故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a0/46c891ce957274c185c83619bcc52295.jpg)
絵のタイトルは、「憧れ一献」です。
たいして高いものじゃない。
でも買えなかった。
今でも重宝しています。
スケジュールが埋まらないのが寂しい。
埋まるのは、自由が無くなったようでうっとうしい。
人の気持ちは勝手であり、もろい。
今日のタイトルは、「選択する勇気」です。
地区の世話役になり、カレンダーにその日がメモされます。
なじむために、知るために、よいとはわかっている。
新しいことを始めるのは、とかく億劫です。
先日、草刈りのお礼と言って、その人が使わなくなったドライバーをいただきました。
44.5インチと使っているドライバーより1/2インチ短い。
ヘッドが重く、振り負けます。
腹筋も総動員しないと振り切れない。
くれた人は、もう振れなくなったんだな。
新しいものなので、10年近く使ったドライバーと入れ替えました。
朝起きて、何をするにもだるい感じです。
簡単なことから始めます。
パジャマから普段着に着替える。
着たいシャツが見当たらない。
リュックサックにスペア用として入れていたものを引き出し、そのほかの物も片づける。
布団を干したいが、ごみが落ちている。
掃除機を出しごみをとる。ついでに、全室やってしまう。
着替えで出た下着を洗濯場に持っていき、洗濯を始める。
布団を干す。
やりたくないことが、後回しになる。
ママから、あれをしなさい、これがまだでしょと声がかかる。
今からやろうと思っていたのに、ママの注意に腹を立てる。
私も同じです。
付き合った彼女の数は多くはない。
今になって、誰ともうまくやれたのではないかとうそぶく。
多くの場合自分の努力が足りなかったと知っている。
拾ってくれた妻に感謝する。
億劫なんて言ってられない。
勝とうと思ってギャンブルをするわけではない。
その場逃れの安易な道と知っている。
都度、勇気ある「選択」をしてきたのである。
さあ、書いたことだし、面倒だった朝ご飯作りにとりかかろう。
2024年5月26日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/78/697f1b55f56d4e2cdf4a4174abb4373b.jpg)
絵のタイトルは、「川筋気質」です。
誰もができぬ危険な仕事のうちは、ブルーオーシャンでした。
トンネルが穿たれ、列車とトラックが現れレッドオーシャンになりました。
今日のタイトルは、「ブルーオーシャン」です。
競争原理で経済は成り立ちます。
ニッチの仕事で、競争がない経済活動をブルーオーシャンと言います。
お金を持たない、
モノを持たない。
友達がいない。
こんな生活を推奨します。
私たちは、田舎暮らしです。
都会まで公共交通機関で1時間だから不便を感じない。
耕作放棄地の草刈りを一生懸命(趣味のように)やっています。
糖尿病にもなりにくいし、ジムや公民館(スポーツ、趣味)に通いません。
友達もいないので、付き合い(3つのグループに属し、1つが仲良し)もありません。
モノを極力捨てて、持ちません。
掃除が簡単ですし、片づけも必要ありません。
最低限(ゴルフと釣り)しか金を使わない、
イーブン(種、苗、農機具、ガソリンが経費、食べるものが収穫)の暮らしです。
他人(主にギブアップされる年寄り)の放置された畑の草刈りです。
隠れるようにやっています。
忙しい分(2週間に一回の草刈りを春先から晩秋まで)だけ、体力を使います。
では、この暮らしのどこが「ブルーオーシャン」なのでしょう。
時間(対価をもらうと8時間)が自由です。
疲れたら、やめる。
だけど、少しずつ毎日やります。
お金をもらわない。
不思議なことに、お礼(食べ物、飲み物)が届きます。
余ったもの(主に食料品、労力:サービス)を足りないところに届ける役目です。
例えば、耕作放棄地の伐った雑木をキャンプ場に届ける。
風呂を沸かすのに薪を使う家庭に届ける。
余ったもの(釣った魚、獲った猪肉、できすぎた果物や野菜)をいただきます。
私たちだけでは食べきれないので、近所や都会の友人(捌ける人)に送ります。
都会から届く返礼品は、くれた人と共有します。
競争がありません。
困りごと(耕作放棄地など)に誰も近づきません。
お金が介在しないから、対価を求める人も近づきません。
口コミだけなので、情報が拡散することはありません。
スケジュールは、こちら次第です。
こんなニッチな役割があるのです。
身体はきついけど、一人勝ちです。
再生した耕作放棄地に何を植えようか。
全部の草刈り場に、何かを植えることは不可能です。
かつての景色が見えるようになり、気持ちが楽になります。
抜ける景色は、タワマン(住んだことがない)からは見ることができないかな。
できる人は限られている。
草刈りが好きでなきゃ続きません。
真っ黒になっても気にしない。
細々と長ーくできるサービスです。
してやったりかどうかは、人それぞれです。
