年2月27日
写真のタイトルは、「山の畑」です。
開墾は大変な作業ですが、景色は一級品です。
遠くに広島サミットが実施されたプリンスホテルが見えます。
久しぶりに山の畑に行きました。
今日のタイトルは、「葛、猪、山崩れ」です。
2021年夏に島の家と畑を買いました。
不動産屋さんが、仲介を辞退したいわくつきの畑も含まれています。
こんな危険な畑を売ったとあっては、孫子の代まで非難される。
2018年7月豪雨で、線状降水帯が居座り、島の多くの斜面も崩落しました。
我が家の畑は、崩落した斜面の反対側です。
2021年の12月に我が家の山の畑を見に行きました。
雑木で覆われ、いたるところに猪が掘った大きな穴がありました。
猪の獲物は、葛の根です。
葛の根(でんぷんが多い)は、地下1mにあります。
2022年の夏に雑木を伐ろうと試みましたが、蜂の巣が多く断念しました。
冬になって、初めて雑木を伐り始めました。
伐り切れませんでした。
2023年5月にも伐りました。
斜面が崩落しないように、木を残しました。
残った木を覆うように葛が弦を伸ばしました。
冬には、猪が斜面に穴をいくつも掘りました。
2024年(今年)の2月になって、やっと畑に行きました。
葛のつるを切り、猪が開けた穴に土を入れています。
その後、龍のひげなどの根を張る常緑草や水仙(猪は臭いが嫌い)、
根が深い低木(花)を植える予定です。
買ったからには、責任をもって管理しなければなりません。
トンビより高い山の上の風は爽やかで、景色はとびきりです。
雑木や葛に覆われたのでは、その景色も見えません。
頑張るしかないでしょう。
2024年2月26日
絵のタイトルは、「めざす」です。
未だに山師的なくされ根性が眠っている。
絵のタイトルは、「どうしたのと言われても」です。
何が本心か、希望かわかりません。
なぜなら、多くのことをあきらめてしまった。
いやいや、「欲」が残っていました。
もやもやと書き始めました。
「欲と二人づれ」とは、
欲心につられて奔走すること。
(広辞苑より)
と出ていました。
この年代になると、「欲」(今日のタイトル)は少しかすんできます。
なくてもいいか。
出来なくてもいいか。
向上心からは、ほど遠い。
ゴルフにしろ、畑仕事にしろ、できるだけよかった。
果たして、それでよいのか。
そこで、冒頭の「欲とふたりづれ」です。
どこまでも、いつまでも煩悩から逃れられないのが人間です。
良いことを一つ、やってはいけないことが二つと、ますます(心の)借金がかさむ。
どうしてこうなん。
反省することもなくなる人生なんてつまらない。
欲とは、
欲しいと思う心。
むさぼりほしがる心。
(広辞苑より)
本当に、背くことなのか検証します。
代表的な5欲とは、
五官(眼・耳・鼻・舌・身)の五境(色・声・香・味・触)に対する欲望。感覚的欲望。
財・色・飲食・名(名誉)・睡眠を求める欲望。
(広辞苑より)
どれも生きていくうえで、とても大事なことです。
特に五官は、暮らしの基本です。
欲が無くなると感じるのは、「財・色・飲食・名(名誉)・睡眠を求める欲望。」に対して薄くなっていることです。
経験がそう思わせてくれます。
外国に行って、タイムラグを心配することもない。
毎日、朝も昼も寝て夜寝られないとぼやいています。
確かに、五官が鈍くなっている。
鈍くなっているがゆえに、研ぎ澄まそうと努力する。
鈍くなっていることが、できなくなったことにつながりあきらめる。
毎日暮らさなければならない。
つまり、「欲とふたりづれ」が必須です。
足りなくなった五官を残った何かで補っています。
それのどこがおかしい。
図書館で借りてきたCD(陽水とJAZZ)をコンピューターにダウンロードした。
気になる歌を口ずさむ。