惜しまぬ先に光が見えます。
2024年5月25日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/3d/cf1ab3614189edfa4e7640f618303e66.jpg)
絵のタイトルは、「永観堂」です。
いつも、この場所に戻りたい。
辿り着けない境地です。
毎日のように書いている。
何を書こうか。
どう書こうか。
エッセイより、小説のほうが面白い。
小説は次へと進めるが、エッセイはタイトルごと止まる。
小説は本当の話のようで嘘のオンパレードだから、無責任に読めるし書ける。
私のブログは、暮らしを切り取り、要領の悪さが漏れてしまう。
今日のタイトルは、「書く責任」です。
それでも書き続けたい。
今しかないと、ピン止めするようなメモ書きです。
ボケ防止とうそぶいているが、案外真剣です。
書いたがゆえに、行動に責任が生じる。
自戒のような文章では息が詰まる。
面白いことを探すが、目の前に転がっているわけではない。
こう考えたらと、日常をこねくり回す。
書く目的とは、「生きたい」意欲そのものです。
書ける喜びと後ろめたさは、裏表です。
頭に浮かんだ、「はて」(朝ドラで絶妙な言い回し)を勇気をもって深める。
このままでは辛いばかりだから、助けが欲しいと書いています。
自分が可愛い分だけ、真実から遠ざかる。
それでも潔さを極めたいと書いています。
お前も馬鹿だねと思ってもらえれば、私への誉め言葉と信じます。
2024年5月25日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/b0/64528b956f93b1036dc576bb0a934a82.jpg)
どっこいしょ。
何をするにも、掛け声が必要です。
「毎日がおりゃてなもんで」(絵のタイトル)と私です。
またまた、妻の話で恐縮です。
今日のタイトルは、「接頭語:ところで」です。
食事のあと寛いでいるときも、車を運転しているときも、
「ところで」と、妻が話しかけてくる。
私は、都度ドキッとする。
今度、なになにがしたい。
あれがあったら、これがやれたら。
ほとんど、「あんたがやれ」という相談です。
心臓に悪いので、「自分でやれば」と3回に1回は返している。
そうすると、その話は終わりになる。
狭量の奴と思われます。
昨日の草刈のダメージが続きます。
痛い左足ふくらはぎを揉んで欲しい。
草刈りに行こうと思っていたけど、できなくなったわよ。
ダメージより草刈りのほうが優先事項でした。
痛みは自分で治すものよ。
それ、ストレッチ、ストレッチ。
追い打ちです。
ああああああああ!
カメ(かめむしのこと)がいる。
あなたの出番よ。
蠅たたきを持って向かいます。
外に出してよ!
窓を開けてよ。
ハイ出ましたよ。
窓を閉めてよ。届かないんだから。
(????)開けたのは誰?
そうか、閉める場合は手が届きにくいのか。
蠅たたきの柄のほうで閉めていました。
「ところで」は、危険な言葉と妻に告げました。
次は、どんな接頭語になるんでしょう。
カープ観戦をした際、妻はポットを忘れました。
あなたが、確認しないからいけないのよ。
忘れたのは、あなたのせいよ、ふふん。
ハイハイ。
2024年5月23日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/3e/573106bd09a1845888813932c3b49312.jpg)
絵のタイトルは、「阿吽」です。
男と女の距離感は、つかず離れず。
見えないようで見える。
見えるようで永遠に見えない。
よく手入れした盆栽を観賞する距離感です。
喧嘩を始めたのは、男でした。
愛する男を応援するのは、女でした。
そうでしょうか。
喧嘩の原因は何で、男は何をどうしたいと始めたのだろうか。
今日のタイトルは、「男も辛い」です。
許されるなら、女が代理戦争をしてもよかった。
できないと決められているような気がした。
でも、できるようになった。
そうだろうか。
女は結婚によって、大いに人生が変わる。
アウェーに入り、ホームになるまでの長い時間を過ごす。
その間に、世間の見方も自分自身さえ変わってしまう。
そんなことがあってよいのだろうか。
女である前に人間であったはずです。
若い時に思い描いた夢を究めることはできたはずでした。
結婚をし、子供を持つことも夢でした。
子育てに、家庭を守ることに全エネルギーを費やすうちに何かがはがれていった。
おばあさんになり、はがれたばかりじゃないと気づくも遅い。
もっと早く、若いうちだけでなく、社会に出てからも女として生きていける。
そうなるには、私たち男の意識が変わらなければならない。
役割なんて、なにも決まってはいないはずである。
どちらもできる。
女は辛い。
幸せにできない男も辛い。
男の幸福感は、妄想なんだと気づくのに遅すぎることはない。
ますます混迷となるも、暗闇に一筋の灯りをともしたいと生きている。
救いとなるのか分からぬが、パートナーをますます尊敬することができる。
2024年5月22日