外れていることがわかるだけマシというもの。
なにしろ、「欲」です。
向上心です。
2024年2月25日
なんにもいらない。
「おもしろきかな」(絵のタイトル)です。
ほーれほれ 鶴が一喝 吹き返す
今日のタイトルは、「いいんじゃない」です。
どうでもよいとは、違う。
そのままともちがう。
何かやってるけど、力が抜けているさまが感じられます。
ゆるーい状態です。
それでも万事うまくいってる。
夢のようなけだるさのことです。
縁側の陽だまりに寝ころんでいる。
青空や闇夜をふんわりと、白い雲が流れている。
心が静かです。
そうですか。
それは、ようおましたな。
お坊さんがいない葬式で、皆が笑顔です。
極楽浄土なんかどうでもよいと、罰当たりが言っています。
刻苦勉励、欲しがりません勝つまではと皆が歯を食いしばって戦ってきました。
神武景気の再来があるわけはありません。
下を向いてる人ばかりです。
でも、「いいんじゃない」と生きていく。
落ち着いたら、腹が立つことも収まっています。
明日のコメも心配の外です。
なんともならなくても、何とかなるかもね。
こんな気持ちになることがあります。
隣には、妻がすやすやと寝ていました。
今日も生きようか。
この人と一緒に。
2024年2月24日
絵のタイトルは、熟年夫婦合わせて「まだまだ、これから」です。
頑張ってやあ。
過疎、耕作放棄地、害獣と田舎を取り巻くよくない話が多いように思う。
今日のタイトルは、「畑の活用」です。
90歳超のお姉さん、お兄さんに、「もう、できんけえ」と草刈りを依頼される。
耕作放棄地は雑木伐り、草刈り、いたどり(広島弁でかっぽん)の根(太い一本だけ)を起こす。
案外、これが楽しいのである。
会社勤めのころの人事や客先とのもめごとはない。
何しろ、好きにしてくれてよいと任される。
一日3時間程度の汗をかく運動は心地よいし、酒と夕飯がうまい。
耕作放棄地を昔の畑にするところまでは、何とかできる。
果樹があっても、剪定をすれば元通りになる。
困るのは、なにも植えないで草刈りだけになることが怖い。
かといって、植えるにはいろいろと支障が出てくる。
伐った雑木と刈った草の処理である。
燃やすには、消防署に届けなくてはならないし、山火事が一番怖い。
畑の有効活用が、一番頭を悩ます。
一反の畑を作物で埋め尽くすのに、2年はかかる。
例え、収穫があったとて、食べきれないし、あげる人も見つからない。
考えた末、まず配れる友人を都会に作る。
最初は送られた量に驚くが、夫婦の共同作業ができるようになると、翌年も待つようになる。
雑木は猪よけの柵にする。
伐った雌竹は、暗渠に使う。
湿気が多い田んぼに、暗渠をいけて雑木を蒸し焼きにした活性炭を混ぜる。
池になればわさび田にする。
カワニナも入れて、蛍を繁殖させる。
友人がメダカをくれる。
刈った雑草は、時間をかけて有機肥料にする。
一反の畑には、和風ハーブを植える。
収穫できなくても気にならないし、猪は好まない。
シソ、ワサビ、サンショウ、アシタバ、カキオドシ、クロモジ、
イブキジャコウソウ、カワミドリ、トウキ、エゴマ
と10種類はある。
全部、薬草である。
乾燥させれば、柑橘の皮も肥料になるし、虫よけにもなる。
和風ハーブは、漢方薬になるし、柑橘の乾燥皮も薬草風呂になる。
なにしろ、楽しめることを探すのである。
探すのも楽しいではないか。
私たちは、年金生活者で金持ちではないが、「時間持ち」ですから。
余力があれば、雑木で小屋を作ることができる。
「お休みどころ」と看板を掛けておけば、散歩する人が使うだろう。
ただ、面白がることができるか、どうかである。
自衛隊の嫁さんが、畑をやりたいと言っている。
大いに任せたいが、どこまでできるかは本人次第です。
2024年2月22日